南アジアにおける都市の人類学的研究
目的
90年代以降急速な経済成長が続くインドでは特に都市社会の変貌が著しい。具体的にそれは都市中間層の急拡大、地方都市にまで及ぶ消費社会化、いびつな形で進む既存街区の再開発等の現象となって現れ、様々な社会問題(社会不安による異宗教徒間の暴力的紛争、住環境の悪化やスラムの拡張、新興富裕層の成長と裏腹の貧富の差の拡大等)を引き起こしている。この共同研究では、下記の科研費プロジェクトと連動させながら、現代インド都市に生起する問題を解決する方途を文化人類学的視点から探ることを大きな目標とする。 しかし、インドの都市の人類学的研究は農村やカーストの研究に比べて大きく立ち遅れ、その基層構造すら明確にはなっていない。そこでこの共同研究では、上記の現代的問題を念頭に置きつつ、南アジア全域に眼を広げ文明史的かつ学際的な観点から南アジア的都市の特性とその文化的社会的な基層構造を明らかにすることをもう一つの目標とする。
研究成果
3年半にわたり都合10回の研究会を実施した。研究会では、主として下記の4点について各自のフィールド調査に基づく研究発表と討論を行い、各々の論点について大略次のような結論を得た。
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村落との対比における南アジアの都市性
住民構成のヘテロ性、共同体性の欠如、経済交換における中心性などは、南アジアにおいては都市特有の際立った特性とはなりえない。伝統的な南アジアの都市の基本性格は、その聖性、宗教的な中心性に求められる。これは、ヒンドゥー王権地域においても、イスラーム的な王権が長く覇権を有した地域においても同様に見出せる。 -
基層構造からみる南アジア地域内の都市の地域性
1.の結論にかかわらず、イスラーム世界の影響を強く受けた北部とその影響が持続的ではなかった南部とでは、都市の基層的な社会空間構造に大きな差異が見出される。具体的には、北部では都市社会の下位分節は相互の境界によって定義される「モハッラ」から構成されるのに対し、南部では市域に散在する寺院や社、教会等が小さな中心となって都市社会の下位分節の核となるという傾向が指摘される。 -
都市の変容に関わる要因
2.のような地域性は、経済グローバル化がもたらす人・モノ・情報の環流的な状況の進展の中で姿を消しつつある。またこの環流は、伝統的な都市の旧市街部で再生産されてきたローカリティをも変節させており、この点で南アジアの都市社会を根底から変容させる力を持つことが、多数の調査報告から実証された。 -
都市におけるローカリティの再構築
しかし、これに抗して新しいローカリティを構築する動きが生じている。その際、伝統的な宗教実践がローカリティの再構築の重要な根拠となっていることが、各地の実証的な調査報告から指摘された。このような動きは、宗教的ナショナリズムの隆盛とも密接に関係しており、このことが南アジアにおける宗教の政治化を下支えする大きな要因と考えられる。
2009年度
2回の研究会を実施する。
研究員は、国際シンポジウムとそれを踏まえた研究出版を念頭におき、その際の発表論文の下敷きを各回の研究会で順に発表・討論する。研究会開催前にレジュメや草稿をメールで事前に配布し、研究会ではこれに基づいた討論に集中する。研究会の目的は、成果の確認と共有、および論点の整理である。レジュメ発表の時間を短縮し、討論に集中するため、1回あたりの研究会所用時間は短くなる見通しである。
研究会の成果は、来年7月ごろにエジンバラ大学と共同で開催する予定の国際シンポジウムで英文で発表する。さらにその際の討論を踏まえ、英文でSESないしエジンバラ大学からの国際出版の形で成果を公開する。
【館内研究員】 | 杉本良男 |
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【館外研究員】 | 井坂理穂、太田信宏、押川文子、金谷美和、小磯千尋、小牧幸代、小松原秀信、 SAGAYARAJ Antonysamy、高田峰夫、外川昌彦、中島岳志、中谷純江、中谷哲弥、 深尾淳一、松尾瑞穂、森本泉、八木祐子、柳沢究、山根周 |
研究会
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2009年10月24日(土)13:30~17:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
2009年10月25日(日)10:30~15:00(国立民族学博物館 第6セミナー室) - 三尾稔「研究総括:今後の成果とりまとめに向けて」
