MINDAS 南アジア地域研究 国立民族学博物館拠点
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◆研究会報告 2010

調査報告
「バングラデシュにおけるストリートアートと歴史の記憶」に関する調査

期 間: 2011年3月9日~3月17日
国 名: バングラデシュ
報告者: 五十嵐理奈(福岡アジア美術館・学芸員)
概 要: 発表1.五十嵐理奈
 バングラデシュは、イギリス植民地からイスラームの国パキスタンとして、そしてパキスタンからベンガルの国として二度の独立をしている。二度目の独立時には、必然的に一度目の独立のスローガンをある種否定することになり、バングラデシュの人々のアイデンティティの持ちようを複雑なものにしている。宗教によってでもなく、かといって民族によるまとまりでもないことから始まったバングラデシュにとって、唯一同じバングラデシュ人であることの共通感覚とは、こうした紆余曲折をへて現在バングラデシュ人としての生を選択しているという歴史にある。共有された歴史のなかで、最も重要なのが1971年のバングラデシュ独立戦争である。こうした歴史的背景をふまえ、本調査では、首都ダッカの旧市街の壁に、1971年の独立以降現在まで、民衆の手によって描き続けられてきた「独立戦争壁画」の現状を把握することを目的とした。独立戦争の記憶は、バングラデシュ国家のアイデンティティに欠かせないものであるが、そうした国レベルでの戦争の表象とは別に、民衆レベルで連綿と歴史を記憶し、語り継ぎ、そうした表現活動によって悲惨な経験を癒していく手段としてストリートアートがどのような役割を果たしているかを考察する一助とした。
 現在のダッカ西南部にある旧市街は、地元の人でなければ迷路のような細い道が入り組んだこの地域であり、1971年にバングラデシュがパキスタンからの独立を目指したムクティ・ジュッド(解放戦争)の時に激しいゲリラ戦が繰り広げられた場所である。この解放戦争を戦った「解放戦士」(フリーダムファイター)は、今なお人々の敬意を集める存在である。この地域に住む人々は、戦争当時この地域で目にしたバングラデシュ民兵とパキスタン兵の戦いの光景を地域で語り継ぎ、毎年戦勝記念日である12月16日になると、路地の壁に、銃殺される人の姿、撃たれた人を介抱する姿などさまざまな戦争の場面を描いてきた。描くのは、特に美術教育を受けたわけではない、その地域に住む主に10代の少年たち(戦勝記念日の前日の夜中から描くので、女性の描き手はいない)で、新聞や戦争の報道写真、教科書などに掲載されている有名な場面や両親や親戚から伝え聞いた話を、色ペンキを用いて、具象的に描き出す。また、絵の横には、少年たちによる詩がしばしば添えられており、戦争の記憶は、視覚表現と言語表現の両方の手段によって、各時代の少年たちによって表されてきた。そもそも公共の空間や住居の壁に絵を描くということは、バングラデシュでは比較的日常的に行われてきたことであり、例えば結婚式の際に新婚夫婦の家の床や壁にはアルポナと呼ばれる吉祥文様が描かれてきたという文化的背景からも、独立戦争壁画が描かれ、また受け入れられてきたことが伺える。独立戦争壁画は風雨にさらされて色が落ちてゆきはするものの、ほぼ1年間、壁に残り、その地域の人々は、毎日戦いの場面などを目にしながら、通りを行き来して暮らしている。
 独立戦争壁画は、独立の翌年、1972年から現在まで絶えることなく40年弱にわたって毎年描かれてきたが、描かれる絵は時代によって変化があり、またその地域的な広がりや数は時代が下るにつれ減ってきているという。そうした変化が、人々の歴史の記憶のありようとどのように関連があるのかは、今後の課題としたい。

