触文化に関する人類学的研究――博物館を活用した“手学問”理論の構築
キーワード
触文化、手学問、ユニバーサル・ミュージアム
目的
本共同研究は、2009~11年度に実施した科学研究費プロジェクト「誰もが楽しめる博物館を創造する実践的研究-視覚障害者を対象とする体験型展示の試み」を発展的に継承し、人類学的視点から「触文化」(さわらなければわからない事実、さわって知る物の特徴)について考察することを目的としている。上記科研プロジェクトの成果としてまとめられた広瀬編『さわって楽しむ博物館-ユニバーサル・ミュージアムの可能性』(青弓社、2012年5月)は、「ユニバーサル・ミュージアム=誰もが楽しめる博物館」の入門書、実践事例集と位置づけることができる。この本の内容を敷衍する形でユニバーサル・ミュージアム、さらには21世紀の多文化共生社会の具体像を指し示すための理論構築を試みるのが本研究の狙いといえよう。これまでの人類学においては、視覚(映像)・聴覚(音響)などに比較して、触覚に注目する研究は少なかった。本研究では、博物館展示を活用した“手学問”理論を切り口として、「触文化」にアプローチする。
研究成果
本共同研究の成果として、廣瀬の3冊の著作を挙げることができる。①編著『世界をさわる』(14年9月)、②共編著『知のバリアフリー』(14年12月)、③単著『身体でみる異文化』(15年3月)。これら3冊は、いずれも共同研究の議論を総括したものではなく、その成果を部分的に取り入れたものである。したがって、位置づけとしては間接的な成果報告書となる。とはいえ、3著作の執筆、編集に際して、廣瀬が共同研究で得た知見を応用し、「触文化に関する人類学的研究」の内容を参考としたことは間違いない。また、3著作の中で研究会メンバーの有志が分担執筆、編集上の助言を行なったことも明記しておく。
①はサイエンス、アート、コミュニケーションという三つの切り口から“さわる”ことを分析した学際的かつ本格的な触文化論である。「“さわる”とは何か」は共同研究会で繰り返し検討した根源的な問いであり、その結果をも踏まえ、廣瀬は「観光のユニバーサルデザイン」などについて試論を展開している。
②は2013年6月に京都大学で実施した「バリアフリーシンポジウム」の報告書である。本シンポジウムの企画に当たって、共同研究メンバーから多大なる支援をいただいた。2年半の共同研究では「ユニバーサル・ミュージアムの理論を他分野に応用すること」を主題としてきた。活動の前半では、高等教育のバリアフリーについて、集中的に情報収集した(2013年3月の研究会など)。この延長線上に京大のシンポジウムがあるといえる。
③は2013年8月~14年3月に廣瀬が実施した在外研究の報告書である。廣瀬の不在中、共同研究会は開催できなかったが、逆にこの8か月間、各メンバーがそれぞれのフィールドで思索と実験を重ねたことが、最終年度の研究会の充実につながったのは確かだろう。在米時、研究会MLでの活発な意見交換が、本書を執筆する廣瀬の原動力となった。本書の刊行により、「触文化から身体論へ」という新たなテーマ、次回の共同研究に続く大きな課題をメンバーと共有することができた。
2014年度
今年度は共同研究の最終年度に当たるので、これまでの研究の総括を目的として、3回の研究会を開催する。本研究会のメインテーマは「ユニバーサル・ミュージアム理論の深化と応用」である。5月、11月の研究会では「応用」に主眼を置き、2月の研究会では「深化」を中心に議論を進めたい。5月、11月の研究会には関連分野の研究者・実践者を特別講師として招聘する予定である。
5月は「観光のユニバーサルデザイン化」、11月は「海外、および国内におけるユニバーサル・ミュージアムの最新動向」、2月は「ユニバーサル・ミュージアム理論の今後の展望」を主題とする共同研究会を行う。各回の研究会では"触文化""手学問"をキーワードとする個別の研究発表、事例報告を積み重ねる。来年度には本共同研究の成果に基づく国際シンポジウムを企画・実施するので、そのための土台作りを意識しつつ、最終年度の課題に取り組みたい。
【館外研究員】 | 石塚裕子、及川昭文、大石徹、大髙幸、小山修三、五月女賢司、鈴木康二、原礼子、藤村俊、堀江典子、真下弥生、増子正、宮本ルリ子、山本清龍 |
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研究会
- 2014年7月6日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 第3セミナー室)
- さかいひろこ(イラストレーター、漫画家)「「縄文文化にさわる」ワークショップの実践事例報告1」(仮題)
- 堀江武史(修復家、府中工房主宰)「「縄文文化にさわる」ワークショップの実践事例報告2」(仮題)
- 寺岡茂樹(中世日本研究所女性仏教文化史研究センター研究員)「「疱瘡絵にさわる」展覧会の実践事例報告」(仮題)
