国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

ストリート・ウィズダムとローカリティの創出に関する人類学的研究

研究期間:2011.10-2015.3 代表者 関根康正

研究プロジェクト一覧

キーワード

ストリート、ローカリティ、コスモポリタニゼーション

目的

今日、ネオリベラリズムの主導する世界資本主義の浸透は社会に「恒常性の喪失」をもたらしている。しかも、主流社会とアンダークラスという垂直的に分離した「管理型」社会を産出している。アンダークラスや不安定労働者層は、保障なき世界をストリートに近接して剥き出しで生きる現代の前衛と言える。主流ホーム社会の中核の人々さえも現代社会の強い遠心力に不安を募らせている。故に、縁辺のストリートを生き抜く人々のぎりぎりの実践知は、今日すべての人々に要求されている。この図式を現代の地域構造に向ければ、今日のローカリティの盛衰も広義の「ストリート現象」と言える。流動する時間を生きるグローバル・シティの強大化の下で、周辺化されるローカリティはその生き残りをかけて格闘している。この狭義から広義までの「ストリート」現象(敗北と再創造の過程)の記述分析が本研究の第一の目的となる。つまり、主流社会の設計主義が通用しない、偶有的なフローを資源にしたストリートの戦術的生き延び方のエスノグラフィを作成する。

研究成果

ストリート人類学の探求は、ストリート・エッジとローカリティを連続的に考えるところに特長がある。以下の4点が中心的な理論的成果として明確化した。
1)ストリートの両価性
日本語としてのストリートをここでは道一般と同義とはせずに、英語のstreetの意味である都市の中の通り、街路として把握する(ちなみにroad は都市と都市をつなぐ道である)。一般に舗装され両側に歩道部分を有し、店舗や住宅などの建物が面しており、人々の往来がある交通路である。このstreetには、homeに対してそれに接する外部性の意味がある。そこはホームの私的な生活秩序が必ずしも通用しない外の世界への導入部であり、公空間としてシステム権力(法)と逸脱(不法)という表裏の暴力の間で緊張を強いられ、ときには荒っぽい風が吹く場所である。不意に襲ってくる状況に機知と機敏さで対処することが要求される。暴力や悲惨に常に近接して生きるストリート・ボーイ、ストリート・チルドレン、住所不定無職のホームレス、街娼などの行動がそのような状況を象徴する。しかし、そこは同時に、ホームの日常的秩序からはズレた場所として、一定の非日常性によって色づけられ、自由、気晴らし、祝祭、抵抗、ストリート・カルチャーを担う創造場にもなる。その点で、ホーム市民の目に映る両義的(曖昧な意味不明ambiguous)な外見に反して、ストリート自身は両価性(矛盾感情の共存ambivalence)に伴われた生の実践場である。
2)創発的記号過程としてのストリート・エッジ現象
このような両価性を生きるとは動的な実践行為としてしかあり得ない。その意味で、ストリート人類学は、定着から生成への方法的転換を体現し、その内実は、社会中心からの俯瞰的全体性(システム「上から視点」)ではなく「真の全体性」つまりエッジの生活世界「下からの視点」に見いだされる境界の全体性(内外、自他の二軸から世界)へと、視点転換することを対象設定と方法論とが結びついた形で提起するのである。これが、結果的には、都市の人類学への挑戦として開始されたストリート人類学が広く現代人類学全体への挑戦になる所以である。村落と都市を含む全体社会が、こうした問題対象選択と方法意識で取り組まれる必要があるのが、すでにあるだろう。
このストリート人類学の視点を広くフロー社会と言われる現代のグローバル社会に拡大応用できる。地方都市や村落はグローバル都市に対してエッジの側に立つ。超巨大グローバル都市支配社会の現代社会において限界町村のサヴァイヴァル研究はストリート人類学の対象であり、方法なのである。もちろん、世界中で急増する周辺化された移民の存在もストリート・エッジ現象と見なせる。ストリート・ウィズダムとローカリティの創発が結びつく理路がここに明らかになる。どちらも、敷居でのアブダクティヴな記号過程(ラングとパロールの展開、イコン、インデックス、シンボルの循環的展開)をその内実に宿すことで生きられている。
3)街路から「マイナー性への生成変化」の方法場へ
このような、外部性との結節になる都市ストリートのヘテロトピア性とは、他者性との対面という出来事、すなわち脱中心性、境界性、雑種性などで表現される関係性そのもの(ズレという自他の二者関係)を指示しており、現代の内閉するホーム中心的実体化システムによって周辺化され抑圧隠蔽されているものである。それは、関係性そのものを意味単位にしたレヴィ=ストロース(C. Levi-Strauss)の「構造」のように、それがモナドになってドゥルーズ=ガタリ(G. Deleuze & P-F. Guattari)の言う小集団des groupuscules(分割も増加も可能であるうえに、相通じあい、またつねに解除可能ないくつかの集団)、あるいは小田亮の言う「顔」を持った<仲間>という「普遍―単独」軸が可能にする非同一的な「共同体」に向かう潜在性を宿している。こう考えてくると、都市ストリートは、街路という物理的実体が指示対象の開始地点だとしても、その真意は、自他が接するエッジとしてのストリートに立って自己が他者に<なる>という「マイナー性への生成変化」の動的過程(自己差異化)を浮かび上がらせるところにある。そこでの「マイナー性への生成変化とは、支配と服従化を蝕むものへと生成変化を続け、自らを脱服従化し続けることなのである」。つまり、被差別のマイナー存在を創造的なマイナー性に転換していくこと。このようなドゥルーズ=ガタリの展望に倣えば、ホームの静態的実体的視点(ズレの排除)をストリートの動態的関係的視点(ズレの受容)に切り下げていくこと、これがストリートに立つことである。マイナー性への生成変化によって、メジャー型ホームは切り下げられてストリートに<なる>、それは同時にストリートのままで外部に開放的な小集団というマイナー型ホームに<なる>。つまり被抑圧者がそこでは生の自立性あるいはマイナー生成による平等性を獲得する。
4)「相応の他者」としてのストリート
ホームが表向きは支配システムに則って形成されるとしても、そこでの実質的生活世界はストリートに支持されている。一方で、システム化するホームはその純化を目指すユートピア的自己貫徹のために異物をストリートへと廃棄する。他方で、生きている人間のホームは外気を呼吸しなければならない。他者を自己に繰り込む不断の営みを不可欠とする人の生の根本的ヘテロトピア性がそこにある。ストリートに接しないホームは有り得ない。このようにストリートはホームに対して二重に働いている。廃棄された「不浄」が滞留する場であると同時に、新たな自己生成を促す外なる力となる「ケガレ」を享受する場でもある。ストリートはシステムから排除され貶められた存在を受け止めると同時に、実は外部に通じたマイナー性への生成変化というハイブリッド化を通じてシステムの閉鎖性を食い破りその中に生きる個々人の生を解放的に発展させるのである。そこでは脱中心的関係的概念のマイナー性が主役になることで、二にして一、一にして二のホーム即ストリート、ないしストリート即ホームという外部に通じた動的な小集団が焦点化され、実質的に「生きられる場」の地平が開示される。ベンヤミン(W. Benjamin)はそのことを「パサージュは家であり道である」と記したのではないか。

