ポスト社会主義における民族学的知識の位相と効用:制度としての人類学の多元性解明にむけて
目的
本研究は、旧社会主義圏における「制度としての人類学」の位置づけを解明し、その知識の社会的文脈についての民族誌的分析を行う。欧米人類学とは異なる理論を確立したソビエト民族学に主たる焦点をあて、その知の制度編成のあり方と、そこで実践された「文化(民俗・民族)的差異の対象化」のあり方を解明することを目的とする。この試みは、国家の学術教育制度において確立されてきた近代人類学のあり方を歴史的に分析するものであるが、ロシア及び社会主義体制という変数を設け、そこに焦点をあてることで、非西欧人類学の位相についての考察を深めることになる。具体的には、ロシア・東欧・中央アジア・モンゴル・中国におけるソビエト民族学の求心力の有無・強弱を共通の分析対象とし、社会主義体制において固有に現れる民族学的研究の独自性が存在するのか──を共通の作業仮説とし、(1)学説史(2)隣接分野との関係性(3)今日における知識の位相の三つの視座から研究を進めたい。
研究成果
成果とりまとめのための最終年度を除き2年半で、10回の研究会を開催し、ゲストスピーカーを含めて30名が発表した。
こうした研究会を通して、ポスト社会主義という問題系に対する人類学的アプローチの方法確立とその可能性を提示することができた。特にその特徴は、(1)社会主義時代に実現不可であった参与観察に基づく現地調査、(2)人々の日常生活に内面化された「社会主義」をふまえ、現在も生きられる「社会主義」を問題化するということである。伝統・社会主義・現在という歴史的位相を同時代分析する点にポスト社会主義人類学の方法論上の特質がある。それゆえの限界点もあり、「ポスト社会主義」は現存しており、調査地において世代交代するにつれ、その視座の有効性も失われていくだろう。とはいえ、我々の共同研究によって、現地調査をふまえたポスト社会主義民族誌研究の可能性を提示し、それらが他の地域の人類学研究との比較研究の地平を開いた。同時に、旧ソ連地域研究(歴史学・政治学)との接点を、問題関心/理論的に確立すると共に、人的交流という意味においても確立することができたのは今後の研究の発展に寄与することになる。また、ソビエト民族学の再評価を行ったことも重要である。この領域は従来ほとんど手つかずだったものであり、また従来の政治イデオロギーの一種としてしか見られてこなかったソビエト民族学の理論的意義を思想史的に解明すると共に、その制度的脈絡を社会史的視点で解明したからである。ここから、人類学的知とその制度のalternativeな可能性提示することができた。 共同研究を通して、班員の間で、特に上記に述べたような、方法としてのポスト社会主義人類学の有効性と限界を確認したことは大きな成果である。また東欧・旧ソ連・モンゴル・中国など社会主義体制を経験した地域に関わる人類学及び地域研究の学際的領域を見出した。さらに、従来研究者の層が少なかった若手研究者の育成に貢献した。
2007年度
研究成果とりまとめのため延長(1年間)
【館内研究員】 | 佐々木史郎 |
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【館外研究員】 | 高倉浩樹、渡邊日日 |
研究会
- 2008年1月31日(木)15:00~18:00(国立民族学博物館 佐々木史郎研究室)
- 全員「研究成果出版のための打ち合わせ」
研究成果
2008年度秋の刊行を目指して現在編者による論文の編集作業が実施中である。
本共同研究の成果の一つとして、北方ユーラシア人類学研究会を立ち上げ、その第一回研究集会を2008年2月2-3日にかけて行った。その結果、共同研究の班員の半分にあたる9名が参加し、若手研究者を中心にさらに13名が参加した。このことは、本共同研究の目指した研究領域が、より一般的な関心へと連なったことを示している。今後もこのような研究会方式で、研究交流が進められていくことが確認できた。
2006年度
