国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Korea  2009年5月22日刊行
太田心平

● 国境のないまち、想定外の近未来

韓国は単一民族国家だと思われがちだが、その陰には驚くべき内実も見られる。20世紀の100年間で1割以上も海外へと流出した韓民族を埋め合わせるかのように、多くの外国人労働者が韓国で働いている。極端な首都圏一極集中の裏で、地方の自治体のなかには、外国から花嫁を迎える形での国際結婚率が90%以上というところも多い。

思わぬ国が、思わぬ速さで多民族化している。その驚きと焦りは当の韓国でも顕著だ。多文化共生を模索するマスコミや研究者は、外国の成功例を伝えるとともに、国内の先進的な事例も盛んに報じている。もっとも有名になのが、京畿道の安山(アンサン)市、特に元谷(ウォンゴク)洞地区である。

もともと安山市は、排出規制を守らない工場をソウルから転出させるため、80年代にまったく新しく造成された工業団地の計画都市だ。立地はソウルから1時間の圏内、かつ首都圏の産業基地である仁川(インチョン)市と水原(スウォン)市をむすぶ首都圏外環状線上の臨海地域。このため、やがて周辺都市のベッドタウンとしての役割もあわせもつようになり、現在では市の人口が70万を越えるほど、計画以上の発展を遂げた。

もう一つの「想定外」が多民族化である。90年代に入るころから、工業団地の働き手として外国人が目立ちはじめた。今では、団地の前に位置する元谷洞の住民登録人口約3万人のうち、1万人ほどが外国人。不法滞在の者も考慮に入れれば、この地域の住民の過半数を占めるともいってよい。そのうち約半数は朝鮮族をはじめとする中国籍だが、東南アジアや南アジア、ロシアなど、総勢60カ国近い国籍の人びとが住み、中心街には多種多様な言語の看板があふれている。元谷洞が「国境のないまち」とも呼ばれるゆえんである。

この地区では、外国人はもちろん、韓国人たちも様々な問題を抱えている。各種のNGO団体や宗教団体に続き、行政も特別部署を設けて対策にあたってきた。その経験こそが、多民族化する近未来の韓国社会を導く鍵と見なされている。なるほど努力と工夫に富んだ諸策には感心する部分が多い。ただ、わたしはここに来るたび、異文化に対する不安とともに、人びとが別の不安ももっているように感じる。

今月初め、元谷洞が国の行政特区となることが決まった。これによって「国境のないまち」の観光名所化や住民支援の重点化が可能となる。もっとも、予算がいちばん配分されるのは警察署の新設に対してで、治安対策が目的とのことである。ただ、これは必ずしも外国人犯罪の取り締まりだけを目的としたものでもなさそうだ。安山在住のある50代男性は語る。「計画都市が軌道をはずれて暴走しているんだから、あそこに限らず、とにかく警察署だけでも増やしてくれないと……」。

想定外へと進む近未来の生活、あるいは制御しえない社会の動きに対し、人びとは不安を口にするのである。

太田心平(先端人類科学研究部)

◆関連ウェブサイト
社団法人「国境のないまち」(韓国語・英語)
安山市外国人住民センター(韓国語・英語・ほか)
外務省ホームページ・韓国