国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

マオイスト運動の台頭と変動するネパール

共同研究 代表者 南真木人

研究プロジェクト一覧

目的

本研究の目的は、共産党毛沢東主義派(マオイスト)の内乱で揺れるネパールの現状を眼前にして、1)ネパールの社会政治的な変動とその背景を多角的に議論し、こうした状況下、2)人類学が貢献できる研究を模索しながら、その推進を図ることである。1990年の民主化と1996年に始まったマオイストの武装闘争を端緒とする混迷は、ネパールの特性である、王制、多民族国家、カースト制をもつ階層社会、「開発」の地域格差、インドとの複雑な関係といった要因と分かちがたく結びつく。また、そこには世界規模で普遍化する、民主主義、人権、自由、平等、開発といった理念と実践などが深く関与する。本研究では、こうした内外の要因や異なるベクトルがいかに絡み合い、ネパールの現状を誘発しているのかを探り、マクロな国家の危機的状況に対して、人類学のようなミクロな研究がいかにアプローチできるかを考察する。

研究成果

本共同研究では全9回の研究会を開催し、7名の特別講師(ネパール人3名)を含む班員が研究成果を報告して議論を積み重ねた。

班員の半数は、科学研究費補助金・基盤研究(B)「マオイスト運動の台頭と地域社会への影響―政体変革期ネパールにおける人類学的研究」の研究分担者ないし連携研究者であり、調査に基づく最新の現地情報とその分析が報告され、研究会のオブザーバー参加者は延べ23名であった。

他方、ネパールはこの4年間で、共同研究を開始する時点では予想できないほど変動した。それは、主要7政党とマオイスト間の包括的和平協定と内戦終結(2006年11月)にはじまる、マオイストの議会政党への転身(2007年1月)、制憲議会選挙におけるマオイストの勝利(第一党)と王制廃止およびネパール連邦民主共和国の誕生(2008年5月)、マオイスト連立政権(2008年8月~2009年5月)である。

なかでも王制廃止、共和制、世俗国家、包摂の民主主義(制憲議会選挙におけるマイノリティ留保制度など)は、何れもマオイストが当初から要求してきたことであり、マオイストの転身(武装勢力から議会政党へ)と躍進なくしては起こり得なかった革命的な出来事であった。

本共同研究ではマオイスト運動の台頭の要因として、1)マオイストが民族、ダリット(不可触カースト)、女性などマイノリティの取り込みに成功したこと、すなわち民族運動やダリット解放運動のappropriation、2)王制廃止と共和制を求める民意がギャネンドラ国王の直接統治などの暴挙によって高じたこと(偶然性)、3)暴力の蔓延と極度の緊張に嫌気がさした人びとが暴力の中止と平和を希求したこと、4)マオイストが村々の政治文化に、正義と権利の主張、不正の追及、論理的話法、書く文化といった広義のリテラシー、すなわち「近代」をもたらしたこと、逆にいうと、そうしたマオイストの主張に共感できる権利意識に目覚めた人びとが教育の普及や「開発」の進展で増えてきたことを、事例を挙げて明らかにすることができた。

2009年度

2009年7月ないしは9月に、それぞれの班員が報告書に向けた完成論文を持ち寄って発表し議論する、ワークショップ形式の研究会を1回開催する予定である。 これをもとに、みんぱく外部から出版し、成果を取りまとめる計画である。

【館内研究員】 南真木人
【館外研究員】 石井溥、上杉妙子、鹿野勝彦、小林茂、佐藤斉華、橘健一、名和克郎、幅崎麻紀子、 藤倉達郎、Maharjan, Keshav Lall、水野正己、森本泉、安野早己、山上亜紀、山本真弓、山本勇次、渡辺和之
研究会
2009年10月31日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
2009年11月1日(日)9:00~13:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
上杉妙子「グルカ兵の二重市民権運動に見る越境社会空間ネパールの動態」
橘健一「チェパンの生活改善とマオイスト運動」
幅崎麻紀子「夫を亡くした女性たちにとっての「内戦後」」(仮)
名和克郎「ビャンスにおける政党と政治 c. 1985-2009―予備的概観」(仮)
成果報告書出版打ち合わせ
研究成果

2008年8月、制憲議会選挙において第一党となったマオイストの議長プシュパ・カマル・ダハルが首相に選ばれ、マオイストを中心とした連立政権が発足したが、2009年5月には文民統制に従わない国軍のカトワル参謀長を解任したことで連立が崩壊し、辞任に追い込まれ、マオイストは下野した。こうした刻々と変化する状況を受けて、成果報告の方向性と内容を再検討するとともに、ポスト内戦の処理(寡婦への補償)、地方政治の変遷とマオイスト政治の影響(ビャンス、チェパン)、マオイスト運動とキリスト教化(チェパン)、市民権に表れる包摂の民主主義など、これまで取りあげてこなかった論点について議論を深めた。そこでは、武装闘争路線のマオイスト運動が議会政党としてのマオイスト政治に変化したことを重視した、新たな分析の視点が模索された。