本年度においては、主として中央アジアと東欧に焦点をあてた研究を実施する。とりわけ上記の視座の内、(2)隣接分野との関係性(3)今日における知識の位相を中心としながら研究が実施される予定である。(2)については、ソビエト考古学、東欧歴史学、中国民族学などを対象にして、それぞれの学説史を制度史・社会史的に取り上げ研究を進める。特にソビエト民族誌学の形成にとって決定的な契機となった1920年代末から1930年代にかけての「文化革命」=ブルジョワ科学の否定と社会主義科学への「止揚」という現象がそれぞれの分野においていかなる意味があったのか分析の重要な視座とする。(3)については、モンゴルや中央アジアを対象に、国民史記述や民族文化表象と、ソビエト民族誌学の影響について現状分析について資料の整理とともに考察を進める。ここにおいてはソビエト民族誌学で蓄積・検討された概念と日本の人類学における概念の齟齬に着目し検討したい。さらに最終年度の本年においては、最後の研究会で総括討論を行う。
【館内研究員】 | 佐々木史郎 |
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【館外研究員】 | 伊賀上菜穂、今堀恵美、上野稔弘、宇山智彦、尾崎孝宏、帯谷知可、折茂克哉、加藤博文、菊田悠、香坂直樹、坂井弘紀、佐原徹哉、渋谷謙次郎、高倉浩樹、藤原潤子、松前もゆる、山崎信一、吉田睦、吉田世津子、渡邊日日 |
研究会
- 2006年5月13日(土)13:00~ / 14日(日)9:30~(第6セミナー室)
- 坂井弘紀「カラカルパクの知識人ダウカラエフについて」
- 松前もゆる「ブルガリア民族性とブルガリア民族学」
- 折茂克哉「展覧会で表象される民族/民俗」
- 2006年7月22日(土)10:00~(東京大学(駒場)14号館4階407)
- 公開共同研究会
- 上野稔弘「中国における「蘇聯民族学」の受容と変遷」
- 香坂直樹「チェコスロヴァキア主義と民族定義」
- 山崎信一「旧ユーゴスラヴィア諸国における歴史叙述」
- 2006年11月18日(土)10:30~(第3セミナー室)
- 佐原徹也「バルカン内戦における「普通の人々」と自警団による残虐行為の間」(仮題)
- 神原ゆうこ「スロヴァキアにおける文化人類学の転回:社会主義期とポスト社会主義期の研究動向の相違」
- 尾崎孝宏「モンゴルにおけるソビエト民族学の適用状況―社会主義期とポスト社会主義期を通じて」
- 柚木かおり「コメント」
- 2007年2月17日(土)14:00~ / 18日(日)10:00~(大演習室)
- 藤本透子「カザフスタン北部農村における「祖先供養」の展開」
- 吉田世津子「マナス(英雄)とアタ-ババ(父祖)-クルグズ(キルギス)一農村から見た祖先崇敬の政治的・社会的脈絡」
- 宇山智彦「ロシア帝政末期・ソ連時代初期の民族学関連研究と知識人:カザフスタンとタジキスタン」
- 全員「共同研究のまとめと成果についての打ち合わせ」
研究成果
今年度は研究活動としては最終年度であったが、総括は以下の通り。社会主義体制において固有に現れる民族学的研究の独自性の有無という仮説については、社会主義固有の独自性を認めることはできない。ソビエト民族学は自らの研究領域を非ブルジョワ科学と位置づけていたものの、その本質は(a)むしろ多民族国家という性質とロシア帝国における歴史的継承性にある。(b)とはいえソビエト民族学は、史的唯物論とプロレタリアート独裁という社会主義国家のイデオロギーを支える理論とこれに基づく研究領域の構築も行ったことも事実だった。隣接した(する)社会主義国家における民族学・人類学研究は、この多民族統治と社会主義的科学の2点において、それぞれの国家内部の必要性に応じたソビエト民族学の摂取を行ったと言える。その結果は、ポスト社会主義期における国民史の叙述と伝統文化の復興を含む民族文化の表象の性質に大きく影響した。さらに、隣接国家及びソ連内部でのソビエト民族学の受容に関しては、ソ連成立後の教育文化政策だけではなく、ソ連体制以前の歴史文化とりわけ知識人の社会的位相の性質を考慮する必要があるという方法的な示唆も得た。2年半にわたる研究会活動を通して、今後メンバー以外も含めた緩やかな研究会をつくることで合意を得た。
2005年度
【館内研究員】 | 帯谷知可、佐々木史郎 |
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【館外研究員】 | 伊賀上菜穂、上野稔弘、宇山智彦、尾崎孝宏、折茂克哉、加藤博文、菊田悠、香坂直樹、坂井弘紀、佐原徹哉、渋谷謙次郎、藤原潤子、松前もゆる、山崎信一、吉田睦、吉田世津子、渡邊日日 |
