近代ヒスパニック世界における文書ネットワーク・システムの成立と展開
キーワード
文書ネットワーク・システム、ヒスパニック世界、近代
目的
本研究は、15世紀末以降、スペインが世界規模で拡張した帝国統治のメカニズムについて、行政・司法・財政・宗教・軍事の諸分野を交差して領域横断的に張り巡らされた文書ネットワーク・システムの展開に焦点を当てながら解明を目指すものである。
近代初期、アジアからアメリカに至る広大な領域を支配下に治めたスペインの統治原理は、文書主義の優越というイデオロギーに支えられており、帝国内の統治機構においては、マドリード中枢から植民地最末端の先住民までをカバーする広域的な文書ネットワークが張り巡らされていた。その網の目に沿って、植民地経営の実務を支えるヒトやモノ、情報の流れが構造化され、領域の隅々にまで拡張されることで、近代ヨーロッパ史上、類をみない規模の世界帝国を支えた統治機構の礎が整備されていったのである。
本研究では、スペインおよびラテンアメリカ、アジア各地の文書館における実地調査を通して史料分析の研鑽を積み、文化人類学、歴史人類学、識字・リテラシー研究、史料論、エスノヒストリー、文書管理論、アーカイブズ学などの方法論に精通したエキスパートたちの知見を結集することにより、スペイン帝国の礎となった文書ネットワークの成り立ちと植民地社会における展開について総合的に究明を試みるものである。
研究成果
スペイン帝国の文書ネットワーク・システムの解明を中心テーマとする本共同研究は、平成26年の活動開始時に、研究の重点課題として以下の3項目を設定した。
(1)文書の物質的側面に関する比較研究
(2)スペイン帝国内における文書流通プロセスの究明
(3)植民地周縁における文書ダイナミズムの究明
以下では、これらの課題に則し、本研究会の議論を通してえられた成果を簡潔にまとめる。
まず(1)の「文書の物質的側面に関する比較研究」については、例えば、南米アマゾン低地モホス地方のイエズス会ミッション洗礼簿の分析をもとに、文書空間と地理空間の編成原理が互いに呼応しあう集住化の二重プロセスの実態を明らかにした齋藤報告や、17世紀ワマンガ地方(ペルー)における公証人文書のファイリング・システムの変遷過程を論じた溝田報告などの議論を通し、スペイン帝国の文書ネットワーク・システムの存立基盤を解明するうえで、本研究会が提唱するようなモノとしての文書の在り方に着目した研究視点のもつ意義や、文書管理体制に焦点をあてた分析手法の有効性を具体的に示せたことは収穫といえるだろう。
次に(2)の「スペイン帝国内における文書流通プロセスの究明」については、スペイン本国とフィリピン総督府とを結ぶ遠隔対話型ネットワークの仕組みを明らかにした清水報告や、スペイン領アメリカで布教活動を展開したイエズス会のグローバルな情報ネットワークに焦点をあてた武田報告などの検討を通し、文書ネットワーク・システムがヨーロッパからアメリカ、アジアまでを包摂して成立するまでの歴史的背景や、その基礎的要件となる技術的・制度的基盤が整備されていくプロセスに微視的な視点からアプローチできたことは成果として挙げられる。いっぽうで、帝国域内における領域横断的な文書流通の実態究明については、当初の計画通りに調査が進んだとはいえず、今後さらに取り組むべき課題として残されている。
最後に(3)の「植民地周縁における文書ダイナミズムの究明」については、17世紀ペルーで作成された先住民遺言書の成立背景について、宗教的感情、経済的利害、文書実務などの要因から読み解いた網野報告や、18世紀ラパスの司法文書の書式分析をもとに、インディアス周辺都市における内発的な文書循環サイクルの成立過程を明らかにした吉江報告などを通し、文書ネットワーク・システムの活性化を促す要因として、植民地周縁社会が担う役割の重要性について理解を深められたことは本研究の成果である。
2016年度
共同研究会の最終年にあたる平成28年度は、これまで2年半にわたって進めてきた本研究会の議論全体のとりまとめと成果刊行物の準備を中心に、2回の研究会の実施を予定している。第1回目の研究会では、スペイン帝国における文書ネットワーク・システムを支えた諸相(モノとしての文書の在り方、文書循環サイクルの機能、植民地周辺社会の役割等)について、帝国全体を視野に治めながら包括的に再検討を行う。第2回目の研究会では最終的な成果刊行物の出版に向け、メンバーそれぞれが論文草稿を準備したうえで、全体の構成や内容等について全員でディスカッションを行う。
【館内研究員】 | 齋藤晃 |
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【館外研究員】 | 足立孝、網野徹哉、井上幸孝、小原正、坂本宏、菅谷成子、清水有子、武田和久、中村雄祐、伏見岳志、溝田のぞみ、安村直己、横山和加子 |
研究会
- 2016年10月22日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 共同研究員全員 これまでの研究活動の内容総括と議論のとりまとめ
