国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動

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─ 北方先住民の交易については、民博の2001年度特別展「ラッコとガラス玉」は画期的な展覧会だったと思いますが、これにも岸上さんは協力しておられます。展示にはいろいろな地図があったんですけど、北方の交易ルートというのがじつはすごい広大で中国から日本列島、カナダ、アメリカにまで至る。これはすごい研究だと思うんです。こういう北方の交易に注目したというのは世界的に新しいことでしょう。
岸上 そうですね。1988年ごろに「クロスロード・オブ・コンティネンツ」、“大陸の交差点”という展覧会(“Crossroad of Continents” 米国スミソニアン博物館 1988年)があったんですよ。1980年代の後半からロシアとアメリカが学会レベルで交流を再開しました。それで、ロシア人とアメリカ人の研究者がいっしょになって、ベーリング海峡を中心とした北太平洋全体の文化交流をテーマにした展覧会をやったんです。そのときに、部分的には交易というものが取り上げられています。
しかし、この展覧会では、ベーリング海峡を介したシベリアとアメリカの間の先住民交易、それからアメリカ側の交易に関しては昔から研究の蓄積があって詳しく書いているわけですけれども、いわゆるアイヌと和人の関係、アイヌと中国、山丹交易といわれるサハリン・アムール川を介しての交易ルートに関してはいっさい触れられていないわけです。しかも、アイヌの人たちの北の交易はそこで止まらずに、カムチャッカを介してもっと北の方にものびているらしいということが、最近わかってきたんです。そういう西の方に関する交易というのはほとんど注目されていなかったんですね。
だから民博の特別展の独創性というと、スミソニアン博物館の場合はカムチャッカ以北、とくにチュクチ半島からアラスカ、北西海岸を中心にした地域の文化の展示とそこで生まれた交易を取り上げたんですけれども、民博はあくまでもアイヌを中心としてそこから北にのびるルートを考えるということで、今までおこなわれていなかった部分をやったということですね。

─ これはすごいことですね。マカオにまで関係してくるんですよね。
岸上 はい。地球を一周するんですよ。マカオ・広東にはどこから船がきてるかというと、北米のボストンなんですよ。ボストンから船がでて、南アメリカを回って、バンクーバーにきて、得たものをハワイ経由で広東にもっていく。そこで売りさばいて、今度は中国のものを買って、それを持ってインド洋を通って、アフリカの先を通って、ヨーロッパへ行って売って、大西洋を渡ってアメリカへ帰る。世界一周の旅なんですね、この交易は。それぐらいうまみがあったんですね、毛皮交易というのは。

─ 最終的にその毛皮を使うのはヨーロッパ人ですか。
岸上 中国人です。毛皮が大好きなんです。元朝以降の満州族の伝統で、官衣官服が毛皮です。それから帽子とか、コートですね。地図をみるとわかりますけれども、北米の毛皮は一方は北から、露米会社を通してカムチャッカに行って、キャフタという中国の北の方にある町から南に入っていく。これはロシア交易です。一方アメリカ人の交易は広東から行く。だから、北米の毛皮は、主に南の方でとれるラッコは広東から入り、北でとれるのは陸獣が多いんです。アザラシとかテンとかリスとかはキャフタから入る。南北から北米の毛皮が中国に運ばれて、見返りに陶器を含めた中国の物品がヨーロッパに運ばれて、換金されて北米に帰るという形です。

─ 今のお話の交易ルートに積極的にかかわっている先住民はアイヌも含めていろいろな集団の人たちがいるわけですけれども、イヌイットはただ毛皮を売るだけだったんですか?
岸上 そうですね。イヌイットは居住地域がシベリアからアラスカ、カナダ、グリーンランドにまでわたります。だからかなりの距離があるんですね。アラスカは、アラスカ・エスキモー、ユーピックとイヌピアットと2つの先住民のグループがありますが、彼らはイヌイットにシベリアの先住民とアラスカの先住民の仲介者として、毛皮をとって交換していたということがはっきりしています。
また、カナダ、たとえばラブラドールをみますと、最初に接触したグループが金属製品など、モノを手に入れますね。それを今度は先住民から先住民へと経ることによって、内陸まで人はこないんだけど、モノは入るということは1700年代からおこっていました。その後ヨーロッパ人の毛皮商人がきて、その商人たちにイヌイットの人たちが毛皮をもっていって、ヨーロッパの製品をもらうというバーター交易がはじまります。

─ かなり専門商人的な人もイヌイットのあいだにいたということですか?
岸上 1800年代のアラスカとか、1700年代のラブラドールには、もう交易に特化したようなグループがいたということが記録に出てきます。

 
【目次】
海洋民族学への夢祖母の貯金をかてにカナダ留学いよいよイヌイットの村へイヌイットとブリジッド・バルドーの関係命名法の不思議都会のイヌイットイヌイット放送キリスト教徒としてのイヌイット生じている社会問題イヌイット・アート先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動イヌイットのわれわれ意識多様化する生活