国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

おわりに


「日本料理」と言って、まず我々は何を想像するだろうか。寿司、てんぷら、すき焼き、それら従来の「伝統文化」的に語られる姿を脱し、現在、日本料理は、世界中で、さまざまなバリエーションと豊かさをもって受け入れられている。その豊かさは、時に日本の我々にはおかしく思えるものを含んでいる。豊かさの貢献者もまた、「本場」日本料理を知らない日本食プレゼンテイターや愛好者たちである場合が多い。各地の食文化と調和しながら、新たな日本食が生まれている。興味深く見えてきたのは、各地で多くの日本料理が、韓国の人々の手によって紹介されていることだ。さらに、アメリカ経由の日本料理進出路線も存在する。カレーがヨーロッパを経て日本に到着したように、日本料理も他国を経由して姿を七変化させるのだろうか。また一方で、世界を放浪するバックパッカーが、現地で調達可能な食材を用いて、自ら「変な日本料理」を創作し、紹介している。それがそのまま「日本料理」と認識されて、現地の人々によって引き継がれる。
一方で、これだけ多くの各国の「エスニック料理」が氾濫している日本は、食に対して寛容なように見えるが、実際のところ、バラエティ豊かな「エスニック料理」も、日本食に慣れた我々好みの味と種類に偏っている。これだけ多くの中華料理が存在していても、それは中国料理の極一部を示しているに過ぎず、インド亜大陸のバラエティ豊かなカレーも、日本風インドカレーに集約される。我々が各フィールドでの日本料理を滑稽に思うのと同じように、日本に住む外国人たちは、「あんなの○○料理じゃない」と異議を唱えているかもしれない。いや、きっと我々と同じように、そこに自国の様変わりを楽しみ、「結構いけるぞ」と新発見していることだろう。
民博に通う総研大院生たちが、「世界を食べる日本、日本を食べる世界」の企画に取り組み始めてから2年の年月が経過した。その間、多くの院生たちが、それぞれの研究調査地と日本を行き来するなかで、調査の合間をぬって現地の日本料理を取材してきた。各地の日本料理事情を共有するのは非常に興味深い時であった。また、皆で大阪周辺にある「エスニック料理」のレストランを訪れては、フィールドの本場の味との違いにうんちくをたれながらも、美味しい思いを共有してきた。今回、その蓄積がこのようにひとつの形を成すに至ったことはうれしい限りである。
しかし、調べていけばいくほどに、このテーマの深さに気づき、もっと追求したいという欲求に駆られた。読者の興味もまだ十分には満たされていないことだろう。また、日本でのエスニック料理の情報が大阪界隈に限定されたことも今後の課題として残る。文化の流通や消費の問題も踏まえて、今後の発展を検討したい。
この企画は、島村氏の発想がなければ存在しなかったものである。また、それをまとめるにあたって、総合研究大学院大学文化科学研究科「魅力ある大学院教育」イニシアティブ、総合日本文化研究実践教育事業の一環としてサポートを得た。さらに、事業として承認を受けてから成果発表に到るまでの短く制限の多い過程を、全力で支え、その実現に協力してくださった株式会社テクネの深沢氏はじめスタッフの皆さんにも心から感謝の意を表したい。
2006年3月20日
南出 和余(総合研究大学院大学 文化科学研究科 比較文化学専攻 院生)
佐藤 吉文(総合研究大学院大学 文化科学研究科 比較文化学専攻 院生)
小谷 幸子(総合研究大学院大学 文化科学研究科 比較文化学専攻 院生)