国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

特別展「きのうよりワクワクしてきた。」

 
 
 
民族学者のレヴィ=ストロースは、未開社会特有の思考法にブリコラージュという言葉をあたえました。目的や概念に即して手段を講じる近代科学的なアプローチに対して、未開社会では、ありあわせの道具と材料を元に何かをなしとげようとする。カレーライスをつくろうとして材料を買いそろえるのではなく、冷蔵庫のなかのあり合わせの材料でつくるお総菜のようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。

私たちの身の回りにあふれる工業製品はある用途や機能をはたすためにつくられています。ジュースの缶はジュースを容れるためにあるのです。だから、中身のジュースがなくなれば、空き缶は用済みになって捨てられてしまいます。いっぽう、レヴィ=ストロースのいう未開社会では、手にはいる材料はその特性におうじて最大限有効に活用されました。空き缶はケロシン・ランプになったり、帽子や鞄や子どもの玩具に早変わりします。私たちは意表をつかれ、そこにジュースの缶の可能性と作り手の創造力とを垣間見るのです。

ブリコラージュ・アートという耳慣れない言葉でとりあげようとしているのは、私たちのありふれた日常生活を対象にした表現活動や、その活動の結果として生み出される作品群です。身の回りにあふれるなんでもない素材が、アーティストの魔法にかかって埋もれていた価値を花開かせてゆく。こうしてつくられる作品は、私たちの日常をゆさぶるはずです。ありふれてみえた世界はそれまでとちがった光彩をはなちはじめる。はじめて旅する異国にいるかのように、時間はあゆみをゆるめる。展示場をあとにするときに、そんな経験をもつことができたら幸福だとおもいます。

この展示の目的は、ブリコラージュを糸口にしながら、現代人のかかえるアイデンティティ・クライシスや生きる意味の喪失感に対して、人間性の回復を訴えることにあります。かつて未開社会がかなえてくれた統合的な人間像は、すでに私たちの元にはありません。現代社会は、生きることが同時にその意味の解決をもたらしてくれる社会ではないのです。展示の背景にはひとつの社会イメージがあります。それは、社会の理想にあわせて、個人が無理をしなければならなかったり、リストラをしたりするのではなく、生きる目的をもった個人の、あるがままの個性の集合を前提にした社会。つまり、ブリコラージュな社会への夢です。

上:玩具(セネガル、民博蔵)右下:粉ミルク缶でできた太鼓(グアテマラ、民博蔵)
汽車
玩具(インド、民博蔵)
神さん(くまさん)
『神さん(くまさん)』フジタマ
かまきり
『かまきり』八島孝一
 
(((観覧料)))一般420円(350円)高校/大学生250円(200円)小・中学生110円(90円)
※( )は20名以上の団体料金です。
※上記料金で常設展も御覧になれます。※毎週土曜日は、小・中・高校生は無料。
(((開館時間)))10:00~17:00(入館は16:30まで)
(((休館日)))水曜日(5/4(水・祝)は開館)