国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.4 近藤雅樹―描いているうちに、絵よりモノのほうがおもしろくなった

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描いているうちに、絵よりモノのほうがおもしろくなった
─ もともと、近藤さんは民具の実測図を描くために大学に行ったわけじゃないでしょ?
近藤 絵描きになりたくて行ったんです。
─ やっぱりね。どんな絵ですか。
近藤 油絵、洋画です。
─ それで美術大学にね。そして、そこで宮本常一さんなどの民俗学者に出会われて、民俗学に興味をもった・・・。
近藤 そうです。絵描きになりたくて、何年か浪人して、やっと入ったんですけどね。でも、入ってみたら、基本的なことは浪人中にほぼマスターしちゃっていたというか、とくにもう習うこともなくなっていて(笑)。
─ でも、やっぱり絵は描いていた? もう描いてなかった?
イラスト
近藤 描いていましたよ。でないと、卒業できないから(笑)。
なぜ、民俗学に興味をもったのか。油絵はヨーロッパの技法ですよね、当然。でも、油絵を描くときのモチーフは日本のものだった。民具みたいにアンティックなもの。
ぼくは、人物画や風景画よりも、だんだんと静物画の方に向かっていました。そのときにです。いつのころからか、描くのはいいけど、日本のものなのにどういう意味をもっているのか。「日本の文化の背景を知らないな」っていうことに気がついたんです。すると、油絵で日本文化を表現することに対するジレンマみたいなものを感じてしまったんですね。それで、日本のことを知りたいと思った。そのときに、たまたま受講していた博物館学の講座の中で、宮本先生による直伝の実習指導があったんです。生まれてはじめてわら草履を編んだり、いろんな民具の撮影をしたり、スケッチをしたりっていう・・・。
 
※埋墓の盆飾り イラスト:近藤雅樹〈『朝日村の民俗』新潟県岩船郡朝日村教育委員会 1978年〉より
─ つまり、絵を描くよりも民具の図を描くほうに・・・。
近藤 そっちの方がおもしろい。というか、モノを調べることのほうがおもしろいなって。それから民俗学にのめり込みはじめたんですよ。だけど、そのころは、まだ民俗学を専門にしようという意識はなくて、卒業してから3年間くらいは、フリーでイラストレーターをやっていました。とにかく絵で食っていこうと考えていたんですよね、このころは・・・。ところが、卒業した年の6月に、木下忠さんの紹介で、当時は財団法人だった日本常民文化研究所(現在は神奈川大学日本常民文化研究所)に連れて行かれたんです。そこで、常任理事だった河岡武春さん(神奈川大学教授、故人)に紹介されて、河岡さんから「イラスト仕事の合間に、週に何日か来て手伝ってほしい」と言われて、ときどき出向くようになったんです。
─ どこにあったんですか。
近藤 慶応大学の裏手の方です。港区三田です。二の橋。渋谷駅からも、六本木駅からも、田町駅からも、歩いて20分くらいのところでした。もとの渋沢邸の跡です。日本常民文化研究所は、日銀総裁や大蔵大臣を歴任した渋沢敬三が、大正時代に邸内に開設したアチック・ミューゼアムが1942年に名称を変えた組織ですから。
─ そこに就職?
近藤 ではないです。でも、研究員という肩書きを使っていいから、いろいろ勉強したらいいということで。

 
【目次】
千里ニュータウンと地域の農具美大でおぼえた民具の図解神聖視される酒造の道具描いているうちに、絵よりモノのほうがおもしろくなったイラストレーター時代民具の最初の現地調査栴檀は双葉より芳し民具とはなにか?空き缶も民具になる母から娘へ伝えられる「おんな紋」モノがもつ魂博物館で展示企画にあたる「人魚のミイラ」――標本資料の真贋少女たちの霊的体験の研究「人はなぜおまじないが好き」海外の日本民具を調査近代日本のへんな発明 ─『ぐうたらテクノロジー』*(参考資料)さまざまな画法*