人類学における比較研究の再構築に向かって
目的
比較は文化人類学を規定するのに本質的ともいえる方法であり、歴史をふりかえっても、進化主義、機能主義、構造主義など新しいパラダイムが登場するごとに新しい比較の方法が構築されてきた。しかしとりわけ近年のポストモダン人類学による本質主義批判以降、互いにかけ離れた地域や文化の比較研究は、比較のための単位を実体的・硬直的にとらえているとして、ほとんど省みられなくなっている。
しかし異文化の研究にとどまらず、自文化の文化人類学的研究にも、自己の相対化という試みのために、必ず自己と他者の比較という視座が含まれている。従って近年のように人類学者自身が比較をないがしろにするのは、自己否定に近く、比較研究と密接に関連する、文化の普遍性と個別性、文化相対主義や文化の翻訳というきわめて人類学的諸テーマについて論じてきた人類学の理論的に豊かな部分を無視し、人類学を粗雑な地域研究に堕落させてしまう危険性をはらんでいる。こうした現状を打破するために、本共同研究では、人類学の方法としての比較とは何かを再検討し、新たな比較の構築を目指す。
人類学の方法としての比較を今あらためて問うことは、グロバリゼーションが叫ばれる今日とりわけ意義がある。グローバル化は地球的規模の文化の同質化としばしば受け止められており、その意味でグローバル化時代に比較研究は意義がないような印象を与えているが、グローバリゼーションがローカルな場における微細で多様な差異を生みだしていることが見落とされがちである。グローバリゼーションを考えることは、地域間の差異を考えることであり、当然そこには比較というパースペクティヴが含まれていることになる。しかしどのような比較がグローバリゼーションの理解に適切なのかはまだ十分検討されていない。本共同研究会では、グローバル化時代の人類学の比較のありかたにも一石投じるものになり得る。
研究成果
人類学の方法としての比較を考えるため、人類学の歴史で比較研究がどのようなものであったのかを再検討してきた、また、言語学・宗教学・心理学・哲学・科学史などにおいて、比較研究がどのようなものであったか、人類学と他分野の比較研究の比較をすすめてきた。こうした検討を踏まえて、現在の人類学で比較研究を試みるとしたら、どのような分野で有意義な成果が期待できるか、討論を重ねてきた。その結果、まず人類学の比較の歴史を振り返るとき、言語学者・神話学者であったマックス・ミュラーを無視できないことがわかった。さらに現代人類学の比較の議論に大きな影響を与えたロドニー・ニーダムの「単配列分類と多配列分類」の新たな応用の可能性も提示された。
またこれからの人類学の比較研究が期待される分野としては政治学や歴史学などとは異なった生活の場で見られるナショナリズムや宗教間対話や呪術(妖術)などが挙げられるという見通しを得た。ナショナリズムの検討では、特にインドにおいてここでもミュラーが関与するという発見が得られた。さらに既に過去のものと見なされている構造主義の神話分析が、他者への配慮という点で、新鮮な問題提起をなしえるものであるという成果もえらたれ。
2007年度
研究成果とりまとめのため延長(1年間)
【館内研究員】 | 菊澤律子、杉本良男、長野泰彦、三尾稔 |
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【館外研究員】 | 大塚和夫、小田亮、熊野純彦、栗田博之、関一敏、関根康正、棚橋訓、出口顕、當眞千賀子、中川敏、林真理、廣野喜幸、山中弘、吉岡政徳 |
研究会
- 2007年7月21日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 4階第4演習室)
- 藤原聖子「宗教学にみる比較の方法の可能性」
- 杉本良男「ヒンドゥー教と仏教?万国宗教会議と南アジア宗教ナショナリズム」
- 2007年11月29日(木)12:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 参加者による成果報告に向けての打ち合わせ
- 2008年3月1日(土)14:30~17:30(島根大学法文学部238室))
- 出口顕「神話論理」の比較
- 参加者による成果報告に向けての打ち合わせ
研究成果