2014年度

本年度は、共同研究の最終年度であるから、特に若手の共同研究員の研究発表を中心にしながら、研究成果に向けての討議を進めていくことを中心にする。

  1. 丸山里美、鈴木晋介、朝日由実子、姜竣の発表と成果に向けての討論
  2. 西垣有、近森高明、根本達の発表と成果に向けての討論
【館内研究員】 岸上伸啓
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、小田亮、姜竣、北山修、高坂健治、鈴木晋介、近森高明、Gill, Tom、内藤順子、西垣有、根本達、野村雅一、古川彰、松本博之、丸山里美、南博文、森田良成、和﨑春日
研究会
2014年10月26日(日)12:00~19:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
根本達「野生の仏教序説 ―現代インドを生きる仏教僧佐々井秀嶺と『当事者になること』について―」
朝日由実子「『エスニック・タウン』とストリート」
丸山里美「イギリスのスクウォット運動」
関根康正「ストリート人類学の展望」
成果に向けての討論
2014年12月20日(土)12:00~19:30(国立民族学博物館 第1会議室)
丸山里美「イギリスのスクウォット運動」
鈴木晋介「伝統野菜の復興―背景と問題の所在」
西垣有「近傍論:ローカリティの創発へ向けての一試論」
関根康正「ストリート人類学の挑戦」
野村雅一「総括コメント」
総合討論
研究成果

