国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Kazakhstan  2013年12月20日刊行
藤本透子

● 祖国を求めて移住する

「日本にはカザフ語を話す村があるの?」「あなたは日本から来たカザフ人なの?」――久しぶりにカザフスタンへ行き、博物館資料の収集をしていたとき、若いカザフ人女性からそんな質問をされた。思わず笑いだしてしまったが、質問した当人は真顔だった。カザフ人も日本人も外見があまり変わらないので、おかしなアクセントでカザフ語を話していると、外国から来たカザフ人に思われるらしい。それに加えて、この質問の背景には、カザフスタンの国家と民族をめぐる次のような現状がある。

ユーラシアの内奥に位置するカザフスタンは、人口が日本の約8分の1しかいないが、国土は日本の7倍もある。その広大な国土に、カザフ人のほか、ロシア人、ウクライナ人、ウズベク人、タタール人、ドイツ人、朝鮮人も暮らす多民族国家である。この多民族性は、旧ソ連の政策により多くの民族がカザフスタンに移住した結果、もたらされた。しかし、1990年代から2000年代にかけて、ロシア人はロシアへ、ドイツ人はドイツへと去り、その一方で近隣のウズベキスタン、モンゴル、中国、そして遠くトルコやイランからも、カザフ人がカザフスタンに続々と「帰還」した。カザフ人の「歴史的祖国」はカザフスタンであるとして、政府が「帰還」を呼びかけ、「帰還者」を優遇する政策をとったためである。実際にカザフスタンに祖先が暮らしていたか不明であっても、彼らは「祖国」を求めた。

現在、この移住の波は緩やかになっているが、ほかの国で生まれ育ったカザフ人にカザフスタン各地で出会うようになった。このため、私の場合にも、もともと日本に移住したカザフ人の子孫で、近年にこの国に「帰還」して来たものと、誤解されてしまったのである。一般的な認識として、国境を越えた人の移動がしやすくなると、多くの民族が混じり合って暮らすようになると思われがちだろう。しかし、旧ソ連の解体とカザフスタンの独立は、国境を越えた広範な移動を促しながら、一国におけるひとつの民族の割合を高める方向へとはたらいた。祖国を求めて移住する人々の動きは、現代における国家と民族のあり方を改めて問いかけてくる。

藤本透子(民族文化研究部助教)

◆関連ウェブサイト
カザフスタン共和国(日本国外務省ホームページ)