特別展「更紗今昔物語─ジャワから世界へ─」
19世紀初頭にイギリスで生産されたプリント更紗がジャワ島に輸出されたときから、すでに200年近い歳月が経過している。そのあいだに世界の諸民族のもとで継承されてきたさまざまな伝統的染織技法の多くは、産業革命にはじまる機械化とそれにともなう大量生産という、まさに革新的な時代のうねりのなかで翻弄され、あるものは消滅し、あるものは衰退していった。
そうした変転きわまりない時の流れのなかで、18世紀後半の産業革命以降にヨーロッパで飛躍的な発展を遂げたプリント技術は、今や全世界に波及している。その結果として、さまざまなプリント技法によって模様染めされた布、すなわちプリント更紗は、現代社会に不可欠のテキスタイルとして世界各地で大量に生産され、全世界にひろく流通している。それらのなかで、とりわけジャワ島とその周辺地域、ならびにアフリカで普遍的なファッション素材として流通しているプリント更紗には、ジャワ更紗のデザインが、今なおしっかりと取り込まれている。世界からもたらされたデザインがロウケツ染めという技法によってジャワ更紗のうちに再構築されてきた過程ではじまった、ジャワから世界へというジャワ更紗のデザインのグローバル化は、現代社会においてもさらなる進展がつづいている。 |
アフリカのプリント更紗
現代アフリカのプリント更紗は、西アフリカを中心として展開してきたプリント更紗と、東アフリカやマダガスカルでのみ普及しているプリント更紗に大別される。これらは日本では一般にアフリカン・プリントの名で総称されてきたが、西アフリカを中心として展開してきたものには、ワックス・プリント(waxprint)とファンシー・プリント(fancy print)と呼ばれる2種類がある。
前者は布の両面にロウをプリントしたのちに浸染をしたロウケツ染めによる両面染め、そして、後者は布の片面に染料を直接プリントした片面染めである。品質はワックス・プリントのほうが優れており、ワックス・プリントは値段の高い高級品、ファンシー・プリントは値段の安い普及品として流通している。これらはいずれも連続模様の布で、1着分6ヤード、もしくは4ヤードの布が2枚1組で売られている。 また、おもなデザインには、ジャワ更紗を模倣したデザイン、キッチュ・デザイン、エスニック調のデザインのように19世紀末、あるいは20世紀初頭頃からなかば定番のデザインとなってきたもののほかに、20世紀前半以降にあらたに登場した、肖像をモティーフとしたデザイン、宗教的なデザイン、記念日やキャンペーンにちなんだデザインなどがある。 一方、東アフリカやマダガスカルでのみ普及しているプリント更紗は、カンガと呼ばれている。それらは片面染めで、1.75ヤードあまりの布を2枚で1組とし、腰巻と上半身にまとうための布として売られている。デザイン的な特徴は外縁部に矩形(くけい)のフレームがあらわされていることで、フレームの内側には東アフリカでは幾何学的なデザイン、マダガスカルでは風景をあらわしたデザインが一般的である。また、中央部の少し下にはことわざ諺などのメッセージが東アフリカではスワヒリ語、マダガスカルではマラガシ語であらわされている。 |
アジアのプリント更紗
インドネシアをはじめとする東南アジアの大半の国々、そしてさらにネパールでは、1970年代以降に、インドネシア、タイ、マレーシアで生産されるようになったジャワ更紗を模倣した、ジャワ更紗のイミテーションといえるプリント更紗が、廉価なファッション素材として普及している。それらは、いずれもスクリーン・プリントやローラ・プリントによって直接捺染されたプリント更紗である。
