宗教の開発実践と公共性に関する人類学的研究
キーワード
宗教、開発、公共性
目的
20世紀後半以降、世界各地で宗教復興が顕在化すると同時に、公共領域における宗教の影響力が増大している。その背景には、新自由主義経済の浸透による国家財政の緊縮化とそれにともなう社会・福祉サービスの低下がみられるなか、宗教(宗教者や宗教集団)が、独自のネットワークに基づき、そして多くの場合、地域社会・援助供与国・国際NGOなどと連携しながら、社会開発に積極的に参画するというグローバルな流れが指摘できる。
そこで本研究では、宗教の開発実践が顕著にみられるアジアとオセアニアをおもな舞台として、以下の2点を目的とする。第1に、宗教による経済開発、医療と公衆衛生、教育などの領域における活動を民族誌的な事例として収集し、そこに反映される宗教固有の理念や規範およびネットワークの性質を明らかにする。第2に、このような現象が社会全体にかかわる諸問題を主題化し、公共性およびその変容を喚起していることを明らかにする。この2点を明らかにすることで、本研究は、ポスト世俗化の宗教論を超える視点を提示することを目指す。
研究成果
先行研究として、おもに開発研究アプローチと宗教研究アプローチがあげられる。前者では、宗教は被援助国における人間生活の支柱とされ、とくに宗教の精神的・組織的な側面に注目しつつ、オルタナティブ開発の鍵を握るものとしてその重要性が論じられてきた。一方、後者では、宗教による社会参加や開発実践をめぐり、西洋的な宗教概念や宗教/世俗関係などを前提とするポスト世俗化論の立場から、とくに市民社会やグッドガバナンスの構築などに関する分析がなされてきた。これらの先行研究では、ともすれば宗教の組織的・ネットワーク的な側面を強調し、またそれをポジティブに評価する一方で、一般信者の視点が考察外となる傾向にあった。それがゆえに、当該社会に固有の文脈が軽視されると同時に、一般信者のアクチュアルな宗教的経験が欠落してきたといえる。
たとえば、本研究において、宗教組織と国際援助団体が協働し、現金獲得や貧困撲滅を目指す開発プロジェクトについて報告がなされた。そこでは、宗教者は西洋的な開発言説に沿ってプロジェクトを導入し、その内容をいわば世俗的な言葉で一般信者に説明することが多いという。というのも、国際機関などから公的な資金が投入されることで、プロジェクトから宗教的要素が排除される傾向にあるからである(この点は、宗教組織が国際機関や国家に奉仕させられるばかりか、当該宗教に属さない者が周辺化されるという問題を生む)。しかし、一方で一般信者のなかには、プロジェクトを推進する宗教者の思惑に反して、彼らの世俗的な言葉を神の啓示として受け取ったり、宗教的な救いにつながると解釈するという反応がみられる。また、当該宗教の外部からは「宗教が金儲けを促すべきではない」「あの宗教だけが援助を受けるのは不公平だ」といった批判の声があがり、宗教間の軋轢や衝突を助長させることにもつながっている。
以上のように、宗教による開発実践は、いわば世俗組織がおこなう開発以上に、宗教者を含む援助者の意図せざる結果を生む可能性がある。そのため、政教関係や宗教/世俗関係を含む当該現象を取り巻く社会的・歴史的状況を十分に踏まえたうえで、民族誌的事例を収集・考察することが重要である。また、ある宗教が公共性を持ち得るかどうかも、こうした状況に左右されるところが大きい。これらを視野に入れ調査研究を進めることで、先行研究は宗教による開発実践のポジティブな側面を取り上げる傾向にあったが、その背後に見え隠れする信者間の亀裂や断絶、場合によっては宗教の排他性や暴力性など、ネガティブともいえるような側面が明らかとなった。
2015年度
昨年度の研究会をとおして、宗教者・宗教組織が開発や社会活動に参加する動機やその社会的背景、当該宗教の位置づけやイメージなどを視野に入れる重要性が確認された。本年度は最終年度にあたるため、本共同研究の成果とりまとめを意識して研究会を組織・開催する。そのさい、文化人類学者だけではなく、宗教学、宗教社会学、民俗学などを専門とするメンバーが本研究会には参加しているが、学問分野間の接合・融合を進めることも必要となる。こうした問題意識を踏まえたうえで、宗教の開発実践および宗教による社会へのコミットメントに関して、(1)宗教と開発、聖と俗の相互関係、(2)宗教者・宗教組織内外のネットワークの特質、(3)宗教/宗教的なるものと公共性、などのテーマに注意を払いつつ、それぞれに関する地域的な個別性と普遍性およびその背景に潜む論理に関して考察をおこなう。