研究会
- 2005年4月22日(金)16:30~ / 23日(土)10:00~(東北大学・東北アジア研究センター)
- 全員「今年度の研究計画」
- 藤原潤子「ポスト社会主義ロシアにおける呪術の復興」
- 渋谷謙次郎「帝国・民族自決・多文化主義―ロシアの多民族編成原理と民族政策の行方」
- 佐々木史郎「ソ連民族学における人類社会発展史研究」
- 2005年7月30日(土)13:00~(第6セミナー室)
- 佐原徹也「ボスニア内戦における民兵・民族浄化の実態と文化的背景」
- 渡邊日日「ソヴィエト社会学史再考」
- 2005年7月31日(日)10:00~(第6セミナー室)
- 特別セッション:ポスト・ソヴィエト期ウズベキスタンの工芸に見る「伝統」の形態
- 菊田悠「開発途上のリソース:リシタン陶業の「伝統」事例」
- 今堀恵美「女性の手仕事と工芸:ショーフィルコーン地区における刺繍制作から見る「伝統」」
- 中谷文美「コメント」
- 2006年1月14日(土)10:00~18:00 / 15日(日)9:30~11:30(第6セミナー室)
- 吉田睦「ソ連期初期の北方民族研究とソ連民族学」
- 加藤博文「ソビエト考古学とシベリア民族誌」
- 仲津由希子「ポーランド歴史学における「歴史学」概念─J.Topolskiを手がかりに」
- 伊賀上菜穂「ロシア人サブグループに関する研究動向について」
- 2006年2月20日(月)13:00~(大演習室)
- 全員「今年度までの研究成果についての確認と今後の方向性についての討論」
- 柚木かおり「民族/俗音楽と文化政策 ─ 「モスクワ80」と農村のバラライカ」
研究成果
本年度は、ソビエト民族学学説史の理解を深めると共に、旧ソ連内の今日的社会文化の位相において、民族学的知識がいかなる形で影響を及ぼしているのか、具体的事例を含めた分析・解明を進めることができた。前者についていえば、ソビエト民族学の全体像を描写することができたことは大きな成果である。この学問分野の基盤をなした「文化史的発展段階論」の学説史的検討を加え、さらに同時代分析を行うためにソビエト民族学からいわば分岐する形で成立したソビエト社会学史の位置づけと理論の特質が明確となった。加えて1920年代のロシア民族学からソビエト民族学転換期に焦点をあて、民族学と考古学の相互関係についても学者の個人史をふまえた理解を得ることができた。同時に、ポーランド史学における歴史理論の状況を比較することで、ソビエト体制下の学問構築の特異性の一端を照射した。後者については、中央アジア及びロシア連邦のロシア人を対象にした分析が行われた。文化人類学分野においてロシア人研究はこれまで十分蓄積されてこなかったわけだが、本共同研究は、民族学知識の位相という点から今日のロシア人の社会文化的文脈の解明に貢献したことになる。また中央アジアの事例研究は、「伝統の発明」概念を鍵として、手工業に着目した民族誌分析が行われた。ポスト社会主義人類学の民族誌記述が、生業や教育・言語に偏り勝ちであったことに対し、これらは新たな領域を開拓したものといえるだろう。
共同研究会に関連した公表実績
・オンライン上でのニュースレター「ポス研備忘録」を3号発刊した。
・本共同研究に関連する個人の公表実績は以下の通り。
- 伊賀上菜穂
- 2005「『洗礼ブリヤート』から『ロシア人』へ-ブリヤート共和国一村落に見る帝政末期正教化政策とその結果-」『ロシア史研究』No.76、pp.118-135。
- 2006「過去と現在を結ぶ-ポスト社会主義時代におけるロシア古儀式派教徒のアイデンティティ化-」仙葉豊、高岡幸一、細谷行輝編『言語と文化の饗宴』pp.215-230、英宝社。
- KATO Hirofumi
- 2006 Neolithic Culture in Amurland: The Formation Process of a Prehistoric Complex Hunter-Gatherers Society. Journal of The Graduate School of Letters, vol.1, pp.3-16, Hokkaido University.