- 全体討論(出席者全員)
研究成果
各自が進めてきた研究と相互の討論の成果は、この共同研究と並行的に進めてきた科学研究費補助金による研究プロジェクト(プロジェクト名は成果報告書の題名に同じ)の成果報告書『南アジア地域における消費社会化と都市空間の変容に関する文化人類学的研究』として出版した。ここには総計14本のオリジナル論文が収録されている。また本研究会のメンバーは個々に調査成果を活発に公開している。発表された成果の内容は多岐にわたるが、その要点は下記の4点にまとめられる。即ち(1)南アジアの都市性は住民構成のヘテロ性や経済交換システムの中心性というよりは、宗教的な中心性を重要な契機として成立している。(2)歴史的なイスラーム世界の影響の深浅によって、南アジアの南部と北部で都市の基層構造に大きな差異がみられる。(3)これらの南アジアの都市の特性は、近年のグローバルな人・モノ・情報の環流の中で姿を消しつつあり、それと並行して伝統的な都市のローカリティが失われる傾向がみられる。(4)これに対抗するようなローカリティの再構築の動きが顕著となっているが、その際の重要な根拠がまた住民の宗教的実践に求められる傾向がある。
研究成果は今後さらに上記の共同研究プロジェクトに基づく国際シンポジウムや英文出版等によって国際的に公開してゆく予定である。
2008年度
19年度に引き続き、人類学分野の研究者の研究発表を中心としつつ、これに歴史学分野を専門とする研究者の発表も絡め、科研費調査で得られた成果やその分析を共有し、研究取りまとめの方向性を明確にすることを目標にする。具体的には、南アジア内部の地域差や都市の性格(王都、宗教都市、商業都市など)に基づく比較をしながら、南アジア文明圏に通底する都市的なるものの特性が通時的にどのように変化してきたかを跡づける。2日間にわたる研究会を4回実施し、研究成果取りまとめに向けて、各自の問題意識を深めるとともに、本共同研究の到達点と今後の課題を明確にする。発表予定メンバーが多いため、20年度は特別講師を招聘する計画はない。
【館内研究員】 | 杉本良男 |
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【館外研究員】 | 井坂理穂、太田信宏、押川文子、金谷美和、小磯千尋、小牧幸代、小松原秀信、SAGAYARAJ Antonysamy、高田峰夫、外川昌彦、中島岳志、中谷純江、中谷哲弥、深尾淳一、松尾瑞穂、森本泉、八木祐子、柳沢究、山根周 |
研究会
- 2008年7月12日(土)13:00~18:30(第6セミナー室)
- 三尾稔「中間総括と今後の展望」
- 山根周「インド洋海域世界における港市-カッチ地方を中心に-」
- 金谷美和「染色業にみる南アジア都市と都市化」
- 2008年10月25日(土)13:30~18:00(第6セミナー室)
- 高田峰夫「語りの中の『都市』-バングラデシュ・チッタゴンで人々の声を聞く」
- 中谷純江「ラージャスターン・シェーカーワト地域における商人街の研究-ラージプート支配者とマルワーリー商人の関係」
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2008年12月20日(土)13:30~18:00(国立民族学博物館 大演習室)
2008年12月21日(日)10:30~17:30(国立民族学博物館 大演習室) - 押川文子『新中間層のデリー:「学校」から考える』
- 小磯千尋『プネーの旧市街に見るローカリティーの変化』
- 金谷美和『染色業からみるインドの都市と都市化』
- 松尾瑞穂『治療空間における都市的経験-不妊を事例として』
- 2009年1月31日(土)13:30~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 井坂理穂『州都の建設-アフマダーバードとガーンディーナガル』
- 中島岳志『チャンディーガル-交差するネルーとコルビジェ』
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2009年3月28日(土)13:30~18:00(宮城学院女子大学学芸学部国際文化学科図書室)
2009年3月29日(日)10:30~15:30(宮城学院女子大学学芸学部国際文化学科図書室) - 小松原秀信『「境界の神」ディー・バーバーの都市部での信仰状況』
- 八木祐子『創出される祭りと都市の変容』
- A.サガヤラージ『経済変化に伴う都市空間の変容』
