国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

特別展「更紗今昔物語─ジャワから世界へ─」

更紗今昔物語─ジャワから世界へ─
 
展示場1階
 
 
世界からジャワへ─ジャワ更紗のデザインに見る偉大なるアレンジメント
インドネシアのジャワ島を中心としてつくられてきた木綿や絹のロウケツ染めの布は、わが国ではジャワ更紗の名で知られてきた。また、世界的にはバティック(batik)の名で有名である。ジャワ更紗は、おそくとも17世紀以降にジャワ島の宮廷を中心として発展を遂げたと考えられる染織品である。それらはジャワ島とその周辺の島々で、おもに伝統的な腰巻、肩掛け、頭巾、サロン(筒型スカート/正式名称はサルン)などの衣装としてもちいられてきた。
ジャワ更紗にあらわされてきた模様はじつにさまざまである。それはあたかも万華鏡をのぞき見ているような錯覚さえもおぼえさせる。そうした更紗模様のデザイン・ソースについては、その多くが古代から現代にいたるまでの長い年月のあいだにジャワ島に伝播した、東南アジアの金属器文化(ドンソン文化)、インド、ペルシア、アラブ、中国、ヨーロッパ、日本などの文化や、ヒンドゥー教、仏教、イスラーム教などにもとめられる。したがって、ジャワ更紗のデザインの独自性は、世界からジャワ島にもたらされた多種多様なデザインを積極自在に取り込み、ロウケツ染めによる更紗模様として再構築してきたという「偉大なるアレンジメント」として位置づけられる。それはまた、ジャワ島の歴史的、宗教的、文化的な重層性をも象徴している。
 
三位一体の超越的空想動物模様 ペクシ・ナガ・リマン
ペクシ・ナガ・リマン(Peksi Naga Liman)は,ジャワ島チルボンのカノマン王家の王権を象徴する模様である。ペクシはイスラーム教の空想動物である「ブラック」,ナガは中国の四霊のひとつである「竜」,リマンはヒンドゥー教の「ガネシア神」を意味しており,この模様はブラックの胴体と翼,竜の頭,ガネシア神の顔が組み合わさっている。「偉大なるアレンジメント」として位置づけられるジャワ更紗の多種多様な模様のなかで,このペクシ・ナガ・リマンはイスラーム教と仏教とヒンドゥー教,あるいは,アラブと中国とインドの影響が複合した,きわめて超越的空想動物模様として位置づけられるとともに,ジャワ島の歴史的,宗教的,文化的な重層性を象徴する模様としても機能している。
ペクシ・ナガ・リマン布画像
 
ジャワから世界へ Part 1─ジャワ更紗を模倣した近代のプリント更紗
世界からジャワ島にもたらされたさまざまなデザインを再構築することによって創作されてきたジャワ更紗のデザインは、とりわけ19世紀後半から20世紀前半にかけて飛躍的な進化を遂げている。その一方で、19世紀前半からはジャワ更紗のデザインがヨーロッパのプリント更紗に取り込まれていった。
1811年には、当時のヨーロッパでプリント産業の先駆的な役割をになっていたイギリスから、ジャワ島とその周辺地域でつくられていた染織品を模倣したプリント更紗がジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)にもたらされている。それらのプリント更紗の実物資料は確認されておらず、その詳細はあきらかではないが、ジャワ更紗を模倣したプリント更紗が含まれていたことは間違いないと考えられる。そして、1830-40年代以降には、イギリス、オランダ、スイスをはじめとするヨーロッパの国々から、おもにジャワ更紗を模倣したプリント更紗がジャワ島やその周辺地域に向けて輸出されていった。さらに、おそくとも1850年代以降にはアフリカに向けてもプリント更紗が送り込まれており、それらのうちにもジャワ更紗を模倣したプリント更紗が含まれていた。
なお、20世紀にはいると日本でもジャワ更紗を模倣したデザインをはじめとするジャワ島向け、アフリカ向けのプリント更紗の生産がはじまっており、それらは1910年代からジャワ島に向けて、さらに1920年代後半からアフリカに向けて輸出されていった。
 
