捕鯨文化に関する実践人類学的研究
目的
人類はこれまで捕鯨を行い、鯨を食料や原料として利用してきた。世界各地には捕鯨や鯨食を生活の核とする文化が存在している。しかし現在では国際捕鯨委員会での決定により、一部の先住民による生存捕鯨や小型鯨類の捕獲が条件付で認められているものの、大型鯨類の商業捕鯨は事実上、不可能になっている。さらに環境NGOの活動により、捕鯨禁止のための活動が地球規模で繰り広げられている。このような状況の中で多くの社会において鯨は食料資源ではなくなりつつある。このように人類と鯨類との関係は歴史的に大きく変容してきた。
本研究会では、アラスカやチュコト半島の沿海、カナダ西部極北地域、グリーンランド、カリブ海などで実施されている先住民による大型鯨類および小型鯨類の捕獲、日本の小規模沿岸捕鯨、かつての欧米の大型商業捕鯨、国際捕鯨委員会、欧米人の鯨観、反捕鯨を訴える環境NGOを研究対象として取り上げ、文化人類学的な視点やポリティカルエコロジーの視点から世界各地の捕鯨と捕鯨文化の歴史と現状を把握するとともに、国際的な捕鯨問題の争点を検討することを目的とする。さらにこの研究を通して、人類と鯨類の共存のあり方、すなわち人類による鯨資源の持続可能な利用のあり方を模索し、提言する。
研究成果
本共同研究会では、次のような成果を得た。
- 西日本や北海道ではイルカや大型鯨類が縄文時代から資源として利用されてきたが、1570年ごろから組織的な捕鯨が伊勢を発生地とし紀州や土佐を経て西日本に広がり、江戸時代には産業として栄えた。一方、南欧のバスク人やスカンジナビアのバイキング人、アラスカのイヌピアットらは、遅くとも紀元1000年ごろから捕鯨を行っていた。今回の研究から人類による資源としてのクジラ利用は、数千年の歴史を持つことが確認された。
- 欧米社会では大航海時代以降、クジラは産業資源のシンボルであったが、1970年代ごろから不可侵の神のような存在となり、環境保護のシンボルへと変化してきた。これによって捕鯨は悪とみなされるようになった。現在のグリーンピースなど環境NGOは、メディア上でクジラのイメージを戦略的に操作し反捕鯨活動をグローバルに展開している。
- 日本は、再生可能な資源量のあるミンククジラなどの商業捕鯨の再開を科学的な根拠を基に主張し続けてきたが、反捕鯨国は科学の不確実性を理由に反対し続けている。国際捕鯨委員会(IWC)では、捕鯨支持派も反捕鯨派も4分の3以上の支持を得ることができないため、機能不全に陥っており、商業捕鯨のモラトリアム問題を解決することができない状態にある。
- IWCの認可のもと、ロシア・チュコト半島とアラスカ、ベクウェイ、グリーンランドでは先住民生存捕鯨が実施されているが、その実態や獲物の流通には差異が見られることが判明した。とくに先住民生存捕鯨と商業性の関係を考慮し、「先住民生存捕鯨」の概念を再検討する必要がある。
- 捕鯨をめぐる生命倫理や動物の福祉の問題に関して、IWCではいかにすみやかに苦痛を軽減してクジラを捕殺するかが大きな問題となっているが、急進的な動物愛護団体はクジラの命を奪うこと自体を大きな問題としており、議論がかみ合っていない。クジラ問題を考える時、生物はほかの生物の命をもらって生きているという事実を前提とする必要があると考える。
- 世界各地における捕鯨の過去や現状を比較検討した結果、特定のクジラの資源量が持続可能であるならば、文化的かつ歴史的な必要性に基づき、人類はクジラ資源を活用すべきであるという結論に達した。また、捕鯨問題の背景には異なる価値観のぶつかり合いが存在し、その問題を解決するためには、文化人類学をはじめとする人文学の成果を活用すべきだとの結論に達した。
2010年度
最終年度である平成22年度には、欧米と日本におけるクジラのイメージ、日本の古式捕鯨、国際捕鯨委員会(IWC)と反捕鯨運動、捕鯨文化の比較研究をテーマとして、以下のように4回の共同研究会を実施する。
- 第1回の研究会「欧米および日本におけるクジラのイメージの変遷」:欧米と日本におけるクジラ観の変遷を比較検討する。
- 第2回の研究会「日本の捕鯨史再考」:日本における中世以降の捕鯨の展開を再考する。
- 第3回の研究会「国際捕鯨委員会と反捕鯨運動の展開」:国際捕鯨委員会と反捕鯨運動の歴史と現状について検討を加える。
