国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「統制」と公共性の人類学的研究――ミャンマーにおけるモノ・情報・コミュニティ

研究期間:2012.10-2016.3 代表者 土佐桂子

研究プロジェクト一覧

キーワード

統制、公共性、コミュニティ

目的

ミャンマー(ビルマ)は1962年ネーウィンの軍事クーデター以来、半世紀の間に3つの政治体制(社会主義、軍政、大統領制)と2つの経済体制(社会主義体制における統制経済、経済制裁下の市場経済)を経験したが、一貫して物の流れや人的移動、情報などを中心に厳しい統制が課せられてきた。本研究会で扱う「統制」とは比較的可視化されやすい国家政策に留まらず、宗教、ジェンダーといった多様な領域に及ぶ不可視のイデオロギーと支配装置、さらに、隣組的な相互監視システムや言論統制などを通じて身体化された統制をも含む。他方、それぞれのコミュニティ内で、例えばミャンマーであれば、僧院を核とする宗教ネットワークや在家組織、精霊信仰の霊媒や信者たち、各少数民族や国際・国内NGOなどの組織やその参加者、その他ジェンダーや「親しい(キン)」を媒介とする繋がりのなかに、「統制」をすり抜け、オルターナティブなネットワークを作る戦略的実践が存在してきた。本研究会では、こうした実践に着目し、「統制」と公共性という二つの観点から、統制解除へと急激に移行しつつあるミャンマーを中心に、社会的再編成、コミュニティの公共性やその変容を明らかにすることを目指す。

研究成果

研究会開催期間中に、14回の研究会を通じて、海外の研究者を含めた5名の特別講師を招き、共同研究員による16の個別報告に加え、総合討論を初回と最終回の2度開催した。
近年、ミャンマーの政治体制や組織に大きな変化が見られ、半世紀ぶりに文民政権が誕生した。厳しい検閲制度が課せられてきたメディアにも、かなりの「言論の自由」が認められるようになり、携帯の普及とともにSNS経由の情報流通も格段に増加した。情報流通の変化、意見表明媒体の拡大とともに、いわゆる公共圏(性)のありようもかなり変わってきたといえる。
研究会発足当時は、ミャンマー、カンボジア、ベトナムなど比較的強い統治体制を背景とした統制、公共性概念を想定していたが、こうした状況の変化に合わせながら、研究会を通じて、概念や議論を精緻化することとなった。
第一に、政治、統治概念のローカルな意味の変容、あるいは、統治テクノロジーの再編について、研究成果を得た。例えば、言論統制が緩み、情報流通が増加するなか、新たな監視の要請や自己統制の動きが生じている。また、ミャンマーやインドネシア等でもセキュリティの民営化が進んでいる。軍隊、警察という形で国家が占有してきた暴力という統治テクノロジーが、民営化によっていかに再編成されるかが示された。
第二の成果は、ミクロな視点から公共性へのアクセスを明らかにする諸研究である。コミュニティや中間集団(宗教ネットワーク、民族集団など)等の調査をもとに、コミュニティ内に公共なるものと触れる機会がいかに生じているか、またその公共なるものは何かといった考察は重要である。さらに、コミュニティや集団内に、従来とは異なる形で社会運動やネットワークが生じており、人々がいかにその運動やネットワークに動員されるかが明らかにされた。一方、公共性の原理は言語による自由な討議というコミュニケーション的行為に限定しない。多民族共生地域において、コミュニティ内に見られる共同性がマイノリティの戦略に繋がる事例もある。その逆に、意図的に民族や宗教を核とする集団やネットワークが積極的に意見を表明し、広報を行う動きも見られる。

2015年度

平成27年度は合計2回の研究会を計画している。これまで計画は三段階で行ってきた。ミャンマー研究者を中心に現在の変化を含む総合的な研究発表を行い、第二に、ミャンマー以外の東南アジアの人類学的研究、その他、政治学、国際関係といった他分野の研究者の発表を通じて、より普遍的テーマとしての考察を行う。第三段階として理論的枠組みの再検討を行うというものである。本年はまとめの年度に当たり、枠組みの再検討を行う予定である。2回の研究会を予定しており、第一回目の研究会では、統制、公共性などの基本的概念と東南アジアにおける類似の概念、あるいは用語の妥当性などを検討する。この研究会では全員の短い報告と討議を含めて、検討を行う。さらに二回目の研究会では本研究会の成果公刊に向けて、全員が論文のドラフトをあらかじめ準備し、共同研究メンバーがコメントする。

