水俣病被害者支援運動のコミュニティに関する人類学的研究(2013-2015)
目的・内容
本計画は、人びとが水俣病被害者を支援する運動を通じて新たにコミュニティを形成し、国家や社会との関係をつくりかえようとする過程を、人類学的アプローチを用いて明らかにする試みである。本計画では、熊本県水俣市の水俣病被害者支援NGO「水俣病センター相思社」をコミュニティという観点から調査研究することによって、1970年代半ばから現在までのあいだに、この運動の活動や組織、関係性、資源と、そこに参加する人びとの志向する社会のイメージがいかに変化してきたか、またその過程において、国家統治や資本主義との関係をどのように変化させてきたかを解明することを目的とする。
活動内容
2015年度活動報告
平成25年度および26年度は、それぞれ約2ヶ月間の現地調査を実施し、水俣病被害者支援NPO「水俣病センター相思社」(以下、相思社)の現在の活動内容、組織形態、社会関係等についてデータを収集した。その結果、前回、長期現地調査を実施した平成17年度以降に、メンバーの世代交代と、行政との協働の推進という二つの大きな変化が相思社に生じていることが明らかになった。平成27年度は、約6ヶ月間の現地調査を実施し、これらの変化の前提となっている相思社の歴史を明らかにするために補足調査をおこなった。具体的には、水俣市周辺に居住する水俣病被害者支援運動経験者、特に相思社の元メンバーから、運動の歴史について聞き取り調査を実施し、データを収集した。また、相思社資料室、水俣市立水俣病資料館等において調査を実施し、水俣病被害者支援運動の歴史についての文献資料を収集した。
これらの調査を通じて以下のことが明らかになった。第一に、現在の相思社が伝えている知識は、長年にわたる運動のなかで蓄積されたものであり、学校教育や行政、マスコミ等を通じて伝えられる知識とはその内容や形態において異なる独自のものになっている。第二に、1990年以降、行政が相思社を統治しようとする過程と、相思社が行政を利用して自らの利害を追求しようとする過程の両方が同時進行している。第三に、相思社の活動の変化は、市民運動から住民運動、NPO活動へという日本の社会運動または市民社会の歴史のなかに位置づけることが可能である。
本研究は、社会運動を知や実践の様式が蓄積されるコミュニティととらえる、社会運動への新しいアプローチの有効性を示すことができた点で意義がある。また、社会運動の主要な争点が文化的なものに移行していることから、社会運動研究における人類学的なアプローチの有効性を確認できたという点で重要である。
2014年度活動報告
2013年度活動報告
本年度は、相思社および水俣市周辺において、約2ヵ月間にわたる現地調査を実施し、水俣病被害者支援NPO「水俣病センター相思社」(以下、相思社)の現在の活動内容、組織形態、メンバーの社会的属性、メンバーどうしの関係、所有する運動の資源等についてデータを収集した。その結果、2005年に実施した調査結果と比べて2つの大きな変化が生じていることが明らかになった。
ひとつは、世代交代の進行である。90年代以降、相思社の活動をリードしてきた60歳代のメンバーに代わり、30歳前後の新しいメンバーが活動の中心になっており、それにともなって活動の方向性や運営方法等に変化が顕れ、ときにはそれがさまざまな困難を生じさせていることが明らかになった。このことは、相思社という個別の団体に限られた問題ではなく、水俣で被害者を支援している多くの市民団体において観察されることであることもわかった。
もうひとつは、市民団体と行政との関係の変化である。研究者は現地調査において、相思社のメンバーとともに、水俣市および熊本市でおこなわれた国際水銀条約会議、水俣市立水俣病資料館の展示リニューアル検討会議に準備段階から参加した。これらの活動を通じて、これまで敵対的な態度をとることが多かった水俣病被害者を支援する市民団体と熊本県や水俣市とのあいだで、少しずつではあるが信頼関係が醸成され、ときに協働するようにさえなっていることが観察された。このことは、市民団体の活動の方向性を理解するうえできわめて重要な要件であり、今後も注視していくことが必要である。