災害復興における在来知――無形文化の再生と記憶の継承
キーワード
災害、復興、在来知
目的
被災体験の記録化や記憶の継承は、被災者自身による体験記の執筆や第三者による聞き取り調査などによって、これまでも数多く試みられてきた。近年では、災害発生によって予期せぬ事態に遭遇した際の判断と行動に関して、一般市民だけでなく災害の現場での対応に当たった行政官や消防士などをも対象として、言語記録として残し、そしてそれを災害状況下での教訓として共有化を図るための災害エスノグラフィも実施されている。しかしながら災害エスノグラフィでは、将来の防災や減災への貢献を目的に、災害発生直後や避難所などの非日常的な環境下での判断・行動にテーマが限定されがちである。本研究は、人びとが自然・社会環境と日々関わる中で形成される実践的、経験的な知(在来知)が、災害発生により被った影響やその再生の活動、地域社会の再建に果たす役割、さらにはそうした経験の継承に注目し、社会的・歴史的背景に照らして、解明することを目的としている。主な対象は東日本大震災における無形文化とする。
研究成果
潜在する自然災害リスクと共生する中で、災害対応に関する「在来知」が育成されてきたわけであるが、環境学や生態学の分野に比べると、災害研究・防災研究における「在来知」への関心が登場したのは遅く、1970年代後半になってからであった。その後も2000年代に入るまでは、災害リスク管理との関係において「在来知」が注目されることはごくまれなことであった。防災において、環境・生態系に関する地元住人が持っている伝統的な知識と技術への関心は、災害発生頻度が高く、自然環境への依存度も高い地域で、先端的な土木・建築技術の導入による防災が、財政的に難しい場合の支援策として注目されるようになった。しかし気候変動によって、洪水や干ばつなどの災害発生頻度がさらに増加したり規模が拡大したりすると、従来の「在来知」では対応しきれないため、在来知にいかに近・現代的な技術を連結するかの模索も始まった。これらは、災害への事前対応としての「在来知」への関心とその積極的な評価であった。
2011年3月に東日本大震災が発生し、東北地方太平洋沿岸の地震・津波・原発事故の被害地域では、過去の地震・津波災害の経験の記録・伝承および教訓の継承に社会の関心が向けられるのと同時に、今次の災害による被災から、人びとが生活を再建し、コミュニティを再生していくプロセスに対して国内外からの関心と支援も多く集まることとなった。特に福島原発事故は、被災者を限定することも困難なほど、その影響は広範囲かつ様々な形で表れている。そうした対象に対して、本共同研究では、「在来知」を事前対応としてのリスクや被害の軽減に機能するものとしてだけでなく、災害発生後の緊急対応から復興の過程でも機能するもの、あるいは災害を経験したことによって新たに構築されていく知のプロセスを捉えるものとして、人類学・民俗学・社会学・博物館学・生物学さらにはNPOなどの実践活動を通じてアプローチした。広範囲におよぶ被災地では、行政・専門家・市民レベルでのさまざまな外部支援が入り、そのことによってそれぞれの地域に新たな社会関係と知の形成を見ることができる。ただ、災害発生から4年が過ぎたばかりの現段階で、被災地の今後の動向を予測することは不可能であり、あくまでも短期の研究による成果である。
2014年度
本年度は、研究会の成果とりまとめとその公開に向けた研究活動を展開する。2011年3月の東日本大震災発生から3年が経過し、その間に被災地でも被災無形文化の再生や、災害の記憶の継承を目指す多くの様々な活動が始まっている。本年度最初の研究会では、成果出版の目的を明確にし、その目的に照らし合わせて各メンバーの研究成果を位置づけるため、各々が計画中の内容について発表し、意見交換をおこなう。第2回は、本研究会と密接に関わる二つのプロジェクトについて、研究会メンバーで情報を共有し、意見交換をおこなうことで各々の研究を被災地内からの視座に照らし合わせる機会とする。リアスアーク美術館の常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」と、陸前高田市の津波到達線上に桜を植樹するプロジェクトは、それぞれに災害の記憶をつなぐ方法の可能性を追求する実践である。各プロジェクトの企画・責任者に発表してもらい、展示と植樹の現場も実見する予定である。第3回の研究会では、各メンバーが執筆しようとしている成果内容の精査を共同で進める計画である。
