国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

ネパールにおける「包摂」をめぐる言説と社会動態に関する比較民族誌的研究

研究期間:2011.10-2015.3 代表者 名和克郎

研究プロジェクト一覧

キーワード

ネパール、言説政治、社会的包摂

目的

本研究は、かつてヒマラヤのヒンドゥー王国であり、現在連邦民主共和制に向けた体制転換期にあるネパールにおいて、多種多様な中間集団の存在を前提として展開される種々の政治的な主張と、そうした中間集団に属するとされる様々な人々の行う実践とが織りなす布置を、近年ネパールにおいて急速に普及した翻訳語サマーベーシーカラン(「包摂」)を鍵概念として明らかにするものである。カースト的秩序から一元的な国民統合路線を経て多民族性、多言語性が認められた1990年以降のネパールにおいて、「先住民族」「ダリト」などグローバルに或いは国境を越えて流通する概念に基づいた様々な権利主張の運動と、マオイストから王党派に至るナショナルな水準での政党の主張、さらには人類学的なフィールドワークによって明らかにされる、必ずしもこうした運動や主張により回収されないローカルな水準での人々の状況、以上三者の間の関係と齟齬を多層的、多元的に検討することから、ネパール社会の歴史と現状に関する統合的理解を提出することが目的である。

研究成果

本研究が行われた3年半の間に、ネパールでは、第一次制憲議会解散から二度目の制憲議会選挙、第二次制憲議会の成立という政治的動きがあったが、新憲法制定へのプロセスは停滞した。ネパールの「包摂」を巡る国内外での議論と研究が質量共に大きく進展した一方、「包摂」への動きに対する国内の多様な反応もまた明確になってきた。本研究は、以上を前提として、参加者がそれぞれの具体的な調査に基づきネパールおよび周辺地域における「包摂」の具体相を明らかにし、それを相互に比較検討する形で議論を積み上げてきた。具体的には、まず法制史やセンサスの検討から、問題の制度的、実体的背景が詳細に分析された。次に、ネパールにおける「包摂」を巡る議論の一つの焦点であったカーストや民族などの集団範疇を前提にした動きについて、「先住民族」「ダリト」などグローバルに或いは国境を越えて流通する概念の使用に着目しつつ、複数の概念枠組の間での選択、従来こうした概念を用いてこなかった人々による使用の事例も含め、運動家を含む当該社会の人々の内的な多様性に留意しつつ明らかにした。他方、国民国家という枠組や、民族やカースト、ジェンダーといった概念を所与の前提としては見えにくい、例えばキリスト教徒、チベット難民、人身売買被害者といった人々についても、「包摂」という鍵概念との関係で、新たな形で問題の所在を提示した。また本研究を通じて、「包摂」を巡る問題を含む現代ネパールの現状の理解に、海外への移住・出稼ぎという要素が決定的に重要であることが明確になった。さらに本研究では、複数の第一線のネパール研究者との議論、意見交換を行った他、インド及びブータンの状況との比較検討も行われた。本研究を通じ、inclusionという概念がネパールにおいて翻訳され様々な形で用いられ、それが人々の意識や行為に影響を与えていく過程を、民族誌的記述から多角的に明らかにし、それを通じて、ネパール社会の歴史と現状に関する新たな統合的理解を提示することが出来たと考えている。

2014年度

当初計画では、研究最終年度に当たる本年度に2回の研究会を開催する計画であったが、予算配分額を勘案し、1回の研究会を開催する計画に変更した。本研究会の成果公刊に向けて、各参加者が論文のドラフトをあらかじめ準備し、共同研究メンバーがコメントするという形を基本とする。開催回数削減に伴い、諸事情によりこれまで発表することが出来なかったメンバーの発表を通常の形で行うことは不可能となった。なお、共同研究の成果発信の一環として、5月15日から18日まで千葉県で開催される国際学会IUAES Inter-Congress 2014で採択された二つのパネル(Comparative ethnography of 'inclusion' in Nepal: discourses, activities, and life-worlds [convenor: 名和]、Politics, culture, and cultural politics in the Himalayas [convenor: 藤倉達郎・京都大学教授])において、本共同研究のこれまでの議論の成果を国際的な検討に付す。

