国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Crescent City, California  2008年1月16日刊行
林勲男

● 「津波の街」と観光

年末にアメリカ西海岸のクレセント・シティを訪れた。サンフランシスコから国道101号線を約600キロメートル北上し、オレゴン州との州境に至る少し手前に位置している。名前はシティであるが、人口は4,000人ほど。近くには2006年に世界遺産に登録されたレッドウッド国立・州立公園がある。肥沃な土壌に恵まれ、樹齢1,000年以上の巨木も多く、中には高さが100メートルを越す木もあり、自動車で西海岸沿いを旅行する人びとに、悠久なる大自然の息吹を伝えている。クレセント・シティはこの公園と海との間に広がり、旅行者に宿と食事を提供している。街の名前は、中心街の弓形の海岸線に由来する。レッドウッド国立・州立公園の玄関口として知られるクレセント・シティであるが、今回は「津波の街」としての同地を訪ねるのが目的であった。
カリフォルニア州北部の海岸は、1855年以来21の津波を記録している。そのうちの17は震源が遠く、住民にとっては地震の揺れを体感することなく襲われた津波であった。そしてクレセント・シティは過去150年間、アラスカ州を除いたアメリカ合衆国西海岸で、津波の被害をもっとも多く受けてきた街なのである。近年では、1964年にアラスカで発生した地震(マグニチュード9.2)による津波で12名が亡くなり、住宅やオフィス、漁船などにも大きな被害が出た。第1波がクレセント・シティに到達したのが地震発生から約4時間半後であり、最も大きな被害をもたらした第4波は、さらにその2時間後に来襲した。波自体による被害もさることながら、波に運ばれた材木、船舶、瓦礫が相当の破壊力を持ったそうである。この時の津波はアメリカ西海岸北部で広く観測されているが、クレセント・シティほどの被害が出たのは、アラスカ州を除いてほかにない。

フンボルト大学の地質学者デングラー教授によると、カリフォルニア州北部の海岸沿いに昔から住んでいるトロワやユロクといった先住民族は、歴史に記録された津波以外にも、さらに多くの津波が押し寄せてきたとの伝承を持っているそうである。なかには大地震の後に大津波が襲い、住民のほとんどが波にさらわれてしまったことを語るものもある。彼女の研究テーマのひとつは、こうした先住民族の地震・津波災害に関する伝承を、ボーリング調査などにより地質学的に検証していくことである。

今回のクレセント・シティ訪問で最も興味を持ったのは、過去に起きた災害を含めた津波や避難に関する情報を、住民だけでなく観光客などの旅行者を対象に、国立・州立公園のインフォメーションセンター、ホテルやモーテルの客室内そして街中で伝えていることであった。地震の前触れなしに襲ってくる津波に対しては、直前の警報だけでなく、日ごろから津波に関する知識をもつことが重要だ。クレセント・シティを襲った1964年の津波災害では、住民以外の旅行者の被害状況については、死亡者・行方不明者の数をはじめ定かでない。

日本でも三陸海岸や、東海から九州にかけての太平洋沿岸には、多くの「津波の街」が存在する。そして今世紀前半に発生が懸念されているプレート境界型(海溝型)地震により、大津波が来襲することが予測され、それぞれの地域での防災が進められている。土地勘のない旅行者に災害の危険性とその回避方法を、景観を壊すことなく、またお仕着せがましくならないように伝える工夫は、観光地なればこその「防災のデザイン」として、取り組むべき重要な課題であろうと強く感じて帰ってきた。

林勲男(民族社会研究部)

◆参考写真(2007年12月13日 林勲男撮影)

写真1 海浜公園には津波災害を伝えるプレートを設置している。
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写真2 1964年の津波災害のモニュメント。犠牲者12人の名が記されている。
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写真3 ビジネス再建のために造られたモール内には、1964年の津波来襲時の浸水深の表示が数箇所にある。
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◆参考サイト
クレセント・シティ
アメリカ概要(日本外務省)