【館内研究員】 信田敏宏
【館外研究員】 飯國有佳子、生駒美樹、伊藤まり子、伊野憲治、岡本正明、藏本龍介、斎藤紋子、高谷紀夫、田村克己、田村慶子、テッテッヌティ、松井生子
研究会
2015年8月3日(月)13:00~17:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
箱田徹(大阪市立大学)「導きと対抗導きの世界 フーコー統治論からの権力論・公共性論」
フィールドから見たパブリック・プライベート・パブリシティ(全員発表)
総合討論
2016年2月7日(日)13:00~19:00(東京外国語大学本郷サテライト8階会議室)
全員の草稿発表
コミュニティ・危機管理に関する検討(全員)
宗教に関する検討(全員)
民族に関する検討(全員)
総合討論
研究成果

この研究会の開催期間中に、ミャンマーは劇的に変化し、半世紀ぶりに文民政権が誕生することとなった。厳しい検閲制度が課せられてきたメディアにも、ここ数年で一定の言論の自由が確保されるようになった。他方で、携帯電話の普及とともにSNSを通じた情報流通が格段に増加した。情報流通の変化、意見表明媒体の拡大とともに、いわゆる公共性のありようもかなり変わってきたといえる。本年度は共同研究の最終年にあたっており、変化の方向性を十分に見据えつつ成果報告に結びつけることを目指して、二回の研究会を行った。初回は自己統治や権力論に関するフーコー研究者の報告を聴き、再度それぞれのフィールド地における事例をもとに、統制、統治、権力等に関して考察を深めた。また、全員討論を経て、パブリック、プライベート、パブリシティについて、個々の地域や事例をもとにローカルな概念の共通点、ずれなどを確認した。二回目は成果報告に向けて、各自が原稿の草案を準備し、コミュニティ・危機管理、宗教、民族という3つのクラスターに分け、統制と公共性に係わる議論を行った。

2014年度

2014年度は合計4回の研究会を計画している。ミャンマー研究者を中心に、民族誌的再評価を行ったうえで、現在の変化を含む総合的な研究発表を行ってきた。今年度は、ミャンマー以外の東南アジアにおける状況に視野を広げつつ、政治学、国際関係といった他分野の発表を組み込む。さらに調査を終え帰国したばかりの若手研究者から、少数民族特別区の事例、あるいは都市部の精霊信仰の事例など最新の報告を行ってもらう。メンバーの報告が一巡した後は、理論的枠組みの再検討を行い、統制、公共性などの基本的概念と東南アジアにおける類似の概念、あるいは用語の妥当性などを検討する作業を行う。とくに公共性をめぐっては哲学、あるいは社会学などの分野から専門家を特別講師として招き、一般概念と東南アジにおける展開について考察を行い、最終的な研究報告に向けて方向性を定める。こうした研究会を年度の前半に集中して開催し、後半で各メンバーが可能な限り現地調査を行い、次年度のとりまとめにむけてそれぞれに準備を行う。また、ミャンマー関連の外務省関係者等、最新の変化に関わる情報が重要であるため、本年度もそうした実務家の参加を促す必要性から、東京での開催を最低一回組み込む。

【館内研究員】 信田敏宏
【館外研究員】 飯國有佳子、生駒美樹、伊藤まり子、伊野憲治、岡本正明、藏本龍介、斎藤紋子、高谷紀夫、田村克己、田村慶子、テッテッヌティ、松井生子
研究会
2014年4月26日(日)13:30~18:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
田村慶子(北九州市立大学)「(仮)2006年12月調査から見るミャンマー華人」
木村自(大阪大学)「クレオールとしてのミャンマー華人/華人系ミャンマー人――ミャンマー地方都市における華人と非華人の協働から考える」
総合討論
2014年5月24日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 大演習室)
田村克己(総合研究大学院大学)土佐桂子(東京外国語大学)研究打ち合わせ
生駒美樹(東京外国語大学・大学院生)「パラウン自治区ナムサン郡における茶生産者間の関係の変化とその背景」
山本文子(大阪大学・大学院生)「ワーダナー(趣味)としてのナッ――ミャンマーにおけるナッの「信じ方」に関する一考察(仮)」
総合討論・情報交換
2014年6月29日(日)13:00~18:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
岡本正明(京都大学)「民主化・自由化とセキュリティーの民営化:インドネシアとミャンマーの比較」
菱山宏輔(鹿児島大学)「バリ島の地域セキュリティとゲーテッド・コミュニティ」
総合討論・情報交換
2014年9月28日(日)13:00~18:00(東京外国語大学本郷サテライト7階会議室)
土佐桂子(東京外国語大学)『「統制」と公共性をめぐる人類学的研究の可能性』
全員(研究に関する中間報告)
総合討論・情報交換
研究成果