【館内研究員】 南真木人
【館外研究員】 石井溥、上杉妙子、鹿野勝彦、佐藤斉華、高田洋平、橘健一、田中雅子、外川昌彦、中川加奈子、丹羽充、幅崎麻紀子、藤倉達郎、別所裕介、Maharjan, Keshav Lall、宮本万里、森田剛光、森本泉、安野早己、渡辺和之
研究会
2015年1月31日(土)9:30~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
名和克郎、橘健一 成果発表論文について
森田剛光、中川加奈子、渡辺和之、藤倉達郎 成果発表論文について
丹羽充、マハラジャン、ケシャブ・ラル、安野早己 成果発表論文について
2015年2月1日(日)9:30~16:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
幅崎麻紀子、田中雅子、高田洋平、佐藤斉華 成果発表論文について
南真木人、別所裕介、上杉妙子、石井溥 成果発表論文について
研究成果

本年度は最終年度であり、予算の制約もあって、本研究会の成果出版に向けた草稿検討のための研究会を二日間にわたり開催するのみで終了した。二日間の検討を通して、本研究会が、第一に、「先住民族」「ダリト」などグローバルに或いは国境を越えて流通する概念に基づいた様々な権利主張の運動の動態を、複数の概念枠組の間での選択や、従来こうした概念を用いてこなかった人々による使用の問題も含め、運動家を含む当該社会の人々の内的な多様性に留意しつつ明らかにしてきたこと、第二に、国民国家という枠組と、民族やカースト、ジェンダーといった概念を所与の前提としては見えにくい様々な人々を巡る問題についても、様々な角度からこれまでにない視点を提供してきたことが明らかになった。さらに、本研究を通して、「包摂」を巡る問題を含む現代ネパールの現状を理解するために、海外への移住・出稼ぎという要素が決定的に重要であることが明確になった。研究成果のとりまとめにあたっては、この点についても配慮する所存である。また、昨年度までの研究成果の一端を、2014年5月に幕張で開催されたInternational Union of Anthropological and Ethnological Sciences Inter-Congress 2014における二つのパネルの中で発表した。

2013年度

研究3年度目に当たる本年度は、4回の研究会を開催する計画である。本共同研究と連動して行っている科学研究費による調査の予備的な成果発表を兼ねたものを含め、共同研究メンバーによる個別事例の検討を巡る発表を中心に、これまでよりも個々の発表および議論の時間を長く取り、民族誌的細部と比較の双方に力点を置いて検討を深めていきたい。特別講師に関しては、関連した研究を行っている若手研究者の他、なかなか先が見えないネパールの政治情勢に鑑み、可能であれば来日するネパールの研究者を招くなど、機動的に対応する。また研究会の内1回は、20世紀中葉のネパールに関する資料を多く所蔵する東京大学東洋文化研究所で開催する計画である。これは昨年度に企画され事情により実現できなかったものであるが、資料の内容を確認しつつ、カースト的秩序を前提とした法体系から一元的な国民統合路線へとネパールがシフトした時期について、現在進行中の事態と対比しつつ検討することを目的とするものである。

【館内研究員】 南真木人、宮本万里
【館外研究員】 石井溥、上杉妙子、鹿野勝彦、佐藤斉華、高田洋平、橘健一、田中雅子、外川昌彦、中川加奈子、丹羽充、幅崎麻紀子、藤倉達郎、別所裕介、Maharjan, Keshav Lall、森田剛光、森本泉、安野早己、渡辺和之
研究会
2013年6月23日(日)13:00~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
高田洋平(京都大学大学院)「ネパールの都市のストリート空間と生-ストリートチルドレンの『包摂』をめぐって-」
宮本万里(国立民族学博物館)「現代ブータンにおける「デモクラシー」の諸相」
研究打合せ
2013年7月6日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第3セミナー室)
安念真衣子(京都大学大学院)ネパールにおけるリテラシー実践と「包摂」
藤倉達郎(京都大学大学院)「何に包摂されるのか? タルー人社会活動家たちの履歴から」
研究打合せ
2013年10月19日(土)10:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
丹羽充(一橋大学大学院)「分裂と統合:ネパールのプロテスタントの間で相次ぐ 教会分裂と統括団体の創設」
橘健一 「ネパール・チェパン社会に見られる存在の分割と接合」
[Abhijit Dasgupta "Affirmative Action and Identity Politics: the OBCs in Eastern India"(MINDAS2013年度第3回合同研究会に合流)第6セミナー室]
研究打合せ
2013年10月20日(日)9:30~12:00(国立民族学博物館 第1演習室)
南真木人「移住労働による社会的送付―「包摂」の可能性」
研究打合せ
2014年1月11日(土)10:00~19:00(東京大学東洋文化研究所・第一会議室)
全員 日本ネパール協会旧蔵資料の検討 (1)
上杉妙子 「在外ネパール人協会の多重市民権法制化運動とその意義について」
マハラジャン、ケシャブ・ラル 「包摂、NeRaPa、選挙、ネラパ  そして包摂」
安野早己 「先住民の地位を要求する高位カースト:ブラーマン・サマージとチェトリ・サマージの活動から」
2014年1月12日(日)10:00~19:00(東京大学東洋文化研究所・第一会議室)
森本泉 「ガンダルバをめぐる社会空間の変容―「歩く」を再考する」
佐藤斉華 「女は動く、女が動く:ネパール・ヨルモにおける移動の諸相」
中川加奈子 「肉の二つの意味とその組み換え―カドギによる「カースト」の再創造」
全員 日本ネパール協会旧蔵資料の検討 (2)
2014年1月13日(月)10:00~15:30(東京大学東洋文化研究所・第一会議室)
宮本万里 「現代ブータンにおける屠畜と放生」
研究成果

