国立民族学博物館研究報告 2004 28巻4号
目 次
ガミラロイ ―地方町モリーにおけるアボリジナルの歴史と現在―
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松山 利夫
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477
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ペルー北高地の形成期における食性の復元
―炭素・窒素同位体分析による考察― |
関 雄二・米田 穣
|
515
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大型民族学資料の虫害防除法
―加温空気を用いたオン・サイト殺虫法― |
森田 恒之・園田 直子・日高 真吾
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539
|
西ジャワのワヤンwayang における叙事詩「世界」の形成
―マハーバーラタを対象として― |
福岡まどか
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571
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仙岛语濒危趋势个案研究
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戴 庆厦・王 朝晖
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597
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『国立民族学博物館研究報告』28 巻 総目次
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630
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BULLETIN OF THE NATIONAL MUSEUM OF ETHNOLOGY Vol. 28 No. 4 2004
Matsuyama, Toshio
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Kamilaroi People: An Aboriginal Community in Moree,
Northwest New South Wales |
477
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Seki, Yuji
Yoneda, Minoru
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Reconstructions of the Dietary Patterns in the Formative
Period of the North Highlands of Peru: Consideration by Stable Carbon and Nitrogen Isotope Analysis |
515
|
Morita,Tsuneyuki
Sonoda, Naoko
Hidaka, Shingo
|
On Site Heat Treatment for Large-size Ethnographic
Objects |
539
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Fukuoka, Madoka
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Performances of the Mahabharata epic “world” in the
wayang in West Java |
571
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Dai, Qingxia
Wang, Chaohui
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A Case Study on Xiandao Language
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597
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ガミラロイ
―地方町モリーにおけるアボリジナルの歴史と現在―
―地方町モリーにおけるアボリジナルの歴史と現在―
松山 利夫*
Kamilaroi People: An Aboriginal Community in Moree, Northwest New South Wales
Toshio Matsuyama
この報告においては,これまでほとんど情報のなかった「白人オーストラリア」Settled Australia における地方町のアボリジナル,ガミラロイの歴史と現在を,植民期における牧場(ステーション)との結びつき,モリーへの移住とフリンジ・キャンプの形成,当時から現在まで持続されている「クラス」に焦点をあてて記述する。
植民期,北西平原のガミラロイは,エディEddie 牧場の「台帳」Station LedgerBook によると,牧地の開墾や羊の毛刈りとそれにかかわる雑役,および植民地政府がおこなう「配給」Rations をつうじて,牧場とのつながりを深めていた。その後1890 年頃になるとモリーには最初のフリンジ・キャンプがミーハイ川の川岸に形成され,20 世紀初頭にはガミラロイ領域の各地から移住した人びとによってさらに4 つのキャンプがつくられる。それらは,スティール・ブリッジ・キャンプがクィーンズランド州境に近いボガビラBoggabilla 出身者からなったように,おおむね移住前の居住地を反映していた。その彼らは,自らを3 つの「クラス」に区分していたのであり,その指標とされたのが「オーストラリア」社会への同化の度合いであった。
1960 年代になるとこれらのキャンプは2 つのアボリジナル・リザーブ,ミーハイ・ミッションMehi Mission とスタンリー・ビレッジStanley Village に吸収される。しかし,彼らはなお「クラス」区分を維持した。その目安となったのがそれぞれの生活水準である。下層の「クラス」に属する人にとってそれは否定すべき対象であったが,上層にとってはヨーロッパ人社会へのアクセスを可能にする手段のひとつであった。
そうした現在のガミラロイにとって,「自由」がもつ意味は「クラス」によってちがっている。上層にとってそれは社会福祉からの独立であり,下層の人びとにとっては貧困からの解放を意味する。「白人オーストラリア」に生きるガミラロイをとりまく社会的な条件は,なお貧しいといえよう。
植民期,北西平原のガミラロイは,エディEddie 牧場の「台帳」Station LedgerBook によると,牧地の開墾や羊の毛刈りとそれにかかわる雑役,および植民地政府がおこなう「配給」Rations をつうじて,牧場とのつながりを深めていた。その後1890 年頃になるとモリーには最初のフリンジ・キャンプがミーハイ川の川岸に形成され,20 世紀初頭にはガミラロイ領域の各地から移住した人びとによってさらに4 つのキャンプがつくられる。それらは,スティール・ブリッジ・キャンプがクィーンズランド州境に近いボガビラBoggabilla 出身者からなったように,おおむね移住前の居住地を反映していた。その彼らは,自らを3 つの「クラス」に区分していたのであり,その指標とされたのが「オーストラリア」社会への同化の度合いであった。
1960 年代になるとこれらのキャンプは2 つのアボリジナル・リザーブ,ミーハイ・ミッションMehi Mission とスタンリー・ビレッジStanley Village に吸収される。しかし,彼らはなお「クラス」区分を維持した。その目安となったのがそれぞれの生活水準である。下層の「クラス」に属する人にとってそれは否定すべき対象であったが,上層にとってはヨーロッパ人社会へのアクセスを可能にする手段のひとつであった。
そうした現在のガミラロイにとって,「自由」がもつ意味は「クラス」によってちがっている。上層にとってそれは社会福祉からの独立であり,下層の人びとにとっては貧困からの解放を意味する。「白人オーストラリア」に生きるガミラロイをとりまく社会的な条件は,なお貧しいといえよう。
In this paper I describe the Kamilaroi community who live in the small town of Moree on the Northwest Plains in New South Wales. I focus on their relations with pastoral stations during the process of colonisation, migration from secondary residences to fringe camps and the social class system in their community. Anthropologists have so far had little information about their historical and contemporary situation.