- 第4回の研究会「捕鯨文化の比較研究」:共同研究会の成果の総括として、世界各地の捕鯨を取り上げ、比較検討することを目的とした一般公開のシンポジウムを開催する。
【館内研究員】 | 池谷和信 |
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【館外研究員】 | 秋道智彌、李善愛、石川創、岩崎まさみ、遠藤愛子、河島基弘、小島孝夫、櫻井敬人、竹川大介、丹野大、中園成生、野本正博、橋村修、浜口尚、林良博、松本博之、山浦清、山口未花子、渡部裕 |
研究会
- 2010年6月5日(土)13:30~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- テーマ「クジラ観の変遷」
- 「趣旨説明」岸上伸啓(国立民族学博物館)
- 森田勝昭(甲南女子大学)「アメリカ捕鯨産業の消長とクジラ観の変遷―資源から美的対象へのジャンプをめぐって」
- 河島基弘(群馬大学)「映像に見る20世紀後半の鯨観の変遷―ボードリヤールのハイパーリアリティを援用して」
- 2010年7月31日(土)13:20~18:00(国立民族学博物館 大演習室)
- 「趣旨説明」岸上伸啓(国立民族学博物館)
- 小松正之(政策研究大学院大学)「鯨類資源管理をめぐる条約と紛争の過去、現在と将来」
- 赤嶺淳(名古屋市立大学)「捕鯨をめぐるポリティクッス序章-第62回国際捕鯨委員会に参加して」
- 「総合討論」(全員)
- 2010年10月9日(土)13:20~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 岸上伸啓(国立民族学博物館)「趣旨説明」
- 林良博(東京農業大学)「動物の飼育と殺処分に関する倫理」
- 石川創(日本鯨類研究所)「捕鯨と動物福祉―捕鯨国と反捕鯨国の論理」
- 「総合討論」(全員)
- 2010年12月11日(土)10:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 「趣旨説明」岸上伸啓(国立民族学博物館)
- 中園成生(平戸市生月町博物館・島の館)「日本における捕鯨法の展開」
- 中村羊一郎(静岡産業大学)「日本におけるイルカ漁の諸相(仮)」
- 安永浩(名護屋城博物館)「呼子の古式捕鯨(仮)」
- 大塚和義(大阪学院大学)「北海道南部の捕鯨(仮)」
- 「総合討議」(全員)
-
2011年3月11日(金)9:30~18:00(国立民族学博物館 第2演習室)
2011年3月12日(土)9:30~18:00(国立民族学博物館 第2演習室) - 《3月11日》
- 全員「共同研究会の成果の取りまとめと出版について」
- 櫻井敬人・李善愛「先史・歴史期の捕鯨についてのとりまとめ検討」
- 渡部裕「先住民生存捕鯨の成果とりまとめの検討」
- 丹野大「日本の捕鯨の成果とまとめについての検討」
- 《3月12日》
- 全員「共同研究会の成果の取りまとめと出版について」
- 渡部裕「アイヌなど地域捕鯨の成果とりまとめの検討」
- 丹野大「捕鯨をめぐる国際政治の成果とりまとめの検討」
- 岸上伸啓「出版計画について」
研究成果
本年度の共同研究によって、以下の点が明らかになった。
- 欧米社会では産業資源のシンボルであったクジラが、不可侵の神のような存在となり、環境保護のシンボルへと変化してきた。これによって捕鯨は悪とみなされるようになった。現在のグリーンピースなど環境NGOは、メディア上でクジラのイメージを戦略的に操作して反捕鯨活動を展開している点が指摘された。
- 日本は、再生可能な資源量のあるミンククジラなどの商業捕鯨の再開を科学的な根拠に基づき主張し続けてきたが、反捕鯨国は科学の不確実性を理由に反対し続けている。国際捕鯨委員会(IWC)では、捕鯨支持派も反捕鯨派も4分の3以上の支持を得ることができないため、機能不全に陥っており、商業捕鯨のモラトリアム問題を解決することができない状態にある。
- IWCでは、クジラに関する生命倫理や動物の福祉の問題が検討されている。IWCではいかにすみやかに苦痛を与えずにクジラを捕殺するかが大きな問題となっているが、急進的な動物愛護団体はクジラの命を奪うこと自体を大きな問題としており、議論がかみ合っていない。クジラ問題を考える時、生物はほかの生物の命をもらって生きているという事実を前提とする必要があると考える。