研究会報告
「MINDAS 2010年度第3回合同研究会」報告

日 時: 2011年3月12日(土)13:30~17:00、13日(日)10:30~15:00
場 所: 国立民族学博物館4階 第4演習室
報告者: 報告1.松川恭子(奈良大学)
「インド、ゴア社会の演劇ティアトルのメディア複合としての現代的展開」
報告2.小牧幸代(市立高崎経済大学)
「聖地の都市性:アジュメールにおける巡礼と観光の諸相」
報告3.松尾瑞穂(新潟国際情報大学)
「聖地における「プージャー産業」の変容:祖先祭祀儀礼の「本場」を構成する要素」
概 要: 報告1.松川恭子
本報告は、インド西部、ゴア社会で主にクリスチャンのあいだで上演されている演劇、ティアトル(tiatr)を取りあげ、その成立と様々なメディアを通じての展開を考察するものだった。西洋演劇・西洋音楽の影響を受け、19世紀末に演劇と歌を組み合わせる形で始まったティアトルが、社会批評を含んだ娯楽として、印刷物やカセットテープ、更に近年ではCD・VCD、ケーブルテレビやYouTubeといった新しいマスメディアと結びつき、ゴア社会で受容されている現状が明らかにされた。ポルトガルによる植民地支配の影響や、インドにおけるローカルな映画・テレビなどのマスメディアとの関連等について議論が行われた。
報告2.小牧幸代
メッカへの大巡礼はムスリムの義務だが、インドにはそれを果たせない人のための救済装置として「インドのメッカ」と呼ばれる聖地がいくつかある。アジュメールのムイーヌッディーン廟は、そのひとつである。とはいえ、アジュメール巡礼3回がメッカ巡礼1回に相当するといった具合に、代替聖地の格は本家聖地よりも数段下である。メッカへの行程が様々な面で整備された昨今では、複数回の巡礼経験を持つ人も珍しくない。こうした状況下で「インドのメッカ」は何を期待されているだろうか。本発表では、同廟で数年前から預言者祭の折に公開され参拝者を集めるようになった「預言者ムハンマドの髭」に注目した。「インドの預言者ムハンマド」とも称される聖者ムイーヌッディーンの聖遺物を保管する一方で、「本家本元」の聖遺物を勧請したのはなぜなのか。聖遺物信仰の諸事例を整理分析し、全体像と諸特徴を浮き彫りにしつつ、この出来事の背景について考えた。
報告3.松尾瑞穂
本発表では、報告者がインド、マハーラーシュトラ州トランバケーシュワルにおいて現在進めている現地調査に基づいて、歴史的に形成されてきた聖地を「聖地」たらしめる文化的、社会的要因について論じた。トランバケーシュワルは、12年に一度のクンバメーラーの舞台となる有名なシヴァ寺院だけでなく、近年では都市中間層を中心として、ナラヤン・ナーグ・バリという死者供養/贖罪儀礼の「本場」としても知られるようになっている。かつてはきわめて稀であったこの珍しい儀礼が、今ではトランバケーシュワルの「売り」として大きく喧伝されるようになっている。本発表では、トランバケーシュワルにおいて顕著な、宗教儀礼に依存した産業構造に注目し、この産業を支える司祭集団(tirta prohita)や寺院司祭(pujari)、儀礼祭主(yajman)、寺院トラスト、そしてトランバケーシュワルのコミュニティがどのように関与しているのかを検討した。そのうえで、ワーラナーシやアヨーディヤなど、すでに研究が進められている主要なヒンドゥー巡礼地との比較という点だけでなく、経済自由化以降の現代インド社会における中間層の宗教実践の変容という点からも理解できるということを指摘した。

研究会報告
「MINDAS プロジェクト1及び2 2010年度第2回合同研究会」報告

日 時: 2010年10月30日(土) 午後1時30分~6時
場 所: 国立民族学博物館4階 大演習室
報告者: 報告1.田森雅一(国立民族学博物館外来研究員)
「近代インドにおけるガラーナー・アイデンティティの構築―英領インド帝国期に行われた「国勢調査」と「反ナウチ運動」との関連を中心に」
報告2.アントニサーミ・サガヤラージ(南山大学人文学部・人類文化学科講師)
「キリスト教の多宗教との対話・政策としてのインカルチュレーション―その過去と現在」
概 要:  報告1は、今日の北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)に特徴的な音楽流派であり社会組織であるガラーナーと、その概念形成に影響を及ぼしていると考えられる英領インド帝国期に行われた国勢調査(カースト統計)と反ナウチ(踊子)運動に注目し、今日の音楽家たちの社会音楽的アイデンティティ形成について考察した人類学的・社会歴史的な試みでした。グローバルな世界における音楽家たちの再帰的な語りが、歴史とどのように接合しているのかが探求されました。
 報告2では、1950年にインドで最初に設立されたカトリック・アシュラムであるタミルナードゥ州ティルッチ市のSaccidananda Ashram (Shanthi Vanam)を事例として、布教先の文化に合わせてキリスト教が変容・土着化されていく過程をインカルチュレーションの概念を用いて考察されました。従来の宗教伝道の構図は、与え手が西洋人、受け手がインド人であったが、現在では与え手がインド人、受け手が西洋人に変化しており、西洋から伝道された宗教がインドで変容し、それが西洋に再伝道(re-evangelization)されている現象が詳述されました。討論を通じ、宗教の「環流」というダイナミズムについて議論を深めました。