ブーヴィエ・コレクションに見る 東南アジア、アフリカ向けのプリント更紗
アドルフ・ジェニー・トゥルムピー博士
 
アドルフ・ジェニー・
トゥルムピー博士
(1855-1941年)
ブーヴィエ・コレクションはスイス中東部のグラールス県で1840年から1930年にかけて生産されたプリント更紗を中核としたピエール・ブーヴィエ(Pierre Bouvier)氏所蔵のコレクションである。これはブーヴィエ氏の高祖父、アドルフ・ジェニー・トゥルムピー(Adolf Jenny-Trümpy)博士(1855-1941年)が蒐集し、整理分類してきたものである。コレクションの総点数については確定していないが、その全容は1,000点をゆうに超すと見られる大小さまざまなプリント更紗と、全24巻の大部のプリント更紗のサンプル帳からなり、大多数のプリント更紗には、個別に、染料、プリント技法、製造元、製造年、輸出先などがかなり詳しく記述されている。このコレクションのうちには、ジャワ島とその周辺地域のおもに東南アジア向けプリント更紗のサンプル帳“Batik”、および東アフリカ向けと西アフリカ向けのプリント更紗のサンプル帳“Ost & West Afrika”がそれぞれ大小2部ずつあり、サンプル帳以外に300点余りのさまざまなサイズのプリント更紗がある。これらはジャワ島とその周辺地域向け、東アフリカと西アフリカ向けのプリント更紗の歴史的な展開をあきらかにするうえで、きわめて重要、かつ稀有な実物史料である。
 
カデルディナ・コレクションに見る 東アフリカにもたらされたプリント更紗
カデルディナ・ハジ・エサック社の直販店 : ケニア,モンバサ(2005年)
 
カデルディナ・ハジ・
エサック社の直販店
: ケニア,モンバサ
(2005年)
カデルディナ・コレクションは、ケニア最大の港湾都市としてインド洋に面しているモンバサで、プリント更紗の輸入と販売を業務としているカデルディナ・ハジ・エサック社(Kaderdina Hajee Essak Ltd. /1887年創業)が所蔵する、プリント更紗のサンプルである。それらは1920年代以降に現在のケニア領モンバサ、および現在のタンザニア領ザンジバル、ダルエスサラームなどに、ドイツ、日本、香港、中国などから送られてきたカンガやキテンゲ(kitenge)と呼ばれる東アフリカ向けのプリント更紗、20世紀後半にケニアとタンザニアのプリント会社でつくられたカンガなどのサンプルであり、キテンゲのサンプルのうちには、とくにジャワ更紗のデザインを模倣したロウケツ染めのプリント更紗(ワックス・プリント)が数多く見いだされる。また、日本からのサンプルは、1950年代から70年代にかけてモンバサに送られたもので、それらのうちには木綿以外に、レーヨンを繊維素材としたプリント更紗もある。また送り手としては、大阪のThe H. Nishizawa Shoten Ltd.(西澤八三郎商店/現西澤株式会社)、Kitagawa Kabushiki Kaisha(北川株式会社)、Kawamura & Co., C.Itoh & Co., Ltd.(伊藤忠商事株式会社)、Mimoto & Co., 神戸のMengyo Companyなど、いずれも関西の企業名が見いだされる。
 
旧オランダ領東インド(現インドネシア)にもたらされたプリント更紗
ヨーロッパ製と見られるプリント更紗を縫い合わせてつくられた下穿き用腰巻 : インドネシア,バリ島トゥンガナン村(2006年)
 
