国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World watch from China  2012年10月12日刊行
佐々木史郎

● 赫哲族の人々と歴史認識

2012年9月の半ばに10日ばかり中国で調査を行った。黒竜江省の少数民族「赫哲(hezhe)族」の伝統生業とその現代化をテーマにしたもので、日中ロ、三ヶ国の共同調査隊を組織した。日中戦争当時(1931年~45年)、日本軍の強引な移住政策で飢餓に陥った経験があるために、もともと赫哲族の人々の対日感情がよくないことは覚悟していた。しかし、尖閣諸島(中国では釣魚島)の問題で日中関係がこれほどこじれるとは思ってもいなかった。

案の定、日本側メンバーはあまり歓迎されなかった。しかし、我々が調査目的を詳しく説明し、真剣に質疑を繰り返しているうちに、インフォーマントたちもこちらに日本人がいることを忘れたかのように、かつての狩や漁の話、昔暮らした家屋の構造、伝統芸能、そして改革開放後の状況と現代の生活について熱心に語ってくれた。

経済が好調な中国では、少数民族の伝統文化の振興と観光を目的として、村に博物館を建設し始めている。調査をした村では必ずそのような博物館をのぞいたが、驚いたのは日本の侵略の歴史を意外にも冷静に描いている点だった。メディアでは日本軍の残虐行為を強調するような博物館が多く取り上げられるが、赫哲族の村の博物館は文献や証言で裏付けられた事実を淡々と述べるのみであり、しかもそのために割かれたスペースは、19世紀の帝政ロシアによる侵略に関する解説とほぼ同じだった。赫哲の人々にとっては侵略者という点でロシアも日本も同じだったのである。

メディアがいかに書き立てようと、当の人々は物事を結構冷静に見ている。日本での報道を見ている限り、中国は日本の過去の侵略のみを集中的に糾弾しているように見えるが、中国の一地域に実際に入って人々と話をしてみると、彼らの歴史認識がきわめて複雑なものであることに気づく。日本の侵略もその地域の歴史の一コマであり、それに対する評価も多様である。ただし、その言動を注意深く見ていると、その侵略がいかに深く人々を傷つけたのかということもわかってくる。赫哲の人々の私たちに対する、お世辞や外交儀礼ではない、にこやかな態度の向こうに彼らの苦難の歴史が垣間見えてしまって、やりきれない思いをどうすることもできなかった。

佐々木史郎(先端人類科学研究部教授)

◆関連ウェブサイト
中華人民共和国(日本国外務省ホームページ)