国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

驚異譚にみる文化交流の諸相-中東・ヨーロッパを中心に-

共同研究 代表者 山中由里子

研究プロジェクト一覧

キーワード

驚異譚、比較文学比較文化、異境の表象

目的

本研究が対象とする「驚異譚」とは、ラテン語でmirabilia、アラビア語・ペルシア語でajāʾibと呼ばれる、辺境・異界・太古の怪異な事物や生き物についての言説である。未知の世界の摩訶不思議を語るこのようなエピソードは、東西の歴史書、博物誌・地誌、物語、旅行記・見聞記などに登場するが、これらの多くは古代世界から中世・近世の中東およびヨーロッパに継承され、様々な文化圏で共有されてきた。

本共同研究は中東およびヨーロッパの文学・歴史の専門家によって構成されており、これらが協力して各時代・地域の「驚異譚」を比較し、伝播の過程、世界観の相違、文化交流のダイナミズムなどを次の三つの主要軸を中心として解明してゆく。

  1. ジャンルの枠組とモチーフの分類
  2. 知識の伝播と世界観の変遷
  3. 宗教・言語・文化的な特異性と超域的な包括性
研究成果

研究会ごとに共通の主題を設定し、研究発表と討論を行った。「海の驚異譚」、「驚異としての古代」、「奇跡・魔術と驚異」、「驚異としてのアフリカ大陸」、「境界を見た人びと」、「驚異の視覚化」、「驚異の編纂」、「驚異の蒐集」というテーマを軸にヨーロッパおよび中東の驚異を比較した際に、以下の点が見られた。

  1. 海やアフリカ大陸をめぐる驚異譚には、人の移動の歴史や、異なる文化圏の伝承が接触し、融合した形跡が垣間見られる。また、異境の不可思議な現象に対する好奇心は、到達が困難である空間的な遠さによってかきたてられる一方で、古代遺物や化石はモノとしては比較的身近にあっても、明確な来歴を不可知にしている時間的な「遠さ」が、それらを驚異的な存在としている。
  2. 奇跡譚には空中浮遊、病の治癒などといった一定の型があり、叙述の展開が予測可能であるという点が驚異譚とは異なる。さらには、神を信じさえすれば、奇跡譚の真否は疑う余地がなくなるが、驚異譚は、その信憑性を担保するための叙述の仕掛けが必要である。
  3. その仕掛けの重要な構成要素の一つが、「・・・が見た」という行為に与えられる権威である。「見る」ことが「在る」ことを証明する鍵となる。驚きは「見る」という視覚体験によってまず目撃者に生じ、その目撃の共有が驚異譚であるともいえる。作り話と最初からわかっている話は、日常的にはあり得ない奇異の存在に対する驚きにはつながらない。この点において驚異を媒介する「目撃者」としての旅人のトポスは重要である。
  4. 驚異を視覚化して「見せる」ことは、二次的な目撃者を作り出すという行為に等しい。中世の場合、画家はテキストから想像し、かたちの誇張や通常はありえない奇妙なものの組み合わせで驚異のイメージを創りだしたと考えられる。
  5. 旅行記などに記された目撃譚のテクストは内容ごとに分類され、博物誌として再編さんされ、知識として体系化されてゆく。大航海時代以降のヨーロッパでは、モノとしての「驚異」を集めて分類し、陳列するという行為が見られるようになり、後にそれが博物館へと発展してゆく。
  6. 中世キリスト教世界においては「驚異」は自然界の現象であって、神あるいは悪魔の領域である「奇蹟」や「妖術」などとは別の性質のものと捉えられていたようであるのに対して、中世イスラーム世界においては、驚異も奇蹟も全て神のなす業とみなされる。つまり、神の存在と自然界の関係の中に驚異がどのように位置づけられているかという点において、キリスト教的驚異とイスラーム的驚異の間には観念的なズレが感じられる。

2013年度

昨年度は、「境界を見た人々」、「驚異の視覚化」、「驚異の編纂」について研究会を行った。平成25年度は、「モノとしての驚異」というテーマを発表者の専門領域に合わせて設定し、個別のテクストや事例を丁寧に比較してゆく。発表者以外のメンバーにも、関連情報を提供してもらい、なるべく事例を多く集める。二回目の研究会では成果発表に向けて、ヨーロッパと中東の驚異譚を比較するために必要な比較年表、グロッサリーの作成などについて議論する。