- 菊田悠
- 2005「変化の中の『伝統』解釈と実践-ポスト・ソヴィエト期ウズベキスタンの陶工の事例より」『アジア経済』46-9:42-61
- 2005「ソ連期ウズベキスタンにおける陶業の変遷と近代化の点描」『国立民族学博物館研究報告』30-2:231-278
- 佐々木史郎
- 2005「ニヴヒ」綾部恒夫監修、末成道男・曽士才編『ファーストピープル』第1巻pp.66-86、東京:明石書店
- 2005「ロシア極東地域における先住民企業の生き残り戦略―社会主義時代とポスト社会主義時代の北方先住民族」本田俊和(スチュアート・ヘンリ)・大村敬一・葛野浩昭(編)『文化人類学研究―先住民の世界』pp.141-168、東京:放送大学教育振興会
- 佐原徹也
- 2006「ブルガリアの創氏改名と脱亜主義:「民族再生プロセス」再考」『東欧の20世紀』94-125頁 人文書院
- 渋谷謙次郎編
- 『欧州諸国の言語法』三元社、2005年、500頁。
- 高倉浩樹
- 2005「1920-30年代におけるサハの知識人と民族学的研究─ロシア人類学史における断章」『東北アジア研究』9:37-58.
- 藤原潤子
- 2006年「ポスト社会主義ロシアにおける呪術の復興」、(田沼幸子編)『ポスト・ユートピアの民族誌(トランスナショナリティ研究5)』、31-40頁。
- 吉田睦
- 2005「ネネツ 極北の遊牧民」(綾部恒雄監修、原聖、庄司博史編)『講座世界の先住民族 ファーストピープルズの現在06 ヨーロッパ』336-351頁、明石書店
- 渡邊日日
- 2005「社会主義後の多民族状況:ロシア連邦の行方」梶田孝道(編)『新・国際社会学』、257-275頁、名古屋大学出版会。
- 2005「多民族社会における学校・言語・知識」山下晋司・福島真人(編)『現代人類学のプラクシス:科学技術時代をみる視座』、255-266頁、有斐閣。
2004年度
【館内研究員】 | 帯谷知可、佐々木史郎 |
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【館外研究員】 | 伊賀上菜穂、上野稔弘、宇山智彦、尾崎孝宏、折茂克哉、加藤博文、菊田悠、香坂直樹、坂井弘紀、佐原徹哉、藤原潤子、松前もゆる、山崎信一、吉田睦、吉田世津子、渡邊日日 |
研究会
- 2004年11月6日(土)13:00~ / 7日(日)10:00~(大演習室)
- 高倉浩樹「趣旨説明」
- 佐々木史郎・渡邊日日「問題設定」
- 全員「自己紹介と研究計画打ち合わせ」
- 2005年1月22日(土)10:00~(第3セミナー室)
- V.シュニレルマン「ソ連における民族政治としてのエスノゲネシス論」(英語)
- 高倉浩樹「サハ民族知識人とロシア人類学史:1920-30s」(英語)
- G.コマロワ「ソビエト民族学における学際分野としての民族社会学:1960-1980s」(露語/日本語通訳)
- 2005年1月23日(日)10:00~(大演習室)
- 全員「個別研究テーマについての全体討論」
研究成果
今年度の成果の最大のものは、全員参加による本共同研究の趣旨の理解と個別研究との整合性を取るための研究討議であった。研究計画段階で、ある程度の役割分担は可能だったが、それらが全体としてどのようになるのかについては、実際の討議を経る必要があったからである。2回の討議を通して相互理解をすすめると共に、メンバーが念頭におく作業仮説が設定された。それはロシア・東欧・中央アジア・モンゴル・中国におけるソビエト民族学の求心力の有無・強弱を共通の分析対象とし、社会主義体制において固有に現れる民族学的研究の独自性が存在するのか──というものである。これらをふまえながら、以下の3つの論点が共通の研究課題として認識・確認された。(1)民族学・考古学・史学などの制度史及び理論についての解明、(2)ドイツ・ロマン主義に端を発する民族学研究の位置づけ、(3)民族知識人とネイティブ人類学の諸問題である。
第二に、ソビエト民族学史についての社会史的研究をすすめた。ソビエト民族学史全体における民族起源論の意味、20-30年のその黎明期におけるエスニック要素のもつ含意、さらに60-80年代の「現代研究」の意味についての考察をすすめた。
共同研究会に関連した公表実績
・本研究会についてのHPを作成し、メンバーの意志疎通を図るとともに、共同研究の趣旨とその内容、さらに進展が一般にわかるようにした。
・第二回研究会の一部を「Exploring the history of Soviet Ethnography: views from its neighboring disciplines and ethnic factors」と題して公開研究会とした。
・オンライン上でのニュースレターを発行し、一部内容はメンバー限定であるものの、一般に公開した。