MINDAS 南アジア地域研究 国立民族学博物館拠点
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◆研究会報告 2011

研究会報告
「MINDAS 2011年度第3回合同研究会」報告

日 時: 2012年2月4日(土)13:00~18:30、5日(日)10:00~15:30
場 所: 福岡アジア美術館
報告者: 報告1.五十嵐理奈(福岡アジア美術館)
「インドを集めた日本人を集めること『魅せられて、インド。-日本のアーティスト/コレクターの眼』展より」
報告2.福内千絵(国立民族学博物館外来研究員)
「ラヴィ・ヴァルマー・プリントの20世紀―黒田・中嶋・遠藤コレクションに探る」
報告3.豊山亜希(日本学術振興会特別研究員・大阪大学大学院)
「マールワーリーの邸宅ハヴェーリーの壁画装飾からみる植民地経験とグローバリゼーション」
報告4.木下彰子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「現代インドにおける新たな神イメージの登場――印刷物宗教画にみられる図像の今日的展開をめぐって」
概 要: 報告1.五十嵐理奈
 発表者が企画・実施した展覧会「魅せられて、インド。―日本のアーティスト/コレクターの眼」は、日本とインドとの戦後の交流の中で、日本のなかに様々な方法と形で積み重ねられてきた「インド」を、インドに魅せられた日本のアーティストとコレクターによる多彩な作品で紹介する展覧会である。  本展は、美術館の展覧会という表現形式の限界のなかで、物よりも人に焦点をあて、物をとおして人を紹介することを目的とし、インドから大きな影響を受けた現存のアーティストやコレクターへの綿密な調査やインタビューに基づくものであり、文化人類学的視点を活かした展覧会である。展示作品は1000点を越える膨大な作品数と物量であり、またそれらのサイズ、作品保険評価額、作品のジャンルなどは、両極端といってよいほどの大きなちがいがある。そのため、美術館の美術展として行われる展覧会であるが、その企画、開催までのプロセス――出品作家とコレクターの選考、個人コレクターの所蔵コレクション全容の把握、そこからの出品コレクションの選考、作品輸送、保険付与、展示方法、説明キャプションの掲示方法、展示作業、図録作成など、展覧会開催までのあらゆる局面には、「美術館」や「美術業界」が通常則っているルールや常識では対応しきれない想定外の事が多々生じた。なお、これまで死角となってきた「日本のなかのインド文化」に目を向けることが、日本におけるインド研究の新たな展開を生む可能性を指摘した。
報告2.福内千絵
 オンタリオ州の州都であるトロントは、カナダ最大の都市であり、経済の中心地でもある。多文化主義を国是とするカナダにおいても、最も多文化化が進んだ地域として認知されており、南アジア系は総人口の約1割を占める。今回の発表では、トロントおよびその周辺地域に約14万人の人口をもつタミル人コミュニティに焦点をあて、彼らの舞踊活動の実態と、その背景について考察した。
 カナダ在住のタミル人は、インド系とスリランカ系に大別され、それぞれ移住の経緯、母国における社会階層、教育レベルなどが大きく異なるため、両者の交流は限定的であり、単一のコミュニティを形成しているとは考えにくい。概して、インド系移民は教育レベルの高い高位カースト出身者が多く、古典音楽・舞踊の伝統的な愛好者であるため、母国における慣習の延長として音楽・舞踊を実践している。スリランカ系タミル人は、その大多数が母国の民族紛争を逃れてカナダに移住した政治難民である。出身カーストや教育レベルは多様であるが、母国におけるタミル文化の冷遇を背景として、かれらの音楽・舞踊の習得に関する関心は極めて高い。
 トロントの南アジア系コミュニティでは、多種のインド舞踊が実践されているが、南インド古典舞踊バラタナーティヤムの人気は際立っており、トロント地域だけで3,000人ほどの若者がこの舞踊を学んでいると推測される。報告では、アランゲートラムと呼ばれるデビュー公演の定着とローカル化に焦点を当て、その内容と特徴を紹介した。特に、スリランカ系コミュニティでは、アランゲートラムが盛大に開催される傾向があり、結婚式のレセプションと並んで、コミュニティ内における地位・序列を交渉する有力な場の一つとなっている。またタミル語楽曲が重視され、インドおよびインド系タミル人コミュニティにおけるアランゲートラムとの大きな相違点となっている。演目や式の進行などにおいてもインドでは見られない特徴(司会者の存在、舞踊家自身によるスピーチ、複数回の衣装替えなど)があり、その一部はインドにも影響を与え始めている。スリランカ系コミュニティにおけるアランゲートラムの隆盛は、技量に優れるといわれるインド系演奏家、舞踊教師の需要を高めており、彼らのカナダ移住、長期滞在の一因となっている。
