国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「コラム」:バックパッカーとカツ丼 雲南のカツ丼  ― 国際観光地における日本人バックパッカーと日本料理 ―

岡晋

[写真1] 雲南名物の「カツ丼」(麗江市)
[写真1] 雲南名物の「カツ丼」(麗江市)
[写真2] 毛沢東像(麗江市)(麗江市)
[写真2] 毛沢東像(麗江市)(麗江市)
[写真3] 世界遺産「麗江古城」その1(麗江市)
[写真3] 世界遺産「麗江古城」その1(麗江市)
[写真4] 世界遺産「麗江古城」その2(麗江市)
[写真4] 世界遺産「麗江古城」その2(麗江市)
国際的に有名な観光地である中国雲南省の大理や麗江では、日本料理屋や韓国料理屋、あるいは西欧人向けのカフェの定番メニューのひとつに「猪排飯(カツ丼)」がある[写真1]。これは大理を訪れ、そのまま長期滞在化してしまった日本人バックパッカーがもたらしたものである。居心地の良さから旅を忘れて大理に居座ってしまった日本人が、大理で簡単に作れる日本料理としてカツ丼を考案したのがそのはじまりであった。

大理のカツ丼は1990年代から一部のカフェに登場し、瞬く間にその基本的な味付けなどが麗江、中甸といった周辺観光地のカフェに広まった。日本人バックパッカーのたまり場であった大理古城の太白楼、そこで働いていた女性が日本人のサポートのもとで開業した菊屋、麗江の毛沢東像[写真2]横のピーターズ・カフェ、その裏手にあった今はなきアリババ・カフェ、中甸古城近くに位置するチベタン・カフェなど、カツ丼をメニューに取り入れたカフェは多く、その基本的な味付けは、日本人バックパッカーや調理人の移動範囲の拡大とともに各地に定着していった。

雲南省では、日本料理に必須の鰹だしや味醂などはもともと存在しない。1990年代当時でも、大理では日本の調味料を入手するのが困難で、日本からの旅行者や日本に一時帰国した長期大理滞在者が自ら持ち込む調味料に頼ってカツ丼を作っていた。そのため、日本人が持ち込んだ調味料が残っているあいだは日本で食べられるものとそう変わらない味付けのカツ丼が食べられたものの、ときには調味料がきれ、塩分のわりには香りとコクの少ない中国醤油と砂糖だけで味付けがなされていた。妙な塩辛さと濃厚な甘みが特徴的であるが、これは大理、麗江、中甸で食べられるカツ丼にみな共通した味付けである。

日本人長期滞在者がほとんどいなかった麗江でも、90年代にカツ丼は一世を風靡した。しかし、大理とは異なって、カツ丼が継続して人気メニューとなることはなかった。麗江古城[写真3、写真4]が世界遺産に登録される1997年以前では数少ない「カツ丼が食べられる店」としてバックパッカーから親しまれていたピーターズ・カフェも、副業で始めたレンタサイクルが本業よりも儲かってしまったため、最近はもっぱらカフェが副業と化してしまった。

2004年、久しぶりにピーターズ・カフェを訪れた際には客はおろか店長さえ不在で、しばらく店のテーブルで店長を待つことになった。店に戻った店長をつかまえてカツ丼を注文すると、カツ丼に必須の「ご飯」さえ常備しなくなったらしく、店長は「ご飯を用意していないから」と言って、少し離れた中華料理屋までご飯を買いに行ってしまった。店長に料理屋をやる気がないのを感じると同時に、バックパッカーにカツ丼が渇望されていた1990年代との大きな時代の変化を強く感じることになった。