南アジア地域における消費社会化と都市空間の変容に関する文化人類学的研究(2006-2009)
目的・内容
1990年代以降急速な経済成長が続くインドでは特に都市社会の変貌が著しい。具体的にそれは都市中間層の急拡大、地方都市にまで及ぶ消費社会化、いびつな形で進む既存街区の再開発等の現象となって現れ、様々な社会問題(社会不安による異宗教徒間の暴力的紛争、住環境の悪化やスラムの拡張、新興富裕層の成長と裏腹の貧富の差の拡大等)を引き起こしている。本研究課題では、インドの都市社会の急速な変貌という背景を踏まえ、現代インド都市に生起する問題を解決する方途を文化人類学的視点から探ることを大きな目標とする。しかし、インドの都市の人類学的研究は農村やカーストの研究に比べて大きく立ち遅れ、都市の文化的社会的基層構造すら明確にはなっていない。そこで本研究課題は、上記の現代的問題を念頭に置きつつ、南アジア全域に眼を広げ文明史的かつ学際的な観点から南アジア的都市の特性とその文化的社会的な基層構造を明らかにすることをもう一つの目標とする。
活動内容
2009年度活動報告
計画最終年度にあたる今年度は、昨年度までの現地調査によって得られたデータを研究代表者以下、研究分担者、11名の連携研究者、6名の研究協力者各自が整理・検討し、先行研究に照らしながら、成果の取りまとめを行った。また、研究代表者の三尾は、インド・ラージャスターン州に2度赴き、のべ4週間にわたって補充的な現地調査を行った。調査成果の全体としての取りまとめには、並行して進めてきた国立民族学博物館共同研究「南アジアにおける都市の人類学的研究」を活用し、このプロジェクトでの研究会の場での討論を通じて、各自の到達点をより深化させた。各自のデータ整理と相互の討論の成果を、年度末に本研究の成果報告書『南アジア地域における消費社会化と都市空間の変容に関する文化人類学的研究』として出版した。ここには総計14本のオリジナル論文が収録されている。また本研究のメンバーは個々に調査成果を活発に公開している。発表された成果の内容は多岐にわたるが、その要点は下記の4点にまとめられる。即ち(1)南アジアの都市性は住民構成のヘテロ性や経済交換システムの中心性というよりは、宗教的な中心性を重要な契機として成立している。(2)歴史的なイスラーム世界の影響の深浅によって、南アジアの南部と北部で都市の基層構造に大きな差異がみられる。(3)これらの南アジアの都市の特性は、近年のグローバルな人・モノ・情報の環流の中で姿を消しつつあり、それと並行してローカリティが失われる傾向がみられる。(4)これに対抗するようなローカリティの再構築の動きが顕著となっているが、その際の重要な根拠がまた住民の宗教的実践に求められる傾向がある。研究成果は今後さらに上記の共同研究プロジェクトに基づく国際シンポジウムや英文出版等によって国際的に公開してゆく予定である。
2008年度活動報告
研究代表、研究分担者に11名の連携研究者、6名の研究協力者を加え、南アジアの都市の地域的変異と共通性をもたらす要因を共通テーマとして現地調査を続けた。地域的変異の生成には都市成立時の権力との関わり、および当該地域においてドミナントな宗教という2つの要素が大きく働いている。これらは各都市の旧市街におけるローカリティのあり方に今も大きく影響している。一方、都市郊外では、近代的な都市計画の介入によって地域的特性が見られなくなっており、その生活経験においては、伝統と近代性との葛藤が顕著に見られる。これが南アジアの都市における暴力とナショナリズムの基盤と考えられる。本研究プロジェクトの参加者の現地調査の継続によって、これらの知見がより実証的に把握できた。一方、今年度は、消費社会化や人のグローバルな移動が南アジアの都市生活に及ぼす影響に関しても研究が進展した。三尾が中心となって進めた刺繍工芸の生産技術と商品化の変遷の研究からは、グローバルな商品流通が南アジアの都市や村落の暮らしを根底から変えつつあることが実証的に捉えられた。在外インド人のネットワークの拡大と活動の活発化は、インド本国の都市の消費生活、都市計画にも大きなインパクトを与えている。杉本は、ファッションや映画などのインド発のポピュラーカルチャーの流行がインド人のグローバルネットワークに支えられることを明らかにした。三尾と杉本両名が講師となった国立民族学博物館学術講演会『激動するインド世界-人びとの暮らしから読みとく』(平成21年3月19日毎日新聞オーバルホールにて開催)においても本科研の研究によって得られた知見の一端が公開された。
