国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

今と昔――セネガルの養鶏ビジネス  2020年5月1日刊行

三島禎子

30数年前、セネガルで食べた鶏肉はとても美味しかった。鶏は街中でも農村でも庭を走り回り、人間がこぼした穀粒などを拾ったり、昆虫を捕まえて食べたりしていた。人間や猫などにいつも追い立てられていたせいか、在来種の鶏は痩せてはいたが、そのぶん肉は引き締まっていた。調査で農村に行くときは、若鳥を購入し、生きたまま持っていった。大きくなって一羽をつぶした際には、あらためて足や手羽は二つずつしかないのだと思い知らされ、味わって食べたものだった。

 

養鶏をビジネスにしようとする人は、当時から後を絶たない。少し小金ができると、多数のヒナを買い、雌鶏が産んだ卵や雄鶏を売るのである。うまく育てば、少ない投資で利が大きい商いのはずである。しかし、こういった養鶏用の鶏は、海外からの輸入種であるせいか、かつては温度管理や餌の配合などが難しく、ヒナを死なせてしまう場合が多かった。友人からも失敗談こそ聞くものの、成功した話を聞いた覚えはなかった。

 

今日でも、養鶏ビジネスは誰でも手軽にできるという思い込みのためか、思いもかけない人が始めたという話を聞く。日本でいったら素人がシイタケ栽培を始めるといったたぐいのものだろう。首都ダカールで定年を迎えて年金暮らしになった知人が、自宅の2階のベランダで養鶏を始めたらしい。抗生物質の入った飼料を与えていれば、短期間で間違いなく大きく育つと、得意げに親戚に知らせてきた。人びとは、彼は何を血迷ったのかと面白可笑しく笑いの種にした。このような養鶏は、小金が貯まった若者が勢いで始めるようなビジネスであり、都会生活の趣味としてはいささか相いれないものだ。

 

日本ではあまりにも一般的なブロイラーの鶏肉だが、セネガルでは美味しくない鶏肉の代名詞である。こういった鶏肉を人びとは、抗生物質を与えられた「ホルモン漬け肉」とか、電気を使って飼育環境を人工的に管理した「バッテリー肉」などと揶揄する。安いブロイラーの輸入肉はどこでも手に入るようになったが、人びとの味覚は易々とは変わらない。養鶏ビジネスが趣味を越えて、実益中心の経済活動として定着したら、人びとの食の趣向も変わってしまうのだろうか。

 

三島禎子(国立民族学博物館准教授)

 

◆関連写真

 

どの家でも中庭には2,3羽の鶏が走り回っていた(1996年)