【館内研究員】 | 丹羽典生 |
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【館外研究員】 | 岡部真由美、岡本亮輔、小河久志、門田岳久、倉田誠、藏本龍介、小西賢吾、白波瀬達也、野上恵美、舟橋健太 |
研究会
- 2015年5月23日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 舟橋健太(龍谷大学)「インドの改宗仏教徒の実践にみる『社会性』」
- 田中鉄也(国立民族学博物館)「現代インドの公益信託によるヒンドゥー寺院経営――ラーニー・サティー寺院を事例に」
- 全員「総合討論」
- 2015年7月25日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 岡部真由美(中京大学)「出家者からみた世俗との境界面――現代タイ社会における上座仏教僧の『開発』の事例から」
- 藏本龍介(南山大学)「ミャンマーにおける社会参加仏教/社会不参加仏教――出家者の活動に注目して」
- 全員「総合討論」
- 2015年11月14日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 野上恵美(神戸大学大学院)「日本におけるベトナム系移住者とカトリック教会の役割」
- 門田岳久(立教大学)「地域開発と〈宗教的なもの〉の発見――沖縄本島南部エリアの聖域化をめぐって」
- 全員「研究成果とりまとめに向けて」
- 2016年1月23日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 小河久志(常葉大学)「宗教団体の支援活動が生み出す新たな関係性――タイ南部インド洋津波被災地の事例から」
- 小西賢吾(金沢星稜大学)「僧侶の教育をめぐる「世俗」と「公共性」の位相――中国四川省のボン教徒を事例に」
- 全員「総合討論」
- 2016年1月24日(日)9:30~12:30(国立民族学博物館 第3演習室)
- 全員「研究成果とりまとめに関する打ち合わせ」
研究成果
2015年度は、本研究テーマに関する地域的特性の考察をおもな目的とし、4回の共同研究会を開催した。1回目の研究会では、南インドの事例から、社会性や公益性などの概念を足掛かりに、おもに宗教の社会参加について検討をおこなった。2回目の研究会では、東南アジアの上座仏教社会の事例をとおして、宗教者のカリスマ性、宗教と世俗の関係などについて考察した。続く3回目は、日本の事例を扱い、観光開発および多文化共存というテーマとの関連性を視野に入れ、そこにみられる宗教の扱われ方や公共性などについて考察をおこなった。4回目の研究会では、アジアの宗教的なマイノリティの事例から、国家・宗教・開発の関係性を踏まえた宗教の役割や公共性について検討した。以上の4回の研究会の終了後、各自のフィールドデータに基づき、政教関係と宗教の動向、宗教が関与する開発実践の特徴、西洋起源の言説の内面化などをめぐって総合的な討論をおこない、研究成果とりまとめに向けての方針を確認した。
2014年度
昨年度の研究会では、宗教の開発実践というテーマを人類学的に論じる意義について検討をおこなった。そのなかで、当該宗教の歴史的・社会的背景を考察すると同時に、宗教の法的・制度的な位置づけに注目する必要性が確認された。また、西洋的な宗教概念の浸透のほか、宗教の再秩序化を生む再帰性の作用、宗教と公共性の問題などと関連付けて考察することも重要である。こうした問題意識を踏まえたうえで、本年度の研究会では、宗教の開発実践および宗教による社会へのコミットメントの事例報告をとおして、ポスト世俗主義的な世界へのアプローチを展望する。
【館内研究員】 | 丹羽典生 |
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【館外研究員】 | 岡部真由美、岡本亮輔、小河久志、門田岳久、倉田誠、小西賢吾、白波瀬達也、野上恵美、舟橋健太 |
研究会
- 2014年9月27日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 石森大知(武蔵大学)「ソロモン諸島の紛争経験と宗教・開発・公共性――アングリカン系メラネシア教会の事例を中心に」