【館内研究員】 | 林勲男、日髙真吾、吉田憲司 |
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【館外研究員】 | 猪瀬浩平、植田今日子、柄谷友香、川島秀一、木村周平、小谷竜介、佐治靖、関礼子、寺田匡宏、丹羽朋子、橋本裕之、政岡伸洋、松前もゆる |
研究会
- 2014年7月12日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
- 丹羽朋子(東京大学大学院総合文化研究科)「非当事者から「当事者」へ―東日本大震災における民間支援を考える」
- 小谷竜介(東北歴史博物館)「「おらほの祭りを取り戻す」こと~石巻市雄勝町におけるチーム鼓舞の試みから~」
- 2014年7月13日(日)9:00~15:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
- 橋本・林 成果出版について
- メンバー各自の執筆計画発表
- 2014年10月4日(土)13:00~17:00(まちづくり協働センター(岩手県陸前高田市))
- 岡本翔馬(NPO法人 桜ライン311)「桜ライン311の活動」(仮題)
- 2014年10月5日(日)9:30~12:00(リアス・アーク美術館(宮城県気仙沼市))
- 山内宏泰(リアス・アーク美術館)「常設展示『東日本大震災の記録と津波の災害史』の試み」(仮題)
- 2015年1月25日(日)10:00~18:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
- 全員・成果出版用論文の中間発表
研究成果
最終年度に当たる本年度は、研究成果のとりまとめにあたり、3回の研究会のうち1回を館外開催とし、東日本大震災被災地にて展開する記憶継承活動のなかで、本研究会と密接に関わる二つのプロジェクトについて、研究会メンバーで情報を共有し、意見交換をおこなう機会とした。桜ライン311の岡本翔馬氏らは津波到達線上に桜を植樹することによって、リアスアーク美術館の山内宏泰氏は被災地の写真と被災物を主とした展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」を通して、それぞれに災害の記憶をつなぐ方法の可能性を追求する試みを実践している。東北地方太平洋沿岸は、いわゆる津波常襲地域であり、過去の大災害においても経験と教訓の継承の試みはなされてきているが、新たな媒体を通じて、多くの人びとを巻き込むプロジェクトとして運用を図っていることは斬新なものである。両名に各プロジェクトについて発表してもらい、意見交換をおこなった。他の2回の研究会は、研究発表と成果の取りまとめに向けて、出版社から編集担当者にも参加してもらい開催した。
2013年度
本年度は、すでに被災地調査を実施している6名を新たなメンバーに加え、昨年度に引き続き、メンバーによる東日本大震災に関わる研究活動の報告を継続するとともに、「在来知」をめぐる文化人類学や開発学におけるこれまでの研究成果を踏まえて、被災地復興状況や被災者の生活の実態を把握する中で、「在来知」へのより具体的なアプローチの在り方や対象の措定について議論を深めていく。5回の研究集会を開催し、そのうち2回を、岩手県立博物館と福島県立博物館で開催する。両機関は、東日本大震災ならびに福島第一原発事故によって被災地となった沿岸地域の支援と避難者受け入れの拠点となった内陸都市に位置している。被災した有形・無形文化の災害以前の状況の記録や、被災後の現状について実見しつつ、必要に応じて関係者の参加によって、研究集会の充実を図っていく。
【館内研究員】 | 林勲男、日髙真吾、吉田憲司 |
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【館外研究員】 | 猪瀬浩平、植田今日子、大矢邦宣、柄谷友香、川島秀一、木村周平、小谷竜介、佐治靖、関礼子、寺田匡宏、丹羽朋子、橋本裕之、政岡伸洋、松前もゆる |
研究会
- 2013年5月11日(土)13:00~17:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 林勲男(国立民族学博物館)「防災研究における在来知への関心」