上記実施状況に見るように、今年度はこれまでの成果刊行に向けて打ち合わせをする延長年度であったため、出版に向けての検討・並びに打ち合わせに会が開かれた。過去の共同研究の報告から、ナショナリズム研究が今後の人類学の比較研究において重要になること、また人類学の出発点においてマックス・ミュラーの宗教研究の比較が大きな影響を与えたことがわかったため、成果刊行のための今年度の研究会では、まずこの観点からの報告が、特別講師による報告も含め、行われた。また最後の研究会では、主催者による報告が行われ、構造主義による比較分析のこれまで考慮されてこなかった可能性について検討がなされた。
2006年度
初年度と二年目の成果を受けて、哲学・科学史・心理学など、人類学の隣接分野における比較研究を検討する。また理論面だけでなく、様々な比較の実践例を、個々の報告をもとに討議する。そして文化の比較を考えるとき、避けては通れない文化相対主義と普遍主義について再考する。これらを通じて人類学の新たな比較の在り方を模索する。
【館内研究員】 | 菊澤律子、杉本良男、長野泰彦、三尾稔 |
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【館外研究員】 | 小田亮、大塚和夫、熊野純彦、栗田博之、関一敏、関根康正、棚橋訓、當眞千賀子、中川敏、林真理、廣野喜幸、山中弘、吉岡政徳 |
研究会
- 2006年7月30日(日)13:30~(第1演習室)
- 中川敏「人類学とグランド・セオリー……比較への見果てぬ夢」
- 當眞千賀子「比較という行為と流儀」
- 2006年11月3日(金)13:30~(第1演習室)
- 熊野純彦「始原と反復 ─ 哲学者と人類学・和辻哲郎の場合」
- 三尾稔「ナショナリズムの比較」
- 2007年3月9日(金)13:30~(第1演習室)
- 林真理「科学史における比較 日本における細胞概念の受容を例に」
- 関一敏「呪術研究の比較」
研究成果
第1回は心理学と人類学、第2回は哲学と人類学、第3回は、科学史と宗教人類学というように、今年度は、人類学の領域での新たな比較の模索を試みた報告を他の学問領域における比較の試みを比較するという意図のもとで、研究会を開催し、活発な議論を展開することができた。
「比較という行為と流儀」では、動きやプロセスである発達を発達心理学がどう捉えるか報告があった。動きそのものの記述不可能性に対してどのような方法論的チャレンジが可能かについて、ピアジェらの研究に言及しながら、比較による接近という流儀が検討された。
「近代の誕生」では、自然が生活世界から、身体が心から、経済が社会からそれぞれ離床することに近代の誕生を見出しそこから、「伝統と近代」「彼らと我々」「未開と文明」の距離を正確に測量することで、人類学のあらたな比較のグランドセオリーの構築が模索された。
「始源と反復」では、和辻の倫理学の体系的構築に、マリノフスキーの人類学的研究が影響を与えたことがとりあげられ、家族関係についての和辻の議論がマリノウスキーの人類学的観察に依拠することによってより近代的なものになったことなどが指摘された。
「ナショナリズムの比較」では、カッフェラーとアンダーソンのナショナリズムの比較研究が報告され、とくに前者の議論の前提にある問題点が詳細に指摘された。
「科学史における比較」では、科学史研究における比較が少ない事実が指摘され、その理由が考察された後(「科学は一つ」しかない、ゆえに比較は重要ではない)、細胞研究を例にとって、科学概念の含意の違いに注目するカンギレム流の研究が比較の可能性を開くのではないかと報告された。
「呪術研究の比較」では、コロニアル・ポストコロニアル状況が呪術をつくり出し、拍車をかけたという議論を近年のアフリカ研究が展開しているのに対し、東南アジア研究やオセアニア研究が呪術のこうした政治性をあまり問題視しない傾向にあるのはどうしてかが議論された。
2005年度
【館内研究員】 | 大塚和夫(客員)、菊澤律子、杉本良男、長野泰彦、三尾稔 |
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【館外研究員】 | 小田亮、熊野純彦、栗田博之、関一敏、関根康正、棚橋訓、當眞千賀子、中川敏、林真理、廣野喜幸、山中弘、吉岡政徳 |