- 共同研究員全員 共同研究成果論集の刊行にむけた企画検討
- 共同研究員全員 次回の研究会(2月予定)について
- 2017年2月20日(月)13:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 共同研究員全員 共同研究成果論集の全体構成についてのディスカッション
- 共同研究員全員 論文草稿に基づいた論集内容の具体的な検討
- 共同研究員全員 今後の作業スケジュールの確認
研究成果
最終年度となる本年度は2回の研究会を実施した。10月に開いた第1回研究会では、これまでの議論のとりまとめを行い、スペイン帝国の構成原理の解明に文書メディアという新たな視点を導入することにより、帝国史研究の領域に新たな可能性を切り開く端緒に本研究会がなりえたこと、また、アジア、アメリカからヨーロッパにいたる豊富な事例を比較検討することにより、スペイン帝国の文書ネットワークを取り巻く諸問題(モノとしての文書の特質、文書循環サイクルの在り方、植民地周辺社会の役割等)の現状についてメンバー間の共通理解が深められたこと、などが全体の成果として挙げられた。つづく第2回研究会では、そうした議論の内容を踏まえた上で、本共同研究の最終的な成果を単行本(論集)として取りまとめ、平成29年度内を目処に出版準備を進めることで合意し、論集の構成や執筆担当、題目等について出席者全員による具体的な検討を行った。
2015年度
前年度は、スペイン帝国の諸機関において生産・管理された多様な文書群の実態について、物質的な側面から比較分析を進め、文書の素材や様式、保管形態といったモノとしての文書と人間とのインターフェースにまつわる諸相について、実証的に明らかにした。その成果を踏まえたうえで、本年度は、それぞれの文書の生産・保管・参照・廃棄という循環サイクルの在り方に焦点を当て、人間・文書・システムの関係が織り成す錯綜したネットワークの実像について、帝国全体を視野に治めながら包括的に解明を進める。具体的には、帝国統治下の諸機関において生産された文書が、具体的にどのような行程を経て域内を流通していたのか、またその過程に誰が、どのように関わり、いかなる体制のもとにネットワークが維持されていたのかといった点を中心に、これまで十分に扱えなかった地域(スペイン本国、フィリピン植民地など)の事例も含め、より広い視野からさらに議論を深める計画である。
【館内研究員】 | 齋藤晃 |
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【館外研究員】 | 足立孝、網野徹哉、井上幸孝、小原正、坂本宏、菅谷成子、清水有子、武田和久、中村雄祐、伏見岳志、溝田のぞみ、安村直己、横山和加子 |
研究会
- 2015年5月16日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 足立孝(広島大学・大学院文学研究科)「カルチュレールの生成・機能分化・時間─テンプル/聖ヨハネ騎士団エンコミエンダ・カルチュレールを中心に─」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 坂本宏(中央大学・経済学部)「異端審問とスペイン帝国」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・今年度の研究活動について
- 2015年10月3日(土)13:30~19:00(慶應義塾大学・三田キャンパス(北館・会議室2))
- 伏見岳志(慶應義塾大学・商学部)「植民地期メキシコ商人の帳簿作成とその利用」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 井上幸孝(専修大学・文学部)「植民地時代メキシコ中央高原の先住民村落における権原証書の作成と使用」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・今年度後半の研究活動について
- 2015年12月5日(土)10:00~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 齋藤晃(国立民族学博物館)「イエズス会ミッションにおける洗礼と洗礼簿―南米アマゾン低地モホス地方の事例」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 武田和久(早稲田大学)「イエズス会の文書管理システムとグローバル・ネットワーク――スペイン語圏におけるアトランティック・インテレクチュアル・ヒストリーに向けての試論 」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- Guillermo Wilde(国立民族学博物館)「REGLAMENTANDO LA VIDA COTIDIANA EN LAS MISIONES FRONTERIZAS――LIBROS DE PRECEPTOS EN EL PARAGUAY JESUITICO」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・次回研究会及び今後の研究活動について