During the era of colonisation, the Kamilaroi of the Northwest Plains depended on pastoral stations by clearing fields, building work, and receiving government rations. Around 1890, the first camp was set up on the Mehi river bank opposite Moree District Hospital. By the early twentieth century another four camps had been established some distance from town by migrants from almost the entire Kamilaroi country. These camps were roughly divided according to the place of former residence: for instance, the Steel Bridge Campers were migrants from Boggabilla on the Queensland border. According to their descendants who live in the town, they formed three social classes or strata within their community depending on the degree of assimilation.
In the 1960s the camps were absorbed into two Aboriginal Reserves, Mehi Mission and Stanley Village, established by the government. Yet class or social strata remain based on family economic standards. For the lower class, this system means denial of status as Aboriginal people in Kamilaroi community. On the other hand, upper class people want to preserve their status as a means of accessing the white community through marriage and so on.
For the people of the two classes, “freedom” has different meanings. For the upper class, it means independence from welfare, for the lower class, independence from poverty. These meanings are unchanged from the fringe camp period. Their social conditions at a rural town in settled Australia are still poor.
During the era of colonisation, the Kamilaroi of the Northwest Plains depended on pastoral stations by clearing fields, building work, and receiving government rations. Around 1890, the first camp was set up on the Mehi river bank opposite Moree District Hospital. By the early twentieth century another four camps had been established some distance from town by migrants from almost the entire Kamilaroi country. These camps were roughly divided according to the place of former residence: for instance, the Steel Bridge Campers were migrants from Boggabilla on the Queensland border. According to their descendants who live in the town, they formed three social classes or strata within their community depending on the degree of assimilation.
In the 1960s the camps were absorbed into two Aboriginal Reserves, Mehi Mission and Stanley Village, established by the government. Yet class or social strata remain based on family economic standards. For the lower class, this system means denial of status as Aboriginal people in Kamilaroi community. On the other hand, upper class people want to preserve their status as a means of accessing the white community through marriage and so on.
For the people of the two classes, “freedom” has different meanings. For the upper class, it means independence from welfare, for the lower class, independence from poverty. These meanings are unchanged from the fringe camp period. Their social conditions at a rural town in settled Australia are still poor.