最終年度の本年度は、本研究会の若手メンバーの「ストリート的なるもの」をめぐるインテンシブなフィールドワークに基づく6本の発表を得て、新鮮で活発な討議が展開された。根本はインド社会の最周辺化されたダリトの間で仏教をストリート僧として生きる佐々井秀麗に学びつつ、ストリート研究のコミットメントの問題に肉薄した。朝日は、東京コリアンタウンの表象と実態のずれに注目しつつ多様な次元の文脈がずれたまま共存しながらストリートの盛衰が起こるアンヴィバレントな様相を描写した。姜は、街頭紙芝居と淡路人形伝統などを踏まえ漂白芸能にまつわるノスタルジアが内包する人が内発的に集まり生きる遊動性の原義を探求した。丸山は、イギリスのホームレスの空き家占拠というスクウォット運動のうちにネオリベ的遊動性への根本的抵抗を示す。鈴木もまた、ネオリベ経済の進展の中で逆説的に発現している伝統野菜の復興の背景を探って、二重の遊動性の差異を析出することを試みた。西垣には、本研究会の総括的な議論を依頼したがそれを見事に果たしてアパドゥライのローカリティと近傍の議論を深化させて、ストリート人類学の探求の焦点の所在を存在論的遊動性にあることを明示しようとした。野村と関根が最後にストリート人類学は何に挑戦しようとしているかを総括的に論じてまとめた。

2013年度

本年度は、共同研究員の研究発表を中心にして、そこに2名ほどのゲストスピーカーによる発表を加える計画をしている。

  1. ネオリベ経済に伴う流通網の量的質的再編はローカリティの再構築において最も考慮しなければならない環境要因である。鈴木、朝日、西垣が担う課題である。
  2. アフリカ社会の現代状況は、現代のネオリベ経済システムの周辺をシャープに反映している。この敗北的限界状況をあらゆるブリコラージュを駆使して生き延びている人々の活動に見る「共同性」の創出は、本研究に決定期な示唆を与える。和崎が担う課題であり、1. この2. の両方に関わるゲストスピーカーの招待を予定している。
  3. 本研究のユニークな特徴である精神分析と人類学の協同は諸般の事情で実現が遅れているが、今年度は実現したい。ストリートで思考することと都市空間の精神分析との交差を議論する予定である。ラカンの精神分析の枠組みの「ストリート化」への示唆が一つの可能性として模索される。南、北山が中心担っていく課題である。
  4. 以上の課題を検討しつつ、ストリート・ウィズダムの概念の深化をさらに進める。野村、関根が特に介入していく。
【館内研究員】 岸上伸啓
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、小田亮、姜竣、北山修、高坂健治、鈴木晋介、近森高明、Gill, Tom、内藤順子、西垣有、根本達、野村雅一、古川彰、松本博之、丸山里美、南博文、森田良成、和﨑春日
研究会
2013年6月29日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
田嶌誠一(九州大学)「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」
飯嶋秀治(九州大学)「施設と暴力ー児童福祉施設で人類学者として何を体験したか」
総合討論
2013年10月27日(日)13:00~19:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
南博文(九州大学)「都市の精神分析:ニューヨークと広島における抵抗と抑圧」
北山修(九州大学名誉教授)「見るなの禁止:由来とその現在」
総合討論
研究成果

イライジャ・アンダーソンが言うように、ストリートと暴力は極めて親和的である。したがって、現代社会の暴力の所在を一度真正面から取り上げたかった。現代日本社会では文字通りのストリートでさえ暴力が追放され抑圧されている。そのことは暴力の消滅を意味しない。現代社会ではストリートが見えにくい形でホームに入り込んでいる。それはすなわち暴力空間がホームを侵食しているということである。児童福祉施設というホームに入り込んだ、外部の者には見えにくい暴力について、田嶌と飯嶋は徹底した心理学的・人類学的フィールドワークを敢行し、その成果を発表した。南は精神分析学の立場から自身のニューヨークでの都市ストリート空間の遊歩経験を中心にしてストリートの深みにホーム性を見出す。北山は、精神分析の本質に通常理解のホームからストリートへの移行が不可欠であることを明らかにする。いずれの発表からも、ホームにはストリート性がまとわりついていくこと、逆にいえばストリートの中にホームを見出す必要が示唆されている。

2012年度

本共同研究会は、2011年度より5年間にわたって科研費の補助を受けて行われる基盤研究と併行して推し進められるものである。その科研による現地調査の各メンバーの成果、文献研究を基盤にして、共同研究会での発表と討論が重ねられていくもので、共同研究会の二年目は2011年度の調査成果の共有と各自の勉強の成果を突き合わせながら討議していく。