- 小牧幸代『多元的宗教空間の構成と演出』
研究成果
今年度も、昨年度に引き続き人類学分野からの発表を中心に研究会を行い、共同研究のメンバー全員の発表が一巡した。隣接諸分野の研究者も多数出席し、それぞれの専門分野から様々なコメントが加えられ、活発な討論が行われた。
計5回の研究会での発表と討論から次の点が明らかとなった。
- 都市性をアイデンティティーの異なる集団が共存する場や仕組みとした場合、南アジアにおいては従来村落と考えられてきた場所にも都市性が見出される一方、都市部には逆にアイデンティティーの単一な集団が集住する村落的な場が混在しているという特性があること。
- 南アジアにおいて都市的な空間を統合、編成する際に王権と宗教が重要な要因となるが、王権の性格や都市形成の基層となる宗教の相違によって、都市形成や都市における社会関係には相違がみられること。
- イスラーム文明の影響の濃淡に相関するようにして、南アジア北部と南部では都市的な空間の構成に大きな地域性の差が見出せること。
- 近代的な都市計画の介入によって、上記のような特性が特に大都市郊外においては見られなっており、郊外の生活経験において伝統と近代性の葛藤が顕著に見られること。またこれが南アジアの都市における暴力、ナショナリズムの興隆と密接に関連すること。さらに、郊外の生活経験という次元において、他地域との共通性が見出しうること。
これらは、南アジアの都市研究においては未だ体系的に記述・整理・分析がなされてこなかった知見であり、南アジア研究や都市研究に大きな貢献をなしうる成果となってきている。
この研究会は、幸いにも21年度に1年間の延長が認められた。21年度は上記の諸点についてさらに討論を深め、より一般性のある共同研究会によるファインディングスとして公表できるよう準備を進める。
2007年度
18年度は人文地理学、考古学、建築学等の関連諸分野の若手研究者による研究発表を中心に進め、南アジアの都市の形成や変化に関する知見を共有することができた。19年度は、人類学分野の研究者の研究発表を中心に進め、平行して進む科研費調査で得られた成果やその分析を共有し、討論することを目標にする。具体的には、南アジアの域内での地域差や都市のタイプ別差異(王都、宗教都市、商業都市など)に基づく比較をしながら、南アジア文明圏に通底する都市的なるものの性質を明らかにし、それが現在の経済・社会の大変動の中でどのような変容を遂げているのかを具体的に明確化することが目標となる。年度前半は各自の調査にあて、年度後半に2日間にわたる研究会を3回実施する。それぞれの2日間に集中的に発表と討論を行い、人類学的な調査を行った研究者が少なくとも1回は発表することを目指す。発表予定メンバーが多いため、19年度は特別講師を招聘する計画はない。
【館内研究員】 | 杉本良男 |
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【館外研究員】 | 井坂理穂、太田信宏、押川文子、金谷美和、小磯千尋、小牧幸代、小松原秀信、SAGAYARAJ Antonysamy、高田峰夫、外川昌彦、中島岳志、中谷純江、中谷哲弥、深尾淳一、松尾瑞穂、森本泉、八木祐子、柳沢究、山根周 |
研究会
- 2007年12月15日(土)13:00~17:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
- 中谷哲弥「インド・デリーにおける都市化の進展とエスニック・コミュニティーの揺らぎ」
- 外川昌彦「サバルタンと人類学者」
- 2008年3月8日(土)13:30~18:00(国立民族学博物館2階第6セミナー室)
- 杉本良男「宗教的センターの都市性-南インドの事例から」
- 太田信宏「テキストの中のヴィジャヤナガラ、テキストとしてのヴィジャヤナガラ-中近世南インドにおける王都とその象徴性」
研究成果
今年度は、人類学分野からの発表を中心に研究会を行った。しかし、隣接諸分野の研究者も多数出席し、それぞれの専門分野から様々なコメントが加えられ、活発な討論が行われた。
2回の研究会での発表と討論から次の点が明らかとなった。
これらの諸点につき、来年度さらに討論を深め、より一般性のある共同研究会によるファインディングスとして公表できるよう準備を進めてゆく予定である。
- 南アジアの都市形成の契機として、王権による社会統合が重要であること。また王権の主要な宗教が都市の性格に色濃く反映されてきており、これが都市の多様性を生み出す背景となっていること。