【館内研究員】 菅瀬晶子
【館外研究員】 池上俊一、大沼由布、小倉智史、亀谷学、黒川正剛、小宮正安、杉田英明、鈴木英明、辻明日香、二宮文子、林則仁、見市雅俊、守川知子、家島彦一
研究会
2013年6月30日(日)9:00~18:30(中央大学駿河台記念館 5階 500号室)
「驚異を集める」事例提供
小倉智史(京都大学)「ムガル宮廷における驚異なモノの収集(仮)」+質疑応答
高橋三和子(慶応大学)「近代初期イギリスにおける珍品陳列室?メタファーとしてのキャビネット」
質疑応答
小宮正安(横浜国立大学)「愉悦の蒐集~ヴンダーカンマー論~」
質疑応答
全体討議
2013年11月9日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
山中由里子「統括と成果刊行に向けて」
全体討議「刊行物の構成について」
全体討議
研究成果

2013年6月30日に開催した研究会のトピックは「驚異の蒐集」とし、知識としてだけではなく、「モノ」としての驚異の物質性に迫った。
まずは、小倉智史が、ムガル朝前半期の王族たちの蒐集品について発表した。資料的な制約がある中で小倉が事例として提供したのは、挿絵入りの書物や絵画といった美術品である。特に、ヨーロッパからもたらされた絵画は珍重されたという。
次に高橋三和子がイギリスにおける珍品蒐集の発展、コレクションのカタログ化、そしてメタファーとしてのキャビネット(陳列室・陳列棚)概念の発展について考察した。
最後に小宮正安が、大陸側ヨーロッパ各地の「ヴンダーカマー」(驚異の部屋)の在り方の変遷をマニエリスム、バロック、そして科学革命の時代にかけて追った。特権階級が世界中から集めた驚異なるモノ(珍しい動物のはく製、奇形の標本、鉱物、民族資料、遺物など)を陳列する部屋であったヴンダーカマーの多くは、ナポレオンの時代に破壊された。接収されたものは、自然物は自然史博物館に、人工物は美術館や博物館に振り分けられ、近代的な博物館コレクションのコアとなった。
2013年11月9日に行われた研究会では成果刊行に向けての議論が行われ、『<驚異>の比較文化史』という仮題の論文集の章立てがほぼ固まった。名古屋大学出版会から2015年度に刊行予定である。

2012年度

昨年度は、「驚異としての古代」、「驚異譚と奇跡譚と魔女言説」、「驚異としてのアフリカ大陸」について研究会を行った。本年度は、「境界を見た人々」(旅行記、旅行者について)、「驚異の編纂」(驚異の書の分類・構成について)、「驚異の視覚化」(博物誌挿絵や地図などについて)といったテーマを発表者の専門領域に合わせて設定し、個別のテクストを丁寧に比較してゆく。また、今年度は、発表者以外のメンバーにも、その会のテーマに関する関連情報を毎回提供してもらう形式にし、なるべく事例を多く集める。

【館内研究員】 菅瀬晶子
【館外研究員】 池上俊一、大沼由布、小倉智史、亀谷学、黒川正剛、杉田英明、鈴木英明、辻明日香、二宮文子、林則仁、見市雅俊、守川知子、家島彦一
研究会
2012年5月26日(土)10:00~18:30(国立民族学博物館 第1演習室)
大沼由布(同志社大学)・『マンデヴィルの旅行記』と「見る」ことの権威
池上俊一(東京大学)・彷徨の詩人―中世ヨーロッパにおける魔術師ウェルギリウス伝説
山中由里子(民博)・驚異の媒介者としてのアレクサンドロス
「境界を見た人びと」事例提供・全体討議
2012年9月30日(土)10:00~18:30(東洋文庫 講演室)
全体討論「東洋文庫資料にみる驚異のイメージ」
林則仁「イスラーム絵画史の中のカズウィーニー著『被造物の驚異』の挿絵
金沢百枝「聖堂美術と驚異譚―南イタリア・オトラント大聖堂の床モザイクを中心として」
「驚異の視覚化」事例提供・全体討議
2012年12月9日(日)10:00~18:30(国立民族学博物館 第4演習室)
大沼由布「知識の集約と編纂:ヴァンサン・ド・ボーヴェの『大いなる鏡』」
見市雅俊「情報・驚異・好奇心ーロバート・プロットと17世紀イギリスの自然誌」
守川知子「トゥースィーのペルシア語著作『被造物の驚異』と12世紀の西アジア社会 ――『イスラーム的宇宙 観』による初の百科全書編纂の時代」
「驚異の編集」事例提供・全体討議
研究成果

