国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

映像資料を活用したイスラームの多様性に関する地域間比較研究

共同研究 代表者 吉本康子

研究プロジェクト一覧

キーワード

イスラーム、映像による通文化的比較研究、多中心性

目的

本研究は、儀礼、身体技法、物質文化など様々なテーマに基づいて撮影・記録された静止画や動画等の視覚的表象資料を通して、中東、アジア、アフリカ、アメリカの各地で展開している「イスラーム」の多様性と共通性を明らかにしようとするものである。イスラームの多様性についてはこれまでも多くの民族誌的記述が明らかにしてきたが、クルアーンの朗誦法や礼拝に伴うさまざまな動作、あるいはモスクの構成要素やその機能などは統一性をもつものとして自明視される傾向にあった。本研究会では、中東を中心とした場合の「イスラーム世界」の地理的「周縁」のものを含む豊富な視覚資料を活用し、従来見落とされてきたイスラームの共通項自体の多様性を直視していく。こうした作業を通して、従来は地域の枠組みにおいて個別に論じられる傾向にあった各地域のイスラームを地域横断的に考察し、最終的には「中心」や「周縁」といった枠組みを再検討する。

研究成果

本共同研究は2年半計画で進められた。初年度にあたる2010年度は、10月から合計4回の研究会を開催し、ベトナム、中国、カザフスタン、インドネシア、イスラエルなどを調査地とするメンバーの研究成果の報告を通して、各地で展開しているイスラーム的宗教実践についての知見を参加者全員で共有するとともに、異なる地域の事例を共通の問題意識のもとで議論するための論点、例えば、「死者」や「祖霊」など観念的なものの名称や語源、クルアーンの朗誦法、他者表象と自己表象の差異などを確認した。また、映像における倫理の問題などについても確認した。

2年目の2011年度も4回の研究会を開催し、映像人類学の学説史および近年の議論に関する報告およびイラン、アメリカ合衆国、インドネシア、西アフリカ・マリ共和国等におけるイスラーム的宗教実践の事例が報告された。各発表を通して、本研究会で活用する主な映像資料は未編集の記録資料すなわち「フッテージフィルム」であること、そして、そうした資料が映し出す各地の様々な「イスラーム」や「ムスリム」の様態は、「イスラームの多様性」という概念で説明できるものなのか、といった点について議論した。

最終年度に当たる3年目の2012年度は4回の研究会を開催した。トルコ、マレーシア、インドネシアおよび日本国内の事例が新たに報告された他、前年度までに共有した論点をもとに日本文化人類学会分科会を組織し、そのプレ発表を行った。ここでの論点とは、様々な地域で展開されている「イスラーム」や「ムスリム」を「イスラームの多様性」とみるのではなく、弁別特性をひとつも共有しない多配列分類ないし家族的類似という概念で捉えることの可能性である。

上述のような議論は、既存の宗教用語に翻訳するだけでは捨象されてしまうであろう地域特有の様々な情報を、映像資料という視覚を通して伝達される媒体によってさまざまな地域の研究者が共有し、既存の概念ないし文字による情報伝達の限界を認識することで可能になった。このように、地域間比較研究における映像資料の有効性が確認できたことは本研究会の主たる成果の一つである。

なお具体的な成果としては、2012年6月23日に開催された第46回日本文化人類学会(於広島大学)において分科会『『映像資料にみるイスラーム的宗教実践-地域間比較研究における「家族的類似」概念の可能性をめぐって』を主催し、メンバー5名による発表を行った。

2012年度

23年度の共同研究では、イランおよびアメリカ合衆国のシーア派の宗教実践についての報告を通し、地域間比較を行う際に「イスラーム」や「ムスリム」をどのように捉えるのかについて議論し、また、民族誌映像のうち、本研究会が重視する「フッテージフィルム」をどのように活用するのか、といった研究会を行った。本年は、(1)イスラーム的な要素(共通項)の多様性についての地域間比較、(2)各地域における歴史的・文化的文脈におけるイスラーム実践の地域間比較、(3)イスラームの周縁のメディアを用いたムスリム像の地域間比較という3つの方向性を軸に、アフリカ、インドネシア、エジプト、日本、中国ウイグル族居住地などを調査地とする研究者の報告を通して各地のイスラームを比較し、映像資料を用いたイスラームの比較研究の可能性について議論する。また、最終成果の公表についての打ち合わせを行う。