 次に、インド・トロント間を往還しながら活動する舞踊家・舞踊家集団を紹介した。マドゥライ出身の舞踊家ナルタキ・ナタラージは、毎年一定期間トロントに滞在し、スリランカ系タミル人の生徒の指導にあたっている。彼女は、チェンナイを拠点としてタミル文化に立脚した舞踊活動を展開してきており、その活動がタミル語・タミル文化を重視するスリランカ系タミル人に注目された。南インドの主流音楽・舞踊界では、歴史的な経緯からサンスクリット語、テルグ語楽曲が重視されてきたが、ナタラージのように、主流舞踊界から一定の距離を保ちながら、タミル文化に根ざした芸能活動を続ける演奏者たちが存在する。
 最後に、バラタナーティヤムを基盤として先鋭的な活動を行う舞踊団インダンスについて報告した。この舞踊団は、バラタナーティヤムの源流であるデーヴァダーシ舞踊を再評価することによって、過度に精神性が強調され、大伝統化された現在の舞踊を批判する(歴史性を前景化する)上演活動を行なうとともに、バラタナーティヤムを多様なジェンダー・セクシュアリティの表現の場として再編成する活動もおこなっており、かれらのインド公演はインド舞踊界に波紋を投げかけている。しかし、彼らがインド舞踊界と接点を保ちながら、このような活動を継続できるのは、在外タミル人という外部性を最大限に活用しているからであり、音楽・舞踊のグローバル化の一側面として捉えることができる。
 以上のように、トロントではスリランカ系タミル人の音楽・舞踊への高い関心を背景に、極めて活発で多様な活動が展開されており、その総体はつかみきれていないものの、いくつかの注目すべき現象、傾向を同定することができた。ディアスポラ社会における芸態上の変化と、インドの音楽・舞踊文化への具体的な影響を分析するためには、以上にあげた事例における演目、上演スタイルを精査することが必要であり、今後の課題としたい。
報告3.豊山亜希
 近年、南アジアの現代美術は、アーティスト数、展覧会数、美術館やアートスペースの数が増え、またインドを中心に美術市場も多くの取引が行われるようになるなど、活況を呈している。この背景には、南アジアに特有の現代美術ネットワークの存在がある。南アジア各国では、2000年代にアーティスト主体の非営利団体が相次いで設立された。当時実験的なアートに対する支援や制度、美術館や展示場所などのインフラが十分でないことから、作家たち自らが展示スペースの確保、実験的な作品制作のサポート、レジデンス、シンポジウム、出版などを行う団体を設立したのである。その中心的な役割を担ってきたのが、インドの「Khoj」(1997年)で、その後、Khojの運営方法などにも影響を受けつつ、スリランカの「Theertha」(2000年)、パキスタンの「Vasl」(2001年)、バングラデシュの「Britto」(2002年)、ネパールの「Sutra」(2003年[現在休止])などが次々と活動を始めた。各団体は、アーティスト、美術団体の国際的なネットワーク作りを支援する組織「トライアングル・ネットワーク」(イギリスに本部、1982年)にも加盟し、横のつながりも強めて行った。南アジア域内を横断する「ワークショップ」を重ね、組織化、ネットワーク化を図ることで、自らを取り巻く閉塞状況に風穴を開けようとしたのである。それは、既存の美術様式や技術偏重の美術教育、政府主導の展覧会、保守的な商業画廊などの美術制度に抗する活動でもあった。各国の既存の美術界でなかなか認められることなく活動していた若手作家たちは、南アジア圏内の同じ状況にある作家たちと横につながることで、この状況を乗り越えようとしたのである。こうした10年にわたる地道なアーティスト主導の取組みが、現在の南アジア全体の美術の活況を支えている。
 報告では、2014年9月—11月に福岡アジア美術館で開催された「第5回福岡アジア美術トリエンナーレ2014(FT5)」に出品した南アジア6ヶ国の11作家・作品をとおして、南アジア現代美術の各国美術動向とその充実ぶりを紹介した。また本展に参加した新進気鋭の若手作家の多くが上記の団体の設立者やメンバーとして関わっていることを示し、現在の活況の背景にある南アジアの現代美術ネットワークの存在とその特徴について報告した。