5月の会では、驚異を媒介する「目撃者」としての旅人のトポスを採りあげた。驚きは「見る」という視覚体験によってまず目撃者に生じ、その目撃の共有が驚異譚であるともいえる。誰かが「見てきた」、すなわちそれは存在したという前提がなければ、読者は驚きを共有できない。作り話とわかっている話は、悲哀や熱情、興奮などの感情を喚起したとしても、日常的にはあり得ない奇異の存在に対する驚きにはつながらない。
9月の会では「驚異の視覚化」というテーマを採りあげた。驚異を描いて「見せる」ことは、二次的な目撃者を作り出すという行為に等しい。中世の場合、画家自身が驚異を目撃しているわけではなく、驚異譚のテキストから想像し、自身が知っているもののかたちの誇張や、通常はありえない奇妙なものの組み合わせで視覚的なイメージが創生されていった。
12月の会では、「驚異の編纂」をテーマとした。旅行記などに含まれていた驚異の目撃譚がもともとの文脈から抽出され、博物誌や百科事典といった知識の集大成として編纂される過程をヨーロッパと中東の場合で比較した。
今年度から、各会のテーマに関連した事例紹介を発表者以外からもつのり、充実した議論を行うことができた。

2011年度

昨年度は「驚異」の定義や「驚異譚」のジャンルの枠組みについて考察し、また、「海洋文学・旅行記における驚異譚」についての研究会を行った。本年は、「驚異と歴史観」、「驚異譚と奇跡譚と終末論」、「驚異のトポグラフィー」といったテーマを発表者の専門領域に合わせて設定し、個別のテクストを丁寧し比較してゆく。

【館内研究員】 菅瀬晶子
【館外研究員】 池上俊一、小倉智史、亀谷学、杉田英明、鈴木英明、辻明日香、二宮文子、見市雅俊、守川知子、橋本隆夫、家島彦一
研究会
2011年6月11日(土)10:00~19:00(北海道大学 人文・社会科学総合教育研究棟(W棟)5階 W516室)
打ち合せ
橋本隆夫「ギリシアにおける驚異譚の伝承」
武田雅哉「万里の長城は月から見えるの?」
守川知子「『七不思議』を越えて――西アジア古代遺跡とアジャーイブ(驚異)」
見市雅俊「古事物学文献にみる驚異について」
討議
2011年8月24日(水)10:00~19:00(国立民族学博物館 第3演習室)
菅瀬晶子「東地中海アラブ地域におけるマール・ジュリエス(聖ゲオルギオス)崇敬の語り―奇跡譚を中心として」
二宮文子「奇跡譚はいかに語られたか―13-14世紀インドのスーフィー聖者の語録から」
辻明日香「コプト聖人伝にみられる<驚異>な奇跡譚」
黒川正剛「西欧近世の魔女言説にみる奇跡・魔術・驚異」
全体討議
2011年12月4日(日)10:30~18:00(国立民族学博物館 大演習室)
亀谷学「中世イスラーム世界でピラミッドを見るということ」(仮題)
質疑応答
鈴木英明「中世アラビア語資料に見えるザンジュの国」
質疑応答
山中由里子「今年度の総括・来年度の課題」
全体討議
研究成果

6月11日の会は「驚異としての古代」をテーマとした。昨年度の研究会で採りあげた海や島の驚異譚の場合は、到達が困難である空間的な遠さが、異境の不可思議な現象に対する好奇心をかきたてが、古代遺物や化石はモノとしては比較的身近にあって実際に見ることができても、明確な来歴を不可知にしている時間的な「遠さ」が、それらを驚異的な存在としているのではないかということが、この研究会を通してわかってきた。