- 寺田匡宏(総合地球環境学研究所)「自然災害・戦争などに関する博物館における「復興」の表現の特徴」
- 2013年5月12日(日)10:00~12:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 吉田憲司(国立民族学博物館)「記憶の継承-津波災害と文化遺産」
- 2013年7月20日(土)14:00~17:00(岩手県立大学滝沢キャンパスメディアA棟AVホール)
- 見市健(岩手県立大学)「橋本裕之氏と「社会実験」としての民俗芸能復興支援-政策学からのアプローチ」
- 2013年7月21日(日)9:00~18:00(岩手県立大学アイーナキャンパス)
- 松前もゆる(盛岡大学)「「コミュニティ」と女性の役割―岩手県宮古市重茂の1地区を例に」
- 柄谷友香(名城大学)「被災限界からの再建に向けた「中核被災者」の役割と可能性」
- 全員・総合討論
- 2013年11月9日(土)9:30~17:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 宮内泰介(北海道大学)「高台集団移転とコミュニティのゆくえ-宮城県石巻市北上町における順応的なアクション・リサーチから-」
- 最終年度計画と成果公開に関する協議
- 2013年11月10日(日)9:30~12:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 植田今日子(東北学院大)「なぜ大災害の非常事態下で祭礼は遂行されるのか-相馬野馬追いと古志の角突きから考える-」
- 2013年12月21日(土)13:30~18:00(ミューカルがくと館(郡山市音楽・文化交流館)福島県郡山市開成1-1-1 )
- 三田村敏正(福島県農業総合センター)「原発事故による水田昆虫への影響-生態学的視点から-」
- 関礼子(立教大学)「旧警戒区域内の復興における"豊かさ"の位相」
- 2013年12月22日(日)9:00~12:00(ミューカルがくと館(郡山市音楽・文化交流館)福島県郡山市開成1-1-1 )
- 猪瀬浩平(明治学院大学)「「放射能の人類学」にむかって:在来知の可能性/不可能性」
- 2014年2月9日(日)13:00~17:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 出版を含めた成果公開と来年度の研究会計画の検討
研究成果
本年度は5回の研究集会を開催し、そのうち2回を館外開催(盛岡、郡山)とした。東日本大震災被災地で調査研究に従事する社会学と農学者に特別講師として発表をお願いし、メンバーの知見を広めることができたのは今年度の大きな収穫であった。とりわけ、「コミュニティ」「絆」「つながり」など、地域社会の紐帯の断絶や回復についての言表が、住民、多分野の研究者、支援者、行政などからなされていることについて、その使用の脈絡や普及状況に留意することの重要性は共通認識として確認した。
第5回の研究集会(2014年2月9日開催)で成果公開と次年度の計画を話し合う予定であったが、関東と東北地方が大雪のため公共交通が麻痺状態となり、メンバー3名と編集者のみの参加であった。そのため、成果出版に関する民博の諸規定と出版事情について確認したのみで、成果公開に向けての実質的な実務とスケジュールの決定は、次年度の第1回研究会での検討事項とした。
2012年度
ほとんどのメンバーは、東日本大震災の被災地で、無形文化の被災状況やそれに対する文化支援について調査するだけでなく、積極的な支援活動を展開してきている。これまでのそうした支援と研究活動を通じて培われた関係に基づき、科研等の調査資金によって現地調査を継続し、その成果を持ち寄って、本共同研究会にて発表し、議論していく。必要に応じて、他分野の研究者や被災地で活動する実務者を特別講師として招聘して議論を深めていく。また、2年度目以降に日本文化人類学会等の関係学協会の研究大会で分科会を組織し、成果の一端をアカデミックな議論の俎上に挙げるだけでなく、被災地や被災地支援活動の拠点となった地域でシンポジウムやフォーラムを開催し、被災地復興や被災者の生活再建に関わっている多方面のステークホルダーとの協働体制を作っていく。