インドネシアのジャワ島では、ジャワ更紗のさまざまなデザインをとり込んだプリント更紗が、これまでのジャワ更紗にかわる日常用や儀礼用の伝統的な衣装、あるいは西洋的な現代ファッションの素材として、男性や女性の区別なく、ひろくもちいられるようになっており、とりわけ1990年代後半以降には、ジャワ更紗を着用する人は激減しつづけている。 一方、ジャワ島以外のインドネシアの多くの島々や、ベトナムをのぞく東南アジア大陸部の国々、およびネパールの女性たちのあいだでは、それぞれの国や民族のもとで継承されてきた伝統的な腰布にかえて、ジャワ更紗のカラフルな花束模様のサロンを模倣したプリント更紗を、日常用、あるいはオシャレ着用の衣装として着用する傾向が増大している。そうした花束模様のサロンは、本来はジャワ島のプカロンガンを代表するジャワ更紗の衣装として知られてきたものである。また、それらのジャワ更紗の花束模様はヨーロッパのブーケをデザイン・ソースとしたもので、1880年代からジャワ島の北岸地域やスマトラ島で流行しはじめた。その流行は今日に至るまで根強く受け継がれてはいるが、今やそれらの花束模様は、ジャワ更紗よりもプリント更紗の代表的なデザインとしてひろく展開している。 |
ジャワ更紗の衰退と東南アジアの新興プリント産業
ジャワ更紗を模倣したプリント更紗のヨーロッパからジャワ島への輸出は、1840年代にチャップによるジャワ更紗の大量生産と、それにともなうジャワ更紗の大衆化の契機となった。しかし、ヨーロッパ、そして日本からのプリント更紗の流入は、次第にジャワ更紗の産業を圧迫していった。そうしたジャワ更紗への外圧は第2次世界大戦後に日本製プリント更紗がヨーロッパ製プリント更紗を凌駕するほどとなった時期に最高潮に達したと見られ、1950年代後半には、独立後まもないインドネシア政府がジャワ更紗の産業の保護を目的として、ジャワ更紗を模倣したプリント更紗の輸入禁止措置を発令している[笠井 1960:193]。その結果、ヨーロッパや日本からのプリント更紗の輸出は終焉した。しかし、1970年代になると、ジャワ島であらたにジャワ更紗を模倣したプリント産業が台頭し、ジャワ更紗の業界においても、次第にジャワ更紗とともに、それらを模倣したプリント更紗の生産を並行しておこなうところが増加していった。そして、1990年代後半には、ジャワ更紗はついにプリント更紗に圧倒される。このことは、ジャワ更紗の中心的な産地であったジャワ島中部のソロにおけるジャワ更紗の一大マーケットとして知られてきたクレウェル市場でさえも、1995年頃からとり扱う商品の大半がジャワ更紗を模倣したプリント更紗にとって代わられてしまったということからもあきらかである。また、ジャワ更紗を模倣したプリント更紗の生地は、かつてはもっぱら木綿の布であった。しかし、最近では木綿布よりも安く、見た目には絹に似た風合いをそなえたポリエステルの布の需要が急激に拡大している。
一方、東南アジアの大陸部でも1970年代以降にプリント産業が勃興しており、タイやマレーシアでは、ジャワ更紗の花束模様のサロンを模倣したプリント更紗が大量に生産されている。今日、それらはインドネシア製の同様のプリント更紗とともに、ベトナムをのぞく東南アジア大陸部の国々やネパールなどで、女性たちの日常着やオシャレ着としてひろく普及している。また、インドネシアとタイでは、アフリカ向けのプリント更紗も生産されている。このうち、インドネシアからはもっぱらジャワ更紗を模倣したプリント更紗が輸出されているが、タイからはジャワ更紗を模倣したデザインのみならず、アフリカで流通しているキッチュ・デザインやアフリカ的なエスニック調のデザインなどを模倣した多種多様なプリント更紗が輸出されている。 |
新旧の勢力が交錯する現代アフリカのプリント産業
