国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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2011年10月29日(土)
《機関研究成果公開》シンポジウム「近代ヒスパニック世界における共同体の構築―垂直的紐帯と水平的紐帯」

  • 日時:2011年10月29日(土)9:45~18:05
  • 場所:国立民族学博物館 第3セミナー室
  • 言語:日本語
  • 主催:国立民族学博物館
  • 実行委員長:齋藤晃(国立民族学博物館)
  • チラシダウンロード[PDF:1.67MB]
 

趣旨

近代における国家と地域共同体の関係を考察するうえで、スペインとその植民地の諸社会は、興味深い事例を提供してくれる。15世紀末から16世紀にかけて、スペインは同時代の他のヨーロッパ諸国に先駆けて、近代的な国家機構を整備したといわれている。カスティーリャとアラゴンのふたつの王室の結合により国土の政治的統一が達成され、ユダヤ教徒とイスラム教徒の追放よりカトリックによる宗教的統一も成し遂げられた。16・17世紀を通じて、スペイン国王は他国の王を凌駕する経済力と軍事力を誇り、発達した官僚機構により世界の広大な地域を支配した。その一方で、スペインには、中世以来の地域共同体の自治の伝統が、近代以降も途絶えることなく続いていた。都市と町は王国の基本的構成単位であり、住民の代表者会議の指導のもと、治安を維持し、紛争を処理し、共有財産を管理した。人びとはいずれかの自治体に帰属することで市民権を獲得し、政治的自由を行使し、経済的利益を享受した。

米国の歴史学者ヘレン・ネイダーは、16・17世紀のスペインにおける絶対的王権と自由な自治体の併存を歴史のパラドクスと呼んでいる(Helen Nader, Liberty in Absolutist Spain: The Habsburg Sale of Towns, 1516-1700, The Johns Hopkins Univ. P., 1990, p. 2)。たしかに、常識的には、王権が強大化すれば、王国の中央集権化が促進され、地域共同体の自由は制約されざるをえない。国家統合と地方自治は逆向きに作用するという考えは、もっともに思われる。それゆえ、スペインとその植民地において、絶対的王権のもとでも地方自治が活力を失わなかったとすれば、そのことは説明を要する。

タマル・ヘルツォグによれば、近代初期のスペインには、人間社会はいかにあるべきかについて、ふたつの異なるモデルが併存していた。すなわち、ひとりの君主と多数の臣下を結ぶ垂直的紐帯から構成される社会と、対等な複数の人びと、複数の共同体を結ぶ水平的紐帯から構成される社会というモデルである(Tamar Herzog, Defining Nations: Immigrants and Citizens in Early Modern Spain and Spanish America, Yale Univ. P., 2003, pp. 80, 91. 105)。前者の場合、社会は国王に忠誠を誓う臣民から構成され、後者の場合、郷土に愛情を注ぐ市民から構成される。「垂直的なスペイン」と「水平的なスペイン」というこれらふたつの社会観、国家観(John H. Elliott, Spain, Europe & the Wider World, 1500-1800, Yale Univ. P., 2009, p. 190)は、しかしながら、必ずしも相反するものではなかった。16・17世紀を通じて、両者は併存し、連結し、しばしば一体となって機能した。 たしかに、両者のあいだには潜在的な緊張関係があり、それがときに顕在化して、利害の衝突を招くこともあった。しかし、その解決策として二者択一がはかられることはまれであり、調整や妥協が模索されるのが常だった。もっとも、18世紀以降、両者の共存関係は徐々に崩れていき、絶対王政と共和政への二極化が進むようになるのだが。

スペイン領アメリカの諸社会は、植民地というその性格上、本国よりも「垂直的」だったといわれている。たとえば、諸都市の代表機関としての議会がなく、国王代官コレヒドールは本国よりも大きな権限をもっていた。しかし、その一方で、スペイン人植民者はアメリカに多くの都市と町を建設し、国王から特許状を得て自治を行った。それらの都市と町はどれほど小規模でも公共体としての自律性と十全性を備えており、また郷土として住民のアイデンティティの拠り所となった(Sabine MacCormack, On the Wings of Time: Rome, the Incas, Spain, and Peru, Princeton Univ. P., 2007, p. 106)。

アメリカの先住民に対するスペインの植民地政策にも、垂直性と水平性の併存がみとめられる。集住政策とは、数多くの小集落に分散して暮らす先住民を大きな町に強制移住させる政策であり、キリスト教の宣教と租税の徴収、賦役労働者の徴発を主目的としていた。行政府や修道会により植民地全土で実施され、およそ3世紀にわたって数百万の人びとが数千の町に移住させられた。王権の垂直的発動であるこの政策には、しかしながら、「野蛮人」を町に集めて市民社会を構築するという文明化の意図が込められていた。実際、集住化により造られた町では、住民の代表者会議が設置され、自治が行われた。集住政策には、「野蛮人」に政治的自由を強制するという逆説的な性格が備わっていたのである。

本シンポジウムの目的は、近代初期のヒスパニック世界において、垂直的な社会モデルと水平的な社会モデルがどのような領域でいかなる関係を取り結び、その関係が時代を経るにつれてどう変化していったのかを、各地域の事例の検討を通じて解明することである。対象となる時代は、スペインがアメリカに進出する 15世紀末からアメリカ諸国が独立する19世紀初めまでであり、地域としてはスペイン本国のほか、アメリカの植民地、とりわけメキシコとペルーに注目したい。

プログラム

09:45~10:00 開会挨拶 須藤健一(国立民族学博物館長)
10:00~10:30 趣旨説明 齋藤晃(国立民族学博物館)
10:30~11:45 近代スペイン国家形成と後期サラマンカ学派
―モリナの権力論を中心に―
11:45~13:00 昼食
13:00~14:15 絆の切断
―16世紀スペインの結婚と失踪―
14:15~15:30 スペイン帝国における都市化/集住化をめぐるせめぎあい
―植民地期メキシコを中心に―
15:30~16:00 休憩
16:00~17:15 自由の強制?
―スペイン領南米における集住政策とその帰結―
17:15~18:00 全体討論
18:00~18:05 閉会挨拶