2008年度

2008年4月10日に行われた制憲議会選挙においてマオイストが大勝し、連立政権を樹立したこと、これに伴い王制が廃止され連邦民主共和国に政体が変革した事実を踏まえ、マオイストの選挙運動とその受けとめられ方、他の政党の動向、開票結果の分析を複数の地域および団体を対象にすすめ発表して議論した。マオイスト躍進の背景として、巧みな選挙キャンペーン、マイノリティ包摂への積極的な取り組み(候補者の留保制の導入と徹底)、「新しいネパール」という時勢やムードとマオイストの言説の一致、(マオイストが選挙で敗北した場合)人民戦争を再開するのではないかという恐怖・強迫観などが考えられた。他方で、マオイストの発砲に反撃し、一人のマオイストを殴打して殺害してしまった村が、村を挙げて国内避難民になった顛末(語り)が紹介された。また、東ネパールの1つの郡出身のマオイスト戦死者(殉国者)75人について、その戦歴・偉業を称え追悼する文集が編まれ、それを元に行った遺族への困難な聞き取り調査について報告された。この他に、貧困な不法土地占拠者(スクンバシ)に対するマオイスト運動の浸透、インドの武力闘争ナクサライト運動との比較、普遍的な課題である現地語表記問題の解決の糸口などについて全員で議論した。

【館内研究員】  
【館外研究員】 石井溥、今井史子、上杉妙子、鹿野勝彦、小林茂、佐藤斉華、橘健一、名和克郎、 幅崎麻紀子、藤倉達郎、Maharjan, Keshav Lall、水野正己、森本泉、安野早己、山上亜紀、山本真弓、山本勇次、渡辺和之
研究会
2008年6月7日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第1演習室)
山上亜紀「選挙準備から開票まで―スンサリ郡の選挙監視から」
名和克郎「選挙監視団員として見た制憲議会選挙―バンケ郡の場合」
南真木人「コングレスが勝ったナワルパラシ郡第1選挙区」
藤倉達郎「選挙をするということ―ネパールとブータンの2008年3月」
2008年10月19日(土)10:00~14:00(帝京大学八王子キャンパス)
安野早己「村人がマオイストに立ち向かった日―2001年ダサイン、ルルク村」
小倉清子「制憲議会選挙から与党に―マオイストが抱える問題とこれから」
2008年12月13日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 大学院演習室)
2008年12月14日(日)9:00~15:00(国立民族学博物館 大学院演習室)
渡辺和之「マオイストの犠牲者追悼集会―オカルドゥンガ郡の試みから」
中溝和弥「武器を取った地主―インド・ビハール州におけるナクサライトの政治参加と政治変動」
山本勇次「グラミン方式マイクロ・クレジットは、貧困削減家庭への福音なのか?―ポカラのチメキ・ビカス・バンクのケース・スタディ」
石井溥「言語接触の一側面―ネパール語(等)の表記をめぐって」

2007年度

昨年度は2回の研究会を開催し研究を始動させた。本年度は3~4回の研究会を開催し、これまでの議論を踏まえながら班員及びゲスト・スピーカーの研究発表を積み重ねていく計画である。発表は昨年度の経験から、地域やコミュニティにおける過去10年の社会変動をテーマとする研究、現在まさに日々生起している出来事を対象とする研究に分かれると推測される。だが、両者は不可分にリンクしており、往還して考察・議論することを目指す。後者については、刻一刻と変化するネパールの政治情勢を受けて、ある時点で、新たに現地調査を行った班員を話題提供者として、一般市民をも対象とする小セミナーを開くことを臨機応変に考えたい。また、2007年6月に行われる予定の制憲議会選挙では、その資料収集と整理作業を本共同研究を核として実施し、基礎的な資料・情報の共有を図る予定である。

【館内研究員】  
【館外研究員】 石井溥、今井史子、上杉妙子、鹿野勝彦、小林茂、佐藤斉華、橘健一、名和克郎、藤倉達郎、Maharjan, Keshav Lall、水野正己、森本泉、安野早己、山上亜紀、山本真弓、山本勇次、渡辺和之
研究会
2007年7月21日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第6セミナー室(2階))
永井和子「移動するネパールのグルン(タム)の人々―ポカラ市における都市生活の研究」
渡辺和之「内戦のあとで―海外出稼ぎと首都への移住の増加」
マハラジャン・ケシャブ・ラル「ネパールの農村における生活戦略について―地域的比較を念頭に」
2007年10月27日(土)13:30~19:00(金沢大学 角間キャンパス 文法経棟206教室(920-1192 金沢市角間町、電話076-264-5310(鹿野勝彦)))
森本泉「変動するネパールとガンダルバにみられる変化(仮題)」
藤倉達郎「現代ネパールの「対決型政治」('contentious politics')についての一考察―貧困層による抗議行動の事例から(仮題)」
2008年2月23日(土)13:30~18:00(国立民族学博物館 第3セミナー室)
佐藤斉華「ネパールにおける労働の人類学に向けて―予備的考察」
谷川昌幸「マオイストと新憲法制定への課題」
研究成果