- 2016年1月30日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第2演習室)
- 清水有子(明治学院大学)「「スペイン帝国」文書ネットワーク・システムの機能――16世紀末フィリピン総督府文書の検討を中心に」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 菅谷成子(愛媛大学・法文学部)「「マニラ公正証書原簿」からみる19世紀転換期前後のスペイン領マニラ社会の諸相」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・来年度の研究会について
研究成果
平成27年度は4回の共同研究会を開催し、文書ネットワーク・システムの解明に向け、全体的な議論に深まりが見られたいっぽうで、いくつかの検討課題も浮かび上がった。具体的に、スペイン帝国の統一的支配原理と異端審問制度を支えた文書管理・運用との関係性を論じた坂本報告、イエズス会士のグローバル情報ネットワークの実相を分析した武田報告、フィリピン総督府とスペイン本国を結ぶ遠隔対話型ネットワークの機能を明らかにした清水報告をめぐる議論では、帝国内の文書流通メカニズムを包括的に把握する上で、本研究会の掲げる領域横断的な比較アプローチがどこまで有効性をもつのかが俎上に載せられた。一方、エンコミエンダ・カルチュレールに対する機能分化論的な理解の可能性を提起した足立報告、イエズス会ミッション洗礼簿の分析をもとに地理空間と文書空間における集住化の二重プロセスを論じた齋藤報告、メキシコ商人の商業帳簿における現実と文書の乖離を浮き彫りにした伏見報告では、文書理解をめぐる認識論的な問題(表象と出来事、物質と抽象、文書主義etc.)について改めて検討しなおす必要性も確認された。
2014年度
前年度は、本研究の関連分野や方法論に関する論文・研究書などの読み合わせを中心に、本課題の対象設定、問題意識、方法などについてメンバー間の共通理解を深める作業を進めた。その成果を踏まえたうえで、本年度は、スペイン帝国域内において生産・管理された多様な文書群の実態について物質的な側面から比較分析し、文書ネットワークの基礎的枠組みについて実証的な立場からアプローチを行う。 具体的には、文書の素材や様式・レイアウト、書類の仕分け法、保管形態など、モノとしての文書と人間とのインターフェースにまつわる諸相に着目し、文化人類学、エスノヒストリー、歴史人類学、史料論、文書管理論などの方法を活用しながら、文書が物理的形態の背後に内包する歴史性や同時代的コンテクストのなかで果たしていた役割について総合的に究明をはかる。
【館内研究員】 | 齋藤晃 |
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【館外研究員】 | 足立孝、網野徹哉、井上幸孝、小原正、坂本宏、菅谷成子、清水有子、武田和久、中村雄祐、伏見岳志、溝田のぞみ、安村直己、横山和加子 |
研究会
- 2014年6月28日(土)13:30~19:00(専修大学神田キャンパス 7号館(大学院棟)7階773教室)
- 小原正(慶應義塾大学 経済学部専任講師)「インディオ村落共同体と通貨 1570年代から1730年代までのグアテマラ聴訴院領チアパス地方の事例から」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・専修大所蔵のヌエバ・エスパーニャ写本資料の閲覧
- 安村直己(青山学院大学 文学部史学科教授)「インディオ村落共同体金庫と村の生活 18世紀後半のヌエバ・エスパー ニャ副王領の事例から」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・今年度の研究活動について
- 2014年9月23日(火)13:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 中村雄祐(東京大学大学院人文社会系研究科)「人文系の研究とデジタル技術」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 三宅真紀(大阪大学大学院言語文化研究科)「テキストマイニングの基礎と実践―新約聖書校訂本の比較研究を事例に」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・今年度後半の研究活動について
