国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

確率的事象と不確実性の人類学――「リスク社会」化に抗する世界像の描出

研究期間:2015.10-2019.3 代表者 市野澤潤平

研究プロジェクト一覧

キーワード

確率的事象、不確実性、「リスク社会」

目的

不確実な未来に人間がどう向き合うのかは、伝統社会を対象に、近代的・科学的な形式知では説明がつかない様々な生活実践を扱ってきた人類学において、重要な関心領域を形成してきた。一方で、社会学で台頭してきた「リスク社会」の議論は、学問分野の枠を超えて、人類学にも大きな影響力を与えている。近年の人類学では、「リスク社会」論をもとに、確率的事象を数量的に捉えて管理の対象とする「リスク」と、リスク計算による管理が困難な「不確実性」とを区別し、今日の社会・経済・政治的諸制度が後者の領域をも制御しようとする営為を、新たな考察対象としている。
しかし、上記の二分法的な不確実性の理解は、確率的事象の二面性を把捉し切れていないと、本研究は考える。すなわち、集合的・統計的には計算可能で制御の対象とし得るが、一回限りの生起においては根源的な制御不可能性が露わになる。本研究はその両面に目を向けて、リスク管理の技術に依拠した諸制度の設計や人間の取扱いと、個人の認識や実践との間に生じる深刻なずれを、考察の主題にする。その上で、人類学的「不確実性」研究の考察視角を拡張することにより、既存の「リスク社会」論の俎上に載らない「リスク社会」の姿を描き出す。

研究成果

本研究会では、メンバーによる世界各地の事例報告を通じて、一元的な「リスク社会」化の時代診断によっては必ずしも捉えきれない、様々な人々による様々な不確実性への向き合い方があることが、実証的かつ説得的に示された。不確実性やリスクを従来的な〈問題-解決〉以外の新たな枠組みによって描き出したそれらの民族誌的な蓄積が、本研究会の第一の成果である。
今日、多くの研究分野において、不確実性(およびそのひとつの形としてのリスク)をめぐる研究・議論が盛り上がっているが、そもそも「不確実性」とは何かということからして、分野ごとに(同じ分野内でも論者によって)異なる定義や分類が錯綜しているのが、現状である。そこで本研究会では、人々にとっての不確実性の有り様をミクロに描き出すという人類学的な研究意図から、不確実性概念を再検討し、独自の定義を提案するに至った(ただし、その定義はあくまでのひとつの提案であり、新たな定義というよりも、既存研究が自明の前提として言語化を怠ってきた、当り前のことの再確認となった)。それが、本研究会の理論面における成果である。
1990年頃から大きな注目を集めている「リスク社会」論が提示する時代診断は、マクロな潮流としては確かに妥当であるが、世界各地における人々の日常的な実践を見れば、その隅々までもが一様の仕方で「リスク社会」化している訳では、決してない。ゆえに、「リスク社会」化に抗するようなミクロの現実を丹念に拾い上げて考察することが、「リスク社会」への理解を拡げ、その理解を多様な現実に即した精密なものとする。例えるならば、医療人類学は、患者の病いの経験に目を向けることで、生物医療が捉える医療とは異なる医療像を提示してきた。あるいは、経済人類学は、ミクロかつホリスティックに経済現象を見ることによって、合理的経済人という前提からは説明のつかない人々の経済実践を捕捉し、経済学とは異なる経済行為の理解の仕方を提示してきた。これらと同様に、既存の「リスク社会」論を批判的に照らし返すために、人類学に独自の角度から、不確実性と人間との関わりの新たな相貌を提示すること――それが、民博での3年間の議論を経て本研究会が文化人類学界に提案する、『不確実性の人類学』の方向性である。