2年目の本年は、それぞれの発表者が模索するマオイスト運動理解へのアプローチや問題設定を発表し議論を重ねた。主に以下のような論点が提起された。

  1. 東ネパールの事例からマオイストの人民戦争は中産階級を首都に、それより上の階級の人を海外に追い出した。
  2. 農村社会の多様な変化のなかで「マオイストの影響」を整理する必要があり、マオイストの40項目の要求と社会変化を照らし合わせてみたが、きわめて難しいこと。
  3. ガンダルバが作る歌詞に見られるグローバル化、人民戦争、国王(批判)、選挙(投票喚起)、マオイスト(ほぼ皆無)の影響や取り扱いの分析。
  4. バディやカマイヤ(解放された債務農奴)のストライキ、デモなどの運動およびタライにおけるマデシ(低地民)とパハリ(山地民)の暴力的対立を社会運動論の「対決の政治」理論から捉え直す試み。
  5. ネパールの労働論の整理と労働組合、マオイストの関係の展望。
  6. 政治思想史から、マオイストの国家構想・イデオロギー(1996年、2001年)および暫定憲法(2006年)との異同の分析。

2006年度

本研究の特徴は人類学が、緊急性を要し、かつ深刻な問題であるマオイスト運動を正面から取り上げることにある。共同研究員はそのため、現地でのフィールドワークを経験し定点調査地を持つ、人類学、農業経済学、人文地理学、農村開発論などの研究者のみで構成される。つまり、本研究では、本に書いてあることをまとめたり、報道を分析したりする研究手法を採用しない。各共同研究員は、自らが調査する地域あるいはコミュニティにおいて、マオイスト運動がどのような影響をもたらしているのかに焦点をあて、過去10年の社会変動に関して発表する。こうした事例研究の発表は、ここ1~2年、既に本研究の目的に沿った現地調査を実施している研究者から始め、各地で今何が起こっているかの実態把握から研究をスタートさせる。

他方で、第三世界イデオロギーとしての毛沢東主義、インドのナクサライト運動、インド亜大陸の共産党史など、一国を越えたテーマについてはゲスト・スピーカーを招聘することで補完し、ネパールに特化しつつも、そこに捕らわれない幅広い議論がなされるよう配慮する。また、少数だが、数年フィールドを再訪していない共同研究員(大学院生)がいるので、本研究の班員数名で科学研究費を申請し、現地調査の機会を担保した共同研究に発展させる心算である。この場合、現地調査は新規の土地ではなく、過去の調査地で実施されるため、内乱下にあっても安全は確保されると予想する。

【館内研究員】  
【館外研究員】 石井溥、今井史子、上杉妙子、鹿野勝彦、小林茂、佐藤斉華、橘健一、名和克郎、幅崎麻紀子、藤倉達郎、前田亜紀、Maharjan, Keshav Lall、水野正己、森本泉、安野早己、山本真弓、山本勇次、渡辺和之
研究会
2006年11月11日(土)13:30~(第3セミナー室)
南真木人「問題提起、及びマガール人にとってのマオイスト問題」
安野早己「マオイスト人民戦争とビスタピット(国内難民)」
ドゥルバ・バスネット作ドキュメンタリー『戦火にさらされる学校』上映
2007年3月3日(土)13:30~(第4セミナー室)
Govind Prasad Dhakal "Impact of Maoist insurgency in Okhaldhunga District of Nepal"
Seira Tamang "The problems of conceptualizing a new social contract in Nepal "(tentative)
Pancha N. Maharjan "Will the negotiation process be successful to bring sustainable peace?"
研究成果

初年度の本年は、研究の意義と方向性に関する議論を経て、既に予備的な調査を開始している班員およびネパール人特別講師による研究発表を実施した。第一に、マオイストの席巻(政権への参加)によって、民族運動を主導してきた指導者の影響力が弱化し、勢力図が急転回していることが確認された。第二に、国内避難民が発生した過程、政府の補償を得るまでの交渉などの詳細な個人史が報告され、こうしたアプローチが平板な記述を乗り越える有効な方法論の一つであることが認識された。他方で3人のネパール人研究者による発表と議論からは、

  1. マオイストに対する「人びと」の考えをいかに把握するのかという方法論上の問題、
  2. 内外の安全保障の言説に包含され、影響を受けてきたマオイスト内乱(なぜ内戦と呼ばないのか)、「ネパール人」とは誰かの再検討の必要性、
  3. 和平交渉における民族運動の役割、などに注目する重要性が提起された。