国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

新領域開拓研究プロジェクト(2002-2003)

急速に変化する昨今の社会情勢に迅速に対応し、かつ本館における中核的研究活動のさらなる展開に向けて、人文社会科学の再編や新しい研究領域の開拓を行うことを目的としている。この研究プロジェクトは、期間を2年以内としており、新しい展開が期待できる萌芽的研究もしくは発展的研究という区分のもとで、以下の研究活動が展開された。

トランス・ボーダー・コンフリクトの人類学的研究(2002-2003)

研究代表者:庄司博史

本研究プロジェクトにおいて研究対象となるトランスボーダー現象は、20世紀後半から加速度的に展開しつつあるグローバル化とのかかわりの中でとらえられる。近年のグローバル化のもたらした人、情報、資本の移動は、量と速度において以前のスケールをはるかに凌駕し、国民国家、民族といった近代がつくりあげた境界や諸制度さえ揺るがせている。また、グローバル化が直接もたらした越境現象にくわえ、これらとともに越境する多言語・多文化現象、イデオロギー、難民・労働移民、資源環境問題なども旧来の共同体の社会制度や文化、価値体系との衝突をおこしながら、新秩序の再編や人びとの意識の変容をうながしつつある。本プロジェクトは、さまざまな越境がもたらした諸現象の実態を人類学的見地から分析し、あらたな再編の行方を探ることを目的とする。
プロジェクトの歩み


文明の衝突と現代世界 ─ 文化的安全保障の可能性(2002-2003)

研究代表者:西尾哲夫
2003年度
人、モノ、情報が地球規模で行き交う現代にあっては、異文化包含体としての文明と文明の接触が、歴史上かつてない規模で展開している。その接触は、時として衝突をうみ、個々の文化の存在をすらおびやかす結果を招いていることは周知のとおりである。このような状況において、今なによりも求められているのは、「個人と個々の文化の尊厳と存立が保障される」という意味での文化的安全保障の確立であり、さらにはそれらの文化を包摂する文明間の秩序ある関係を構築することである。
本研究では、世界の現状を「もの」「ちから」「情報」という3つの側面から構造的・総合的に検討する。多くの構造的・物理的暴力が生起している現下の状況では、まず個々の文化・文明の人間観に内在する構造的暴力を明らかにし、より開かれた価値の共有に基づく新たな人間観を提示することが求められるとともに、構造的暴力が物理的暴力に転化するメカニズムを明らかにして、その抑止システムを構想しなければならない。また、異文化間、異文明間の関係を大きく規定するのが、自他の認識、すなわち文化表象であることはいうまでもない。さまざまな表象媒体における文化表象の問題点を検証しつつ、それらの媒体の新たな活用方法をさぐる作業が必要となる。一方、グローバル化した世界のなかで個々の文化が自らのアイデンティティを主張しようとするとき、一般的にまず試みられるのが、具体的な「もの」、すなわち文化遺産を活用することである。文化遺産の破壊が強い自文化の主張となるのも、同じ理由による。文化遺産の保全のあり方を検討し、さらに国際観光というより開かれた形でのその活用方法を案出することも課題となる。
2002年度
文明は衝突するのか、対話できるのか? 異文明圏相互の交流を図らねばならなくなった今日では、文化的所有財産の価値を保証して文明的共有財産とするための保全管理システム、複数集団が文化的価値を表現しつつ相互理解を行うための伝達媒体システム、各文化固有の世界観や人生観を超えて全ての個人が参照できる共通知識となる文明的教養システム、性差や個体差も含めた個人情報を共同管理する情報倫理システムについて、特定の人間(集団)がその文化的存在基盤を保持しつつ地球文明に参画するという意味での文化的安全保障の観点から考察しなければならない。本研究では、グローバル化された経済システムにおける文化情報の流通に注目し、9・11以降におけるマスメディアを含むエスニックビジネスと異文化表象における情報倫理の関係を事例的に考察することで、文化的安全保障のための理念的モデルを構築する。

多重メディア環境と民族誌(2002-2003)

研究代表者:飯田卓
2001年度の1年間、重点研究の下部研究会として運営してきた「日本のマスメディアにおける異文化表象」の成果をふまえ、人類学者の生産する民族誌が社会との接点を広げる方途を模索する。
1980~90年代にかけて文化人類学がおこなってきた民族誌批判では、もともと研究者以外の読み手が加わって議論を盛り上げてきたにもかかわらず、日本ではそうしたアクターの力が弱かった。この結果、調査者と非調査者の関係だけが問題化することになり、民族誌批判は学会内部で展望のないまま論じられ続けることになった。アメリカでは、民族誌批判が新たな読み手を獲得したのに対し、日本では逆に、他のメディアとの競合のなかで読み手が離れていったとさえ言えるかも知れない。本研究では、多様なメディアが並存する「多重メディア環境」において民族誌家が果たしうる役割を検討する。このことにより、読み手を視野に入れた民族誌論の展望を開くと同時に、新たなメディアを用いた民族誌的実践の可能性を明らかにする。
研究成果刊行物