 本報告に対して、抗する美術制度が時代によって変化すること明確にすべきこと、なぜ南アジアにのみこうしたネットワークが特徴的に形成されるかなどについて、コメントや質問をいただいた。今後、さらに詳細に考察を進めたい。
報告4.木下彰子
 ネパールの村における中東湾岸諸国やマレーシアなどへの移住労働は、近年、多くの青年男子が経験する通過儀礼的な性格を帯びてきた。連鎖的な移住が生まれる背景には、送金はもとより、移住労働者や帰還した元移住労働者が出身コミュニティにもたらす文化的影響(社会的送付)が大きく関わる。本報告では私がこれまで調査してきた村(西部ネパール、ナワルパラシ郡ダーダジェリ行政村)を事例に、移住労働者の送り出しシステムが形成されてきた過程を記述し、情報(考え、実践、会話、規範など)の環流が人の環流を助長するトランスナショナルな現代移民の特性について発表した。
 ネパールにおける移住労働者の先行研究では、送金の経済的効果、残された女性の役割変化、移民の発生や動機づけにおけるメディアの役割、低賃金労働といった搾取や家事労働者に対する暴行など人権に関わる問題などが取りあげられてきた。だが、移民を手引きする在村の仲介者の役割や移民が送り出し社会にもたらす文化的な影響、「移民の文化」の形成過程については看過されてきたきらいがある。本報告ではMINDASの成果の一部として出版が予定されている論集に寄稿する論文の構成、概要、考察と議論について話した。現地調査は、上記のネパールの村、及び同村から移住労働者として渡航した青年をカタールとUAEに訪ねる形(2012年12月)で実施した。
 オリジナルなデータとして、海外移住労働を手助けする在村の仲介者がいかにして生まれ、どのような役割を果たしてきたかを政策・法令の変化に合わせて示した。とくに、調査村はマガールという民族が暮らす村だが、そこのマガール人の仲介者(ダニヤ)に焦点をあて、彼が2003年から2014年までの11年間に仲介してきた53人延べ60件の渡航歴を表にあらわした。そこからは、渡航先の内訳がマレーシア27件、カタール17件、UAE16件であり、2007年までマレーシアが主であったが、その後カタールとUAEが増加している傾向が読みとれた。また、仲介を依頼した若者の48人がマガール人で、残る5人はチェトリ、パリヤール、ヴィシュワカルマのカースト出身者であった。2007年には既に2回目の渡航(休暇帰国ではなく、別職に就くもの)をした人が出て、既にそうしたリピーターは53人中10人に達しており、現在3回目の渡航準備を進めている人も3人いる。移住労働を繰り返し行うことで、移住労働への依存が進行しつつあることが見てとれた。
 移住の送り出しシステムに関しては、まず人材派遣会社を用いるルートと個人ベースのルートに大別できる。個人ベースとは、先行して海外で働く親族などが現地で雇用先にかけあって、あるいは雇用先の求めに応じて、個人を招く方法であり、渡航に必要な書類は現地から送られる。移民送り出しシステムには、「市場媒介型移住システム」と親類や知人などのつてに頼る「相互扶助型移住システム」があるとされる(樋口 2002)。ネパールの場合、人材派遣会社ルートが市場媒介型移住システムに、個人ベースのルートが相互扶助型移住システムに該当しそうだが、必ずしもそうとは限らない。調査地のマガール人の場合、何れのルートにおいてもダニヤのような仲介者に頼ることが多く、仲介者も仲介料として1件につき約1万ルピーを得るので、厳密にいえば相互扶助型とはいえないのである。とはいえ、仲介者の手助けなくしては移住労働の連鎖が成り立たないことは自明であり、市場媒介型移住システムと相互扶助型移住システムの混成型ともいえる在村の仲介者を介在させる移民送り出しシステムがネパールの一つの特徴といえそうだ。それは、首都のカトマンドゥですら一度も訪れたことがない若者が、国外にいきなり渡航しているという現状を反映している。
 とくに2007年の「国外雇用法」の改定と2008年の「国外雇用規則」の制定は、仲介者の役割を増加させた。これにより、政府が認定した人材派遣会社を通さずには、国外労働許可書が発行されなくなり、個人ベースの渡航においても人材派遣会社を介在させずに出国することができなくなったからだ。逆にそれによって移住労働のプロセスは複雑になり、制度と裏技を熟知した仲介者の役割はますます不可欠のものとなった。何れにしろ、仲介者がいることでマガールの仲介者は同郷のマガールを同じ雇用先に送り出すという、移民の促進、選別と方向づけのメカニズムが強化されているのである。

