国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

アメリカ・ユダヤ社会における「ユダヤ人国家」・「パレスチナ」(2004-2006)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|特別研究員奨励費 代表者 池田有日子

研究プロジェクト一覧

目的・内容

パレスチナにユダヤ人国家を建設することを目的としたシオニスト運動と実際に建設されたイスラエルは、その背景にあったヨーロッパにおける反ユダヤ主義と、イスラエル建設の結果引き起こされたパレスチナ問題という点に鑑み、近代における国民国家・ナショナリズムにまつわる人間の「他者」の創造と排除の論理・行動を明らかにするうえで、有効な対象である。このことを前提として、「アメリカ国民」「ユダヤ人」という複合的なアイデンティティーを有すアメリカ・ユダヤ人が、なぜユダヤ人国家/イスラエルを必要、支持・支援し、なぜパレスチナ・アラブ人を「他者」として不可視化、攻撃し、そのことによってパレスチナ和平を阻害するような行動をとることがあるのかということを解明することが、とりわけ現在の中東情勢とアメリカの対中東政策を理解するうえで急務の課題である。 また、逆に中東地域においていかに「アメリカ」が語られているのか、という視角・分析も必要である。本研究は、アメリカ社会・政治の内在的な論理、アメリカにおけるユダヤ人のアイデンティティー、社会的政治的位置の具体的な状態を明らかにしつつ、アメリカ・ユダヤ社会のなかで「ユダヤ人(であること)」、「パレスチナ(土地・人)」がいかに認識、表象され、アメリカ・ユダヤ人がいかなる政治行動を行っているのかを解明することを主軸にし、かつパレスチナ・中東地域においていかに「アメリカ」、「アメリカ・ユダヤ人」がいかに認識されているのかという点についても射程に入れて、「アメリカ・ユダヤ人」と「パレスチナ」の相互認識についても明らかにする。

活動内容

◆ 京都大学地域研究統合情報センターに転出

2005年度活動報告

アメリカ・ユダヤ人の、ユダヤ人国家やパレスチナに対する対応、関与のあり方について明らかにすることを目的とする本研究において、昨年度まではユダヤ人国家を支持、支援する「シオニスト」を中心に研究を行ってきたが、今年度はアメリカ・ユダヤ人の多様性に鑑み、非シオニストのユダヤ系団体の、シオニズム、ユダヤ人国家への対応を検討した。 これまで明らかになったことは、非シオニスト系、とりわけ同化程度の高いドイツ系ユダヤ人は「二重の忠誠」の嫌疑をかけられることを恐れ、当初はシオニスト運動に反対していたこと、しかし第一次大戦直後、さらにはドイツのナチス政権成立以降、同胞救済の願望とアメリカへのこれ以上のユダヤ移民の流入は回避したいというジレンマのなかで、パレスチナにユダヤ人国家を建設することに積極的な意義を見い出しシオニスト運動への協力、連携を試みるようになったということ、だった。この意味で、アメリカ・ユダヤ社会においてシオニスト運動が広範な支持を得るようになったのは、シオニズムのイデオロギーそのものへの共感ではなく、「ユダヤ難民」という具体的な問題への対処を通じてであったといえる。以上の成果を、以下の通りに報告を行った。
(1)北九州アメリカ史研究会(日時:2005年12月17日 午後2時-5時 会場:山口県立大学 国際文化学部会議室)
『19世紀末から1940年代初頭にいたるアメリカ・シオニスト運動の展開-アメリカ・ユダヤ人とユダヤ人国家-』
(2)近代思想史研究会(日時:2005年12月10日(土)午後2時30分~5時30分 場所:関西大学法学部第2合同研究室)
『アメリカ・ユダヤ人社会における「ユダヤ人国家」・「パレスチナ」―1897年から1942年に かけてのアメリカ・シオニスト運動者の論理・戦略を中心として―』

2004年度活動報告

本年度においては、関連文献・資料の収集を行い、19世紀末カラ1940年代にかけてのアメリカ・ユダヤ社会において、ユダヤ人国家・パレスチナがいかなる意味をもち、アメリカ・ユダヤ人がいかなる政治的態度・対応をとったのかということを検証した。とりわけ注目したのが、アメリカの法曹家でありのちに連邦最高裁判所の判事となり、かつアメリカ・シオニスト運動の組織的・理念的基盤を築いたルイス・ブランダイスであった。そして以下の問いを立てて検証した。
(1)なぜアメリカ社会に同化し社会的にも高い地位を獲得した人物が「シオニスト」となったのか。
(2)またパレスチナにおいて(パレスチナ・)アラブ人が多数を占めるという現実に対し、ユダヤ人国家の建設という目標と民主主義の原則との矛盾に対していかなる対応をとったのか。
現在のところの結論・仮説は、
(1)ブランダイスは19世紀末のアメリカ社会の激変のなかで、新たなアメリカの理想を構築するなかで、アメリカ国民の下位集団として「ユダヤ人」を立ち上げる必要を認識した。しかし、彼にとって「ユダヤ人」とは他者より規定される曖昧なものであって、集団としての「ユダヤ人」を構築するためには、「ユダヤ人国家」が不可欠であり、そのためアメリカ・ユダヤ人も「シオニスト」にならなければならない、と主張した。
(2)パレスチナのユダヤ人国家と民主主義の矛盾に対し、基本的には「民主主義の先延ばし」で対応しようとした。1936年に「アラブの大蜂起」が起こり、アメリカ・シオニスト運動内部でもパレスチナ・アラブ人を政治的主体として認めるべきという議論が一部に存在したにもかかわらず、ブランダイスはパレスチナ・アラブ人を政治的主体として認めないという立場を一貫してとった。これは彼の集団としてのユダヤ人を立ち上げるという「シオニズム」の目的の論理的帰結であった。
さらに、イスラエルのヘブライ語学校に1ヶ月ほど滞在し、ディアスポラ・ユダヤ人のイスラエルへの政治的態度を調査した。