諸科学の統合と表象の科学の設計(2002-2003)

研究代表者:竹沢尚一郎
2003年度
本研究は、表象の科学の名のもとに、民族学を中心とした諸科学の統合をめざすものである。具体的には、民族学だけでなく、社会学、カルチュラル・スタディーズ、ミュージアム・スタディーズ、美学・美術史、歴史学、哲学、建築学、写真論など、幅広い分野の研究者が集まって議論をすることで、問題意識を共有すると同時に、新しい研究領域の開拓に努力する。
本研究会の基礎となっているのは、19世紀後半に実現された諸科学の細分化と制度化が、万国博や博物館の建設、マスコミの発達、デパートなどの商業施設の建設といった一連の表象装置の開拓と平行して実現したこと、しかしその後一世紀を経るなかで、制度疲労を起こしているとの認識である。それを乗り越えるためにも、これらの表象装置と諸科学の起源にさかのぼってそのあり方を考え直すことを、本研究会において追求していきたい。
2002年度
民族学が西欧で成立・発展した19世紀末~20世紀前半は、博物学から独立した地理学、心理学、社会学、人類学などの人文・社会諸科学の細分化が実現された時期であった。これらの諸科学は、実験ないし観察を中心とすることで学問的発展を実現してきたが、反面、それが依拠した学問の細分化と緻密化がその後の発展にとって弊害となったことも今日では明らかである。本研究が課題とするのは、以下の問いである。
 民族学はどのような社会的・文化的要請のもとで発展してきたか。
 民族学は他の諸科学に対して自らをどのように位置づけてきたか。
 民族学が一つの柱とした他者展示、他者表象は、同時代の社会・文化的な表象システムとどのように相関していたか。
 民族学は自社会・自文化をどのように表象ないし批判してきたか。
これらの問いに答えることを通じて、本研究は科学史全体の中に民族学を改めて位置づけるとともに、諸科学の統合の学としての民族学の新たな可能性を追求するものである。

災害への対応に関する研究 ─ 災害人類学の構築にむけて (2003)

研究代表者:林勲男
本研究プロジェクトは、災害人類学の開拓を目的としている。対象は自然災害に限定する。自然災害に関しては、理工学と人文社会科学が共同で取り組むべき領域と認識されてはいるものの、後者からの研究はまだ少なく、また、両者の研究成果が統合され、災害の実体を総合的に把握し、復興計画や次の災害への備えに十分に生かされていないのが現状である。とりわけ、海外で発生した災害に関しては、被災地の文化や社会についての十分な知識がないまま、被害状況の調査や復旧・復興計画の立案、災害に備えての防災システムの整備や防災教育が検討・実行されてきている。自然災害は外力と人間社会が交差するところに生じる出来事であり、災害の質と規模は人間社会の状況に規定され、復旧・復興さらには次期災害への備えには、社会構造やその文化の価値観が大きく影響する。これまでの防災学では、こうした社会的・文化的側面が十分に把握されてこなかった。本研究プロジェクトは、主として社会の脆弱性(vulnerability)と回復力(resilience)の研究に焦点を当てるが、人間の経験としての災害の記憶・記録の問題をも視野に捉えている。

グローバル化時代の紛争と排他的ディスコース:暴力の連鎖から共存へ(2002)

研究代表者:臼杵陽
世界各地の紛争は、自己と他者を峻別し敵対関係におく排他的ディスコースと現実の暴力が、相互に作用しつつ拡大し固定化される状況を示してきた。とくにこの過程では、「宗教」と「民族」のディスコースが相互に浸透しつつ、新たな敵対状況を生じさせている。
本研究は、こうしたディスコースと暴力の相互作用に注目し、暴力のなかから生じるディスコースがさらに暴力に転化する過程の検証をおこなう。すなわち排他的ディスコース生成のメカニズムを解明し、その虚構を暴き、暴力の脱文脈化の契機を模索しようとするものである。具体的には、東南アジア、南アジア、中央アジア、中東、および北アフリカの「ムスリム」をめぐる諸紛争を取り上げ、その過程における「ムスリム」あるいは「イスラーム」イメージの固定化のメカニズムを、「ムスリム」社会の内部と外部、さらにグローバルな言説の力学のなかで考察することを目的とする。