- 宗教的センターは、南アジアの都市的な雑種性を形成し、また維持する上で非常に重要な機能を果たしてきたこと。またここに離合集散する多様な人々によって、宗教的センターという空間そのものが雑種的性格を帯びるため、センターが郊外や村落部に位置したとしても、それ自体は都市的性格を持つトポスとなりうる。言葉をかえれば、南アジアの都市性は、人口の稠密性によって定義されうるものではないこと。
- 都市のローカリティが形成される契機として南アジア地域内の移住が大きな要因をなしており、出身地域ごとに一種のエスニックなローカリティが形成される都市もあること。
2006年度
本研究の目的は、(1)南アジアの都市の基層構造の解明(2)南アジアの都市社会の変容に伴う問題解決の方途の探求の2つにまとめられる。この目的達成のため具体的には(1)では、ア)都市の造られ方の特性をマクロレベル(都市の大きな地理構造)から街区の構成を経て、一戸一戸の住居の構造までのミクロレベルまでの把握 イ)様々な都市の比較による、南アジアの諸都市の類型化と特性の一般化 ウ)関連プロジェクトでのフィールド調査による、都市の意味空間の構成の把握 エ)都市の社会構造の、ミクロな近隣コミュニティレベルと都市全体のマクロレベルの双方での解明 オ)都市と農村の関係の歴史的な視点も取り入れた解明 などを目標にする。個々の参加メンバーは各自が特定の都市を具体的なフィールドとし、上記の問題を各々のディシプリンを生かして調査・探求する。その結果を研究会で発表して成果を共有し、また比較を重ねながら南アジアの都市の基層構造の解明にあたる。さらに中東や中華文明圏、東南アジアなど隣接地域との比較によって、南アジアの都市の性格を明らかにする。また(2)に関しては、(1)の成果を踏まえつつ、今日南アジア独自の都市の基層構造がどのような要因の影響を受けて変化しているのか、またその変化がどのような社会的・文化的な問題を生じているのかを把握し、今後の変化の可能性や課題解決の方向を考える。特に消費文化の進展やグローバル化の影響が、都市の中流から下層の人々にどのように及び、それが南アジアの政治・経済の変化に及ぼす影響を解明する。18年度から19年度にかけては、基本的には南アジア域内の都市の比較を念頭に、研究組織メンバーの研究発表と相互討論を重ねて、上記(1)と(2)の課題の解明にあたる。20年度は南アジア以外の都市が専門の研究者を積極的にゲストスピーカーとして招き、他地域との比較を通じたより広い観点からの課題解明を目標とし、成果のとりまとめにあたる。
【館内研究員】 | 杉本良男 |
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【館外研究員】 | 井坂理穂、太田信宏、押川文子、小磯千尋、小牧幸代、SAGAYARAJ Antonysamy、高田峰夫、外川昌彦、中島岳志、中谷純江、中谷哲弥、深尾淳一、森本泉、八木祐子、山根周 |
研究会
- 2006年12月16日(土)13:30~(第6セミナー室)
- 三尾稔「問題提起及びウダイプル市調査報告」
- 森本泉「カトマンドゥにおけるトゥーリスト空間の変容 ─ トゥーリズムの消費文化化 ─」
- 2007年3月12日(月)13:00~(第6セミナー室)
- 深尾淳一「古代、中世インドの都市構造」
- 柳沢究「ヴァーラーナシーにおけるモハッラと都市空間」
研究成果
今年度は、人文地理学、考古学、建築学といった人類学の隣接諸分野の研究者の発表を受け、それに基づいて討論を進めた。人類学的観点からの南アジア都市研究が立ち遅れている現状から未だまとまった内容の発表を期待するのは難しいという判断もその背景にはある。しかし、隣接分野の発表に対し、人類学者の側からも自らのフィールド経験に基づいて様々なコメントが加えられ、討論は非常に活発であった。2回の研究会での発表と討論から次の点が明らかとなった。
討論に基づき、来年度はモハッラの構成を建築学と人類学の双方の研究者が協力して分析することや、南部南アジアの基盤的都市構造を探り北部南アジアとの差異と共通性をさぐることなどが新たな課題として確認された。
- 南アジアの都市は、インダス文明期、グプタ朝期の2回大きな発展を迎えるがその後いったん衰退し、現在の伝統的都市の多くは7世紀以降に発展したものであること。
- 南アジア北部の都市はモハッラを社会構造の基盤とするが、南部にはこのような組織がなく、この差異の背景にはイスラム文明の影響の違いが認められそうであること。
- 消費文化化はインドにとどまらず、南アジア諸国の都市部で顕著な傾向であること。