国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:ペルー編 海を渡った日本食、定住先でのその姿

山本睦

[写真1]
[写真1] リマの市場
[写真2]
[写真2] 首都リマの街並み。ラ・ビクトリア地区
[写真3]
[写真3] ペルーの寿司。日系人の結婚式にて。手前の緑色の塊りはワサビ
飛行機を乗り継いで約1日。太平洋を挟み、日本から見て地球のほぼ反対側に位置するのがペルー共和国である。ペルーと言えばアンデスの山々を想像する人が多いが、砂漠から熱帯雨林までの多様な生態系を国土に有し、また、沖合いを流れるフンボルト海流に育まれた豊富な水産資源を持つ、まさに「食の宝庫」である。一度、街の市場に足を運べば、近海で水揚げされた新鮮な魚介類や多様な生態系を活かして栽培された野菜や穀物、色とりどりの果物が目に飛び込んできて訪れた人を楽しませる[写真1]。

日本との関係も古く、日本人移民の歴史は1899年に始まる。大半の日系人は首都リマ[写真2]で生活を営んでいるが、地方に在住する人も少なくない。地方にある日系人が所有する農場では、ごぼうや山芋といった日本から持ち込まれた食材も栽培されている。これらの作物はリマの市場にもたらされ、市場を一層活気づけている。市場の中には、日本食に使う食材や蒲鉾などの加工品、調味料、また饅頭やきな粉餅などのお菓子類を取り揃えているところもあり、日本料理に必要なほとんどのものが入手できる。加工品やお菓子類は日系人や彼らから調理法を学んだペルー人が作っている。購入者は基本的に日系人かレストラン関係者で、彼らの食卓や日本食レストランのテーブルを潤している。

ペルー人の日本料理に対する一般的なイメージは、「ヘルシー」、「高い」の2つである。近年では、新聞や雑誌、テレビ番組などで日本料理が紹介されることもあり、知っている日本料理を訪ねると、「スシ」、「サシミ」といった答えがすぐに返ってくる[写真3]。しかし、実際に食べた経験のある人は少なく、首都リマや地方都市、観光地を除いては日本料理について全く知らない人も多い。日系人の歴史と日系人のペルー社会への浸透性に比べてみれば、日本料理の浸透性は低く、中華料理と比してもそれは明らかである。しかしながら、興味深いことに、料理に比べて調味料の醤油や化学調味料「味の素」はペルーに深く浸透している。もちろん、醤油の使用に関しては中華料理の存在が大きいが、化学調味料の「味の素」は、現在多くのペルー料理に欠かせない存在となっている。

ペルー料理は一般的に、日本料理と比べて多くの油と香辛料(ニンニク、唐辛子、パプリカ、クミンなど)を使用する。主食は米であるが、油と塩、ニンニクを使って炊き上げるので、初めて食べたときには微妙な味の違いに驚く。ペルーを代表する「セビッチェ」と呼ばれる生魚をレモンや酢などで味付けしたマリネ風の料理もあるが、「刺身」のような生食(切り身に醤油とわさび)には抵抗があるようである。彼らに言わせればレモンが入れば「生」ではないのである。

ペルーにある日本食レストランの大半はリマで営業している。筆者が知る限り、リマには少なくとも20数件のレストランがあるが、この大半は過去5年間のうちに開業したものであると言う。「ヘルシー志向」の波に併せて「日本食」ブームが起きているらしい。しかし、日本食レストランの総数は日系人や仕事で滞在中の日本人の人口と比べて決して多くはない。通りを歩けば必ず目にする中華料理との差は明らかである。リマでは「歩けば中華料理にあたる」のである。

日本食レストランは大きく3つに大別できる。日本人が料理長のレストラン、日系人が料理長のレストラン、ペルー人が料理長のレストランである。基本的なメニューは、寿司や刺身、天婦羅や焼き鳥、照り焼き、麺類、丼ものなどである。