第3年次にあたる2013年度は、共同研究者との日程調整の結果、4回の研究会を開催した。ジャナジャーティ(「民族」)を外枠としてその変容を批判的に分析したもの(藤倉、橘)、特定の「カースト」による主張や実践を論じたもの(中川、安野)から、特定のジャナジャーティやカーストに属する人々の移動に焦点を当てたもの(森本、佐藤)、識字教育(安念)、ストリート・チルドレン(高田)、プロテスタント(丹羽)といった、民族やカーストとは異なる枠組からの議論、政党政治と選挙の一側面(マハラジャン)、さらにネパール国外にいるネパール人を論じたもの(南、上杉)まで、ネパールにおける「包摂」の多様性と動態の諸側面に迫る充実した諸発表をもとに、議論を重ねた。また、ブータンを専門とする宮本に二回発表をお願いした他、北インドの留保制度に関するAbhijit Dasgupta教授の講演会に参加し、さらに東洋文化研究所所蔵・日本ネパール協会旧蔵書の検討を行うなど、現在のネパールの多様な状況を時間的空間的に相対化するための議論も行った。なお、これらの成果の一部は、2014年5月に開催される国際学会IUAESに採択された二つのパネルの中で発表されることが決定している。

2012年度

昨年度の研究会における問題意識の共有、及び特別講師として招聘したネパール人研究者の方々による多様な問題の指摘を受けて、研究2年度目に当たる本年度は、共同研究メンバーによる個別事例の検討を巡る発表を中心に、5回の研究会を開催する予定である。1回の研究会につき、2人或いは3人のメンバーあるいは特別講師が発表・講演を行う。内容的には、既に本研究課題の目的と合致した内容の現地調査を実施してきた研究者による、それぞれの地域・主題に関する状況の変遷と現状を把握する形の発表が中心となる。また研究会の内1回は、20世紀中葉のネパールに関する資料を多く所蔵する東京大学東洋文化研究所で開催し、資料の内容を確認しつつ、カースト的秩序を前提とした法体系から一元的な国民統合路線へとネパールがシフトした時期について、現在進行中の事態と対比しつつ集中的に検討することとしたい。

【館内研究員】 南真木人、宮本万里
【館外研究員】 石井溥、上杉妙子、鹿野勝彦、佐藤斉華、橘健一、田中雅子、外川昌彦、藤倉達郎、別所(原)裕介、Maharjan, Keshav Lall、森本泉、安野早己、渡辺和之
研究会
2012年7月7日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
中川加奈子(関西学院大学)「カトマンズにおける民主化・市場化と下からの社会的包摂ー「カドギ」によるカースト・イメージの読み替えー」
森本泉(明治学院大学)「ガンダルバと社会的包摂-新ネパール再構築過程で/を歌う」
(共同討議)「昨今のネパール情勢について」
2012年7月8日(日)10:00~12:00(国立民族学博物館 大演習室)
佐藤斉華(帝京大学)「彼女たちはいかにして「仕事に満足」か?カトマンズ周辺の建築労働者女性の場合」
2012年11月17日(土)12:30~19:00(国立民族学博物館 第4演習室)
別所裕介「開発と仏教―ネパールの包摂ポリシーにおけるチベット仏教集団の動向」
安野早己「あるブラーマンの死亡事件-人民戦争後の村落社会の変化-」
石井溥 「ネパールとブータン:類似と対照」
2013年1月12日(土)12:30~19:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
森田剛光「ネパール、タカリーの民族範疇に関する考察」
丹羽充「拡がるアイロニーと共同の可能性、もしくは不可能性:カトマンドゥ盆地のプロテスタンティズムを事例に」
渡辺和之「村に残った人々の暮らしはどう変わったか?東ネパール、ルムジャタール村における家畜頭数、耕作地、村落開発委員会における女性とダリットの役割の変化」
2013年3月2日(土)10:00~19:00(広島大学大学院国際協力研究科小会議室(1F))
Khadga K.C. (京都大学/ Tribhuvan University) "Civil Military Relations in Nepal"
(共同討議)「ネパールの平和構築における「包摂」について」
田中雅子(文京学院大学)「人身売買被害者にとっての包摂:村に戻ったサバイバーの暮らしと当事者運動」
全員 「次年度の研究計画について」
研究成果

