国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

近世カトリックの世界宣教と文化順応

研究期間:2014.10-2018.3 代表者 齋藤晃

研究プロジェクト一覧

キーワード

ミッション、イエズス会、文化相対主義

目的

本研究は、16~18世紀のアジアとアメリカにおけるカトリック教会の宣教、とりわけ「順応」と呼ばれる政策に焦点を当て、ローカルな事例の比較とヨーロッパの世界観・人間観の検討を通じて、その歴史的意義を明らかにする。順応とは、宣教師が現地の規範や慣習を学ぶことで地元社会に溶け込み、現地人の改宗を促す政策である。言語、衣食住、礼儀作法、法律、学問など、現地文化の幅広い側面が対象となる。事例としては、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの日本宣教方針やマテオ・リッチの中国古典研究など、アジアのイエズス会の政策が有名である。特に中国での政策は「典礼論争」というカトリック教会を二分する論争を引き起こした。
近世カトリックの宣教師の順応はしばしば今日の文化相対主義の先駆けとみなされるが、この評価は正しいのだろうか。両者の共通点と相違点はなんだろうか。今日の相対主義的文化概念が近世カトリックの世界宣教に負うものがあるとすれば、それはなにか。これらの問いに答えるため、本研究は、宣教師の順応をローカルなコンテクストに位置づけ、通文化的実践としてのその特徴を探る。同時に、宣教師が順応に与えた理論的根拠を世界の諸文化の多様性についてのヨーロッパの思索の流れに位置づけ、その思想史的意義を解明する。

研究成果

近世グローバル・ミッションの研究では、「順応(accommodatio)」とは、ヨーロッパ人宣教師がアメリカやアジアの赴任先で信者の共同体を建設するとき、現地の制度や実践を新たな教会の構成要素として取り込む、またはその存在を容認することを意味する。たとえば、日本で宣教に従事したイエズス会士は、聖堂の建築や装飾、修道士の服装や作法、典礼の様式、教理学習の言語などの面で、日本人の慣行を取り入れた。現地文化へのこの順応は、今日の文化相対主義とは似て非なるものである。現地の法律や政治、慣習は、それ自体として尊重されるというより、人類共通の自然法に合致するかぎりで「善いもの」として承認されるか、またはそれに抵触しないかぎりで「中立的なもの」として許容された。他方、厳密な意味で「霊的な」領域において、宣教師が現地の慣行に譲歩することはなかった。
もっとも、近世カトリックの宣教師の文化順応が今日のわれわれの視点からみてまったく評価に値しない、というわけではない。近世スコラ学の影響下、彼らの多くは人間の自然本性を肯定的に評価しており、堕落した人間は恩寵なしには善をなしえないという立場とは一線を画していた。彼らの考えでは、たとえ「異教徒」でもその本性は善であり、理性と意志の力で善を行い、徳を修め、ひいては神を知ることができる。アメリカやアジアに赴任した宣教師が現地の法律や政治、慣習に関心を抱き、それらを新たな教会建設の土台として活用したり、今日の開発援助に相当する活動に取り組んだりしたのは、そのためである。宣教師の順応は、世俗的次元における人間の基本的能力を肯定的に評価することを前提としていたのである。
以上を考慮するなら、近世カトリックの宣教師の文化順応の限界と可能性がみえてくる。まず限界に関してだが、宣教師の順応は普遍主義的人間観に裏づけられており、それゆえ文化的多様性は普遍的価値に抵触しない「中立的な」領域においてのみ許容された。また、「霊的な」領域における順応は問題外だった。「偶像崇拝」に対して宣教師が譲歩することはありえなかったのである。次に順応の可能性に関してだが、たとえ普遍主義的基準によるとしても、非ヨーロッパ世界の一部の地域の社会文化的営為を肯定的に評価した宣教師の功績は否めないだろう。また、たとえ神学的観点からにせよ、世俗的次元における人間の基本的能力を再評価したことも重要である。後者は近世ヨーロッパの文芸復興の遺産だが、宣教師はその遺産を受け継ぎ、それを脱ヨーロッパ化して、今日のわれわれに受け渡したのである。