[写真1]
[写真4] リマで食べたカツ丼
[写真2]
[写真5] チキンカレー
日本人や日系人が料理長を務めるレストランでは見た目、味ともに日本で食べるものと遜色がない。豊富な食材をいかしてそれよりも美味しいものさえある。ペルー人が料理長の場合には、日本料理店で板前として修行を積んだ場合と皿洗いなどをしながら見よう見まねで覚えた場合とがある。特に後者の場合、見た目や味に差が生じることが多い。筆者が食したカツ丼は揚げてから醤油とダシ汁で煮込まれ、その上にいり卵が載っていた[写真4]。関西では時折見かけることもあるが、一般的なイメージとはやや異なる。また、チキンカツカレーの場合、カツ自体の調理に申し分はないのだが、カレーがソース程度にしかかかってない。これでは、「チキンカツのカレーソースがけ」である[写真5]。しかも変なところで日本を意識したのか、箸しかでてこない。食べにくいのでスプーンを頼むと不思議な顔をしながらウェイターがナイフとフォークを持ってきた。ペルーでは米をスプーンで食べる習慣はないのである。気を使って持ってきてくれたのであろうが、やはり食べにくい。

いずれのレストランも、客層は仕事で滞在中の日本人や商社に勤めるペルー人などの富裕層で、日系人がレストランに行くことはあまりない。この辺も中華料理店が中国系の人々で賑わっている様とは趣が異なる。また、立地を見てみると、全ての店が商業地や高級住宅地に位置している。価格も店によって異なるものの、一品がUS6ドル以上というのが普通で、一般的なペルー料理のレストランに比して明らかに高い。日本料理の浸透性が低い理由の1つである。また、味の甘さが気になるというペルー人の意見も耳にする。みりんなどの調味料の使用により、ペルー人には馴染みの無い味になっているのであろう。

しかし、調味料と同様に日本の食生活がペルーに受け入れられた例もある。それは、蛸である。友人の話によれば、60年代までペルーでは蛸を食べる習慣がほぼ皆無であった。しかし、日系人所有の「セビッチェリア」(「セビッチェ」専門のレストラン)で、蛸を使った「セビッチェ」を出したところ評判となり、蛸を使うレストランがどんどん増えていったという。そして現在、蛸は「セビッチェ」に欠かせない存在となっている。ペルーの食生活に変化を与えた一例である。

また、思わぬところで「日本食」に出会うこともある。筆者がペルー北部の都市トルヒーヨに滞在中のことである。街を歩いていると、ふと「テッパンヤキ」の看板を掲げるレストランを目にした。しかし、「テッパンヤキ」の横にさりげなく中華料理と書かれている。怖いもの見たさに中を覗いてみると、日本的な趣は皆無で、中華一色である。メニューを見ても一切、日本食は無い。オーナー兼料理人の中国人に店名の由来を訊ねると、自分の娘(中国人)が一度「テッパンヤキ」を食した際、大層気にいり、娘の提案でレストランの名前の一部として使ったそうである。レストランの名前をつけるのは個人の自由であり、名前に関する法律も無いので確かに問題は無い。面白いのでしばらく店主と雑談に興じた後、ペルー風のたっぷりの醤油で味付けされた醤油色の炒飯を食べて店を後にした。また、最近、新聞上で「サシミ・アンディーノ(アンデスの刺身)」なるものを出すという観光レストランが紹介された。見れば、鱒の切り身に塩をふり、大豆とレモンのソースをかけ、トウモロコシを添えたものだという。オリジナルとは明らかに異なるが、「サシミ」は市民権を得たようである。

こうしてみると、一見、浸透性は低いものの「日本食」、または日本の食生活が様々な姿でペルー社会に溶け込んでいるのが分かる。ここまで述べてきたのは、あくまでペルー社会における「日本食」の一側面であって、実際の姿はより多様性に富んでいる。筆者は1999年より、ペルーに度々足を運んでいるが、まだまだ未知の世界が広がっている。今後、どのような場所でどのような形で再び「日本食」に出会うのか。時代の流れにつれ、現在の姿がどのように変化していくのか。まだまだ興味は尽きない。