- 2014年11月30日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
- 安芸早穂子(イラストレーター、歴史復元画家)「『アート&アーケオロジー』の可能性1―レプリカの制作と活用」
- 村野正景(京都文化博物館)「『アート&アーケオロジー』の可能性2―考古展示のユニバーサル化の模索」
- 堀江典子(佛教大学)「公園のユニバーサルデザイン―その現状と課題」
- 半田こづえ(明治学院大学)「視覚障害者の美術鑑賞1―彫刻作品の触察」
- 真下弥生(ルーテル学院大学)「視覚障害者の美術鑑賞2―絵画作品へのアプローチ」
- 総合討論
- 2015年3月1日(日)10:00~16:45(国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館)
- 鈴木康二「ワークショップの可能性――レプリカのその後」
- 藤村俊「身体を刺激する場としての博物館」
- 宮本ルリ子「『つちっこ!プログラム』(普及事業)の触る展示とワークショップ事例報告」
- 五月女賢司「宇治の世界遺産・触って散歩ツアーについての考察」
- 山本清龍「大阪空堀のまちあるき体験の評価――ユニバーサルな楽しみ方の提案に向けて」
- 大石徹「触常者も見常者も満喫できる娯楽施設――マーダーロッジの事例」
- 広瀬浩二郎「共同研究の回顧と展望――総合討論」
研究成果
共同研究の最終年度である今年度は、3回の研究会を実施した。全体として、「さわる」「視覚障害」をキーワードとする多様な実践報告が積み上げられ、本プロジェクトが掲げる「博物館を活用した“手学問”理論の構築」という目標を達成できた手応えを感じている。初回研究会(7月6日)では考古学、現代アート、近世風俗史などの分野で触察系のワークショップを展開しているゲスト講師の発表を元に、ユニバーサル・ミュージアムにおける「さわる展示」の重要性を確認した。第2回研究会(11月30日)では視覚障害者の美術鑑賞を中心に、多様な角度から触文化の意義を探った。第3回研究会(3月1日)では2年半の活動の総括を意識し、共同研究員が自己の研究の現状と課題を報告した。個々のメンバーが最終回となる研究会において、来年度以降の新たな共同研究に向かう展望を共有できたことは有意義である。
2013年度
今年度は7月、11月、3月の3回の研究会を予定している。これまでに研究会メンバーが実践してきた博物館における「さわる展示」の成果を他分野に応用するのが今年度の大きな課題である。まず7月の研究会では「観光・まちづくりのユニバーサル・デザイン」をテーマとし、数名の特別講師も交えて議論を深める。昨今、「五感を活かした観光」「人に優しいまちづくり」などが一種の流行となっているが、それらの多くは個人レベルの取り組み、試行錯誤の段階にとどまっており、理論的裏付けが乏しい。「触文化」という発想を導入すれば、「観光・まちづくりのユニバーサル・デザイン」を具体化する新境地を開拓できるのではないかと期待している。11月は「高等教育のユニバーサル・デザイン」、3月は「美術館・科学館などの『さわる展示』展開の可能性」を主題として研究会を開催したい。
【館外研究員】 | 石塚裕子、及川昭文、大石徹、大髙幸、小山修三、五月女賢司、鈴木康二、原礼子、藤村俊、堀江典子、真下弥生、増子正、宮本ルリ子、山本清龍 |
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研究会
- 2013年7月7日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 第3セミナー室)
- 三間茂、岸田春ニ(宇治観光ボランテイアガイドクラブ)「観光・まちづくりのユニバーサルデザイン化―宇治を事例として」
- 山根秀宣(山根エンタープライズ株式会社)「大阪の水辺再生プロジェクトとユニバーサルデザイン」
- 美濃伸之(兵庫県立大学淡路景観園芸学校)「緑地・公園のユニバーサルデザイン―肢体不自由者の立場から」
- 小林俊樹(箱根彫刻の森美術館)「観光地箱根における教育普及活動―彫刻の森美術館での実践事例について」
- 篠原聰(東海大学)「観光型ミュージアムと大学との連携―キュレーターの"たまご"プロジェクトの実践に関する事例研究」
- 石塚裕子(大阪大学)「観光・まちづくりのユニバーサルデザイン化に向けて」(コメント1)
- 山本清龍(岩手大学)「観光・まちづくりのユニバーサルデザイン化に向けて」(コメント2)
研究成果
今年度は、研究代表者である廣瀬が2013年8月から2014年3月まで在外研究(シカゴ)に出たため、共同研究会を1度しか開くことができなかった。昨年度以来、本共同研究では、「ユニバーサル・ミュージアム理論の他分野への応用」を主題としている。今年度の最初で最後の研究会(2013年7月7日)では「観光のユニバーサルデザイン」をテーマとして、特別講師を交え議論した。