2017年度

一昨年度は、宣教師の適応政策に関する先行研究を合評し、メンバー各人に専門外の地域や時代についての理解を深めてもらった。昨年度は、先行研究の合評を通じて形成された共通理解に基づいて、メンバー全員にそれぞれの役割分担に応じた研究報告をしてもらった。本年度は、昨年度の研究報告に基づいて、日本語の論文集を作成する。その構成については、昨年度の第1回研究会ですでに基本構想を練り上げている。本年度の第1回研究会では、この基本構想に基づいて、より完成度の高い構想を練り上げる。とりわけ、論文集を全体としてみたとき、地域や時代、テーマの点で偏りや欠落がないように配慮する。論文の執筆作業は、第1回研究会終了後、本格的におこなう。最初の原稿が完成したら、メンバー全員が全員分の原稿を読み、第2回研究会でその内容について議論し、改善点を洗い出す。その後、原稿の修正作業をおこなう。最終原稿は年度末までに完成させる。

【館外研究員】 網野徹哉、井川義次、王寺賢太、岡美穂子、岡田裕成、折井善果、小谷訓子、鈴木広光、中砂明徳、新居洋子、真下裕之
研究会
2017年6月17日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
共同研究員全員・研究成果の出版に関する全体会議
2017年12月23日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
共同研究員全員・研究成果の出版に関する全体会議
研究成果

本研究では最終成果として日本語の編著の刊行を目指しているが、本年度はその執筆・編集作業を調整し、前進させるための会合を2回開催した。
1回目の会合では、メンバー各人に執筆予定の論文の具体的構想を提示してもらった。その際、どのような種類の「順応」を取り扱い、それに関してどのような問題を提起し、どのような知見を提示するのか、説明してもらった。この会合ではまた、研究代表者が編著の目次案を提示し、参加者全員でその妥当性について議論した。
2回目の会合では、事前にメンバー全員の原稿を全員に配布し、読了してもらった。そのうえで、当日には原稿をひとつひとつ全員で論評し、質の向上をはかった。また、完成原稿に基づいて、研究代表者が新たな目次案を作成し、参加者全員でその妥当性について議論した。
これらの会合を通じて、論集全体のテーマとアプローチの統一性が確立された。また、個々の論文に関しても、問題設定の妥当性や論旨の明確さが格段に向上した。

2016年度

前年度は宣教師の適応政策に関する先行研究を合評し、過去の研究動向を把握するとともに、メンバー各人に専門外の地域や時代についての理解を深めてもらった。本年度は、先行研究の合評を通じて形成された共通理解に基づいて、メンバー全員にそれぞれの役割分担に応じた研究報告をしてもらう。それらの報告は、本研究の最終成果として刊行される論文集の諸章となる予定である。それゆえ、報告の内容については事前に打ち合わせをおこない、全体としてみたとき、地域や時代、テーマの点で偏りや欠落がないようにする。また、報告者には、カトリック教会や修道会の中枢が位置するヨーロッパの状況と、宣教活動が展開される現地の状況の双方に配慮するよう努めてもらう。研究会は合計5回実施する。開催場所はいずれも民博である。

【館外研究員】 網野徹哉、井川義次、王寺賢太、岡美穂子、岡田裕成、折井善果、小谷訓子、鈴木広光、中砂明徳、新居洋子、真下裕之
研究会
2016年5月14日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
研究成果の出版に関する全体会議
2016年7月23日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
岡美穂子(東京大学)「「新仏教」としてのキリスト教受容説は成立可能か(試論)」
岡田裕成(大阪大学)「適応/収奪/交渉――征服後メキシコにおける羽根モザイク聖画・聖具の制作と活用」
齋藤晃(国立民族学博物館)「集住化と奴隷狩り――南米熱帯低地におけるイエズス会ミッションの建設」
2016年10月1日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
新居洋子(東京大学)「中国における科学宣教と清朝側の意図」
井川義次(筑波大学)「中国哲学情報のヨーロッパ啓蒙主義への流入――シュピツェル『中国文芸論』(De re litteraria Sinensium commentarius)を中心に」
鈴木広光(奈良女子大学)「言語政策と言語普遍」
2016年12月18日(日)10:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
小谷訓子(大阪芸術大学)「キリシタン美術におけるヴァナキュラー――日本イエズス会の「現地への適応」プロジェクトとセミナリオの絵画制作」
真下裕之(神戸大学)「ムガル帝国におけるペルシア語キリスト教典籍とその周辺」
中砂明徳(京都大学)「明朝末年における受難のナラティブ」
網野徹哉(東京大学)「適応に抗した宣教者たち」
2017年2月18日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
折井善果(慶應義塾大学)「イエズス会宣教師における「理性」概念の形成と日本」
王寺賢太(京都大学)「「文明化」の方向転換――イエズス会パラグアイ布教区をめぐる18世紀フランスの論争の一断面」
齋藤晃(国立民族学博物館)「宗教と適応」
研究成果