研究会
- 2005年7月24日(日)13:30~(第1演習室)
- 吉岡政徳「多配列概念と比較の視点」
- 関一敏「宗教は比較できるか」
- 2005年11月19日(土)13:30~(第2演習室)
- 棚橋訓「戦争を比較する ─ M. Sahlins, Apologies to Thucydides (2004) のレヴューから」
- 小田亮「変換としての比較」
- 2006年3月10日(金)13:30~(第1演習室)
- 関根康正「比較の二つの場所:勝者の比較と敗者の比較」
- 山中弘「宗教研究における比較の問題」
研究成果
今年度は本研究会も二年目に入り、報告では特に文化人類学と宗教学での比較の視点の再検討と新たな模索が試みられた。報告の後の討議ではさらに心理学・科学哲学の分野の研究者が議論に加わった。第一回ではまず社会人類学の吉岡政徳が「多配列概念と比較の視点」について報告し、これまで十分理解されて来なかった多配列分類をあらためて規定し直し、その概念の有効性を検討した。ついで宗教学の関一敏が、「宗教」という表象が不安定な時代に比較宗教学は何を比較できるかを考える手がかりとして、これまでの宗教学者らの比較を類型化してそれらを比較するという作業を試みた。
第二回では、社会人類学の分野から棚橋訓が、ペロポネソス戦争とオセアニアの戦争を比較した、アメリカの著名な人類学者サーリンズの近著を読み解き、サーリンズの方法の問題点を指摘した。同じく社会人類学の小田亮は、人文社会科学における比較の系譜学を論じた後、沖縄の「イエ」(ヤー)とケニアのクリア人のeeka概念の比較を試み、神の視点からの比較ではなく、ローカリティ相互の様々な系列での比較がもちうる意義について論じた。
第三回は宗教学の山中弘が、関とは別の角度から宗教学において、なぜ比較が方法論の問題として論じられて来なかったかを考察した。人類学や他の社会科学と異なり、比較という方法は宗教学の展開にとって必然的でなかったというのが、山中の仮説である。ついで関根康正が社会人類学の立場から、比較の要点とは「違う」姿に「同じ」意義を見出し、「同じ」姿に「違う」意義を見出すことであり、自己が変容する比較の重要性を、南インドと日本の住居の分析例を踏まえながら、論じた。
これら三回の報告を踏まえて、各学問分野における比較の位置づけの違いがあらためて気づかれるとともに、フィールドやそこで暮らす人々にコミットする立場に意義のある比較とはどのようなことなのかという、倫理的問題にも踏み込んだ議論がなされた。
2004年度
【館内研究員】 | 大塚和夫(客員)、杉本良男、長野泰彦、三尾稔 |
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【館外研究員】 | 小田亮、菊澤律子、栗田博之、関一敏、関根康正、中川敏、山中弘、吉岡政徳 |
研究会
- 2004年11月20日(土)13:00~(大演習室)
- 出口顕「人類学の方法としての比較 ─ 主旨説明」
- 大塚和夫「民族誌と地域研究と人類学」
- 全員「今後の打ち合わせ」
- 2005年2月26日(土)13:00~(大演習室)
- 菊澤律子、長野泰彦「言語学における比較分析」
研究成果
今年度は本研究会の初年度ということもあり、第一回ではまず研究代表の出口より、本研究会の目的・意義についての趣旨説明がなされた。ついで大塚より、イスラム地域研究の立場から比較ということをどうとらえるかについての報告があった。大塚はそこで、人類学の実践においては様々なレベルで比較が既に内包されていること、地域研究にも様々なレベルが存在すること、そして比較方法は文化の翻訳の問題とかかわることなどを指摘した。二人の報告の後で、討論が行われ、人類学の歴史の反省だけでなく、具体的な比較の実践からあたらなスタイルを模索することが、今後の研究会の方針の一つとして確認された。
第二回では、長野と菊澤による言語学における比較研究のあり方についての報告がなされた。長野による言語学における比較の歴史とその方法のエッセンスが紹介された後、菊澤により、ポリネシア諸語を分析対象とした、形態統語論の立場から格構造再建をめざす比較分析が報告された。二人の報告の後討論がなされ、人類学と言語学の比較方法の違いや共通性などが議論された。