* 国立民族学博物館先端民族学研究部
Key Words: Kamilaroi, Moree, class, fringe camp, Northwest Plains
キーワード: ガミラロイ,モリー,クラス,フリンジ・キャンプ,北西平原
キーワード: ガミラロイ,モリー,クラス,フリンジ・キャンプ,北西平原
1 はじめに
2 背景―地方町モリーとガミラロイの領域 2.1 地方町モリー 2.2 ガミラロイの領域 3 ガミラロイの被植民地化 3.1 植民地化の過程 3.2 最後のボーラ儀礼 |
3.3 牧場との結びつき
4 フリンジ・キャンプの形成とガミラロ イの「クラス」 4.1 モリーへの移住とキャンプの形成 4.2 ガミラロイの「クラス」 4.3 ジョンとビルの暮らし 5 まとめ |
ペルー北高地の形成期における食性の復元
―炭素・窒素同位体分析による考察―
―炭素・窒素同位体分析による考察―
関 雄二*・米田 穣**
Reconstructions of the Dietary Patterns in the Formative Period of the North
Highlands of Peru: Consideration by Stable Carbon and Nitrogen Isotope Analysis
Highlands of Peru: Consideration by Stable Carbon and Nitrogen Isotope Analysis
Seki Yuji · Yoneda Minoru
近年,人骨のコラーゲンにおける炭素と窒素の同位体を測定することで,古代人の食性に迫ろうという研究が注目されている。陸上生態系には,炭素安定同位体13C を比較的多く含む植物(C4 植物)と,あまり含まない植物(C3 植物)とが存在するため,地球上の炭素の大半を占める12C との相体比を測定することにより,植物性食糧の大まかな摂取傾向をつかむことが可能となる。また窒素においても,14N と15N の同位体比を測定することで,重い同位体比が多い海産物をどれだけ摂取していたかを知ることができる。
本論では,上記の方法を用い,ペルー北高地の形成期(前1500-前50 年)遺跡から出土した人骨試料を解析することで,とくにタンパク質源から見た食性の通時的変化をまとめることにした。なお対象地域における在来のC4 植物は,トウモロコシが唯一といってよい。分析の結果,ペルー北高地では,形成期の後期以降に,C4 植物であるトウモロコシの利用が開始されることが明らかになった。
本論では,上記の方法を用い,ペルー北高地の形成期(前1500-前50 年)遺跡から出土した人骨試料を解析することで,とくにタンパク質源から見た食性の通時的変化をまとめることにした。なお対象地域における在来のC4 植物は,トウモロコシが唯一といってよい。分析の結果,ペルー北高地では,形成期の後期以降に,C4 植物であるトウモロコシの利用が開始されることが明らかになった。
The study of prehistoric human diets through stable carbon and nitrogen isotope measurement of human bone collagen has been developed in recent years. Because plants (C4 plants) containing relatively large amounts of the carbon isotope 13C and plants (C3 plants) containing relatively little coexist in the land ecosystem, it is possible to gain a rough idea of plant food intake by measuring the ratio. Analyses of osteological samples from archaeological sites in the north highlands of Peru belonging to the Formative period (B.C.1500-B.C.50) allows the calculation of the relative importance of maize, the only C4 cultigen consumed in pre-Hispanic Peru, in the diet. Changes in the relative ratio are also discussed in an archaeological context.
* 国立民族学博物館民族社会研究部
** 独立行政法人国立環境研究所化学環境研究領域
** 独立行政法人国立環境研究所化学環境研究領域
Key Words: stable isotopes, nitrogen, carbon, prehistoric diet, maize, Peru
キーワード: 同位体,窒素,炭素,先史時代の食性,トウモロコシ,ペルー
キーワード: 同位体,窒素,炭素,先史時代の食性,トウモロコシ,ペルー
1 はじめに
2 分析の原理 3 分析方法 4 分析試料 |
5 分析結果
5.1 時期別に見た食性の傾向 6 比較と考察 7 まとめ |
大型民族学資料の虫害防除法
―加温空気を用いたオン・サイト殺虫法―
―加温空気を用いたオン・サイト殺虫法―
森田 恒之*・園田 直子**・日高 真吾***
On Site Heat Treatment for Large-size Ethnographic Objects
Tsuneyuki Morita, Naoko Sonoda, Shingo Hidaka
文化財の殺虫処理に用いられてきた臭化メチル製剤は,オゾン層破壊物質として規制が強化され,2005 年以降は実質的に使用できなくなる。このような状況のなか,国立民族学博物館では,展示中の木造漁船に虫害が発生したことを契機とし,展示場から移動不可能な大型民族学資料を対象とした抜本的な解決法を研究開発する必要にせまられた。
そこで,共同研究の成果として開発したのが,加温空気によるオン・サイト殺虫処理である。この方法は,特別の処理施設を必要とせず,電源さえ確保できればどこでも実施可能である。装置は,発砲スチロール製のパネルを組み合わせた断熱箱,送風パイプ,熱風発生機で構成され,容易に移動あるいは保管できる。熱風発生機と断熱箱の間だけで加温空気を循環させる方式を採用したので,箱外部の温度や湿度には影響を与えない。また,処理の対象とする資料を,前もって気密シートで密封することで,木材からの放湿による変形をほとんど無視することができる。供試虫を使用した実験から,設定温度が一定時間維持できれば,100% の殺虫効果が得られることが明らかになった。
加温空気によるオン・サイト殺虫処理の最終実験は,2003 年3 月,展示場の木造漁船を対象に実施した。現在のところ,虫害の再発は認められていない。
そこで,共同研究の成果として開発したのが,加温空気によるオン・サイト殺虫処理である。この方法は,特別の処理施設を必要とせず,電源さえ確保できればどこでも実施可能である。装置は,発砲スチロール製のパネルを組み合わせた断熱箱,送風パイプ,熱風発生機で構成され,容易に移動あるいは保管できる。熱風発生機と断熱箱の間だけで加温空気を循環させる方式を採用したので,箱外部の温度や湿度には影響を与えない。また,処理の対象とする資料を,前もって気密シートで密封することで,木材からの放湿による変形をほとんど無視することができる。供試虫を使用した実験から,設定温度が一定時間維持できれば,100% の殺虫効果が得られることが明らかになった。
加温空気によるオン・サイト殺虫処理の最終実験は,2003 年3 月,展示場の木造漁船を対象に実施した。現在のところ,虫害の再発は認められていない。
Methyl bromide gas or mixtures containing it have been widely used as pest control fumigants on cultural properties in Japan. However, the application of this chemical must be strictly controlled after 2005, because of its depletive effect on the ozone layer, specified in the Montreal Convention.