- 1570年ごろ以降に伊勢から紀州や土佐を経て西日本に組織的な捕鯨が広がり、江戸時代には産業として栄えたことが知られているが、西日本や北海道においては縄文時代から捕鯨やイルカ漁が実施されてきたことが明らかになった。また、日本各地でイルカ漁が実施されてきたことも明らかになった。
- 世界各地における捕鯨の過去や現状を比較検討した結果、特定のクジラの資源量が持続可能であるならば、文化的かつ歴史的な必要性に基づき、人類はクジラ資源を活用すべきであるという結論に達した。また、捕鯨問題の背景には異なる価値観のぶつかり合いが存在し、その問題を解決するためには、文化人類学をはじめとする人文学の成果を活用すべきだとの結論に達した。
2009年度
2年目の本年度は、商業捕鯨、先住民(生存)捕鯨、日本の小規模沿岸捕鯨、アイヌ民族の捕鯨をテーマとして取り上げ、研究会を4回、実施する。
第1回の研究会「商業捕鯨の歴史的展開」:18世紀以降に盛んになった商業捕鯨の展開について世界史的な視点から検討を加える。
第2回の研究会「先住民捕鯨の歴史と現状」:世界各地の先住民生存捕鯨の歴史と現状についてアラスカ、ロシア・チュコト半島、ベクエイ島を事例として検討を加える。
第3回の研究会「日本の小規模沿岸捕鯨」:日本の小規模沿岸捕鯨について、網走、鮎川、和田浦、太地を事例として検討を加える。
第4回の研究会「アイヌ民族の捕鯨」:アイヌ民族の捕鯨を取り上げ、アイヌ民族とクジラの歴史的な関係について検討を加える。さらにアイヌの伝統復興運動との関連で捕鯨を検討する。
【館内研究員】 | 池谷和信 |
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【館外研究員】 | 秋道智彌、李善愛、石川創、岩崎まさみ、遠藤愛子、河島基弘、小島孝夫、櫻井敬人、竹川大介、丹野大、野本正博、橋村修、浜口尚、林良博、松本博之、山浦清、渡部裕 |
研究会
- 2009年7月5日(日)14:00~17:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
- 岸上伸啓「序論:世界の捕鯨と捕鯨史博物館」
- Joost Schokkenbroek“Man, Monstrous Mammals and Art: Dutch Whaling and Museum Collections.”
- 櫻井敬人「捕鯨史博物館の活動:ニューベッドフォード、ケンダル、ナンタケット、サンデフィヨルド、その他」
- 2009年11月7日(土)13:00~17:30(国立民族学博物館 第1演習室)
- 「日本の捕鯨(I)」
- 岸上伸啓「趣旨説明」
- 丹野大「鯨肉関係料理は日本人の食文化意識の中でどのような位置をしめているか:2008年収集データ(560人)の分析結果が示唆する因果的説明」
- 山口未花子(北海道大学)「網走における小型沿岸漁船によるツチクジラ漁」
- 2009年11月21日(土)10:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 「先住民生存捕鯨」
- 趣旨説明 岸上伸啓
- 岸上伸啓「アラスカ先住民イヌピアックの捕鯨の変化と現状について」
- 池谷和信「ロシア先住民チュクチの捕鯨の変容について」
- 岩崎グッドマン・まさみ「カナダ先住民イヌヴィアルイットの捕鯨について」(仮題)
- 浜口尚「国際関係の中における先住民生存捕鯨―カリブ海、ベクウエイ島の事例を中心に」(仮題)
- 中園成生(平戸市生月町博物館・島の館)「先住民生存捕鯨を比較する」・「コメント」
- 「総合討論」全員
- 2009年12月19日(土)13:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 「韓国の捕鯨文化」
- 森田勝昭(甲南女子大学)「韓国の捕鯨文化」
- 李善愛(宮崎公立大学)「韓国東海岸地域の鯨食文化」
- 2010年1月23日(土)13:00~17:30(国立民族学博物館 第1演習室)
- 「安房地方のツチクジラ漁とグリーンランドの捕鯨」