  1. 南、北山の精神分析学の立場からのニューヨーク調査の成果の報告
  2. 関根のインドの都市ストリート研究及びロンドンの南アジア系移民の生活世界の調査報告
  3. 野村のイタリアの精神病院の解放運動の経緯と展開に関する調査の報告
  4. 和崎のカメルーンのローカリティ状況の報告
  5. 鈴木(晋介)の日本の地方市場の窮状とスリランカのプランテーション地域のコミュニティ状況の報告
  6. サラ・ティーズリによるデザインという視角についての研究成果の報告
  7. 門脇篤(まちとアート研究所)氏を迎えて、その活動を紹介してもらって討議
【館内研究員】 岸上伸啓
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、小田亮、姜竣、北山修、Gill, Tom、鈴木晋介、高坂健治、近森高明、内藤順子、西垣有、野村雅一、古川彰、丸山里美、南博文、森田良成、和﨑春日
研究会
2012年5月13日(日)13:00~18:30(国立民族学博物館 第3セミナー室)
サラ・ティーズリー「グローバルデザイン史の方法論をめぐって」
関根康正「ローカリティの生産と変質:ロンドンの南アジア系移民のヒンドゥー寺院建設活動」
全員討論と打ち合わせ
2012年7月21日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 第4セミナー室)
野村雅一(国立民族学博物館名誉教授)「冷戦と経済成長・開発(デベロプメント):ギリシャからの展望」
森田良成(摂南大学非常勤講師)「映像作品『アナ・ボトル:西ティモールの町と村で生きる』をめぐって」
全員討論と打ち合わせ
2012年12月15日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第5セミナー室)
サラ・ティーズリー「日本の家具製作に見るグローバルデザインヒストリー」(仮)
小田亮「災害ユートピアと日常性」(仮)
村松彰子「仮設という暮らし」(仮)
総合討論と打ち合わせ
2013年1月13日(日)13:00~19:00(国立民族学博物館 大演習室)
門脇篤(門脇篤まちとアート研究所代表)「震災後のコミュニティとアート」
高坂健次(関西学院大学名誉教授)「個的体験事実と全体的客観事実とのパラドクス -Frustrated achiever、民工、セクシャル・マイノリティ-」
全員討論と打ち合わせ
研究成果

サラ・ティズリーは、通常のワールドデザインヒストリーに対して脱中心化のモメントをもつ「グローバルデザインヒストリー」を提唱している。それは、ローカルな文脈における"design as practice and product"という非常にダイナミックな、あるいはgenerativeな方法論的な見方であり、そのことを具体的には日本の家具製作のフィールドに見出されるローカルデザインとグローバルデザインのトランスナショナルな関係把握において実証してみせた。それを通じて、近代デザインの普及過程で既にトランスナショナルな流動の中でブリコラージュ的にローカルなものが産出されていたという指摘がなされ、通常の都市計画にみられるユートピア・デザインに抗して、現代のストリートとローカリティをめぐるヘテロトピア・デザインなるものを構想している本プロジェクトには大きな示唆を与えられた。デザインとは、人とモノの対称性を説くANT的な布置("history through things")の中でのan intentional action to change environmentと定義され、これは阿部年晴の言うそうした対称性なしには人は育まれない後背地論的な「文化」と人間中心の近代「文明」の区別と交差させてみる価値があることが分かり、ストリートとホームとの関係理解に脱中心的な把握を持ち込むのに示唆がある。門脇篤の大震災以降の宮城での糸を張るアートによるモノと人が対話しながら創造される下からの街づくり運動は、この文脈において理解でき、またその方法と実践のイメージを具体的に豊穣化している。野村雅一の冷戦構造の力の拮抗点に位置する経済危機のギリシャの事例を踏まえた、日本の戦後を冷戦下という見方で相対化する洞察的議論は、間違いなくワールドデザインヒストリーのヘゲモニーを十分相対化したときに初めて可能になるグローバルデザインヒストリーの見方と通じるものであり、日本国家の戦後史を、世界(ワールド)システムの中で半周辺ないし周辺に位置づけ直す。つまり、ローカル・ステイトとして戦後日本における「主体性」とはなんであったか、その無根拠さやその受動性を明るみに出すことで明確化し、その上で、改めて私たちの当事者性を構築しなおす必要があることを唱えたさらに、そうしたグローバルシステムの中での移民の生活空間形成に注目したのが関根康正の英国の南アジア系移民の間の研究である。関根は目下、莫大な資金(資本)をかけてヒンドゥー寺院建設を行う彼らの深い意図を探っている。この意図は、サラ・ティズリーから教示されたco-designあるいはopen-designという概念の核にあるとされる「サバイバルのためのデザイン」によって説明できる可能性を看取した。この関根の一定の資本力を持ったローカルデザインの事例に対して、森田良成はインドネシアの西ティモール社会の街で、まさにグローバルシステムの縁辺の縁辺を生きる廃品回収業に従う村人、つまり資本なき人々の生き様を浮き彫りにする。同じローカルでもこの資本の有無の幅がシステムとの相互作用として行われるストリートのブリコラージュの内容を考察する際の幅にも対応するだろう。具体的に相互扶助的対応の現出の在り方の閾値の測定にその有無はかかわると思われる。その点にもかかわって、大災害後の被災地域住民や社会的マイノリティーという広義の周辺化された場所(ローカルな場)に注目するとき、上からのシステムの管理的把握という権力行使と当事者個々人の日常生活経験にみられる創発的な実践との関係性を正確に腑分けしていくことが重要である。この点を理論的に提示してくれたのが、小田亮の「災害ユートピアと日常性」での慈善と相互扶助の区別であり、その実証部分が村松彰子による被災後の「仮設という暮らし」のシステムと日常の接点での現地調査報告であった。また高坂健次による相対的剥奪を「個的体験事実と全体的客観事実とのパラドクス」の中で測り出す研究において、当事者の日常的視点への接近方法・理論が模索された。ストリートに立つ、ローカルに立つとは、どういうことかを考察するうえで示唆が多かった。

