[写真1] ワーラーナスィーの町並
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北インドの古都ワーラーナスィー。日本人には「ベナレス」として知られている町である。この町を流れるガンジス川辺のガートと呼ばれる船着場は、外国人やインド人観光客で常に賑わいをみせている。このガートの裏手には、迷路のように入り組んだ狭い路地が数キロに渡り張り巡らされていて、ガート同様この町の名物となっている。路地の両側には民家、小売店、安宿、飲食店などがところ狭しと立ち並び、人や自転車、そして牛などが忙しなく往来する。路地を歩くと、外国人向けのインターネットカフェやレストランをよく目にする。こうした店には、英語、韓国語、日本語の文字で看板やメニューが取り付けられており、訪れる客もやはり外国人が圧倒的に多い。ここワーラーナスィーは、外国人観光客、なかでも「バックパッカー」と呼ばれる一人旅の若者がたくさん集まる「バックパッカー」の街でもある。混沌と雑多に満ちたガンジスの聖地は、「エキゾチック・インド」を思わせ、一人旅、自分探しの若者を魅了するようだ。そんな外国人の若者を相手に、なんとか一儲けしようとするインド人の強かさとしつこさもまた、この地の名物である[写真1]。
[写真2] レストラン「モナリザ」
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そんな中、筆者は、入り口の壁に消えかかったカタカナで「モナリザ」とかかれた店を訪ねた[写真2]。店内は狭く、4人がけの席が8つと、入り口付近にインターネット用のコンピューターが4台ほど設置されている。店員は3人で、そのうちの一人は店主の娘であった。席はすべて埋まっており、客のほとんどが韓国人と日本人で、インド人客は一人もいない。店員に手渡されたメニューをぱらぱらとめくってみると、インド料理、イタリアン、中華、イスラエル料理、韓国料理などに続き、日本料理の文字が目に入った。日本料理の欄には、オムライス(OM RICE)、おじや(OZIYA)、親子丼(OYAKODON)、肉じゃが(NIKUGYAGA)、ラーメン(RAMEN)など計20種類ほどの日本食が載っている。なかにはKHARAGE TEASTKO やTENPARA TEASTKO(想像するに「唐揚げ定食」と「天ぷら定食」)、OKAYA SOUPなる不思議なメニューまでが載っている[写真3][写真4]。
ためしにおじや、肉じゃが、親子丼、野菜ラーメンを注文すると、スチール製のボウルに入った料理が次々と運ばれてきた。おじやは刻んだキャベツや人参、玉ねぎとご飯をインスタントのトマトスープで煮込んだような味である。一方、肉じゃがの肉には鶏肉が使用されていた。インドでは宗教上の理由で牛肉や豚肉が手に入りにくいのだ。コーンスターチでとろみがつけられ、肉じゃが特有の甘味はまったくない。親子丼の玉子はどちらかというと溶き玉子に近く、わずかに醤油の味がするだけでほとんど味がない。そしてラーメンは、いわゆる即席ラーメンにピーマン、人参、キャベツが入っていて、スープはあっさり目だが少しカレーの味がした。どの料理も日本の味とはほど遠いものであった[写真5][写真6]。
[写真3] モナリザのメニュー
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[写真4] 日本食メニュー
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それにしてもここワーラーナスィーでは、首都デリーにある高級日本料理屋にはおいていないような庶民的なメニューが多く、各料理ともに80円~100円という格安の値段である。日本料理屋で修業を積んだシェフもいなければ、店員も店主の娘も「本物の」日本料理など口にしたことがない。要するに、これらは旅行者の要望によって生み出された旅行者のためのメニューなのだ。したがって料理自体も、日本の味をほとんど知らないインド人が、日本の旅行者から作り方を聞いて、ほぼ想像で作り始めたのだろう。
しばらくインドを旅していると、町の埃や熱気や雑踏、そして香辛料のきいたスパイシーな食事に疲れて、体調を崩したり、お腹を壊すことがある。そんなときは、たとえ本物の日本料理とは味がかけ離れていようとも、なつかしい自国の味に癒されたいと思うのだろう。そして高級料理店のすしや刺身、天ぷらよりも、母親が作る家庭の味を求めるのかもしれない。おじやは病気のときに母親に作ってもらった味であり、肉じゃがも定番のおかずである。少し薄味であっさり目に作ってあるのは、お腹を壊した旅行者を考慮してのことであろう[写真7]。
[写真8(左)] 一人旅
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[写真9(上)] デリーのまっとうな日本食
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デリーやムンバイなどの大都市とは異なり、地方都市であるワーラーナスィーの人々は、味に対して少々保守的である。そんな地方の町で外国料理が驚くほど発展したのも、観光地ワーラーナスィーならではの現象だといえよう。ワーラーナスィーを訪れたさいにはちょっと奇妙な日本の母の味をぜひ試してみてほしい[写真8][写真9]。