国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

人の移動に注目した場所・空間・景観の文化人類学的研究

共同研究 代表者 市川哲

研究プロジェクト一覧

目的

グローバリゼーションやトランスナショナリズムを視野に入れた研究が一般化するに伴い、文化人類学的研究でも自己の研究に空間的な広がりをいかにして取り入れるかが重要な問題として浮上してきた。このような背景により、場所、空間、景観、領域、地域性といった地理学的概念が文化人類学にも様々な影響を与えてきている。特に人間や資金、知識、情報、メディア、イデオロギー等の様々な事物が流動する現状を捉えようと試みる研究では、空間に関わる研究が重要性を持つこととなる。しかし上述した現象学的地理学の概念を取り入れた文化人類学的研究は抽象的な理論志向が強く、空間論や景観論を具体的な民族誌記述の中で検討するという作業は端緒についたばかりである。本共同研究は以上の研究動向に鑑み、各共同研究員の場所や空間、景観に関する研究成果を、特に人の移動に注目することにより理解することを目的としている。

研究成果

2年間の共同研究で合計8回、13人の発表者が研究発表した。それぞれの研究会では各共同研究員および特別講師が、人の移動を対象とする自己の民族誌的調査の成果を報告し、それを参加者全員で場所・空間・景観といった概念に依拠することにより議論した。本共同研究は人の移動を場所・空間・景観といった概念によって文化人類学的に研究する可能性を議論することを目的とした。そのため本共同研究で採り上げた地域やテーマは多岐にわたった。だが研究会を重ねるにつれ、移民が形成する組織や移民にとっての故郷認識や帰郷にまつわる諸実践、移民の居住地とホスト社会との空間的な関係等、異なる地域の事例を共通する枠組みの中で議論し、相互に対話することが可能であることが明らかになった。このような移動する人々を対象とする比較研究の可能性は、文化人類学がこれまで抱えて来た、特定の地域の文脈を重視した記述に特化する民族誌的研究と、そのような地域を超え、他地域の研究成果との対話を目指す比較研究との間の懸隔をどのように乗り越えるかという問題と密接にかかわると思われる。従来の移民研究では、各地域出身の移民を対象とした研究蓄積はなされて来たが、その一方で、それらの移民研究の成果を共通の枠組みの中で議論する作業はまだ盛んになされているとは言い難い。本共同研究では、このような生活空間の拡大にともなう社会変化を、場所、空間、景観といった共通の概念によって分析することにより、人の移動を対象とする個別の民族誌的研究成果を、共通の問題意識のもとに包括的に理解する可能性と方向性を明らかにすることが出来た。

2009年度・2010年度

昨年度に引き続き、場所・空間・景観に関わる概念の整理と検討、および各共同研究員がこれまで行ってきた民族誌的研究の報告を計画している。初年度の共同研究では、これまで各研究員が個別に研究して来た地域や移民集団の事例を報告し、それらを場所や空間、景観といった共通の視点から議論してきた。その過程で、個別地域の事例研究とともに、他地域の事例との共通性や差異性を検討するための共通する概念や枠組みの整理が必要であることが明らかになった。そのため本年度より、従来のメンバーがカバーしていないテーマや地域を対象とした研究者に新たに共同研究員として参加してもらい、さらなる議論の深化を試みる。さらに人文地理学の専門家をゲスト・スピーカーとして招き、地理学的概念に関する研究発表を依頼することを計画している。また今年度は共同研究の最終年度であるため、共同研究の成果を学術論文として発表する。また関連学会、国際シンポジウム等でのパネル発表の形での公表も予定している。

【共同研究員】 飯高伸五、木村自、小谷幸子、渋谷努、椿原敦子、横田祥子、大川真由子、久保忠行
研究会
2009年6月20日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
木村自「雲南ムスリムのトランスナショナルな社会空間と景観論」(仮題)
横田祥子「グローバル化した家族形成と労働の連続性:台湾中部地方都市の事例から」(仮題)
2009年9月26日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
渋谷努「『帰省』から見る空間認識の変容―在仏モロッコ移民とモロッコに住む親族との相互認識を通して」
飯高伸五「パラオ人の植民地経験と村落社会空間の再編成」
2009年11月7日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
加藤政洋(特別講師)「人文地理学における人の移動と空間論」(仮題)
市川哲「人の移動に注目した場所・空間・景観の文化人類学的研究の中間報告と今後の方向性について」
2010年4月17日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
久保忠行「難民キャンプという場所と空間(仮題)」
窪田暁(特別講師)「アメリカのドミニカ移民の社会空間(仮題)」
2010年7月10日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第3セミナー室)
2010年7月11日(日)9:30~14:30(国立民族学博物館 第3セミナー室)
大西秀之「景観変容と移住の相関にかかわる一考察:上川アイヌ社会と奄美加計呂麻島を事例として」
小谷幸子「対抗関係を内包する身体、そしてその身体が媒介する場所―ある在米コリアン2世の生き方に着目して」
大川真由子「オマーン人の植民地経験と社会空間――移住、帰還、そして故地」(仮題)
奈倉京子「帰国華僑の故郷認識―広東省および福建省での調査から」(仮題)
研究成果