ヨーロッパ製と見られる
プリント更紗を縫い合わ
せてつくられた下穿き用
腰巻 : インドネシア,
バリ島トゥンガナン村
(2006年)
19世紀初頭にイギリスからジャワ島にプリント更紗が輸入されるよりも以前、ジャワ島とその周辺の島々には、インドから数多くのプリント更紗が送り込まれていた。それらは一般にインド更紗として知られているもので、ジャワ島とその周辺の島々では、支配階級のステイタス・シンボルとして衣装その他にもちいられてきた。ただし、インドからもたらされたプリント更紗のデザインの多くは、ジャワ島や周辺の島々で織られていたイカット(絣(かすり))やソンケット(紋織物(もんおりもの))などのデザインを模倣したものであった。一方、19世紀初頭以降にヨーロッパから、そしてその後に日本からもたらされたと見られるプリント更紗の多くは、ジャワ更紗を模倣したものであった。ただし、それらのうちには本物のジャワ更紗と見分けがつきにくいイミテーションといえるものと、色彩やデザインに少なからずアレンジメントをほどこし、本来のジャワ更紗とは多少趣きを異にしたものがある。また、その他のプリント更紗としては、古くからジャワ島その他に送り込まれてきたさきのインド更紗を模倣したもの、カンボジアのイカットを模倣したもの、おもにヨーロッパで普及していたもの、スラウェシ島のトラジャ人向けにつくられたトラジャのデザインをアレンジしたものなど、多種多様なプリント更紗の存在が知られている。
 
布画像 布画像 布画像
 
ジャワから世界へ Part 2─アフリカとアジアに見る現代のプリント更紗
19世紀初頭にイギリスで生産されたプリント更紗がジャワ島に輸出されたときから、すでに200年近い歳月が経過している。そのあいだに世界の諸民族のもとで継承されてきたさまざまな伝統的染織技法の多くは、産業革命にはじまる機械化とそれにともなう大量生産という、まさに革新的な時代のうねりのなかで翻弄され、あるものは消滅し、あるものは衰退していった。
そうした変転きわまりない時の流れのなかで、18世紀後半の産業革命以降にヨーロッパで飛躍的な発展を遂げたプリント技術は、今や全世界に波及している。その結果として、さまざまなプリント技法によって模様染めされた布、すなわちプリント更紗は、現代社会に不可欠のテキスタイルとして世界各地で大量に生産され、全世界にひろく流通している。それらのなかで、とりわけジャワ島とその周辺地域、ならびにアフリカで普遍的なファッション素材として流通しているプリント更紗には、ジャワ更紗のデザインが、今なおしっかりと取り込まれている。世界からもたらされたデザインがロウケツ染めという技法によってジャワ更紗のうちに再構築されてきた過程ではじまった、ジャワから世界へというジャワ更紗のデザインのグローバル化は、現代社会においてもさらなる進展がつづいている。
 
アフリカのプリント更紗
現代アフリカのプリント更紗は、西アフリカを中心として展開してきたプリント更紗と、東アフリカやマダガスカルでのみ普及しているプリント更紗に大別される。これらは日本では一般にアフリカン・プリントの名で総称されてきたが、西アフリカを中心として展開してきたものには、ワックス・プリント(waxprint)とファンシー・プリント(fancy print)と呼ばれる2種類がある。
前者は布の両面にロウをプリントしたのちに浸染をしたロウケツ染めによる両面染め、そして、後者は布の片面に染料を直接プリントした片面染めである。品質はワックス・プリントのほうが優れており、ワックス・プリントは値段の高い高級品、ファンシー・プリントは値段の安い普及品として流通している。これらはいずれも連続模様の布で、1着分6ヤード、もしくは4ヤードの布が2枚1組で売られている。
また、おもなデザインには、ジャワ更紗を模倣したデザイン、キッチュ・デザイン、エスニック調のデザインのように19世紀末、あるいは20世紀初頭頃からなかば定番のデザインとなってきたもののほかに、20世紀前半以降にあらたに登場した、肖像をモティーフとしたデザイン、宗教的なデザイン、記念日やキャンペーンにちなんだデザインなどがある。
一方、東アフリカやマダガスカルでのみ普及しているプリント更紗は、カンガと呼ばれている。それらは片面染めで、1.75ヤードあまりの布を2枚で1組とし、腰巻と上半身にまとうための布として売られている。デザイン的な特徴は外縁部に矩形(くけい)のフレームがあらわされていることで、フレームの内側には東アフリカでは幾何学的なデザイン、マダガスカルでは風景をあらわしたデザインが一般的である。また、中央部の少し下にはことわざ諺などのメッセージが東アフリカではスワヒリ語、マダガスカルではマラガシ語であらわされている。
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アジアのプリント更紗
インドネシアをはじめとする東南アジアの大半の国々、そしてさらにネパールでは、1970年代以降に、インドネシア、タイ、マレーシアで生産されるようになったジャワ更紗を模倣した、ジャワ更紗のイミテーションといえるプリント更紗が、廉価なファッション素材として普及している。それらは、いずれもスクリーン・プリントやローラ・プリントによって直接捺染されたプリント更紗である。
インドネシアのジャワ島では、ジャワ更紗のさまざまなデザインをとり込んだプリント更紗が、これまでのジャワ更紗にかわる日常用や儀礼用の伝統的な衣装、あるいは西洋的な現代ファッションの素材として、男性や女性の区別なく、ひろくもちいられるようになっており、とりわけ1990年代後半以降には、ジャワ更紗を着用する人は激減しつづけている。
一方、ジャワ島以外のインドネシアの多くの島々や、ベトナムをのぞく東南アジア大陸部の国々、およびネパールの女性たちのあいだでは、それぞれの国や民族のもとで継承されてきた伝統的な腰布にかえて、ジャワ更紗のカラフルな花束模様のサロンを模倣したプリント更紗を、日常用、あるいはオシャレ着用の衣装として着用する傾向が増大している。そうした花束模様のサロンは、本来はジャワ島のプカロンガンを代表するジャワ更紗の衣装として知られてきたものである。また、それらのジャワ更紗の花束模様はヨーロッパのブーケをデザイン・ソースとしたもので、1880年代からジャワ島の北岸地域やスマトラ島で流行しはじめた。その流行は今日に至るまで根強く受け継がれてはいるが、今やそれらの花束模様は、ジャワ更紗よりもプリント更紗の代表的なデザインとしてひろく展開している。
 
