権力の生成と変容から見たアンデス文明史の再構築(2011-2015)
目的・内容
本研究の目的は、50年以上続く日本のアンデス文明研究の成果を踏襲しながらも、権力という新たな分析視点と分野横断的な手法をミクロ・レベルの考古学調査に導入し、文明初期における複雑社会(complex society)の成立過程(メソ・レベル)を追究するばかりでなく、人類史における文明形成というマクロな課題に取り組むことにある。従来のアンデス文明論は、文明の最終段階であるインカ帝国の研究、しかも古文書研究より復元した国家像を過去に適用するという単純な視点で語られることが多く、また長年にわたる日本の調査においても主眼は詳細なデータ提示にあった。
本研究では、膨大に蓄積された日本の研究を再解釈するとともに、新たにデータを充実させ、文明論を再構築することをめざす。具体的には、アンデス文明のなかでも、文明初期にあたる形成期(前3000年~紀元前後)に焦点を合わせ、ペルー北高地に位置するパコパンパ祭祀遺跡を調査し、遺構、出土遺物の分析を、考古学のみならず、自然科学を含む分野横断的体制の下で進める(ミクロ・レベル)。
その際、権力生成の特徴として捉えるため、経済、軍事、イデオロギーという権力資源間の関係性に注目する。さらに、同時期の他の祭祀遺跡のデータと比較することで文明初期の多様な社会状況を把握する(メソ・レベル)。ここから得られた文明形成論を、中米および旧大陸の文明形成過程と比較し、相対化する作業も併せて行う(マクロ・レベル)。
活動内容
2015年度実施計画
今年度は最終年度であり、研究の総括を目指す。
1.現地調査 6月~11月に実施。以下のようなミクロ・レベルにあたる作業となる。
(1)パコパンパ遺跡における権力生成過程の抽出:ペルー北高地最大の祭祀遺跡パコパンパにおいて蓄積されたデータの解析、周辺の関連遺跡を含む補足的発掘を行い、祭祀センター間のリーダーの権力生成過程を比較検討する。研究代表者・分担者、連携研究者の他、研究協力者5名が参加する。
(2)ペルー北部の形成期諸遺跡との比較による権力生成過程の研究:北部ペルー地域においてパコパンパと同時代にあたる祭祀遺跡を選定し、発掘データの解析を行う。また、これまでに日本調査団が発掘調査を実施した遺跡についても、パコパンパのデータと比較し、文明初期の北部ペルーにおける権力生成の様態、相互関係を追究する。研究協力者2名が担当。
(3)ペルー北部形成期遺跡のデータベース作成:昨年完成させたパコパンパ遺跡のGISデータベースをWeb上で公開し、さらに昨年より構築を開始した3次元土器データベースと連携させる。分担者1名、研究協力者1名が担当する。
2.シンポジウム・ワークショップ(メソ・レベル)
(1)平成27年7月に、エル・サルバドルにおいて開催される第回国際アメリカニスト会議において、これまで連携してきたイェール大学およびバルセロナ自治大学と組んで、国際シンポジウムを組織する。研究代表者・分担者および研究協力者7名が担当。
(2)平成28年1月に、科研に関連したすべての国内メンバーによる総括フォーラムを公開で開催する。
(3)成果報告:パコパンパ遺跡調査(ミクロ・レベル)に関する最終報告書を欧文・日本語で出版するべく、原稿をとりまとめる。これまでに実施してきた国際会議(メソ・レベル)をまとめた出版物を国内外の機関を通じて欧文で出版する。アンデス以外の文明との比較作業(マクロ・レベル)については、日本語で出版を行う。
(4)研究連絡調整:平成27年2月~3月に南米、ヨーロッパを訪問し、研究情報を入手する。
2014年度活動報告
アンデス文明における権力の変容をさぐるため、文明初期にあたる形成期(前3000年~紀元前後)の祭祀遺跡パコパンパ(ペルー北高地)を約3ヶ月にわたって調査し、遺構、出土遺物の分析を行い基礎資料の収集に努めた。とくに半地下式パティオにおいて、大量の土器が何度かにわたって放棄された跡が確認され、デンプン粒分析の結果、トウモロコシ、ジャガイモ、マニオクが検出された。考古学的に検出されることが希な儀礼的饗宴の痕跡と思われ、土器の器形分析と併せて発表を準備している。さらに人骨の分析から、暴力を示す骨折や陥没痕なども発見され、戦争の証拠がないところから、儀礼の痕跡と同定した。昨年度の懸案であったラクダ科動物の利用については、ストロンチウム同位体比、酸素同位体比を測定し、遺跡周辺での飼育と共に、他地域からの移動を示す証拠が発見され、祭祀空間における肉や骨の消費ばかりでなく、駄獣としての役割が示唆された。
一般調査については範囲をさらに広げ、パコパンパ遺跡から山間部(北)、熱帯低地(東)、そして海岸部(西)へと通じる地域間交流ルートを把握し、学会で公表し論文を出版した。また考古学資料をGISデータベースで統合する作業完成させ、新たに土器の3次元画像データベースの作成を開始した。さらに、同じペルー北高地に位置するクントゥル・ワシ遺跡、ヘケテペケ谷中流域、中央海岸北部のネペーニャ谷下流域でも調査と遺物分析を展開し、文明初期の多様な社会状況の把握に努めた。これらの成果は、学術誌で公表するとともに、2014年8月にペルーで、2014年11月と2015年2月に日本で開催した国際シンポジウムで発表し高い評価を得た。また2015年1月に東京でエジプト文明との比較を主題とする公開フォーラムを実施したほか、昨年開催した西アジア文明との比較シンポジウムの成果を出版する作業を行った。2015年刊行の予定である。
2013年度活動報告