本年度は新たに二名の研究者に新規に共同研究員として参加してもらうとともに、特別講師による研究発表を依頼した。第一回目の研究会では加藤政洋氏を特別講師として招待し、近年の人文地理学における近年の研究動向と自身の研究から、場所・空間論と人の移動に関する諸問題についての発表を依頼した。また共同研究員の市川が前年度の共同研究会のまとめと今後の方向性について発表した。第二回目の共同研究会では、共同研究員の久保忠行がタイにおけるミャンマー人の難民キャンプを取り上げ、特別講師の窪田はアメリカ合衆国に居住するドミニカ移民の事例を取り上げた発表を行った。第三回目の共同研究会は二日連続で行われ、初日の研究会では共同研究員の小谷がアメリカ合衆国サンフランシスコの日本人町における在米コリアンの関わりについて発表した。また特別講師の大西は北海道上川アイヌと奄美加呂麻島の事例を紹介した。二日目の研究会では共同研究員の大川がザンジバルから1970年代にオマーンに帰国した人々を採り上げた発表を行った。特別講師の奈倉は中国に帰国した華僑たちにとっての故郷認識について、福建省厦門市における帰国華僑の組織「帰国華僑の家」を事例として発表した。

2008年度

本共同研究は各参加者の問題意識の共有と個別の民族誌的事例の報告、および研究成果の発表という三つの部分から構成される。

第一点目は、参加者相互の問題意識の共有のための作業である、これは特に本共同研究の基本的な理論的背景である、近年の人文社会科学における場所、空間、景観に関する議論の把握と整理である。

第二点目は、そのような問題意識の共有に基づいた、各参加者による個別の民族誌的成果の報告である。これにより、抽象的な議論を避け、具体的な事例に即した議論を進める。そして第一点目で確認した問題意識に関する考察をさらに深めることを目的とする。

第三点目は、以上二つの作業を踏まえた最終的な研究成果の公表の準備である。これは研究論文による成果報告と、各参加者の所属学会での口頭発表という二つを考えている。それにより本共同研究参加者以外の研究者との対話を試みる。

初年度は研究会を三回開催することを計画している。第一回目は本研究会を通しての目的と理論的背景に関する研究発表を行う。第二回目と第三回目はムスリム移民の活動を事例とした研究発表を予定している。

【共同研究員】 飯高伸五、木村自、具知瑛、、小谷幸子、渋谷努、椿原敦子、横田祥子
研究会
2008年11月6日(木)13:30~18:30(国立民族学博物館 第1演習室)
「パプアニューギニア華人の移住経験と社会空間(仮題)」市川哲
「共同研究の趣旨説明およびメンバー紹介」全員
2009年1月15日(木)13:30~17:30(国立民族学博物館 第1演習室)
発表者:椿原敦子
テーマ:「batenからzaherへ:LAにおけるイラン人ムスリムの宗教空間」
研究成果

初年度は合計四回の共同研究会を開催した。初回の共同研究会では市川が、本共同研究の方向性と目的について説明し、事例研究としてパプアニューギニア華人のトランスナショナルな社会空間を連続的な移住経験から捉える視点について発表した。続く共同研究会では椿原はアメリカ合衆国ロサンジェルスにおけるイラン人移民の宗教空間の性格をペルシャ語の民俗語彙に注目することにより分析した。木村は台湾における雲南ムスリム移民について報告し、彼ら彼女らの移住とディアスポラ性を「共存する差異」という観点から理解する視点について発表した。横田は近年の台湾における国際ブローカー婚の現状を紹介し、グローバル化した家族形成と労働の連続性について報告した。渋谷はフランスにおけるモロッコ移民の帰郷経験についての研究発表を行い、フランス社会に定住しているとされる人々にとっての越境の持つ意味について分析した。飯高はパラオ共和国における植民地期以降の村落空間の再編成を、模倣の社会空間という概念により跡付けた。なお共同研究の中間成果報告として、共同研究員である市川、小谷、椿原が、松尾瑞穂(日本学術振興会特別研究員・京都大学)、佐藤まり子(民博外来研究員)、岡部真由美(総研大院生)とともに2009年8月に韓国で開催された第6回国際アジア研究者会議(ICAS6)に参加し、パネル発表「Religion and Social Space: Anthropological Studies in Asian Societies」を組織し、研究成果を発表した。