国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from the Border Area of South China  2010年11月19日刊行
塚田誠之

● 越境する人々――中国広西へのベトナム人の移動

最近、韓国でベトナム人女性と国際結婚をした韓国人がベトナム人妻を殺害する事件が起き大きく報道された(朝日新聞7月25日)が、ベトナム人女性が他国に嫁ぐ現象は顕著である。

中越国境地域に居住するヌン族の女性が近くの中国の壮(チワン)族に嫁ぐのは古くから見られた。1950年代初期に中華人民共和国とベトナム民主共和国との間で国境画定が行われ、また戸籍制度が整備されたが、それ以前は人々の往来はかなり自由だった。両者の通婚もそうだが、中国からベトナムに移住し、また戻ってくるなど人々は自由に往来していた。壮族とヌン族は言語が同じであることもあって、国境をへだてて頻繁に交流を行い、仲間意識を共有してきたと考えられる。

通婚は国境画定後もおこなわれてきた。ただし中国からベトナムに嫁いだ女性は、年配の女性に多い。というのも1950年代から文化大革命期にかけての時期はベトナムのほうが豊かだったからである。改革開放後は中国のほうが豊かになりベトナムから壮族に嫁ぐ場合がほとんどになった。ベトナム人嫁は、家事のほか農作業など力仕事にも従事する働き者として評判がよい。ベトナム人嫁は、中国で6.5万人、広西で4万人以上いると推定される。

問題なのは、中国に嫁入りした場合、とくに若い女性の多くが戸籍を取得することができないことだ。1970年代に嫁入りした一部の人々は手続を経て中国の戸籍を得ているが、80年代以降のものは戸籍を得ていない。故郷のベトナムでは戸籍が残る場合とそうでない場合の両方が見られるようだ。したがって中越双方に戸籍がない状態の人々も少なくない。手続きを経ずに来ているので中国で公安に見つかると強制送還される。このため我々が村へ行くと公安と誤解して身を隠す女性が少なくない。

人々が古来、国境を含む境界を越えて他者との交流を行ってきたことは現在開催中の企画展「アジアの境界を越えて」でも提示しているが、越境の中にはベトナム人嫁の戸籍問題のように政治社会的な問題となっているものもみられるのである。

塚田誠之(先端人類科学研究部教授)

◆関連ウェブサイト
ベトナム社会主義共和国(日本外務省ホームページ)
企画展「アジアの境界を越えて」(12月7日まで)