The National Museum of Ethnology has developed, to meet such strict controls, a thermal treatment system, applicable to large-size ethnographic objects displayed in an exhibition hall. The system is composed of three parts: a thermal isolation container with polystyrene foam panels, a heat generator, and connecting pipes. This system can be used anywhere where there is a power supply, and can be easily moved or stored. Hot air at about 70°C circulates inside a closed space, composed of a container and a generator with connecting pipes, so that the temperature and the relative humidity of the exhibition hall are not affected. The object to be treated is perfectly sealed in an air barrier plastic sheet prior to the heat treatment, and in this way there is no free space to evaporate moisture from the object, so the risk of deformation due to water loss is negligible. When a sufficient temperature has been maintained for a suitable time, 100% pest mortality can be expected. The first application of this “on site heat treatment for large-size ethnographic objects” was made on an Indian fishing boat in an exhibition hall of the National Museum of Ethnology, in March 2003.
The National Museum of Ethnology has developed, to meet such strict controls, a thermal treatment system, applicable to large-size ethnographic objects displayed in an exhibition hall. The system is composed of three parts: a thermal isolation container with polystyrene foam panels, a heat generator, and connecting pipes. This system can be used anywhere where there is a power supply, and can be easily moved or stored. Hot air at about 70°C circulates inside a closed space, composed of a container and a generator with connecting pipes, so that the temperature and the relative humidity of the exhibition hall are not affected. The object to be treated is perfectly sealed in an air barrier plastic sheet prior to the heat treatment, and in this way there is no free space to evaporate moisture from the object, so the risk of deformation due to water loss is negligible. When a sufficient temperature has been maintained for a suitable time, 100% pest mortality can be expected. The first application of this “on site heat treatment for large-size ethnographic objects” was made on an Indian fishing boat in an exhibition hall of the National Museum of Ethnology, in March 2003.
*国立民族学博物館名誉教授
** 国立民族学博物館博物館民族学研究部
*** 国立民族学博物館民族学研究開発センター
** 国立民族学博物館博物館民族学研究部
*** 国立民族学博物館民族学研究開発センター
Key Words: :heated air, heat treatment, pest control, museum pests, large-size thnographic objects
キーワード: 加温空気,高温処理,虫害対策,文化財害虫,大型民族学資料
キーワード: 加温空気,高温処理,虫害対策,文化財害虫,大型民族学資料
1 はじめに
1.1 本研究の背景 1.2 殺虫処理法の選択 2 加温空気を用いたオン・サイト殺虫処 理装置の開発 2.1 概略 2.2 断熱箱 2.3 パイプおよび接続部分 2.4 熱風発生機 2.5 気密シート 3 大型民族学資料(テッパ船)の殺虫処 理実験 |
3.1 船のつり上げ
3.2 船の包み込みと脱気 3.3 断熱箱の組立,パイプの接続 3.4 温湿度のモニタリング 3.5 断熱箱の加温,加温停止,自然冷却 4 殺虫処理実験の結果 4.1 殺虫処理実験中の温度・湿度の変化 4.1.1 温度・湿度変化の概要 4.1.2 多点温度計による記録の統計学的解析 4.2 供試虫による判定 5 おわりに |
西ジャワのワヤンwayang における叙事詩「世界」の形成
―マハーバーラタを対象として―
―マハーバーラタを対象として―
福 岡 まどか