調査報告
「キリスト教とインド文化の出会い―インカルチュレーションを通じての福音宣教」に関する現地調査

期 間: 2010年8月6日~8月14日
国 名: インド(デリーおよびタミルナードゥ州ティルッチ市)
報告者: アントニサーミ・サガヤラージ(南山大学人文学部・人類文化学科講師)
概 要:  往路は、8月6日名古屋発(香港経由)の便でデリーへ。デリーで調査後、8月8日に飛行機でタミルナードゥ州のティルッチ市にあるSaccidananda Ashram(Shanthi vanam)へ。デリーでの2日間は、イエズス会のTheologateであるVidya Jothiにおいてフィールドワークの事前準備として、インカルチュレーション(Inculturation)そのものについてとインドにおけるインカルチュレーションについての資料収集と文献調査をおこなった。8月9日から14日までティルッチのAshramで、「キリスト教とインド文化の出会い―インカルチュレーションを通じての福音宣教」というテーマに基づく参与観察と聞き取り調査をおこなった。
 インカルチュレーションとは文化と文化との出会いという異文化同士の出会いであり、信仰と文化の出会いに繋がる。つまり福音宣教におけるインカルチュレーションでは福音を受け入れた共同体は伝達された文化と信仰とを識別し、自分の文化形態の内に自分の信仰を表現する。しかし、Ashramでは福音を述べ伝える側が既に現地の文化に合わせた福音宣教活動を行っている。その計画的に行われたインカルチュレーションである福音宣教に実際に惹かれているのは、現地のキリスト共同体よりも西洋の人々であり、現地の人々による生きた経験の結果であるインカルチュレーションとの間には相違が見られる。上記の点から福音宣教におけるインカルチュレーションに本来のインカルチュレーションの意味からのずれが生じている現状があきらかになった。  報告1は、今日の北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)に特徴的な音楽流派であり社会組織であるガラーナーと、その概念形成に影響を及ぼしていると考えられる英領インド帝国期に行われた国勢調査(カースト統計)と反ナウチ(踊子)運動に注目し、今日の音楽家たちの社会音楽的アイデンティティ形成について考察した人類学的・社会歴史的な試みでした。グローバルな世界における音楽家たちの再帰的な語りが、歴史とどのように接合しているのかが探求されました。

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シンポジウム報告
MINDAS 第1回国際シンポジウム The City in South Asia 報告

期 間: 2010年7月18日~7月20日
場 所: 国立民族学博物館(2階第4セミナー室)
内 容:  7月18日(日)から20日(火)の3日間にわたり、MINDAS主催の第1回国際シンポジウムを国立民族学博物館2階第4セミナー室で開催しました。開催にあたっては、国立民族学博物館のリーダーシップ支援経費の支援、またMINDASと研究協力関係にあるエジンバラ大学南アジア研究センターからの協力を受けました。
 1990年代以降急速に進む南アジアと域外との人・モノ・情報の往還がもたらす価値観の著しい変容や社会変動は、グローバル化の前線である都市において最も顕著に現れています。一方、この変化を背景としたアイデンティティー・ポリティクスの深刻化、貧富の格差の拡大や、これらを背景とした暴力紛争の都市部での頻発といった問題も生じています。この傾向は都市部から村落部に徐々に波及しているため、都市の社会・文化の変容動態の解明は、この地域の将来を考える上で重要課題となっています。
 今回のシンポジウムでは、このような問題意識を共有する第一線の研究者をインド、イギリス、アメリカおよびドイツから10名招へいし、国内の研究者と議論を深め、南アジアの都市社会に関する具体的な調査データに基づき、都市の変貌の背景や今後の方向性について多角的に考察しました。
 3日間のシンポジウムでは”City structure and planning”、”Urban identity and religious transformation”、”The political economy of space”、”Networks, consumption and popular culture”の4つのパネルで総計28本の報告がなされ、フロアからの発言も含め活発な議論が展開しました。また、ムンバイを本拠に現代インド都市社会を鋭くえぐるドキュメンタリー映画を制作しているParomita Vohra氏による映像作品も2本上映され、鑑賞後にはインドの都市におけるアイデンティティー、ジェンダー、公共性などについてさらに討論を深めました。シンポジウムのプログラムと各報告の要旨についてはPDFをご覧ください。
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(シンポジウムのプログラムと各報告の要旨はこちら