2013年度は全部で4回の研究会を開催した。今年度の核は三つあり、第一が昨年度に引き続き、華人や少数民族といったマイノリティに対する統制に関わる考察である。マイノリティの言語、生産、宗教活動に対する統制という局面に着目することにより、彼らの置かれる状況は可視化しやすい。ただし、逆に、公共性へのアクセスがどれほど開けるかという点においては当該社会の状況により異なり、今後の研究課題として残されている。第二に、統制、統治を考察する重要な核として、民主化プロセスにおけるセキュリティーの民営化に着目する研究がある。インドネシアにおけるセキュリティーの民営化、さらにミャンマーにおけるセキュリティー事業への元軍人の関与、さらに、バリのゲーテッド・コニュニティに関する考察を通じて、ゲートが人の動きを統制する反面、バリ島における伝統的門の機能に重なる公共性を担う可能性も示された。第三の核は、統制と公共性に関する従来の理論を振り返り、これまでの発表における「公共性」の理論的検討を行うものである。参加者全員の討論を通じて、50年近い言論統制の歴史を通じた統制の在り方、民主化運動の意義を振り返りつつ、いくつかの課題が示された。次年度再度、概念や議論のすりあわせを行いつつ、出版に向けて考察を深めることが課題といえる。

2013年度

2013年度は合計6回の研究会を計画している。まず「統制」という観点から社会主義政権時代、軍政時代に調査を行ってきたミャンマー研究者を中心に、民族誌的再評価や現在の変化を含む総合的な研究発表と討議を行う予定である。言論統制をはじめとして、急速に「統制」が緩みつつある現状を踏まえ、適宜ミャンマー人研究者のなかから特別講師を招き、統制、市民活動、批評に関する現地からの視点を組み込むことを予定している。こうした歴史を踏まえた基礎的認識を共有しつつ、さらに、ミャンマー関係研究者を中心に、少数民族、精霊信仰、市民法とムスリム、僧院といったフィールド調査からみた「統制」と公共性に関わる発表を行う。同時に、よりマクロな視点から政治学、国際関係、国際援助といった他分野の発表も組み込む。なお、東京にて開催した研究会で、外務省担当者などの実務家から、ミャンマー社会の統制解除等最新の変化に関わる情報が討論を通じて寄せられた。本年度もそうした実務家の参加を積極的に求める意味で館外(東京)にて開催したい。

【館内研究員】 田村克己
【館外研究員】 飯國有佳子、伊野憲治、岡本正明、藏本龍介、斎藤紋子、高谷紀夫、田村慶子、テッテッヌティ、松井生子、伊藤まり子、生駒美樹
研究会
2013年4月14日(日)10:00~19:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
土佐桂子「ミャンマーにおける文学と生活文化における統制と公共性」("Control" and "Public" appeared in the Myanmar Literature and Everyday life)
ウー・トーカウン「ミャンマーにおける文学批評家と文学批評---言論統制の観点から」(Myanmar Literary Critics and Literary Criticism in Myanmar)【使用言語英語】
コメント:田村克己
討論:全員
2013年6月16日(日)13:30~19:00(東京外国語大学本郷サテライト(4階セミナー室))
伊野憲治「88年民主化運動下の民衆行動の諸特徴」
コメント(岡本正明)と討論
総合討論と情報交換
2013年7月21日(日)13:30~19:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
斎藤紋子「バマームスリムの視点からみたミャンマー宗教対立の現状」
飯塚正人「中東におけるムスリム同胞意識の変容と東南アジアへのまなざし」 (コメントを含めて)
総合討論と情報交換
2013年10月5日(土)13:30~19:00(東京外国語大学本郷キャンパス7階会議室)
飯國有佳子「ヘテロトピアとしての霊媒カルト:統制・統治をめぐる歴史的変化と霊媒カルトの現在」
藏本龍介「サンガ統制の行方:国家から市民へ?」
総合討論と情報交換
2013年11月10日(日)13:30~19:00(東京外国語大学本郷サテライトキャンパス、8階会議室)
高谷紀夫「シャン文化の行方」
田村慶子コメント、総合討論
情報交換
2014年1月26日(日)13:30~17:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
松井生子(民博外来研究員)「カンボジアにおける「統制」と公共性:在カンボジア・ベトナム人と地方行政の関係を中心に」
伊藤まり子(民博外来研究員)「ベトナムにおける「統制」と公共性:宗教政策の変遷とカオダイ教組織の活動に焦点をあてて」
情報交換
研究成果