- 2014年11月29日(火)13:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 吉江貴文(広島市立大学・国際学部)「植民地の行政司法機関における文書的実践の仕組み」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 横山和加子(慶應大学・商学部)「メキシコ植民地初期有力入植者の文書戦略:大西洋間の連絡を中心に」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・次回及び来年度以降の研究会について
- 2015年1月31日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
- 溝田のぞみ(大阪大学・外国語学部)「先住民の文書利用――17世紀ペルー・ワマンガの公正証書の分析を通じて」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 網野徹哉(東京大学大学院・総合文化研究科)「アンデス先住民遺言書論序説」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・来年度の研究会開催計画の検討
研究成果
平成26年度は4回の共同研究会を実施し、スペイン帝国の諸機関において生産・管理された文書群の実態について、文書と人間のインターフェースにまつわる諸相に焦点を当てた究明作業を行った。具体的に、ヌエバ・エスパーニャ副王領における先住民村落共同体会計文書をスペイン本国の財務官僚から植民地の村落共同体役職者に至る多様な主体による連鎖的折衝の産物として描き出した安村および小原報告、司法の場を主舞台に個と制度の狭間を縫って展開される文書戦略の複雑な在り方について、メキシコとボリビアの事例に基づいて明らかにした横山および吉江報告、17世紀ペルー副王領で作成された私人契約文書(公正証書・遺言状)の成立背景について、宗教的感情、経済的利害、文書実務といった異質な力のせめぎ合う闘争の力学という視点から分析した網野および溝田報告などをベースに、スペイン帝国の統治機構を下支えした文書管理体制の重層的な成り立ちの実相について十分に議論を深めることが出来た。
2013年度
初年度は、本研究の関連分野や方法論に関する論文・研究書などの読み合わせと、各メンバーによる個別報告を組合せ、本課題の対象設定、問題意識、方法などについてメンバー間の共通理解を深める。スペイン帝国の文書ネットワークを理解する鍵は、中央の官僚機構だけでなく、植民地周縁の生みだすダイナミズムを含めたシステム全体の重層性をいかに把握するかにある。そうした特性を踏まえた具体的なアプローチの在り方について、各自の知見を交えて総合的に検討し、二年目以降の展開に向けた土台づくりを進める。
【館内研究員】 | 齋藤晃 |
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【館外研究員】 | 網野徹哉、安村直己、井上幸孝、小原正、坂本宏、清水有子、中村雄祐、溝田のぞみ、横山和加子、足立孝、伏見岳志 |
研究会
- 2013年12月14日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 吉江貴文(広島市立大学)「近代ヒスパニック世界における文書ネットワーク・システムの成立と展開―趣旨説明」
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・今後の共同研究についてのディスカッション
- 2014年2月24日(月)13:30~19:00(国立民族学博物館 大演習室)
- 坂本宏(明治学院大学)課題資料に基づく研究報告
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 齋藤晃(国立民族学博物館)課題資料に基づく研究報告
- 共同研究員全員・報告内容についての質疑応答・討論
- 共同研究員全員・次年度の研究活動について
研究成果
平成25年度は2回の共同研究会を実施し、スペイン帝国の文書ネットワークの成り立ちと植民地社会における展開という本研究会のテーマについて、メンバー全員の共通理解を深める作業を進めた。12月に実施した第1回の共同研究会では、研究代表者の吉江が冒頭報告を行い、本研究会の主なねらい、問題意識の所在、今後の研究方針などについて簡潔に説明した。つづいて、メンバー各自が現段階における文書史料への関心の在り方を説明し、本研究会におけるそれぞれの役割について意見交換を行った。2月に実施した第2回研究会では、本研究テーマに関連する課題資料(K.バーンズの"Notaries, Truth, and Consequences"とJ.ラパポート & T.カミンズの"Beyond the Lettered City")について坂本宏と齋藤晃が研究報告を行い、文書ネットワークの解明に向けた検討課題のあぶり出しと具体的なアプローチの在り方について、各自の知見を交えながら包括的な討論を行った。