南方熊楠翁は慶応3年(1867)4月15日和歌山市に生まれ、幼時より天才の名をほしいままにし、東京大学予備門(現東京大学)に入学、2年後退学渡航、米国各地、西インド諸島を彷徨、菌類・地衣類を採集、後英国に渡り大英博物館に迎えられ、「ネイチャー」「ノーツ・アンド・クィアリーズ」に多くの論考を発表、その学識の深さは古今東西にわたり碩学の名をほしいままにする。
明治33年(1900)帰国、明治37年(1904)より田辺に居を定め、粘菌・菌類の研究に没頭、数千点に及ぶ彩色図を完成するとともに、自宅の柿の木から新種の粘菌を発見、ミナカタの名を冠せられた。
民俗学関係については、日本民俗学の父といわれた柳田国男氏をしてその学殖の豊かさに驚き、種々の点につき質問を受け、回答したものが往復書簡集として発行されている。
昭和4年(1929)、昭和天皇を神島に迎え進講、昭和16年(1941)永眠された。
田辺市と南方熊楠邸保存顕彰会(現:南方熊楠顕彰会)では、翁没後50周年記念事業を計画、種々様々な顕彰事業を実施してきた。
平成2年10月20日、南方熊楠翁没後50周年記念式典を開催し、市民の誇りとして翁の偉業を称え「南方熊楠賞」を制定した。
この賞は、国内外を問わず翁の研究対象であった民俗学的分野、博物学的分野の研究に顕著な業績のあった研究者に贈り、また特別賞として翁の研究に顕著な業績のあった研究者に、それぞれ賞状(水本愛堂氏揮毫)及びトロフィー(建畠覚造氏製作)並びに副賞(本賞 100万円、特別賞 50万円)を贈るものである。
表彰は、例年、年一研究者とし、人文部門、自然科学部門から交互に選考をするものであるが、本年は人文部門よりの受賞者選考となった。
第18回南方熊楠賞の受賞者選考については、人文の部選考委員会において慎重に受賞者を審議、選考し、南方熊楠賞運営協議会において第18回南方熊楠賞の受賞者が伊藤幹二氏に決定した。