アンデス文明における権力の変容をさぐるため、文明初期にあたる形成期(前3000年~紀元前後)の祭祀遺跡パコパンパ(ペルー北高地)を約3ヶ月にわたって調査し、遺構、出土遺物の分析を行い、基礎資料の収集に努めた。経済面からのアプローチとして、同遺跡で出土した人骨を用いた炭素・窒素同位体比分析を行った。その結果、貴重な副葬品を伴う墓の被葬者ほどトウモロコシの摂取が少ないことがわかり、食糧や儀礼用の酒の材料として重要なトウモロコシの導入が、社会のリーダーによって推進されたわけではない点が明らかになった。この成果は現在、国際ジャーナルに投稿中である。また、出土した獣骨の歯のエナメル質のサンプリングとストロンチウム同位体分析を行い、ラクダ科動物の移動性を探ったが、分析結果に多様性が見られたため、慎重を期してサンプル数を増やすことにした。金製品の分析では、墓ごとに副葬品の金の相対比率に違いが存在し、それがエリートの序列を示唆する点を論文として公表した。
一般調査については、2013年8~9月に実施し、計120の遺跡を同定した。形成期における遺跡の分布が人間の移動ルート沿いに集中することがわかり、学会で公表し、論文を推敲中である。また考古学資料をGISデータベースで統合する作業を進め、ほぼ完成した。さらに、同じペルー北高地に位置するクントゥル・ワシ遺跡をはじめ、ヘケテペケ谷中流域、中央海岸北部のネペーニャ谷下流域でも調査を展開し、文明初期の多様な社会状況の把握に努めた。これらの成果は、学術誌で公表するとともに、2013年8月にペルーで開催された国際シンポジウム、そして2013年11月、2014年2月に日本で開催した国際シンポジウムで発表し高い評価を得た。また2013年1月に東京で、西アジア文明との比較を主題とするワークショップ、公開フォーラムを実施し、本プロジェクトの視点が他地域の文明形成を考察する上でも参考になることが確認された。
2012年度活動報告
アンデス文明初期における権力の変容をさぐるため、形成期(前3000年~紀元前後)の祭祀遺跡パコパンパ(ペルー北高地)を3ヶ月にわたって調査し、遺構、出土遺物の分析を行い基礎資料の収集に努めた。とくに、金製リングや銀製の針を副葬した墓を発見した点は秀逸であった。これまで金製品を伴う埋葬は、同遺跡後期(前800-500年)の初頭、しかも建築完成前の脈絡でしか確認されておらず、この発見により完成後にも社会的差異が存在していたことがわかった。人骨と獣骨の食性解析からは、同遺跡後期に導入されたトウモロコシが豊かな副葬品を持つ墓の被葬者よりも簡素な墓の被葬者の方でより多く消費されていた可能性が示された。新種の食糧・飲料が社会的地位の高い人間のイニシアティブで導入されたとは限らないことになる。また動物の移動性を探るべくシカとラクダ科動物の歯を用いたストロンチウム分析を行った結果、ラクダ科動物の生育環境がシカと比べて一定であることが判明した。飼育場所を特定するデータではないが、トウモロコシを摂取した個体が多いことから、遺跡周辺での飼育が想定される。
この他、考古学GISデータベースの作成を進めた。さらに、同じペルー北高地に位置するクントゥル・ワシ遺跡、ヘケテペケ谷中流域でも調査を展開し、文明初期の多様な社会状況の把握に努めた。これらのデータの統合を図るべく2013年3月に山形大学でワークショップを開催し、また成果の一部は、内外の学術誌、出版物で公表するとともに、2012年7月にウィーンで開催された国際アメリカニスト会議においてシンポジウムを組織し討議した。さらに2013年1月にはマヤ文明研究者を招聘し、経済面での比較を主とするシンポジウム(東京)、また同年2月には米国、ペルーの研究者を招聘し、アンデス文明国家形成時代のシンポジウムを開催し、比較というマクロレベルの研究を実施し高い評価を得た。
2011年度活動報告
アンデス文明における権力の変容をさぐるため、文明初期にあたる形成期(前3000年~紀元前後)の祭祀遺跡パコパンパ(ペルー北高地)を3ヶ月にわたって調査し、遺構、出土遺物の分析を行い、基礎資料の収集に努めた。とくに経済面からのアプローチとして、同遺跡で出土量が際立つ銅製品について、銅の二次鉱物の産地を同定するとともに、日本においてその鉱物試料を用いた実験考古学的考察を行い、生産過程の復元を試みた。その結果、かなり高い金属製作技術を有していたことが判明した。この点は、金属製品の蛍光X線分析の結果とも一致する。すなわち、金製副葬品の場合、被葬者ごとに意図的に純度を変え、また部位に応じて金と銀の含有量を調整していたことがわかった。権力基盤に金属器生産があった可能性が推測され、この結果は、国内外の学会で発表された。人骨と獣骨の食性解析からは、同遺跡における後期(前800-500年)にトウモロコシが導入され、しかも人間以上にラクダ科動物が多く摂取していたことが判明した。当時の動物飼育についてさまざまな可能性を提示する斬新なデータと言える。2011年度積み残した一般調査については、繰り越した予算により、2012年8~9月に実施した。また考古学資料を主としたGISデータベースの作成に着手した。さらに、同じペルー北高地に位置するクントゥル・ワシ遺跡、ヘケテペケ谷中流域、ワンカバンバ川中流域でも調査を展開し、文明初期の多様な社会状況の把握に努めた。これらのデータの統合は将来的課題として残るが、成果は、一部の学術誌、出版物で公表するとともに、2011年8、9、10月、2012年2月にペルーで開催された国際シンポジウムで発表し、高い評価を得た。また2012年3月に東亜大学(下関市)でワークショップを行い、国内の学界にも公表した。