午前中は宇治観光ボランティアガイドクラブの福祉部会から講師を招き、五感を活用した観光プランの立案、障害者(とくに視覚障害者)の受け入れ状況などについて、具体的な取り組みを紹介していただいた。午後は公園のユニバーサルデザイン、障害当事者の意見を採り入れた「まちづくり」「まちあるき」の提案、観光型ミュージアムと大学の連携によるワークショップ企画など、多彩な事例報告が続いた。今回の研究会の議論を通じて、「さわる展示」の実践的研究で培ったユニバーサル・ミュージアムの理念が、博物館のみならず、観光分野にも応用できることが明らかとなった。
今年度後半は研究会の開催はなかったが、「個々のメンバーがそれぞれのスタンスでユニバーサル・ミュージアムの具体化に向けて何らかの活動に取り組むこと」を共通課題とし、メーリングリストでの情報交換を継続した。各メンバーの試行錯誤の成果は、来年度の研究会で随時発表される予定である。
2012年度
今年度は2回の研究会開催を予定している。初回(2012年11月、於民博)では、メンバーからの活動報告を元に、「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)の理論を整理する。まずは個々のメンバーが本共同研究の目標と方針を確認し、「触文化」の意義を共有することが初回の重要テーマである。
第2回研究会(2013年3月、於国際基督教大学博物館)では、ミュージアムにおける触覚展示の具体例を集め、その効果と問題点を議論する。毎回の研究会では単なる研究発表のみでなく、ワークショップ的な要素も加味した実践を重視していきたい。
【館外研究員】 | 石塚裕子、及川昭文、大石徹、大髙幸、小山修三、五月女賢司、鈴木康二、原礼子、藤村俊、堀江典子、真下弥生、増子正、宮本ルリ子、山本清龍 |
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研究会
- 2012年11月11日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
- 広瀬浩二郎(国立民族学博物館)「共同研究の趣旨と目標」
- 石塚裕子(大阪大学)「触る街並み観光の効果に関する基礎的研究」
- 大石徹(芦屋大学)「都市のモニュメント調査から」
- 堀江典子(公園管理運営研究所)「公園の博物館的機能とユニバーサルデザイン」
- 山本清龍(岩手大学)「野外レクリエーションの質を問う」
- 2013年3月2日(土)13:00~17:00(国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館)
- 原礼子(国際基督教大学)「湯浅八郎と民芸品コレクション」
- 堀江武史(特別講師)「文化財の修復と複製―府中工房の活動から」
- 2013年3月3日(日)10:00~17:00(国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館)
- 尾関育三(特別講師)「視覚障害者の大学進学―過去・現在・未来」
ファシリテーター 広瀬浩二郎(国立民族学博物館) - 事例研究「高等教育のユニバーサル化を考える―ICUの事例を中心に」
コーディネーター 真下弥生(ルーテル神学大学) - 半田こづえ(特別講師)「体験発表Ⅰ 1970年代の状況」
- 高橋玲子(特別講師)「体験発表Ⅱ 1980~1990年代の状況」
- 安原理恵(特別講師)「体験発表Ⅲ 1990~2000年代の状況」
- 討論・質疑応答
- 増子正(青森県立盲学校)「総括 インクルーシブ教育の未来を展望する」
研究成果
本共同研究は、「(1)ユニバーサル・ミュージアムの普及をめざして-"手学問"の確立」「(2)博物館から社会へ-"手学問"の展開」の二つを課題としている。まず今年度の第1回研究会ではメンバーの自己紹介(研究テーマの確認)をメインとし、主に(1)の課題について議論した。「視覚障害者の美術鑑賞」に関して活発な意見交換がなされ、「さわる絵画=二次元表現の三次元への翻案」の研究の必要性(可能性と問題点)が確認できた。
第2回の研究会では(2)の課題を意識し、「高等教育のユニバーサルデザイン化」に関する体験発表を元に討論した。障害学生支援という福祉的な文脈でなく、視覚障害者の触覚活用術(手学問)を積極的に教育現場に導入してみよう。触文化理論は大学教育を活性化する潜在力を持っているはずだ、というのが研究会を企画した意図である。研究会のディスカッションを通じて、情報技術の進展により視覚障害学生の学習環境が飛躍的に改善されたこと、その一方で学生と大学の教職員、ボランティアの関わりが希薄化していること、個々の学生のニーズへの対応が難しくなっていることなどが浮き彫りとなった。触文化論から高等教育を問い直す試みは、来年度以降も継続する予定である。