中国における国民形成と少数民族の日常的実践(2003-2005)
目的・内容
私の基本的な関心は、人々を統制するシステムとしての国民国家が普遍的なものとして全世界的に受け入れられつつあるなかで、人々がその恩恵に浴しつつも過度に規格化されることなくいかに自由を確保できるかという問いである。この問題を、中国という巨大な国家の中で少数民族として生きている人々の調査を通して具体的に考えるのがこの研究の目的である。方法としては、フィールドワークによる調査を行い、近年の社会科学においてひとつの有望な潮流となっている日常的実践論を参考にしつつ、集めた資料を民族誌にまとめる。具体的には民族の祭日、精霊信仰、葬送儀礼など、宗教的な実践の実態とそれに影を落としている国家の宗教観との関係を明らかにしたい。
活動内容
2005年度活動報告
今年度の目標は、前年度末までにある程度出来上がっていた博士論文を完成させ、その成果をできるだけ多くの研究会や学会などで発表すること、そして本研究の目標に照らして博士論文では不充分だった部分を補足しつつ、研究を完成させることであった。
まず、博士論文については「中国の国民形成と少数民族」という標題で9月に完成させ、九州大学大学院文学研究科に提出して9月22日付で博士号を取得した。この博士論文は来年度の出版を目指し、現在出版社(風響社)と交渉中である。学会発表としては、5月に「雲南省徳宏州における漢族文化の位相」をテーマに日本文化人類学会で、6月に「「ダイ族」としての徳宏タイ族」をテーマに東南アジア史学会で、9月には「中国における「原始宗教」の輪郭」をテーマに日本宗教学会で、研究会としては5月14日に博士論文の概略を宗教社会学の会で発表した。また、2006年2月には水かけ祭り関連の補足調査を実施し、同じく水かけ祭り比較研究のためタイ人によるタイ語論文講読翻訳および語学指導を受け、これらの成果を加味して論文「表象のなかの地域と民族――徳宏タイ族の水かけ祭り――」を執筆した。この論文は塚田誠之先生の共同研究「中国における民族表象のポリティクス」の成果として出版される本に掲載される予定であり、出版予定の書籍にも組み込む予定である。
これまでの研究により、中国における国民形成およびその延長としての文化政策の現状、そうした政策下にある少数民族の人々の日常生活、そして特に経済面におけるグローバルな影響などが明らかになり、それらの相関関係としての現実について包括的な報告が可能になった。もちろん現実は刻々と動いていくものであり、今後の継続的調査の必要性も感じているが、これらの成果を以って、本科研の研究課題は一応の完成をみたと考える。
2004年度活動報告
平成16年度の主な目標は、中国雲南省徳宏州においてこれまでに行なった調査の結果を総合的に分析し、国民形成過程における少数民族の生活や文化の変容について博士論文にまとめることであった。分析では、国民形成の過程における公的な言説の中で主に用いられた「風俗習慣」「迷信」「民族伝統文化」などの文化にまつわるカテゴリーの語彙が、徳宏タイ族というある少数民族の人々が行なうさまざまな文化的実践にどのような影を落としているのかを明らかにするという方法をとった。その結果分かってきたのは、そうしたカテゴリーの語彙の根底にある近代合理主義的な価値観を受け入れる人々もいる一方で、そうした価値観が主流となっていることを受け止めながらも、必ずしもそれにはそぐわない実践も産出され続けていることである。 しかもそうした実践は単に過去の実践方法を維持・保存するかたちで行なわれるのではなく、文化にまつわる公的なカテゴリーの矛盾や盲点、あるいはカテゴリーと現実との乖離を利用しながら現代的な意義を取り込んで刻々と再編されている。その再編は経済的社会的なグローバリゼーションの動向も視野に入れて行なわれており、中国という国家に対するあからさまな反抗の形こそとらないが、ある面で国家の国民化計画の思惑を超えているのである。
この成果については7月から12月にかけて各種研究会や学会で発表しながら徐々にまとめてゆき、年度末までに約26万字の博士論文の形にすることができた。細部に手を加えたのち、来年度のはじめには正式に提出する予定である。この他4月、10月、2月に現地調査を行い、3月末には国際宗教学会に参加して中国関係の研究者との交流を深めた。
2003年度活動報告
平成15年度の主な目標は、国民形成過程における中国での少数民族の暮らしや立場を理解する一つの手がかりとして、中国雲南省徳宏タイ族の「漢化」現象についての知見を深めることであった。中国語で「漢化」といえば、通常は多数派の漢族が持つ"進んだ"文化によって少数民族の"遅れた"文化が影響を受け、場合によっては少数民族が本来の生活習慣を失ってほとんど漢族同様の文化を身につけるようになることを意味する。
しかし研究によって明らかになったのは、中国語で「漢化」と言われていることは、少数民族である徳宏タイ族の側から見れば正確には「ゾアム・ヒェ(漢族といっしょにいること)」であり、文化の先進性や後進性といった観念よりもむしろ共存や協調性の問題に関わっているということである。漢族と徳宏タイ族の間に実際に構築されている関係性は必ずしも優劣関係に還元できないにもかかわらず、主に漢族や現地の研究者が安易に「漢化」という言葉を使うことで、少数民族の後進性と漢族の先進性を無意識のうちに前提してしまい、問題をさらに複雑にしてしまうという側面が徐々に見えてきた。
この成果については、4月に行なった現地調査をもとに考察し、5月の日本民族学会において発表し、それを日常的実践論の観点から分析する形で論文を書いた。この論文は平成16年4月に『社会人類学年報』に掲載される予定である。平成15年7月には中国の宗教政策についての報告を『九州人類学研究会会報』に発表し、8月には現地でしか見られない貴重な新聞資料の収集を行い、その整理と分析結果を平成16年1月に科研「中国における民族表象のポリティクス」研究会で発表した。また、11月にはアメリカの宗教学会と人類学会に参加し、アメリカでの中国及び宗教研究に関する知見を広げた。