Performances of the Mahabharata epic “world”
in the wayang in West Java
in the wayang in West Java
Madoka Fukuoka
この論考では,インドネシア, ジャワ島のワヤンにおけるマハーバーラタの叙事詩「世界」について考察する。通常,ワヤンの物語は,ヒンドゥー叙事詩であるラーマーヤナとマハーバーラタに由来するとされる。しかし,上演の中では,書かれたテクストに見られるような,叙事詩のひとすじの筋立てが示されることはない。一晩の上演の中で演じられるのは,叙事詩に由来する特定の演目lakonである。叙事詩の「世界」は,これらのひとつひとつの演目を集積することによって形成される。この論考では,ワヤンの上演においてマハーバーラタの「世界」が形成されるメカニズムについて理解するために,演目の様式的構造と,演目によって提示される登場人物の伝記的情報という要素に焦点をあてて,複数の演目の関連について考察する。
This article considers the Mahabharata epic“world”in performances of the wayang golek purwa (rod puppet theatre) in West Java. In general, the stories of the wayang golek purwa mainly derive from the Hindu epics the Mahabharata and the Ramayana. In the performances, however, we do not see the linear plot of the epics that characterizes the written texts. All night performances of the wayang merely perform a particular episode or lakon derived from the epics. The epic “world” is formed by concentrating on these episodes. In this article, I focus on the elements of the stylistic structure of lakon and biographical information on the main characters in considering the Mahabharata epic “world” in performances of the wayang.
Key Words: Mahabharata, wayang, West Java, lakon, stylistic structure, biographical information
キーワード: マハーバーラタ,ワヤン,西ジャワ,演目,様式的構造,伝記的情報
キーワード: マハーバーラタ,ワヤン,西ジャワ,演目,様式的構造,伝記的情報
1 ワヤンの上演における叙事詩
2 マハーバーラタの大筋 3 マハーバーラタのジャワ島への伝播 4 ワヤンの演目 4.1 演目の種類 4.2 演目の様式的構成 |
5 演目相互の関連
5.1 登場人物に関する伝記的情報 5.2 複数の演目相互の関連 6 ワヤンにおける叙事詩「世界」の形成 |
仙岛语濒危趋势个案研究
戴 庆厦*・王朝晖*
A Case Study on Xiandao Language
Dai Qingxia · Wang Chaohui
仙島語は1985 年に中国において新しく発見された言語であり,使用人口の少ない,危機に瀕している言語でもある。仙島語の機能の衰退をもたらした原因がいろいろと挙げられるが,そのうちのエスニックグループの分裂が主要な原因と考えられている。わずか半世紀の間に一部の仙島人が完全にかつての母語を失い,中国語の共通語を使用するようになった。また,一部の人が景颇語を主要言語にし,母語を第二言語として兼用している。
仙島語の危機に向かったプロセスは「言語の接触,言語兼用,言語転用」の過程が見られた。二回の集団移動は言語転用を加速してしまった。仙島語の危機状態は急速頻危型である。
仙島語の危機に向かったプロセスは「言語の接触,言語兼用,言語転用」の過程が見られた。二回の集団移動は言語転用を加速してしまった。仙島語の危機状態は急速頻危型である。
The Xiandao language is one of the newly discovered minority languages in China. It has very few speakers, and therefore can be considered as a language in danger of extinction. We have chosen Xiandao as a case study of an endangered language, mainly because the causes of the decline and disappearance of the Xiandao language are various, but ethnic group separation is the most important factor. Only fifty years ago, some Xiandao people lost their native language and came to use Chinese instead; others use the Jingpo language as their main language, while their native language plays a secondary role. The endangered language Xiandao experiences language contact →bilingualism→language shift. The two movements accelerate language shift. The Xiandao language belongs to the extremely endangered type.
*中国中央民族大学中国少数民族語言文学学院
**中国中央民族大学外国語学院
**中国中央民族大学外国語学院
Key Words: ethnic groupe separation language endangerment extremely endangered type
キーワード: エスニックグループの分化,言語の危機,急進型危機
キーワード: エスニックグループの分化,言語の危機,急進型危機
1 仙岛人的族源及其社会变迁
2 仙岛人语言使用情况 2.1 芒俄寨的仙岛人语言使用情况 2.2 仙岛寨的仙岛人语言使用情况 |
3 仙岛语的源流及其分化
4 仙岛语濒危的启示 附录 |