昨年度は宣教師の異文化適応に関する重要な先行研究をピックアップし、4回の合評会を開催した。これらの合評会を通じて、アジアとアメリカの各地で展開された適応の特色、およびその地域を越えた共通性を浮き彫りにすることができた。本年度は、昨年度の成果を踏まえて、メンバー各人にそれぞれの専門に基づく研究報告をしてもらった。報告のテーマは、在来社会の再編成、在来宗教への対応、現地語の辞書・文法書の作成、キリスト教文献の翻訳、科学的知識の生産、美術品の制作、ヨーロッパ啓蒙思想への影響など、実にさまざまだった。従来の研究では、適応は一部の開明的な宣教師が主導した特殊な宣教方針として扱われがちだった。しかし、本年度の諸報告は、適応が近世カトリックの宣教実践のうちに広く、深く浸透していたことを示してくれた。それらの報告はまた、現地文化に適応しようとする宣教師の試みが、ヨーロッパ文化を自文化の亜種として扱おうとする現地人の試みとわかちがたく結びついており、結果として、適応の成果が両義的にならざるをえなかったこともあきらかにしてくれた。

2015年度

本年度は先行研究の合評をおこなう。従来、近世カトリックの宣教の研究は地域ごと、時代ごとにおこなわれ、比較の試みはまれだった。近年のグローバル・ヒストリーへの関心の高まりにより、イエズス会の世界宣教についての研究が増えつつあるが、その多くは修道会それ自体の研究か、ばらばらな地域研究の寄せ集めである。本研究では、ディシプリンの障壁を越えるため、先行研究の合評を通じてメンバー各自に専門外の地域や時代についての理解を深めてもらい、自分の専門領域との比較を促す。合評の対象は、宣教政策、典礼論争、各地の宣教の史的展開、世界宣教に伴う人や情報の流れ、ヨーロッパの文明観などについての代表的な研究や最新の研究である。研究会は5回開催する予定である。各研究会では、地域的またはテーマ的に関連する複数の文献を選択し、メンバー全員で合評する。また、本研究と関連する課題を扱う研究者を特別講師として招聘し、自身の研究成果について報告してもらうことも計画している。

【館内研究員】 Guillermo Wilde
【館外研究員】 網野徹哉、伊川健二、井川義次、王寺賢太、岡田裕成、折井善果、小谷訓子、鈴木広光、中砂明徳、真下裕之、松森奈津子
研究会
2015年6月21日(日)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
鈴木広光(奈良女子大学) Paul A. Rule著『K’ung-tzu or Confucius?: The Jesuit Interpretation of Confucianism』について
井川義次(筑波大学)  Ines G. ?upanov著「Le repli du religieux: les missionaires jésuites du 17e siècle entre la théologie chrétienne et une éthique païene」について
中砂明徳(京都大学) Anthony Pagden著『The Fall of Natural Man: The American Indian and the Origins of Comparative Ethnology』について
2015年7月5日(日)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
新居洋子(東京大学)「在華イエズス会士における適応政策の変遷とその背景」
岡美穂子(東京大学)「外海地方出津の聖画からみるキリシタン信仰」
2015年9月6日(日)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
真下裕之(神戸大学) Jacques Gernet著『Chine et christianisme: la première confrontation』について
Guillermo Wilde(国立民族学博物館) Nicolas Standaert著『L' «autre » dans la mission: leçon à partir de la Chine』について
岡田裕成(大阪大学) Joan-Pau Rubiés著「¿Diálogo religioso, mediación cultural o cálculo maquiavélico?: una nueva mirada al método jesuita en Oriente, 1580-1640」について
2015年12月23日(水・祝)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
齋藤晃(国立民族学博物館)・Jesús López Gay著『La liturgía en la misión del Japón del siglo XVI』について
岡美穂子(東京大学) 高瀬弘一郎著「キリシタン布教における"適応"」について
網野徹哉(東京大学) 浅見雅一著『キリシタン時代の偶像崇拝』について
2016年2月24日(水)13:00~19:00(国立民族学博物館 第3演習室)
小谷訓子(大阪芸術大学) Louise M. Burkhart著『The Slippery Earth: Nahua-Christian Moral Dialogue in Sixteenth-Century Mexico』について
王寺賢太(京都大学) Gilles Havard著「Le rire des jésuites : une archéologie du mimétisme dans la rencontre franco-amérindienne (XVIIe-XVIIIe siècle)」について
齋藤晃(国立民族学博物館) 合評会の総括
研究成果