2007年度活動報告
研究代表、研究分担者12名に、6名の研究協力者を加え、共通の課題として「都市の基層構造の地域性」、「より広域的な社会空間における都市の意味」、「現代南アジアにおける都市の変容をもたらす要因とその影響」を設定しつつ、各自がそれぞれのフィールドで調査を行った。今年度の研究によって明らかとなってきた論点は以下の通りである。
1.基層構造において南アジアの諸都市の差異を決定づける要因としては、都市の形成プロセスにおける権力(王権か近代権力か。また王権ならばヒンドゥーかイスラームか)との関わり、及び都市と宗教との関わりのあり方(当該都市におけるドミナントな宗教、中心となる宗教施設)が上げられる。これが南アジア北部と南部といった地域性とあいまって、南アジアの都市の多様性を作り出している。
2.都市のより広域的な地域との連関を作り出してきた要因が次第に明らかとなっている。主な要因は、王権、カーストや職人のネットワーク、宗教施設のネットワークなどである。
3.都市内部のローカリティを形成する要因についての研究も進展した。ここでも宗教施設が重要な役割を果たしており、街区の宗教人口構成の差異が街区の様相の差異をも決定づけることが実証された。またローカリティの変容プロセスを、近代以降の文書や地図資料と現代のフィールド調査を突き合わせながら実証的に探究する研究もムンバイやヴァーラーナシーなどいくつかの都市で進められた。
4.現代都市のローカリティの変容をもたらす要因としては、移住(国内での移動、国外への移民の帰国)、経済格差と学区編成、住民運動(環境問題等)などが注目され、これらが住民の意識や行動、都市空間のあり方に及ぼす影響について実証的な調査が進められた。
2006年度活動報告
研究初年度の今年度は、7月に民族学博物館に研究分担者や研究協力者のほぼ全員が集合して研究打合せの機会をもち、今後の研究課題に関するディスカッションを通して、問題意識を共有した。
その後、7月末以降年度末にかけて、分担者と協力者は各々のフィールドに赴き、それぞれ今後の本格的な調査に向けた予備調査を実施した。調査地と調査時期は以下の通りである。まず、研究代表の三尾は7月末から8月にかけてインド・ラージャスターン州ウダイプルで調査を行った。研究分担者の中では、高田が8月にバングラデシュのダッカ、森本が8月から9月初旬にネパールのカトゥマンドゥ、小牧が年末にスリランカのキャンディ、3月にインドのハイデラーバード、外川が年末年始にインドのコルカタとバングラデシュのダッカ、杉本が2月にスリランカのコロンボとインドのチェンナイ、押川が3月にデリーでそれぞれ調査を行った。また研究協力者として、小磯千尋(東海大学兼任講師)が8月末から9月にインドのムンバイ、中谷哲弥(奈良県立大学助教授)が9月にコルカタ、年末年始にデリー、池亀彩(エジンバラ大学大学院生)が10月から11月にデリー、2月にインドのマイソールとバンガロール、中谷純江(大阪外国語大学兼任講師)が年末年始にデリー、松尾瑞穂(総合研究大学院大学院生)がインドのムンバイとプーネで調査を行った。
研究分担者のうち、海外調査を実施しなかった井坂と太田、八木は国内で文献調査を行い、過去の先行研究のレビューを行った。また研究代表を含む研究分担者の大半が、これまでの調査研究に基づき、今年度の調査成果も加えた形でそれぞれの研究成果を論文等に発表している。
それぞれの調査地での実情はもちろん多様性に富むが、今年度の調査を通じて明らかになってきたことは(1)南アジアの北部と南部とで都市の基層構造に大きな差異が認められ、これにはイスラーム勢力の支配のあり方が大きく影響していそうだという見通しが得られた。(2)その一方で、90年代以降の都市景観の変容には一様性が見られ、特に郊外と呼べる部分での基層構造や生活様式には類似性が見られることなどである。来年度以降は、南アジア地域内での都市の基層構造の地方性やその成立過程に関するさらなる分析の一方、現代の都市空間の変容を考える上で「郊外」がインドの都市住民にとってどのような意味を持つのかという点に焦点を置きつつ比較研究を続けることが当面の目標となる。また近年南アジアでも比較的入手が容易となってきた都市の精細な地図データをベースとした調査情報の整理と公開に関しても、他地域、あるいは他分野の研究成果との情報共有ということを念頭において、予備的な研究を行ってゆきたい。