2013年度は全部で6回の研究会を開催した。今年度はミャンマー研究に関わる研究者に主に報告してもらった。50年近い言論統制の歴史を通じた統制の在り方、民主化運動の意義を振り返りつつ、危機下のコミュニティをいかにとらえるか、また、自己規制をいかに考えるかといった視点が示された。その他宗教や民族という領域の事例を通して、政治的な「統制」にとどまらず、教義・儀礼の身体化や規律や身体の統制という問題への考察が行われた。換言すれば、権力の内在化というレベルでの自己規制、あるいは、無政府下、ないしは民主化の進むなかでの自己統治の範囲などの考察への必要性が示された。こうしたミャンマー関連の研究を踏まえ、インドネシア、シンガポール、中東、カンボジア、ベトナム研究者による報告やコメントを通じて、公と私、ハーバマス的な公共性(公共圏)、あるいは個別「公共性」の発露の可能性を含めて、それぞれの社会における展開を再考する必要性も改めて指摘された。これらは次年度以降の研究会のなかで追及すべき課題ともいえる。

2012年度

本研究では共同研究を開催し、東南アジアの政治状況を踏まえつつ、「統制」と公共性という観点から、モノ、人、情報への「統制」について、また、「統制」状況の変化による社会的再編成、さらにコミュニティの公共性やその変容について検討することを考えている。このうち、2012年度は2回研究会を開催する予定である。一回目の研究会において、代表者等が研究課題について要旨の説明と問題提起を行う。全員の自由な討論を経て、研究課題を検討するとともに、参加者の分担する具体的テーマについて、課題全体のなかでの位置づけを討議する。2回目は、メンバーによる研究報告と討論を行う。

【館内研究員】 白川千尋、田村克己
【館外研究員】 飯國有佳子、伊野憲治、岡本正明、藏本龍介、斎藤紋子、高谷紀夫、田村慶子、田村慶子、テッテッヌティ、松井生子
研究会
2012年10月14日(日)13:30~19:00(国立民族学博物館 第3演習室)
土佐桂子:「統制」と公共性の人類学的研究―趣旨説明
全員:質疑応答および討論
全員:今後の研究計画について討論
2013年1月26日(土)13:00~19:00(東京外国語大学研究講義棟 総合文化研究所)
テッテッヌティ「軍事政権末期におけるヤンゴン市内の動き:「批評空間」の再編 をめぐって」(発表と質疑応答)
田村克己「『ビルマ式社会主義』下の農村社会、そしてその後」(発表と質疑応答)
情報交換と次回の打合せ
研究成果

本研究会では、各研究者のフィールドにおける従来の研究や民族誌を、統制ないし公共性といった観点から再検討することから始めた。2012年度は時代の幅も考慮しつつ、どのような議論が生じうるかといった点を考察した。社会主義政権下では、厳しい物資・情報が統制されたなかで、人類学的調査そのものの政治性をもとらえつつ、「社会主義」を実践、経験としてとらえる視点の重要性が指摘できる(田村)、また、「ムラ」の再考も必要となろう。政治の末端でもあり、一種の「公共空間」ともいえるが、他方では、ネットワークとムラの境界との関係など、今後考察すべき重要な視点が多々存在する。一方、近年では、ネットや新たな情報機器利用に伴う「空間」やそのなかに存在する公共性をいかにとらえるかも重要な課題となる。軍事政権下で物資の統制はかなり解除されたものの言論統制は厳しく続いた。一方ネットの使用は2000年代半ばから飛躍的に拡大し、国内のインターネット識字層、さらにはディアスポラでもある難民、海外移民、あるいは留学者等が意見交換できる「批評空間」が生じた(テッテッヌティ)。今後こうした「批評空間」を射程に入れた公共性、民主化の広がり、影響関係といった考察も必要となろう。