3年目の最終年度は、成果出版公開のための準備として、草稿を持ち寄って議論し、メンバー各自の論文の質を高めていくこととする。同時にウェブでの成果の一部公開準備をする。
【館内研究員】 | 林勲男、吉田憲司 |
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【館外研究員】 | 猪瀬浩平、大矢邦宣、川島秀一、木村周平、佐治靖、寺田匡宏、橋本裕之、政岡伸洋、松前もゆる |
研究会
- 2012年6月9日(土)10:00~17:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 橋本裕之、林勲男「本研究会の趣旨と実施計画」
- 全員「研究紹介」
- 林勲男「東北の民俗芸能・鹿踊り再生への支援と被災地復興について」
- 全員「研究会の内容について」
- 2012年6月10日(日)10:00~12:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 橋本裕之「無形民俗文化財への支援活動」
- 2012年11月16日(金)10:00~17:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 林勲男(国立民族学博物館)「災害の記憶を残す」
- 橋本裕之(追手門学院大学)「東日本大震災と無形文化遺産」
- 吉田憲司(国立民族学博物館)「記憶の継承」
- 2012年11月17日(土)10:00~18:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 日高真吾(国立民族学博物館)「東日本大震災で被災した有形文化遺産の復興支援」
- 阿部武司(東北文化財映像研究所)「記録DVD「3.11 東日本大震災を乗り越えて」について」
- 2012年11月18日(日)10:00~18:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
- 佐治靖(福島県立博物館)「「民俗知」から「在来知」へ―災害研究への、2、3の提言」
- 日高真吾・吉田憲司・林勲男(国立民族学博物館)「企画展「記憶をつなぐ」について」
- 全員:企画展講評
- 橋本裕之(追手門学院大学)・林勲男(国立民族学博物館)「年行司太神楽について」
- 松前もゆる(盛岡大学)「東日本大震災と学生による支援活動」
- 2013年1月27日(日)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 木村周平(富士常葉大学)「人類学における災害研究―これまでとこれから」
- 総合ディスカッション
- 2013年2月15日(金)10:00~18:00(東北学院大学土樋キャンパス7号館5階 753教室)
- 政岡伸洋(東北学院大学)「民俗行事の復活とは何だったのか―宮城県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷の春祈祷の場合―」
- 加藤幸治(東北学院大学)「脱・文化財レスキュー―救助・復旧活動から地域研究へ―」
- 政岡伸洋・加藤幸治「東北学院大学博物館・文化財レスキュー資料および関連施設の収蔵設備等について」
- 文化財レスキュー資料・関連施設の収蔵設備等に関する討論
- 2013年2月16日(土)10:00~12:00(東北学院大学土樋キャンパス7号館5階 753教室)
- 川島秀一(神奈川大学)「山口弥一郎の三陸津波研究」
研究成果
2012年度は4回の研究会を開催した。有形・無形文化遺産の被災状況への対応について実践的な活動が報告され、被災地復興や生活再建プロセスの中での文化遺産のもつ意味・役割について意見交換をした。こうした支援活動の成果の記録化や大学教育での意義についても実践報告がなされた。また、災害の記憶の継承の在り方や媒体をめぐっては、神社の位置や津波碑を例にした議論がなされた。東北の被災地での以上のような具体的な実践事例を踏まえて、在来知をめぐるこれまでの議論や文化人類学における災害研究へのアプローチについての報告があり、今後の研究の展開の可能性について議論された。東北太平洋沿岸被災地の文化と被災という点で、同地域をフィールドとしている政岡が、民俗行事の復活の意味について考察を巡らし、川島が山口弥一郎の研究からキーワードを抽出し、今後の研究で注目すべき問題を提起した。