【館内研究員】 菅瀬晶子、山中由里子
【館外研究員】 相島葉月、阿良田麻里子、伊東未来、今中崇文、黒田賢治、熊谷瑞恵、小杉麻李亜、椿原敦子、福田義昭、村尾静二、米山知子、
研究会
2012年6月1日(金)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
阿良田、今中、黒田、菅瀬、吉本「文化人類学会分科会:映像資料にみるイスラーム的宗教実践のプレ発表1」
山中由里子「コメント」
全体討論「研究成果の公表準備にむけて」
2012年6月2日(土)10:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
事務連絡等
米山知子「トルコ・都市におけるアレヴィーの儀礼ジェムのセマー―コミュニケーションとしての映像という視点から―」
阿良田、今中、黒田、菅瀬、吉本「文化人類学会分科会:映像資料にみるイスラーム的宗教実践のプレ発表2」
中西裕二「宗教実践をめぐる記述と分類の問題-日本とベトナムの事例にみる」
全体討論
2012年10月8日(月)10:00~18:30(国立民族学博物館 第1演習室)
成果発表の検討・打ち合わせ
熊谷瑞恵(国立民族学博物館)「ムスリムの国へ行ったムスリム-トルコ・イスタンブールに住む中国新疆ウイグル族の事例から-」
久志本裕子(上智大学)「マレーシアの預言者生誕祝い(マウリド):民衆のイスラーム実践において誦まれるもの」
白川琢磨(福岡大学)「文化資源論からの提言」
全体討論
2013年1月27日(日)13:00~18:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
見市建(岩手県立大学)・『インドネシアにおける宗教「伝統」とメディア、政治』
ハリチハン(大阪大学大学院)『在日インドネシア人ムスリムの宗教生活に関する社会学的考察―国際結婚をしているインドネシア人ムスリムへの聞き取り調査に基づいて――』
全体討論
2013年3月3日(日)10:00~18:30(国立民族学博物館 第2セミナー室)
成果発表の検討・打ち合わせ
福田義昭(大阪大学)「昭和戦前・戦中期の在日ムスリム・コミュニティとモスク建立」
川崎のぞみ(筑波大学大学院)「在日ムスリムのナシード(宗教歌)の実践について」
長津一史(東洋大学)「インドネシア・境域のイスラーム実践―言語使用を中心に」
全体討論
研究成果

本共同研究の最終年度に当たる2012年度は計4回の研究会を開催し、第46回日本文化人類学会において分科会『映像資料にみるイスラーム的宗教実践-地域間比較研究における「家族的類似」概念の可能性をめぐって』を主催した。研究会の成果としては、以下のものを上げることが出来る。

  1. 1回目及び2回目の研究会においては、トルコおよびマレーシアの事例が新たに報告された。また上記の分科会のプレ発表を行い、これまでの各地域の報告を踏まえた上で、「イスラーム」や「ムスリム」という概念を、ひとつの弁別特性も共有しない多配列分類ないし家族的類似という概念で捉え直すことの可能性を討論した。
  2. 3回目及び4回目の研究会においては、インドネシアおよび日本国内のムスリムの事例が報告され、「越境」や「移民」という新たなキーワードが浮上した。
  3. 全回を通して、それぞれの地域において展開するイスラーム的宗教実践の実情と、「共通性」ないし「普遍性」の解釈の多様性について、各報告から得られた知見を共有することができた。また地域にとって「正当」なムスリムの実践を示すとされるクルアーン朗誦の節回しや動作についての報告等を通し、映像資料の有効性が確認できた。

2011年度

22年度の共同研究では、メンバーの研究対象地域であるカザフスタン、中国、ベトナム、インドネシア、エジプト、パレスチナの各地域における「イスラーム」の事例を報告し、主に、イスラームの核ともいえるクルアーンの朗誦法や礼拝の動作、そして祖霊をめぐる扱い等の地域的展開、さらに既成のメディアにおける「イスラーム」の描かれ方について議論してきた。その過程で、地域横断的な議論を可能にするための共通項目をどのように設定するか、また、映像資料を用いることで何が明らかになるのか、あるいはならないのか、といった問題が浮かび上がってきた。23年度は、北アフリカ、中東、東南アジア島嶼部、アメリカ合衆国、日本の事例報告を通して、また、メンバーが対象としていない地域やテーマを専門とする研究者にも参加してもらうことで、さらなる議論の進化を試みる。なお、最終年度である来年度の成果公表に向けた課題についても議論する。

【館内研究員】 藤本透子、山中由里子、菅瀬晶子
【館外研究員】 阿良田麻里子、伊東未来、今中崇文、黒田賢治、小杉麻李亜、椿原敦子、福田義昭、村尾静二、米山知子
研究会
2011年8月11日(木)10:30~18:00(国立民族学博物館 第2演習室)
黒田賢治「12イマーム・シーア派哀悼儀礼における象徴化装置の多様性―現代イランの映像資料を手がかりに」
椿原敦子「哀悼の可視化と不可視化:ロサンゼルスにおけるシーア派ムスリムの服喪儀礼の比較考察」
全員「討論」
2011年10月16日(日)12:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
鑑賞・分析『Bathing Babies in Three Cultures』『Childhood Rivalry in Bali and New Guinea』
村尾静二(総合研究大学)「映像による比較研究はいかにして可能か-映像人類学におけるフッテージ・フィルムの位置づけ-」
討論および打ち合わせ
2011年11月23日(水・祝)13:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
吉本康子(国立民族学博物館)「「イスラーム」の地域間比較における映像資料の可能性(仮)」
全員「討論」「打ち合わせ」
2012年3月2日(金)10:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
「経過報告会」
福岡正太(国立民族学博物館)「ムハンマド聖誕祭におけるガムラン演奏―ジャワ島チルボンにて」
伊東未来(大阪大学大学院)「多民族間の横断的紐帯としてのイスラーム――マリ共和国のモスクの化粧直し」
全員「討論」
研究成果