調査報告
国際会議(Heritge 2010: The 2nd International Conference on Heritage and Sustainable Development)参加とリスボンにおけるゴアの食文化受容の現状についての調査

期 間: 2010年6月20日~6月28日
国 名: ポルトガル
報告者: 松川恭子(奈良大学准教授)
概 要:  私の調査地は、インド西部に位置するゴア州である。1510年にゴア島がポルトガルHighslide JS に征服されて以来、ゴアは長きにわたってポルトガル支配を受けた。インドが1947年にイギリスから独立した後も、ポルトガルを当時支配していたサラザールはゴアを手放すことに同意しなかった。結局、1961年12月に首相のネルーが軍を送り、ゴアを強制的に解放したという経緯がある。インドの一部になってから既に半世紀が経とうとしているが、現在でもゴアの中心部「旧征服地」の至るところにポルトガル支配の影響を見ることができる。ポルトガルとインドの食文化が混じり合って生まれた独特のゴア料理もその一つである。
 今回のポルトガル出張にあたって、私にはゴアの食文化に関連して二つの目的があった。一つは、ヘリテージ(遺産)がテーマの「ヘリテージと持続可能な開発に関する第2回国際会議」(The 2nd International Conference on Heritage and Sustainable Development、以下Heritage 2010と呼ぶ)で、ゴアの食文化をヘリテージとして捉えるときの問題点について報告すること。もう一つは、リスボンにあるゴア料理レストランを調査し、ゴアの食文化がポルトガルでどのように受容されているのかを調査することだった。
 Heritage2010は、ポルトガルに拠点を置くNGO(非政府組織)、Greenlines Institute for Sustainable Development の主催により、6月23日から26日までの4日間にわたってエヴォラ(Évora)で開催された。エヴォラの中心地は、「エヴォラ歴史地区 Historic Centreof Évora」の名でユネスコの世界遺産リストに登録されている。Heritage 2010では、(1)ヘリテージと開発のためのガバナンス、(2)ヘリテージと教育政策、(3)ヘリテージと経済学、(4)ヘリテージと環境、(5)ヘリテージと文化、(6)ヘリテージと社会の6つのトピックに関わる報告が行われた。世界各国から、都市計画、建築、保存科学、開発学、経済学、教育学、地理学、人類学など様々な分野の研究者が180名集まった。市立劇場(Garcia de Resende)とサンタクララ修道院学校(School of Santa Clara)が会場となり、一般的な国際会議とは異なる、温かな雰囲気の中で活発な討議が交わされた。
 私は、香港中文大学人類学科のシドニー・チァーン教授が組織した、フード・ヘリテージをテーマとする分科会で報告を行った。報告のタイトルは、「無形遺産としてのローカルな食文化―インド、ゴアにおいてシェフとレストランが調理法の保全に果たす役割 Local Foodways as Intangible Heritage: The Role of Chefs and Restaurants in Preserving Culinary Ways in Goa, India」である。本報告では、ゴアの食文化といえば、キリスト教徒(カトリック)の豚肉の内臓を使ったカレー、ソルポテルや酸味のあるヴィンダルー・カレーが広く知られている状況について、料理本にみられる事例を挙げて説明した。その次に、ゴアのヒンドゥー教徒のあいだには、キリスト教徒とは異なる独特の調理法があることと、魚を好むのは宗教の枠組みを越えてゴアの人々に共通である点について述べた。最後に、ローカルな食文化、特に調理法や原材料に関する知識をヘリテージとして受け継いでいくために、レストランと料理人の役割が重要となってくるだろうと展望を述べた。食文化を無形のヘリテージとする考え方をめぐって活発な質疑応答となった。チァーン教授が提示した三つのR(資源resource、レシピ recipes、レストラン restaurants)に焦点を合わせつつ、更に事例を積み重ねていく必要があると感じた。本会議を通じて、学際的にヘリテージを考察する視点を得られたことが大きな成果だった。
 本出張の二つ目の目的であるリスボンのゴア料理レストランの調査では、3軒のレストランを訪問することができた。それぞれ、街角の食堂風のもの、インド的ゴアを強調した内装のもの、観光客向けのものと趣向が異なり、興味深かった。街角の食堂風の1軒目の店は、住宅街の中にあり、地元の人々が気軽に入れる雰囲気を持っていた。ゴアの地域語であるコーンカニー語で話しかけて聞いたところによれば、このレストランは8年前にオープンしたそうだ。店を開いた詳しい経緯は聞けなかったものの、従業員は新しい移民ではないかと推測できる。ポルトガル支配時にゴアに継続して居住していた住民の子孫であることを証明できれば、ポルトガルのパスポートを取得し、ヨーロッパで働くことが可能である。実際に、ゴアでポルトガルのパスポートを取ってポルトガルで働きたいと希望していた男性の話を聞いたことがある。一方、インド的ゴアを強調した内装を持つ2軒目の店のオーナーは、ゴア人ではあるものの、ほとんどゴアに滞在したことがない男性だった。両親はブラジルのサンパウロで出会って結婚し、本人は弁護士としてアンゴラやモザンビークで働いた。最終的にポルトガルで退職後の生活を送ることにしたという。レストランは2年前に以前あったレストランを買い取って開業したとオーナーは話してくれた。3軒目の観光客を対象とした店は、リスボンを一望できるサン・ジョルジェ城門のすぐ前にある。レストラン名の下に”Cozinha Portuguesa Especialidades Goesas”(ポルトガル料理、ゴア料理専門)と書いてあり、それに続いて”Indian Food”と英語で記載があった点が特に目を引いた。
 3軒のレストランのメニューを見ると、Heritage2010の報告で私が指摘したように、キリスト教徒の食文化がメニューに反映される傾向が確かにあった。その一方で、2軒目のレストランには、インド料理レストランの定番メニューであるビリヤーニー(炊き込みご飯)やナーンがあった。ポルトガルのインド大使館のホームページには、リスボンを中心にインド料理レストランのリストが掲載されており、その中には「ゴア料理レストラン」として4軒がリストアップされている※。ゴア料理は、あくまでインド料理の中に位置づけられるのか、あるいはゴア料理として独立した位置づけにあるのか。ゴア料理レストランに関わる人々の背景にはどのような移動の経緯があるのか等、疑問が次々と浮かんでくる。更に調査を進める必要があると感じたポルトガル出張だった。