- 岸上伸啓「研究会の趣旨説明」
- 小島孝夫「安房地方のツチクジラ漁の現状と課題」
- 高橋美野梨(筑波大学)「「反捕鯨」規範と「規制帝国」-EUを事例に道徳的価値の国際規範化を考える」
研究成果
世界の捕鯨史博物館、日本の小型沿岸捕鯨と鯨食、韓国の鯨食文化、先住民生存捕鯨の現状に関して、次のような知見をえた。
- 米国やオランダなど欧米では商業捕鯨は過去のものであるが、それぞれの国では基幹産業のひとつであった時代があった。その歴史を記録し、展示している捕鯨博物館や海事史博物館が存在し、活動を続けている。
- 網走や鮎川、和田浦、太地では鯨肉が流通し、食されているが、日本全体でみると鯨食離れが顕在化している。丹野によると、鯨肉の価格が高いというイメージや動物愛護が、鯨料理の普及に負の影響を与えているという。
- 国際捕鯨委員会の認可のもと、ロシア・チュコト半島とアラスカ、ベクウェイ、グリーンランドでは先住民生存捕鯨が実施されているが、その実態には差異が見られることが判明した。
- 韓国では捕鯨は現在では実施されていないが、混獲による鯨肉が流通し、蔚山周辺には鯨食文化が存続している。
- 2008年6月にEUは、反捕鯨を政治理念のひとつに掲げ、加盟国はその理念を支持し、順守しなくてはならなくなった。このことにより、デンマークを介してEUの一員であるグリーンランドの先住民生存捕鯨の継続や日本などによる商業捕鯨の再開に負の影響を及ぼしていることが判明した。
2008年度
第1回の研究会「問題提起と今後の課題」:研究代表者が問題提起を行う。それに基づいて、全員で検討し、全体の研究の方向と内容を確認するとともに、各自の研究の分担を明確にする。
第2回の研究会「捕鯨の考古学的・歴史学的研究」:考古学と歴史的な立場から、極北地域の捕鯨、日本の伝統捕鯨について報告し、検討を加える。
【館内研究員】 | 池谷和信 |
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【館外研究員】 | 秋道智彌、石川創、岩崎まさみ、遠藤愛子、河島基弘、小島孝夫、櫻井敬人、竹川大介、丹野大、野本正博、橋村修、浜口尚、林良博、松本博之、山浦清、渡部裕 |
研究会
- 2008年11月23日(日)13:00~17:30(国立民族学博物館 第2演習室)
- 「全体の研究構想について」岸上伸啓(民博)
- 日本における捕鯨文化研究の動向と課題
- 日本における捕鯨文化研究の動向(文化人類学関連主要文献)
- 「各自の研究紹介」全員(ひとり15分程度)
- 「研究構想についての討論」全員
- 2009年1月25日(日)13:00~17:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 「捕鯨文化の考古学的研究」
- 山浦清「考古学から見た日本列島捕鯨通史」
- James Savelle "Prehistoric Bowhead Whaling and Bowhead Whale Paleobiogeography in the North American Arctic"
研究成果
本年度は、捕鯨に関する研究動向の把握を行ったうえで、検討すべきテーマを決定し、研究会を開始した。
- 日本人研究者による捕鯨に関する研究として通文化研究、日本における小規模沿岸捕鯨、先住民生存捕鯨、捕鯨をめぐる国際政治、日本の伝統捕鯨、食文化、クジラ観光、クジラをめぐる外交史、クジラ観などが実施されていることが判明した。
- 研究課題として「捕鯨の考古学・歴史学的研究」「商業捕鯨の歴史と展開」「先住民捕鯨の歴史と現状」「日本の小規模沿岸捕鯨」「アイヌ民族の捕鯨」「人類と鯨類の関係の多様性」「国際捕鯨委員会の展開と捕鯨問題の現状」を設定した。
- 「捕鯨の考古学・歴史学的研究」の研究会を開催し、日本と極北地域の捕鯨について検討を加えた。日本ではイルカや大型鯨類については縄文時代から資源として利用されてきたが、中世以降に捕鯨が各地に伝播し、盛んになったことが報告された。極北地域では紀元1000年ごろから捕鯨が盛んになったが、極北先住民は意図的に若年のホッキョククジラを捕獲していたことが報告された。資源としてのクジラ利用は、千年以上の歴史を持つことが確認された。