本年度は、イラン、アメリカ合衆国、インドネシア、西アフリカ・マリ共和国のムスリム社会におけるイスラーム的宗教実践についての報告が行われた。シーア派、音楽、モスクなど各報告のテーマも対象も様々であり、参加者は、自分たちの調査対象地域以外の場所で展開されているイスラーム的宗教実践についての知見を共有することができた。また、本研究会が重視する映像資料のうち、「フッテージフィルム」と呼ばれる未編集の記録資料の活用方法に関する報告も行われ、参加者全員で理解を深めた。さらに、地域間比較を行う際に「イスラーム」や「ムスリム」をどのように捉えるのか、といった認識論的な問題についても議論し、「家族的類似」という概念の可能性、地域間比較における映像資料の可能性など、本研究会の成果に向けた論点も確認された。グループとしての研究成果はないが、2012年6月に開催予定の日本文化人類学会研究大会分科会「映像資料にみるイスラーム的宗教実践―地域間比較研究における『家族的類似』概念の可能性をめぐって」において、研究成果の一部を公表する予定である。なお来年度にはエジプトを調査地とする相島葉月(国立民族学博物館)とウイグルを調査地とする熊谷瑞穂(国立民族学博物館)の二名が新メンバーとして参加する予定である。

2010年度

本研究は、研究面での地域的な住み分けによりこれまでじゅうぶんに精査されてこなかったイスラームの側面を明らかにすることをめざすものである。そのため、まずは参加者各自が個々のテーマに基づき進めている研究成果の一部を、静止画ないし動画を用いて報告するという形をとり、各自の捉えた各地の「イスラーム」を視聴、比較しながら、共通の問題を設定していくという方法をとる。それぞれのメンバーの関心は儀礼、身体表現、食文化、経典、文学、物質文化など多岐にわたるが、各自がその専門性を活かし議論することで、イスラームを多面的に捉え、さまざまな側面からその多様性と共通性を明らかにすることが可能となる。

平成22年度は、年度内に2回(各回二日連続の予定)の研究会を実施する。第1回目の研究会では、本研究会立ち上げの契機となった民族誌映像上映会『映像に見るイスラームの<周縁>』(2010年2月・3月に本館にて開催)における議論を踏まえた上で、代表者による会の趣旨説明および問題提起を行い、参加者の共通理解を得る。その上で参加者全員の役割分担、研究の進め方、他地域との比較研究を進める上で有益となるデータについて討議する。第2回目の研究会では、メンバーないし特別講師4名ほどの報告と、それに基づく討論を予定している。

【館内研究員】 山中由里子、藤本透子
【館外研究員】 阿良田麻里子、伊東未来、今中崇文、小杉麻李亜、菅瀬晶子、椿原敦子、村尾静二、米山知子
研究会
2010年10月2日(土)10:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
吉本康子「趣旨説明」
今中崇文「『帰真する友をおくる:西安回族の葬送儀礼』の上映・解説」
吉本康子「『もうひとつのラマダン-ベトナム中南部チャム族バニのラムワン儀礼』の上映・解説」
全員「討論」
2010年11月8日(月)10:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
藤本透子「犠牲祭と断食月のクルアーン朗唱―カザフスタンの映像にみるイスラームと死者供養の展開」
小杉麻李亜「ムスリム社会に対する補助線の引き方」
全員「討論」
2011年1月15日(土)10:00~17:00(国立民族学博物館 第3演習室)
阿良田麻里子「香を焚くこと、供え物をすること―インドネシア・西ジャワの祖霊崇拝とイスラーム」
菅瀬晶子「イスラエルにおけるアラブ人像とドラマ『アヴォダー・アラヴィット』」
全員「討論」
2011年2月12日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第2演習室)
村尾静二「映像人類学と地域間比較研究のクロスロード-映像の論理と倫理を中心として-」
山中由里子「コメント」
「本年度研究会の総括・全体討論」
研究成果

本年度のグループとしての研究成果はないが、再来年度にはグループによる研究成果の公表を予定している。本年度はそのための準備として、来年度の秋に募集される文化人類学会研究大会分科会へのエントリーに向けた話し合い等を行った。具体的には、異なる地域の事例を共通の問題意識の下で議論するための事項を設定し、その可能性について議論した。例えばイスラームにおける死者や祖霊など概念的なものについての名称や語源、クルアーンの朗誦法、礼拝に伴う動作などは、研究テーマに関わらず比較可能な論点である。また各地域において人々が考える「ムスリム」とは何か、という問いや、他者表象と自己表象の差異なども比較可能な論点として挙げられた。また比較対象地域に関しては、日本国内のムスリム、シーア派等についても対象とすべきであるという点が確認された。来年度には、神戸モスクの建立史に関する論文を有する福田義昭と、イランの知識人と政治的動態を研究テーマとする黒田賢治の二名が新メンバーとして参加する予定である。