研究会報告
「MINDAS 2011年度第3回合同研究会」報告

日 時: 2011年11月5日(土)13:30~17:00
場 所: 国立民族学博物館2階 第3セミナー室
発表者: 中村忠男(立命館大学文学部准教授)
"Hindu Pilgrimage and Formation of the New Body for God/Nation"
Jyotindra Jain(インド視覚文化センター所長)
"Indian Popular Visual Imagery: Curating Culture, Curating Territory"
Christopher Pinney(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授)
"Gandhi, Camera, Action! Anna Hazare and the 'media fold' in twenty-first century India"
概 要: 発表1.中村忠男
From the second decade of the 20th century, local religious and social leaders in India began gradually to adopt the new trend of religious painting which Ravi Varma and other art school graduates had elaborated as “Fine Art” in the western sense, and introduced a group of traditional painter-priests to the western technique of realism, modern printing systems, and popular image markets to promote the pilgrimages they patronized. Through this re-traditionalisation of modern religious imagery, the referent of the divine body painted was bifurcated between the human body and its murthi, the material body in the form of which the deity is actually enshrined in the local pilgrimage center. This confusion of the referential frame produced several hybrid prints, for example, composite prints mixing the Ravi Varma-like painting of a deity with photographs of its murthi. As its realistic reproduction risked eroding the religious power of the priests, which is generated by controlling the regard of the pilgrims in a temple, religious authorities would repress any mechanical reproduction of the murthi by the popular image market and monopolize the rights to it. However, once mythical scenes depicted in popular prints were connected directly with the real world of the viewers, the surface of the print would necessarily assume an opaque depth which could be deciphered according to the viewer’s own worldview and political agenda, and captured the popular imagination with regard to the nation to which they aspired. While the Great Mother Goddess (Bhārat Mātā, Tamilttāy…etc.) acquired such political meaning before Independence, the pilgrimage prints were also fitting to symbolize the integrity of the regional culture through the local pilgrimage network, and, particularly after the middle of the last century, Char Dham prints (an India-wide pilgrimage) visualize the geographical body of the newborn India and the unity of the Indian nation.
発表2.Jyotindra Jain
My presentation will focus on the emergent new forms of Hindu nationalism in Gujarat, spurred by the organised channelling of global/diasporic capital; by the usurpation of new media technologies of image production for spectacularising the religious as “art”, “culture”, and “tradition”; and above all, by the recent phenomenon of strategically constructing and mobilising ritual spaces from the national to the local (and vice versa) to serve communal nationalist goals.
Probing the objectives and processes of the transfer of ritual spaces, I shall examine the recent constructions in Gujarat of facsimile replicas of Amarnath and Vaishnodevi, two of the most revered north Indian places of Hindu pilgrimage; the state government’s mega project of resurrecting the lost Vedic river Saraswati in the territory of the state; and the creation of Akshardham in Delhi, a massive religio-cultural complex of the regional, Gujarat-based Swaminarayan sect.
発表3.Christopher Pinney
Staring with observations concerning the neo-Gandhian Anna Hazare's presence in contemporary India, the enduring relationship between politics and media will be explored. If, as is often claimed, Hazare is in some sense 'repeating' Gandhi, can we also detect a more widespread repetition and citation at work which embeds contemporary Indian politics in something akin to what Jameson termed 'Third World allegory'? The burden of India's colonial history will be explored from this perspective, and the concept of the 'media fold' explored. It is is hoped that this will explicate the layering and bricolage which characterizes much popular Indian visual culture.

