中国の「国境文化」の人類学的研究(2010-2012)
目的・内容
中国は陸上で14カ国もの隣接国と国境を接している。人為的に区切られた国境は、人々の生活圏を分断して形成されてきた。国境はウイグル・チベットなどに見られるように往々、民族問題の火種になってきた。また、国境地域はエネルギー資源の宝庫であり、経済圏が形成されてきた。中央政府は国家統合のためにも、国境地域をきわめて重視してきた。その国家の境界としての位置付けは民族の文化やアイデンティティ形成に多大な影響を及ぼしてきた。国境地域では、民族のネットワークによる結び付きが強く、文化の特徴が明確で、アイデンテンティが保たれ、独自の国境文化が形成されてきた。
本研究は中国南北の国境文化の比較検討を通して、民族文化の核心を把握する。まず国境の画定にともなう国境地域の民族の動向、文化や生活の変化を把握する。ついで改革開放から現在における国境地域の諸民族の社会文化やアイデンティティの動態について、実地調査を通じて検討し、それらの核心となる部分を把握する。検討に際しては人々の目線に立って国境文化の意味を問い直す。国境文化を把握することで、ひいては民族紛争の未然の防止につながり、人間の安全保障に寄与するであろう。
活動内容
2012年度活動報告
本年度は最終年度にあたり、中国の「国境文化」の問題点の検証を行うとともに、研究に一層の厚みと奥行を得るため、中国とその隣接諸国の双方から、人々の結びつきや、移動の実態、移動と政治との関わり、儀礼の実態に重点を置いて、締めくくりの実地調査を行った。また、国際学会で成果の報告をも行った。塚田は中国とベトナムで、中越国境地域に居住するチワン族およびベトナム側の民族とのネットワークを通じた結びつきについて、とくに擬制的な親族「ラオトン」関係について多くの新たな事例を得て、その特徴について整理を行うとともに、中越両国の民族性の違いについて展望を得た。また、国境を流れる瀑布が観光地化されている現状と現地の住民の間でその利益をめぐって不均衡な状況が見られることなど問題点を明らかにした。長谷川は中国・ミャンマー国境地域の徳宏タイ族自治州で調査を行い、1980年代以降に流入した漢族移民がローカル権力と交渉しつつ、地域ブランド創出の表出と国境文化の形成に主体的な役割を演じていることを明らかにした。樫永は、ベトナム、ラオスの国境文化に関する現地調査を黒タイの各村落を中心に行い、国境を挟んで両国に住む黒タイの文化に関する相互影響関係、国境貿易の村落生活に対する影響を明らかにした。大野は中国北部の内モンゴル自治区とモンゴル国との隣接地帯、とくに旧満州国領内のハイラル市と満洲里周辺で調査を行い、満洲国時代から現在に至るまでの国境地帯をはさんだモンゴル系諸集団の移動がいかに政治と国際関係と連動しているかという点を明らかにした。吉野はタイのユーミエン(ヤオ)の儀礼について調査を行い、儀礼への女性の参加など最新の傾向を明らかにした。松本は、回族の世俗化と現代化について、米国サンディエゴで開かれたアジア研究協会の学会で報告をした。このように調査活動を通じて、中国南北の「国境文化」の核心の把握に接近し得た。
2011年度活動報告
本年度は、国境地域の諸民族の社会文化やアイデンティティの動態について実地調査を行い、現地でシンポジウムを行った。まず、塚田が広西で、長谷川が雲南で、大野が内モンゴルで、吉野がタイで、それぞれ7-14日間ほどの現地調査を行った。広西のチワン族とベトナムのヌン族との擬制的な親族関係について、中国で沿海部への出稼ぎが流行して以降、関係が廃れる傾向にあることが理解された。また近年、国境地域の観光が急速に発展し、村民が参与している現状が把握された。雲南・ミャンマー間の交流について、消費財・日用生活物資を中心とした国境貿易の進行、上座仏教が観光資源として活用されている実情が明らかになった。国境は文化資源でもあり、国境文化の理解に際して、資源とそれをめぐる人々の動きに対する理解が重要であることが確認された。このほか内モンゴル自治区とモンゴル国との1960-70年代の対立関係とそのことで中国のモンゴル族に対する政府の締め付けが強化されたことが明らかになった。さらにタイ北部の跨境民族ユーミエン社会における宗教運動について、儀礼を女性が司祭・執行する新たな宗教現象が生じていることが判明した。新たな事例の発見により国境地域に独自に発展したであろう国境文化の実態が一層鮮明になった。現地シンポジウムとして、6月18日・19日の2日間、雲南大学民族研究院で国際シンポジウム「Ethnic Interaction in the Context of Grobalization in Southwest China and its Relationship with Southeast Asia.」が開催された。日中を含めて9カ国の研究者40余名が一堂に会し、中国西南・東南国境地域の諸民族を対象に、移動・通婚・社会文化・宗教・民族間関係等のトピックが扱われた。塚田のほか研究協力者として谷口裕久・片岡樹が参加した。国境文化の研究成果の公表と現地への還元という点で意義が大きい。
2010年度活動報告
本年度は、中国の「国境文化」を生み出した歴史的背景として、国境画定史とそれにともなう諸民族の動向や文化変容、さらに改革開放期以降の民族の社会文化やアイデンティティの動態を主要な検討課題とした。南部の中越国境は1949年の中華人民共和国成立以降に画定されたが、それ以前は人々の越境往来がかなり自由で、中国の壮族がベトナムに土地を所有したり越境して居住する事例が普通に見られたこと、1949年以降も国家による移動を制約する政策の下でも民間では通婚が行われ、民族の習俗にそって嫁が定期的に越境して帰省する現象が見られたことが明らかになった。
また、ベトナム西北国境地域の黒タイの歴史認識がどのようなものか、そのことがベトナムにおける歴史構築とどのように関わってきたかが明らかになった。他方、中国北部では、1960-70年代の文革期に中ソ・中蒙友好が対立に一変し、過去に交流を行った者が修正主義者、売国者の烙印を押されるなど政治的な緊張状況に置かれたことが明らかになった。改革開放後、越境活動が盛んに行われるようになった。中国・ミャンマー間で交易ネットワークが形成され地元のタイ族が参与した。
また、雲南の回族について、海外イスラーム国家に越境留学したものが帰郷してアラビア語学校の教師となり、沿海部で通訳や通商業務に就くなどの現象が見られる反面、留学せずに中国で宗教指導者になる者も出現するなど活動の多様性が明らかになった。同時に、中国イスラームの伝統である存在一性論哲学を復興させようとしていることをも明らかになった。伝統の復興について、タイのユーミエンについて、祖先祭祀の儀礼、スポーツと文化の祭典、ネットワークの組織化を通じてアイデンティティ維持のため文化復興活動を行っている現状が把握された。これらのほか、1930~1940年代のベトナムの国境地域のタイ族の動向がフランス文書館海外館所蔵の文書を通じて検討された。