国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

立川武蔵教授・熊倉功夫教授・田邉繁治教授 退職記念講演会

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2004年2月18日開催

館長あいさつ

ごあいさつ 松園万亀雄

講演風景 それでは、手短に3教授のご紹介をかねまして、ごあいさつを申し上げます。

本日は、立川教授、熊倉教授、田辺教授の最終講義にお集まりいただきまして、ありがとうございました。

この3月で本館を離れることになりました3教授は、それぞれ長らく民博の発展に尽くしてこられました。

立川教授は、仏教哲学とインド・チベット宗教文化研究の世界的な権威であります。昭和57年以来、併任教官として、本館の南アジア地域部門と民族宗教部門の研究活動に寄与してこられました。
平成4年に本館の教授に就任され、その後は研究とともに、資料収集や展示などにも精力的に取り組まれ、多数の著書を刊行されるかたわら、常設展示の南アジア展示の企画と準備、特別展「マンダラ展」の開催など、博物館活動や社会教育活動でも大きな貢献をされました。
さらに、研究部長、運営協議委員として、館の経営にも携わられました。

熊倉教授は、茶道と喫茶文化の研究の権威であります。安土桃山期から江戸初期にかけての時代の日本文化の総合的研究の開拓者として知られております。
海外の博物館に所蔵されております日本の生活文化資料の調査でも、大きな足跡を残されました。その活動は、アメリカ、ピーボディ博物館に所蔵されていたエドワード・シルベスター・モースの資料調査に始まり、本館の特別展「シーボルト父子の見た日本」という形に結実いたしました。その後も、ヨーロッパを中心に調査・研究活動を続けられ、現在ではヨーロッパの40の博物館が日本研究を中心として糾合するような、そういうネットワークづくりにも尽力されました。
熊倉教授の日本文化研究は、著書が多数の読者を集めるだけでなく、展示でも多くの来館者を呼びました。先のシーボルト展は、巡回展を含め20万人の人々を魅了しました。平成14年には「大風呂敷展」を開催され、ここにも4万人もの人々が集まりました。
また、熊倉教授は、研究部長、運営協議委員として、本館の経営にも大きく貢献されました。

田辺教授は、いまでは少なくなりました民博の絶滅危惧種(笑)であります。つまり創設以来民博にいらして、30年近く勤務されました。そういう方々が、定年か、もしくはそれ以前におやめになって、だんだんいなくなる傾向がある。いま何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか。創設以来民博にずっといらっしゃる方というのは、5人ぐらいしかいないんだそうです。だんだん、明らかに減っていきます。田辺先生は、そういう方です。
主にタイを中心とする東南アジア大陸部の社会を研究対象とされ、本館の東南アジア地域研究の発展に寄与し、その地域の民族資料の収集・展示に貢献されるとともに、理論派の社会人類学の論客としても大いに活躍されました。
実践と知識の一体性に着目する「実践知の人類学」は、田辺教授の30年以上にわたる研究の到達点であり、また日本の理論派社会人類学の一つの頂点だと言えるでしょう。
また、田辺教授は、大学院教育の面でも貢献するところが大きく、その該博な知識を使って学生を指導し、総合研究大学院大学から優秀な卒業生を多数送り出しました。平成8年には、文化科学研究科地域文化学専攻長を勤められ、総研大の経営にも参画されました。

この3教授は、卓越した知性と見識を持ちつつも、またそれぞれに強烈な個性をお持ちの方々であります。業績の多さもさることながら、個々の著書、編著、論文の独創性も際立っております。
民博の顔とも言うべき3教授が館を離れられるのは、たいへん残念なことであります。あと、残される者は、このすぐれた先達が残された遺産を受け継ぎ、さらに発展させていくことが責務となります。
とりわけ、この4月より法人化され、研究活動、博物館活動、いずれも周囲から厳しい目が注がれるようになる今日、この3教授が残されていくものを基礎に、さらに活動を活性化させる必要があります。
最後に、立川教授、熊倉教授、田辺教授の今後のご活躍を祈りつつ、私のごあいさつとさせていただきます。

ありがとうございました。