研究会報告
「インド文化研究セミナー」報告

日 時: 2011年11月4日(金)15:00~17:00
場 所: 京都大学本部キャンパス 総合研究2号館
報告者: 階段井戸:インドの水利建築、その文化社会的意義
講師 Jutta Jain-Neubauer(インド視覚芸術センター)
"Stepwells: Water Monuments of India Typology and Evolution of a Unique Architectural Form"
コメンテーター 小西正捷(立教大学名誉教授)
概 要: 講演 Jutta Jain-Neubaue
A stepwell is a particular type of water monument that is unique to India. It is a water- well connected with flights of steps descending down into the earth right up to the ground water level. Numerous intermediate pavilions, balconies, side-walls that are embellished with ornate niches and alcoves or rows of sculptures of deities and mythological figures – all in the styles of the architecture of period and the region – make these intricate water monuments resemble grand subterranean temples.The talk will deal with the development and range of the various architectural types of stepwells as they flourished in Western and Northern India, as well as their structural features, their art-historical import, and their iconographic, religious and social significance.

研究会報告
「MINDAS 2011年度第2回合同研究会」報告

日 時: 2011年10月8日(土)13:30~17:00
場 所: 国立民族学博物館4階 大演習室
報告者: 報告1.南真木人(国立民族学博物館)
「ネパール人移住労働者の急増と変化」
報告2.高田峰夫(広島修道大学)
「バンコクのバングラデシュ人社会についての予備的考察―タイ社会の変化とグローバル化の中で」
概 要: 報告1.南真木人
 本発表では、1989年頃から始まり1997-98年をピークに激減した、日本における超過滞在・非正規就労のネパール人移住労働者について、その生活実態や社会の特徴、帰国後の生活を報告するとともに、彼/彼女らに取って代わるようにして2004年頃から急増しているネパール人料理人(在留資格「技能」)と濫立するネパール・インド料理店の背景を紹介した。また、ネパールの村むらにまで浸透した湾岸諸国やマレーシアへの移住労働という近年の変化とその展望について議論した。日本におけるネパール人移住労働者は、タカリー・チャンネル(南 2003)とグルカ兵コネクション(Yamanaka 2000)を通じて形成された移民送り出しネットワークにより、西ネパールの特定の郡を出身地とする民族集団が大多数を占める。彼/彼女らはそれぞれの民族協会を組織し、同胞が直面するさまざまな問題を解決するとともに、遠隔地からネパールの民族/先住民運動を支援してきた。取り締まりの強化によって退去強制され、民族集団の出身者が激減するなか、正規に就労するネパール人料理人のほうは高カースト出身者が多く、日本におけるネパール人コミュニティの形態と性格は大きく変わった。ただし、後発のネパール人料理人にしても、その出身地は西ネパールの特定の郡からであることが多く、非正規の移住労働者と正規の料理人は連続した移民現象の発展形であることが示唆され、一度形成された移民送り出しネットワークの堅固さを物語る。ネパールは現在、人口の7.2%にあたる192万人が国外に居住し(2011年)、移民による送金額が国内総生産GDPの22%に上る(2010年)という移民送り出し国になりつつある。短期的には移民の送金がネパールの好景気を下支えしている点で重要だが、中長期的には移民経験に基づく個々人の社会的資本の蓄積(ケイパビリティの向上)が肝要であり、そうした人びとの影響がとくに地方の村の社会を大きく変える契機となってきた。質疑では、ネパール料理店がとりわけ2004年頃から増加したきっかけは何であったのか、「ケーララの奇跡」に通じるものがあるのでは、移民は何をベースに組織化するのか(民族性か地縁か)、似たような経過をたどった韓国について言及しないのはなぜか、といった本質的な質問やコメントが寄せられた。
報告2.高田峰夫
 本報告では、1980年代から2010年前半までの時期、バンコクにおけるバングラデシュ人社会の急激な変貌を簡単に報告すると共に、その背景をタイ社会の変化とグローバル化との関わりから考察した。個人的な背景説明の後、タイにおける南アジア系の人々の移入の歴史と社会形成、その中でのムスリムが置かれた状況を俯瞰し、彼らの状況が「見えない」ことを説明。その理由として、「タイ社会」研究の持つバイアス、タイ社会の「自画像」が持つ歪みが大きな影を落としていることを指摘した。次いで、南アジア系ムスリムの具体的な事例としてバングラデシュ人に焦点を当て、彼らの集中したバンコク市内のパフラット地区の一角が形成された経緯と歴史的背景、それが日本を初めとする東アジア地域との関わりの中で始めて理解できること、同地区が南アジアと東アジアをつなぐ一種のハブ機能を持っていたことを指摘した。さらに、2000年代前後から同地区からバングラデシュ人の姿が薄れ、市内東方のスクムヴィット方面に新たな拠点形成が成された理由を、グローバル化、及び都市バンコク自体の変貌との関係から検証し、暫定的な結論を提示した。