本年度は主として先行研究のレビューをおこなった。日本、中国、インド、アメリカの4つの地域を対象に、宣教師の異文化適応に関する重要な文献を選別し、メンバー全員で合評した。合評の主目的は先行研究の動向を把握し、その達成度を評価することだが、それと同時に、メンバーに専門以外の地域について学んでもらうことも重視した。メンバー各人がひとつの文献を担当し、研究会では全体討論に先だってその内容を紹介したが、担当者の専門地域が文献の対象地域と重ならないよう配慮がなされた。昨年度に合評した文献ひとつを含めて、合計12の文献をレビューしたが、期待どおりの成果を上げることができた。一連の合評会を通じて、それぞれの地域で展開された適応の特色、そして地域を越えた共通点が浮き彫りになった。また、先行研究が抱える問題も明確になり、それらを克服するための方向性もみえてきた。
本年度はまた、特別講師を招聘した研究会を1回、開催した。特別講師には、本研究のメンバーだけでは十分論じることができないテーマに詳しい研究者がふたり選ばれた。研究会ではたいへん有意義な議論ができたため、ふたりの講師には来年度から正式なメンバーとして本研究に参加してもらうことにした。

2014年度

初年度は研究会を2回開催する。その目的は、共同研究の目的と意義についてメンバー全員の理解と合意を得ることであり、また実施方法とスケジュールを具体的に決めることである。1回目の研究会では代表者の齋藤晃が共同研究の趣旨を説明し、全員で議論をおこなう。2回目ではGuillermo Wildeがミッション研究の国際的動向を踏まえて共同研究の射程を解説する。

【館外研究員】 網野徹哉、伊川健二、井川義次、王寺賢太、岡田裕成、折井善果、小谷訓子、鈴木広光、中砂明徳、真下裕之、松森奈津子
研究会
2014年12月21日(日)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
齋藤晃(国立民族学博物館) 趣旨説明
全体討論
実施計画策定
2015年2月21日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
Guillermo Wilde(国立民族学博物館) Writing Rites, Translating Concepts, Appropriating Customs: Missionary Anthropology in the South American Borderlands of Iberian Empires
折井善果(慶應義塾大学) Joan-Pau Rubies著「The Concept of Cultural Dialogue and the Jesuit Method of Accommodation: Between Idolatry and Civilization」について
研究成果

本年度は3年半の研究期間の初年度に相当し、しかも半年しかない。それゆえ、本研究の趣旨についてメンバーの理解と合意を確立することを最優先課題とした。12月21日に開催された第1回研究会では、代表者の齋藤が本研究の対象・目的・方法を説明した。とりわけ、宣教師の適応を、宣教現場における通文化的実践、およびヨーロッパにおける比較文明論的思索というふたつのコンテクストに位置づけ、その複合的意義を解明することの重要性を強調した。2月21日に開催された第2回研究会では、実質的な副代表者であるGuillermo Wildeが、植民地時代南米の事例に依拠しながら、宣教師の適応を研究するうえで重要な諸問題を指摘し、地域間比較の重要性を説いた。これらふたつの報告により、本研究の趣旨についてメンバー各自の十分な理解が得られたと判断している。
第2回研究会の後半では、折井善果がJoan-Pau Rubiésの論文について論評した。折井の報告は、来年度以降引き続き実施される先行研究の合評の第1回に相当する。Rubiésの論文はイエズス会の適応政策の思想史的意義を広い視野のもと究明しており、先行研究の到達点のひとつとみなすことができる。この論文の合評を通じて、本研究が目指す方向を明確にすることができた。