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ジャワ更紗の衰退と東南アジアの新興プリント産業
ジャワ更紗を模倣したプリント更紗のヨーロッパからジャワ島への輸出は、1840年代にチャップによるジャワ更紗の大量生産と、それにともなうジャワ更紗の大衆化の契機となった。しかし、ヨーロッパ、そして日本からのプリント更紗の流入は、次第にジャワ更紗の産業を圧迫していった。そうしたジャワ更紗への外圧は第2次世界大戦後に日本製プリント更紗がヨーロッパ製プリント更紗を凌駕するほどとなった時期に最高潮に達したと見られ、1950年代後半には、独立後まもないインドネシア政府がジャワ更紗の産業の保護を目的として、ジャワ更紗を模倣したプリント更紗の輸入禁止措置を発令している[笠井 1960:193]。その結果、ヨーロッパや日本からのプリント更紗の輸出は終焉した。しかし、1970年代になると、ジャワ島であらたにジャワ更紗を模倣したプリント産業が台頭し、ジャワ更紗の業界においても、次第にジャワ更紗とともに、それらを模倣したプリント更紗の生産を並行しておこなうところが増加していった。そして、1990年代後半には、ジャワ更紗はついにプリント更紗に圧倒される。このことは、ジャワ更紗の中心的な産地であったジャワ島中部のソロにおけるジャワ更紗の一大マーケットとして知られてきたクレウェル市場でさえも、1995年頃からとり扱う商品の大半がジャワ更紗を模倣したプリント更紗にとって代わられてしまったということからもあきらかである。また、ジャワ更紗を模倣したプリント更紗の生地は、かつてはもっぱら木綿の布であった。しかし、最近では木綿布よりも安く、見た目には絹に似た風合いをそなえたポリエステルの布の需要が急激に拡大している。
一方、東南アジアの大陸部でも1970年代以降にプリント産業が勃興しており、タイやマレーシアでは、ジャワ更紗の花束模様のサロンを模倣したプリント更紗が大量に生産されている。今日、それらはインドネシア製の同様のプリント更紗とともに、ベトナムをのぞく東南アジア大陸部の国々やネパールなどで、女性たちの日常着やオシャレ着としてひろく普及している。また、インドネシアとタイでは、アフリカ向けのプリント更紗も生産されている。このうち、インドネシアからはもっぱらジャワ更紗を模倣したプリント更紗が輸出されているが、タイからはジャワ更紗を模倣したデザインのみならず、アフリカで流通しているキッチュ・デザインやアフリカ的なエスニック調のデザインなどを模倣した多種多様なプリント更紗が輸出されている。
 