※ポルトガルのインド大使館のホームページについては、寺尾智史さんにご教示いただいた。今回の調査で訪れたレストランのうち、1軒はリストに掲載されていた。

研究会報告
MINDAS プロジェクト1及び2 2010年度第1回合同研究会

日 時: 2010年5月22日(土)、午後1時半~午後6時
場 所: 国立民族学博物館4階 大演習室
報告者: 香月法子(中央大学政策文化総合研究所準研究員)
「現代インドのゾロアスター教徒としてのパールシー:いかに形成されてきたか」
竹村嘉晃(国立民族学博物館外来研究員)
「神霊信仰のローカルを越えた隆盛-南インド・ケーララ州のムッタッパン儀礼を事例に」
内 容: 若手研究者の2つの報告に基づき、それぞれの報告について活発な議論が展開しました。
パールシー研究は世界的にも希少ですが、報告1からはパールシーの現代の信仰実践がまさにコロニアリズムのもとで形成されてきた事情が浮かび上がるとともに、現代インドにおいて彼らの宗教的アイデンティティーが直面する問題が様々な角度から論じられました。報告2においては、ケーララのダリットが主宰するローカルな儀礼がグローバル化の中で環流する状況が明確になり、憑依を伴う儀礼が環流する背景やそれに伴う儀礼の変容に関して議論が進められました。
研究会では、このほか共同研究員である山下博司東北大学大学院教授が本拠点事業の一環として訪問したドイツのハイデルベルク大学における学際的なインド研究プロジェクトに関しても報告が行われました。