第2年次にあたる本年は、共同研究者との日程調整の結果、4回の研究会を開催することとなった。共同研究者及び特別講師の発表は、特定の中間集団に焦点を当てたもの(森本、中川、森田、別所)、特定の村に焦点を当てて状況の変化とその複雑性を論じたもの(安野、渡辺)、ネパールの「包摂」を巡る既存の議論枠組では容易に捉らえてこなかった事象を扱ったもの(佐藤、丹羽、別所、田中)、さらには他国との状況比較(石井)に及んだ。さらに、京都大学に滞在中であったネパールの政治学者Khadga K.C.先生には、ネパールの軍という、決定的に重要ではあるが外部者には容易に扱いがたい存在を巡る問題について概観する発表をしていただいた。以上の発表とそれに伴う議論から、現在ネパールで「包摂」を巡って議論を行う際に考慮しておくべき事象の幅が大まかに明らかになり、次年度以降、それぞれのフィールドの具体的なデータに基づいて「包摂」を巡る問題をより深く比較検討していく準備が整ったものと考えている。

2011年度

初年度第一回の研究会では、申請者が趣旨説明を兼ねて「社会的包摂」を巡るネパールの状況についての自らの理解を予備的に班員に説明し、参加者の各々がそれぞれの研究とフィールド経験に照らしてそれを批判するという形で、ブレインストーミングを行い、今後の研究計画を確定する。

初年度第二回以降は、各々の研究者が順次自らの研究蓄積に基づき発表を行う。既に本研究の目的に沿った現地調査を実施している研究者による実態把握的発表から始めるが、ネパールに近い他の国・地域での調査経験を豊富に持つ班員には、比較の観点を入れた発表をお願いしている。班員のみでネパールの多様な状況を十分カバーすることは不可能であるため、欠落が見出された領域に関してはその都度柔軟にゲスト・スピーカーを招聘し、議論の視野を広げるよう配慮する。

【館内研究員】 南真木人、宮本万里
【館外研究員】 石井溥、上杉妙子、鹿野勝彦、佐藤斉華、橘健一、田中雅子、外川昌彦、藤倉達郎、別所裕介、Maharjan, Keshav Lall、森本泉、安野早己、渡辺和之
研究会
2011年12月10日(土)13:00~19:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
名和克郎(東京大学東洋文化研究所) 共同研究趣旨説明
Nirmal Man Tuladhar(京都大学ASAFAS) “Dream of Nepali Lay Citizens: Social Inclusion”
全員 今後の共同研究の運営について
2012年2月18日(土)10:00~17:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
南真木人(国立民族学博物館)「共同研究「マオイスト運動の台頭と変動するネパール」の成果から」
Bhaskar Gautam, “Institutional Pluralism: social inclusion, political pluralism, and the Maoist's predicament”
Jagannath Adhikari, “Social inclusion in access to natural resources in Nepal: Exploring the impact of globalization”
2012年2月19日(日)10:00~12:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
名和克郎(東京大学東洋文化研究所)「「包摂」の語でネパールについて何を論じ得るか?来年度以降に向けて」
研究成果

研究初年度にあたる本年度は、2回の研究会を開催した。第1回研究会では、研究代表者が本共同研究の企図・目標等を説明した後、参加者それぞれの問題関心及びフィールドの状況を前提として、今後の共同研究の展開についてすりあわせを行った。第2回研究会では、南真木人氏より、本研究に先行して行われたネパール関連の共同研究の成果の総括があり、また研究代表者により、「包括」概念によりネパールの現状を分析すると同時にネパールの現状から「包摂」概念を批判的に再考するという、本共同研究の目標が提示された。さらに、ネパールにおいてこの問題を研究してきたNirmal Man Tuladhar氏(第1回研究会)、Bhaskar Gautam氏、Jagannath Adhikari氏(第2回研究会)を特別講師として招き、それぞれ主に言語的・民族的側面、政治的及び経済的側面から、ネパールにおける「包摂」を巡る問題の広がりとその含意について批判的にお話いただいた。以上より、本共同研究が前提とすべき状況と研究水準が参加者の間で共有され、来年度以降の各共同研究員による個別発表のための準備が整った。