- 岡本亮輔(東京大学)「ポスト世俗化の宗教論――現代宗教におけるコミュニティの再形成」
- 全員「本年度の研究計画」
- 2015年2月28日(土)13:30~19:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 丹羽典生(国立民族学博物館)「神学と宗教的社会運動――フィジー・ダク村落開発運動を中心に」
- 倉田誠(東京医科大学)「近代化と世俗化――サモア・カソリック教会による慈善活動の展開」
- 藏本龍介(東京大学大学院)「ミャンマーの社会参加仏教――出家者の活動に注目して」
研究成果
2014年度は、2回の共同研究会を開催した。1回目の研究会では、世俗化論・ポスト世俗化論に関する批判的な検討をおこなうとともに、ソロモン諸島および日本のフィールドから事例を報告した。そのなかで、現代社会における世俗化と私事化のインパクト、公的領域における宗教の影響力拡大などをどのように捉えるか、そして修正派世俗化論に対する評価などをめぐって議論を重ねた。また2回目の研究会では、オセアニアと東南アジアの事例に基づく3つの報告があった。まず現代オセアニアに広くみられる伝統(土地、祖先)、宗教、政府という三位一体の神学について考察をおこなうと同時に、オセアニアの国家とキリスト教の関係性について検討した。つぎにミャンマーの事例を踏まえ、出家をめぐるジレンマについて議論を交わした。その後、これらの事例報告の検討から発展する形で、非西洋における宗教と世俗(開発)の境界および宗教の公共性など、本共同研究全体にかかわるテーマについて総合討論をおこなった。
2013年度
研究会を2回開催する。第1回は代表者の石森が研究会の趣旨説明として、宗教の開発実践と公共性の人類学的研究という課題が喚起する問題群を提示する。また宗教と開発を考える際の下位カテゴリーとして、おもに「運動・ネットワーク」「経済開発」「医療・教育」のテーマに分けることの意義と役割分担を確認し、各参加メンバーとの積極的な意見交換を図る。第2回は、宗教と開発を人類学で論じることの意義や地域特質などについて、報告と討論を実施する。初年度は以上の活動を通じて翌年以降の研究会の土台作りをおこなう。
【館内研究員】 | 丹羽典生 |
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【館外研究員】 | 岡部真由美、岡本亮輔、小河久志、門田岳久、倉田誠、小西賢吾、舟橋健太 |
研究会
- 2013年11月23日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第6セミナー室)
- 石森大知(武蔵大学)「趣旨説明――宗教・開発・公共性をめぐる人類学的研究」
- 岡部真由美(日本学術振興会)「宗教と開発をめぐる問題群――タイ上座部仏教の場合」
- 全員「研究紹介および今後の研究計画」
- 2014年2月22日(土)14:00~19:00(国立民族学博物館 第3演習室)
- 福島康博(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)「企業の寄付をめぐるふたつの語り――イスラーム金融機関の社会貢献活動の事例から」
- 白波瀬達也(関西学院大学)「単身男性集住地域におけるFaith-Related Organizationの支援――あいりん地域を事例に」
- 全員「本年度の総括および今後の研究計画」
研究成果
第1回研究会では、本共同研究の趣旨および問題意識等の説明とともに、研究の実施計画について確認した。また、初回ということもあり、研究会に参加する各メンバーが、これまでの研究テーマと本共同研究で実施する研究計画の概要を述べた。その後、本共同研究の方向性をめぐって質疑応答をおこない、問題意識を共有すると同時に、各メンバーの専門領域に対する理解を深めた。第2回研究会では、マレーシアと日本の事例に基づく研究報告がなされた。マレーシアの事例ではウンマの実現と企業の社会的責任の完遂の共存について、一方の日本の事例ではあいりん地域のセーフティーネットの一翼を担ってきたキリスト教系支援団体の活動やその歴史について報告された。これらの報告は、当該社会における宗教団体の位置づけや宗教の社会参加パターンを考察するうえで重要であり、本共同研究の2年目以降につながる内容となった。