研究会報告
「MINDAS 2011年度第1回合同研究会」報告告

日 時: 2011年7月9日(土)13:30~17:00、10日(日)10:30~15:00
場 所: 国立民族学博物館4階 大演習室
報告者: 報告1.宮本万里(国立民族学博物館現代インド地域研究拠点)
「民主化プロセスのなかの仏教僧と村落社会:現代ブータンの事例から」
報告2.上羽陽子(国立民族学博物館)
「伝統的技術の戦略的継承法:インド、グジャラート州の女神儀礼用染布を事例に」
報告3.鈴木晋介(国立民族学博物館)
「現代スリランカにおける「宗教・民族・カースト」をめぐる日常的実践へ」
概 要: 報告1.宮本万里
報告1では、ブータンで現在進行中の「民主化」政策を、選挙法を含む国政選挙のプロセスから再考した。特に政治領域において従来一定の発言権が与えられてきた仏教界の位置づけに注目し、2007年・08年の「普通選挙」実施に伴い僧侶から選挙権が剥奪された点について歴史的に捉えなおそうと試みた。全ての宗教者(化身・出家僧・在家僧・僧院組織の成員など)から選挙権を剥奪した選挙法の背景として、宗教は政治の上部に位置するべきであると明記した憲法の存在がある。報告者は仏教僧がブータン社会において仏教的な儀礼や法要を司るほか、占星術や祈祷を行う治療者、あるいは識字能力を有する知識人としての役割を果たしてきたことを指摘しつつ、公の政治領域における宗教界の「上部」への退出をいかに意味づけるべきかを考察した。ブータン政府が西洋的な政教分離の理念を援用しつつ仏教界の政治的な弱体化あるいは宗教的な純化を図るように見える一方、国会から完全に切り離された仏教界では反対に自治の高まりと大僧正への権力集中が進み、社会への影響力が強化されている側面があり、こうした点を含めた重層的な理解が必要であることが確認された。
報告2.上羽陽子
本発表では、インド西部、グジャラート州、アーメダバード県、ワサナ地区において製作される女神儀礼用染色布・マーターニーパチェーディを取り上げ、1960年代~1980年代に報告されている製作工程との比較をおこない、現在の製作現場において、伝統的技術がどのように継承されているかについて報告をおこなった。 報告者は、女神儀礼用染色布の製作現場において、一見すると無駄にみえる作業が多く、染色学的知見からすると、作業をおこなう根拠のないものが多いことを指摘した。そして、それらを注目することによって、製作者自身が製作技術をどのように取捨択一し、その表現方法において、つくり手たちが「伝統」をどのように主張しながら、戦略的に製作をおこなっているかを考察した。 さらに、女神儀礼用染色布に用いられる染料に注目し、製作者が化学染料であるアリザリン染料を、あえてナチュラル・ダイ、ベジタブル・ダイと明示する理由について、女神儀礼用染色布を実際に儀礼時に使用する人びとのこだわり、観賞用として購入する際の商品としての価値は何かといったことを提示した。そして、質疑応答では、製作者と購入者にとっての伝統や商品価値とはいったい何なのかといった点について議論がおこなわれた。
報告3.鈴木晋介
グローバルに展開するひとの移動の加速化、そして約四半世紀に及んだ内戦状況の終結(2009年5月)。スリランカは大きな転機を迎えている。発表前半では、スリランカ中央州のゴム・プランテーションから西部州ネゴンボ市に移住したある家族をめぐる約100年の親族関係の展開の事例提示の後、現在、そして今後のスリランカ社会において「宗教」、「民族」、「カースト」が如何に生きられていくのかという問いが立てられ、問いの背景としての経済的変化(中東産油国への出稼ぎ出国者数増加をめぐるマクロ、ミクロの経済的状況)、政治的変化(内戦終結以前から進行した「民族対立」図式から「対テロ戦争」へのコンテクストの転換)が報告された。後半では、問いに対する方法論として、「ヨコの水準」としての「ジャーティヤ」概念の前景化の可能性が示され、宗教、民族、カーストをめぐる日常的実践の諸変化を「発見」的に調査・記述していく必要性が論じられた。ディスカッションでは、とくに発表者が提示したジャーティヤに関わる<括り>と<つながり>の概念規定をめぐって、他の南アジア地域との比較を含めた多角的な議論がなされ、方法論的な深化が目指された。

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