8月24日の研究会では、驚異と奇跡と魔術の相互関係を比較考察した。驚異譚と奇跡譚を比較してみて明らかになったことはまず、奇跡譚には空中浮遊、水面歩行、病の治癒などといった一定の型があり、叙述の展開が予測可能であるという点において驚異譚とは異なるということである。これはキリスト教とイスラームに共通して言えることである。さらに、神を信じさえすれば、奇跡譚の真否は疑う余地がなくなるが、驚異譚の場合は、その信憑性を担保するため(あるいは責任回避するため)の叙述の仕掛けが必要であるということも明らかになってきた。

12月4日の会のテーマは、「驚異としてのアフリカ大陸」とし、中世のアラビア語資料に見られるアフリカ観について発表が行われた。さらに今年度の総括と、来年度以降の検討事項について討議を行った。

2010年度

本研究で明らかにしようとする問題点は、前述のとおり三つの主要な軸にまとめることができる。

  1. ジャンルの枠組とモチーフの分類: 驚異譚を比較研究することによって、実際にその言説の語り手(あるいは編纂者)によってどのように定義され、位置づけられてきたかを明らかにする。複数の文化圏に共通する主なモチーフや逸話を関連作品から抽出し、「異民族の驚異」、「異境の驚異」、「太古の驚異」といった分類を試みる。
  2. 知識の伝播と世界観の変遷: 権力の移行、人間の移動、書物・視覚イメージの普及など、知識の伝播や未踏の地の発見を促した歴史的文脈を把握した上で、博物学・人文地理学の発展の流れを明らかにする。さらに、世界地図や挿絵・装飾などの視覚的表象にも注目し、中東とヨーロッパにおける世界観の変遷と相互の影響関係を辿る。
  3. 宗教・言語・文化的な特異性と超域的な包括性:上記1.と2.のような比較研究を通して、宗教・言語・文化による相違点を浮かびあがらせる一方、異なる文化圏の驚異譚の根底に共通して流れる想像の力と語りの力を明らかにする。

このために、共同研究会を各年度に3回から5回ほど開き、研究代表者と共同研究員は本研究課題と各自の専門テーマの関連について発表を行う。共同研究会での発表と議論を通して、それぞれが専門とする時代、地域における「驚異」・「驚異譚」の定義について考察し、全体の研究目的と各自の役割を確認し、研究対象とするべき作品を絞り込む。このように驚異譚というジャンルの枠組みを検討すると同時に、その語りの形体(書簡体物語、見聞記、博物誌等)についても比較する。

【館外研究員】 池上俊一、小倉智史、亀谷学、杉田英明、辻明日香、二宮文子、橋本隆夫、見市雅俊、守川知子
研究会
2010年12月5日(日)10:00~19:00(国立民族学博物館 第1演習室)
山中由里子「アラブ・ペルシア文学におけるアジャーイブのジャンル」
池上俊一「ヨーロッパ中世の驚異譚」
見市雅俊「驚異譚の近世的展開」
2011年2月6日(日)10:00~19:00(東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2)
家島彦一「アラブ文献による驚異譚―とくに10世紀、ブズルク・ブン・シャフリヤール『インド驚異譚による』―」
杉田英明「巨魚島伝説の東西伝播」
山中由里子「アマゾンと女人国」
研究成果

本年度は12月と2月に2回の研究会を開き、そのうち2回目は東京大学駒場キャンパスで開催した。1回目の研究会では先行研究の吟味と「驚異」の定義が試みられ、研究の枠組みと方法が議論された。報告と議論を通して、中東とヨーロッパの双方において驚異に対する関心が高まり、地理書、博物誌、旅行記といった形で驚異譚が集められ、書きとめられたのが12世紀から13世紀にかけてであるという共通認識に至った。また、神の存在と自然界の関係の中に驚異がどのように位置づけられているかという点において、キリスト教的驚異とイスラーム的驚異の間には観念的なズレがあるということがわかってきた。

2回目は、アラブ文学における海をめぐる驚異譚と海洋交易史の関連、「動く島=巨大魚」モチーフの東西伝播、およびアマゾン/女人国伝説の広がりについての報告がなされ、驚異の舞台としての海と島のトポグラフィーについて議論がされた。