国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

石毛直道館長・栗田靖之教授・杉田繁治教授 退官記念講演会

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2002年3月19日開催

杉田繁治教授 退官記念講演

経歴ご紹介 石森秀三

講演風景 ただいまご紹介にあずかりました石森でございます。

職務上のことではございますけれども、長年にわたりまして民博に多大の貢献をなしてくださいました杉田先生のご紹介をさせていただきますことを、大変光栄に存じております。

杉田繁治先生は、昭和37年3月に京都大学工学部電気工学科を卒業されまして、その後、大学院で研究を続けられましたのち、昭和42年4月に京都大学工学部助手に就任され、その翌年に京都大学から工学博士の学位を授与されておられます。その後、京都大学工学部助教授に昇任された後、昭和50年3月から1年間、文部省在外研究員として、米国カーネギーメロン大学、マサチューセッツ工科大学において、それぞれ半年間ずつ研究、調査に従事しておられます。

米国から帰国されまして、51年10月に国立民族学博物館の助教授として着任され、昭和62年12月に教授に昇任されまして今日に至っておられます。この間に、平成4年4月から平成9年3月まで第5研究部長を併任され、また平成9年4月から現在に至るまで、企画調整官・副館長を併任しておられます。

杉田先生は、幅広い分野で数多くの研究業績を上げておられますが、それらの数多くの業績は、大きく分けますと3つの分野にまとめることができます。

まず、第1の分野は、コンピューターによる情報処理の研究であります。機械翻訳、パターン認識、音声認識など、人工知能の研究であり、博士論文は、「英語から日本語への機械翻訳の研究」でありまして、この分野における草分け的研究でありました。

2つ目の大きな研究分野は、コンピューター民族学であります。新しい分野の確立を目指し、民族学研究におけるコンピューター利用のさまざまな方法を開発してこられました。その成果は、『コンピューター民族学』と題されました単行本としてまとめておられます。またこの研究の延長として、マルチメディアの社会的応用としてのデジタルアーカイブの先導的研究なども行っていらっしゃいます。この後で杉田先生が退官記念講演を行われますが、「情報工学と民族学との出会い」と題しておられますので、このコンピューター民族学の分野については、ご自身が詳しくお話いただけると期待いたしております。

3つ目の研究分野は、新しく取り組まれました分野で、比較文明学研究であります。昭和55年に開催されました梅棹忠夫先生還暦記念シンポジウムにおきまして、「文明のシステム工学」と題します発表を行われまして、それを機に文化や文明概念の明確化、文明の比較尺度の提唱など、工学的な視野を踏まえた研究を現在に至るまで続けておられます。

杉田先生は、このように大きく3つの分野で多大な功績を積み重ねておられますが、個人研究もさることながら、民族学者とコンピューターとの間に入られまして、その研究をより高度にするためのインターフェイスとしての役割を果たしてこられました。例えば石井米雄先生の「タイ語三印法典のKWIC検索」、大林太良先生の「東南アジア・オセアニアの文化クラスターの研究」、小山修三先生の「『斐太後風土記』による食糧資源の計量的研究」など、いろいろなプロジェクトにおいてデータのンピューター化を担当をしてこられました。

私もかつて、「不祝儀帳による贈答の研究」であるとか、「サタワル島における数占いの研究」を行っておりました時に、当時、助教授であられました杉田先生から、データ処理につきましてさまざまなご指導をいただきました。私は当時、まだ駆け出しの研究者でしたが、学問の楽しさということを違う角度からお教えいただいたわけであります。

当時、杉田先生は助教授でしたが、「みらかん」というあだ名がつけられておりました。「みらかん」というのは、「未来の館長」を略したものでした。当時の杉田先生は、若手のリーダーでありまして、単にコンピューターと民族学者をつないだだけではなくて、民博における研究その他の活動において、リーダーとして我々をご指導いただいたわけであります。

また、杉田先生は、共同研究におきましても数多くのプロジェクトを主宰しておられます。例えば比較文明の方法論の研究、電子博物館の展示企画などであります。さらに、民間との共同研究として、日本IBMとの共同研究で、コンピューターの民族学研究における応用であるとか、グローバル・デジタルミュージアムの研究などでも、大変重要な役割を果たしてこられました。

また、学会活動におきましても、専門の情報処理学会のみならず、電子情報通信学会、日本民族学会、比較文明学会、民族芸術学会、日本展示学会、日本情報考古学会、産業技術史学会など、多方面の学会に所属されまして、異分野交流に努め、広い視野から研究を進めてこられました。特に、平成元年に情報処理学会におきまして初めて「人文科学とコンピューター」という研究会が立ち上げられまして、初代の主査を務め、文科系のコンピューター利用の活性化に大きく貢献しておられます。

また、研究以外の活動といたしまして、民博におけるビデオテーク委員会委員長、映像音響資料委員会委員長、情報化委員会委員長などを務められまして、民博における情報化につきまして、着任以来、専門家として大きな功績を残しておられます。特に、館内の研究用コンピューターシステムの開発計画におきましては、第1期から第3期に及ぶ15年間にわたりまして、長期計画を策定・実行されました。これによりまして、民博の館内におけるマルチメディアデータベースの基本体制が整備され、現在、すでに 230万件に及ぶ写真、標本資料画像、テキスト、音響データなどが蓄積されております。これらの一連の情報化やコンピューターの社会的応用に関する活動が 評価されまして、平成8年10月には通商産業大臣表彰を受けておられます。

また、総合研究大学院大学におきましても、比較文化学専攻長及び評議員を併任されるとともに、教育に力を注がれまして、若い研究者の指導・育成に尽力されてこられました。

このように杉田先生は、民博に約27年間という長きにわたりまして在職され、創設期から充実期に至る民博で数多くの功績を上げてこられまして、今年3月に定年を迎える予定であります。4月からは、龍谷大学理工学部の教授として、新たな大学で教育・研究に従事される予定であります。

杉田教授の長年にわたるご指導、ご尽力に感謝を申し上げるとともに、今後のますますのご健勝を祈念いたしまして、私の杉田先生のご紹介を終えさせていただきます。どうもありがとうございました。