第2次世界大戦後に独立したアフリカの国々では、外国からの資本や技術の導入によってあらたにプリント産業が勃興し、プリント更紗の生産がはじまった。そうしたことから、それまでアフリカにプリント更紗を輸出してきたヨーロッパの企業の多くは、20世紀後半にはアフリカ市場から撤退を余儀なくされ、1920年代後半にはじまった日本からの輸出も1980年代前半には終焉している。そうしたなかで、ヨーロッパから今なおアフリカにプリント更紗を輸出しているのは、オランダのヘルモントに本拠を構える1846年創業のフリスコ社(VLISCO)と、イギリスのマンチェスター近郊に本拠を構え、1908年以来ワックス・プリントを生産しているABCワックス社(A.Brunnschweiler & Co.)の2社のみとなっており、これら2社が生産しているワックス・プリントは、現代アフリカのプリント更紗のなかで最高級のブランド商品として流通している。また、そうした現代アフリカのプリント更紗市場には、20世紀後半以降からあらたに、中国、インド、タイ、インドネシアなどで生産されたプリント更紗が大量に押し寄せている。それら新興勢力のうちでは、とくに中国の勢いがすさまじく、アフリカのプリント会社のなかには、中国製のプリント更紗と競合するなかで操業停止に追い込まれた例や、中国資本との合弁会社に移行した例が急速に増大している。そして、さきのイギリスのABCワックス社も、1992年には香港に本拠を構える中国系のチャ・グループ(査氏紡織集団)の傘下に取り込まれている。また、タイやインドネシアからアフリカにプリント更紗を輸出しているプリント会社の多くも華人によって経営されている。したがって、現代アフリカのプリント更紗市場は、さきの東南アジアのプリント更紗市場とともに、中国、および中国系の資本が他を圧倒しているといえる状況にある。
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アフリカ向けワックス・プリントのロウケツ染め技法
20世紀初頭からオランダではじまったワックス・プリントの生産技術は、ジャワ更紗のチャップを使用した手作業によるロウの型押しというプリント技法を、ローラー・プリント技法に置き換えて機械化したものといえる。ただし、「ジャワから世界へ Part1」で述べているように、そもそもチャップは、ジャワ更紗を模倣したヨーロッパのプリント更紗の流入によって触発されたジャワ更紗の業界が、1840年代に、ヨーロッパ、もしくはインドのブロック・プリント用の木版ブロックからヒントを得て導入したと見られ、チャップによるジャワ更紗のロウケツ染めと、アフリカのプリント更紗のうちに見いだされるワックス・プリント技法によるロウケツ染めのあいだには、さながらキャッチ・ボールにも似た、歴史的に密接な関係があったと考えられる。なお、オランダで20世紀初頭に開発されたローラー・プリント技法によるワックス・プリントの生産工程では、回転する2本1組のローラーのあいだを木綿布が通過するさいに、ロウが布の表と裏に同時にプリントされるというもので、銅板をコーティングした2本のローラーの表面には鏡像的に反転させた模様が刻まれている。オランダのフリスコ社やイギリスのABCワックス社では、今もこうしたローラー・プリント技法によって、ワックス・プリントを生産しており、両社の傘下にあるアフリカのプリント会社でも同様のローラー・プリント技法でワックス・プリントが生産されている。なお、近年中国ではじまったアフリカ向けのワックス・プリントの生産工程では、円筒形のスクリーンを使用したロータリー・スクリーン・プリント技法が採用されている。
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観覧料:一般830円(560円)、高校・大学生450円(250円)、小・中学生250円(130円)
※( )は20名以上の団体料金、および割引料金です。※上記料金で常設展も御覧になれます。
※割引料金対象者(要証明書)・・・大学等(短大・大学・大学院)の授業での利用、3ヶ月以内のリピーター、満65歳以上
※毎週土曜日は、小・中・高校生は無料。
※( )は20名以上の団体料金、および割引料金です。※上記料金で常設展も御覧になれます。
※割引料金対象者(要証明書)・・・大学等(短大・大学・大学院)の授業での利用、3ヶ月以内のリピーター、満65歳以上
※毎週土曜日は、小・中・高校生は無料。