新旧の勢力が交錯する現代アフリカのプリント産業
第2次世界大戦後に独立したアフリカの国々では、外国からの資本や技術の導入によってあらたにプリント産業が勃興し、プリント更紗の生産がはじまった。そうしたことから、それまでアフリカにプリント更紗を輸出してきたヨーロッパの企業の多くは、20世紀後半にはアフリカ市場から撤退を余儀なくされ、1920年代後半にはじまった日本からの輸出も1980年代前半には終焉している。そうしたなかで、ヨーロッパから今なおアフリカにプリント更紗を輸出しているのは、オランダのヘルモントに本拠を構える1846年創業のフリスコ社(VLISCO)と、イギリスのマンチェスター近郊に本拠を構え、1908年以来ワックス・プリントを生産しているABCワックス社(A.Brunnschweiler & Co.)の2社のみとなっており、これら2社が生産しているワックス・プリントは、現代アフリカのプリント更紗のなかで最高級のブランド商品として流通している。また、そうした現代アフリカのプリント更紗市場には、20世紀後半以降からあらたに、中国、インド、タイ、インドネシアなどで生産されたプリント更紗が大量に押し寄せている。それら新興勢力のうちでは、とくに中国の勢いがすさまじく、アフリカのプリント会社のなかには、中国製のプリント更紗と競合するなかで操業停止に追い込まれた例や、中国資本との合弁会社に移行した例が急速に増大している。そして、さきのイギリスのABCワックス社も、1992年には香港に本拠を構える中国系のチャ・グループ(査氏紡織集団)の傘下に取り込まれている。また、タイやインドネシアからアフリカにプリント更紗を輸出しているプリント会社の多くも華人によって経営されている。したがって、現代アフリカのプリント更紗市場は、さきの東南アジアのプリント更紗市場とともに、中国、および中国系の資本が他を圧倒しているといえる状況にある。
 
アフリカ向けワックス・プリントのロウケツ染め技法
20世紀初頭からオランダではじまったワックス・プリントの生産技術は、ジャワ更紗のチャップを使用した手作業によるロウの型押しというプリント技法を、ローラー・プリント技法に置き換えて機械化したものといえる。ただし、「ジャワから世界へ Part1」で述べているように、そもそもチャップは、ジャワ更紗を模倣したヨーロッパのプリント更紗の流入によって触発されたジャワ更紗の業界が、1840年代に、ヨーロッパ、もしくはインドのブロック・プリント用の木版ブロックからヒントを得て導入したと見られ、チャップによるジャワ更紗のロウケツ染めと、アフリカのプリント更紗のうちに見いだされるワックス・プリント技法によるロウケツ染めのあいだには、さながらキャッチ・ボールにも似た、歴史的に密接な関係があったと考えられる。なお、オランダで20世紀初頭に開発されたローラー・プリント技法によるワックス・プリントの生産工程では、回転する2本1組のローラーのあいだを木綿布が通過するさいに、ロウが布の表と裏に同時にプリントされるというもので、銅板をコーティングした2本のローラーの表面には鏡像的に反転させた模様が刻まれている。オランダのフリスコ社やイギリスのABCワックス社では、今もこうしたローラー・プリント技法によって、ワックス・プリントを生産しており、両社の傘下にあるアフリカのプリント会社でも同様のローラー・プリント技法でワックス・プリントが生産されている。なお、近年中国ではじまったアフリカ向けのワックス・プリントの生産工程では、円筒形のスクリーンを使用したロータリー・スクリーン・プリント技法が採用されている。
 
 
 
観覧料:一般830円(560円)、高校・大学生450円(250円)、小・中学生250円(130円)
※( )は20名以上の団体料金、および割引料金です。※上記料金で常設展も御覧になれます。
※割引料金対象者(要証明書)・・・大学等(短大・大学・大学院)の授業での利用、3ヶ月以内のリピーター、満65歳以上
※毎週土曜日は、小・中・高校生は無料。