2011年度

本共同研究会は、2011年度より5年間にわたって科研費の補助を受けて行われる基盤研究と併行して推し進められるものである。その科研による現地調査の各メンバーの成果、文献研究を基盤にして、共同研究会での発表と討論が重ねられていく予定である。

各メンバーは、次のようなポイントを押さえて、調査を展開しまた討議に臨むことになる。

  1. グローバル資本主義の日常的展開
  2. 国家や州などの計画や政策の日常的展開
  3. 庶民生活を取り囲み、成り立たせているミクロメディアからマクロメディアまでの状況
  4. 研究の対象となる周辺化された人々の特性を、生計のたてかたという視点から把握
  5. 周辺化された人々が生きる場の空間構造を経年的、動態的に把握
  6. 1)から5)を総合する形で、生活空間の境界のインターセクションのあり方の発見
  7. 6)の境界のインターセクションのあり方を要にしながら展開させるはずの、人々の共同性の紡ぎ出し方を、下からの生活空間デザインの技法として解明

共同研究会での討議において、人類学を中心にするものの、社会学、精神分析学、デザイン論などの学際的知見を交差させて多角的に議論をふくらませていくことになる。

初年度2011年度は、前回の共同研究会「ストリートの人類学」の成果の吟味と今回の共同研究会の目的をメンバーの間での共有を、まずは主眼に置いて、研究の方向性を明確化する。

【館内研究員】 岸上伸啓
【館外研究員】 朝日由美子、小田亮、北山修、Gill, Tom、鈴木晋介、近森高明、西垣有、野村雅一、丸山里美、南博文、森田良成、和崎春日
研究会
2011年10月29日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第3セミナー室)
関根康正(関西学院大学)共同研究の趣旨説明
トム・ギル(明治学院大学)「福島原発の被災地域をめぐって」
全員討論「共同研究の課題をめぐって」
2012年1月22日(日)13:30~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
姜竣(京都精華大学)「街頭紙芝居を育んだ町(まち)と街(まち)」
関根康正(関西学院大学)「ストリート人類学の第二ラウンド」
全員討論
研究成果

本研究会の趣旨は、2011年3月11日に日本を襲った大地震を引き金にした放射能汚染社会の日常化という人類史的な歴史的転換以前から考えられてきたが、この転換を踏まえずしてまともな社会科学は思考できないことになった。人類学の役割は、周辺化された人々や地域からの眼差しの実態を、中心権力の産出するディスコースの中で、記述し、その問題に転換お方向性を示すことにある。第一回研究会では、トム・ギルによる放射能汚染の最前線に位置する飯館村での参与観察の成果の共有である。そこに、後手後手に回る国・地方行政の対応のなかでの村人個々人の声と行動が報告され、周辺化された地方の内実の複雑性が明らかにされ、議論を通じて人類学者の調査地へのコミットメントが問題点として浮き彫りになった。第二回研究会ではゲストスピーカー姜 竣により、東京・大阪などの大都市の周辺化された地域(都市内の「地方」)と街頭紙芝居の生産・流通・消費空間との関係が明示され、該当紙芝居の排除と受容の変遷が歴史的に明らかにされた。これらの事例をも踏まえて、ネオリベ経済に抗するストリート・ローカリティ・ヘテロトピアデザイン・フォークロアなどの諸概念をめぐる潜在的可能性を探求する研究会の方向性を再確認する内容が関根康正より提示された。これは「民博通信」に掲載される。