2018年度

平成30年度は、2回の研究会を開催する予定である。基本的には、研究会の成果をまとめて論集の出版に結びつけるべく、今まで議論してきたレビュー発表や事例発表を振り返り、理論的な展望を模索していく。また、研究会のうち1回においては、日本文化人類学会研究大会における「不確実性の人類学」の分科会企画についても、検討する。
本研究会は、不確実性という間口の広い研究テーマを掲げていることから、過去三年の研究会では論的視角を拡充することを重視して、多種多様な論点が提示されてきた。また、できるだけ視野を広げるという観点から、毎年複数の特別講師を研究会外部から招いて話題提供を受けてきたが、最終年度に当たる30年度は、基本的には研究会のメンバーのみによる会合とし、研究会の理論的な精度を高めること、主たる論点を煮詰めることを重視した議論を行う。

【館内研究員】 飯田卓
【館外研究員】 東賢太朗、阿由葉大生、碇陽子、井口暁、磯野真穂、牛山美穂、近藤英俊、土井清美、松田素二、吉直佳奈子、渡邊日日
研究会
2018年11月3日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
師田史子(京都大学大学院)「賭博をめぐる偶然世界の捉え方――フィリピンにおける賭博者の事例から(仮)」
吉直佳奈子(東京大学大学院)「日本の医療における不確実性にかんする一考察(仮)」
2018年11月4日(日)9:30~14:00(国立民族学博物館 第1演習室)
全員「不確実性概念にかかわる理論的検討と2019年度日本文化人類学会研究大会での分科会開催に向けての企画検討(仮)」
2018年12月8日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
阿由葉大生(東京大学大学院)「インドネシアの社会保険設計における数値と客観性(仮)」
市野澤潤平(宮城学院女子大学)「確実性の成り立ちについての一考察(仮)」
2018年12月9日(日)10:00~14:00(国立民族学博物館 第1演習室)
全員「不確実性概念にかかわる理論的検討と成果出版に向けての企画検討」
2019年2月7日(木)11:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
市野澤潤平(宮城学院女子大学)「研究会成果出版に向けて」
碇陽子(明治大学)「研究会成果出版に向けて」
全員討論
研究成果

2018年度は、6月18日の大阪府北部地震の影響で、前期に開催を予定していた研究会が取りやめになるトラブルに見舞われたが、結果的に計3回の研究会を開催できた。そのうち11月3~4日および12月8~9日の研究会では、昨年度に引き続き民族誌的な事例発表を通して、一元的な「リスク社会」化の時代診断によっては必ずしも捉えきれない、様々な不確実性への向き合い方があることを確認するとともに、そのような多様性を捉える議論の枠組みや、既存の人類学理論との関わりや延長において不確実性を論じるための新たな視座の開拓について、活発な議論が交わされた。さらに2019年1月7日の研究会では、本研究会で3年にわたって積み重ねられてきた議論を踏まえて、『不確実性の人類学』へのひとつの指針を示すことができるような論文集を、本研究会の成果として出版することが合意され、具体的な編集方針についての話し合いが行なわれた。結論として、本研究会では不確実性を考えるための多様な方向性を見いだすことができたが、それらは萌芽的な研究指針の段階に留まっている。ゆえに成果出版では、そうした人類学的不確実性研究の豊かな可能性を示すことを、主たる目的とすべきであることが、確認された。

2017年度

平成29年度は、3回の研究会を開催する予定である。そのうち1回は、日本文化人類学会研究大会における「不確実性の人類学」の分科会企画、および成果出版の見通しについての打ち合わせに充てる。
本研究会は、不確実性という間口の広い研究テーマを掲げていることから、本年度も引き続き、議論理論的視角を拡充することを重視して、会合を企画・実施する。7月には、東京都在住の精神科医である梅田夕奈氏を特別講師に招くと共に、医療にかかわる発表を3件重ねて、医療における不確実性について議論をする。12月にはさらにもう回、立命館大学の小川さやか氏を特別講師として招聘し、アフリカの都市生活者の事例について報告いただき、他の報告と合わせて生活/生業にかかわる不確実性について考察する。人類学においては、様々な研究関心/アプローチから不確実性を孕む諸事象への考察がなされてきたが、本年度に実施する研究会を通じて、そうした多面的な研究蓄積を俯瞰する視座を得ることを目指す。

【館内研究員】 飯田卓
【館外研究員】 東賢太朗、阿由葉大生、碇陽子、井口暁、磯野真穂、牛山美穂、近藤英俊、土井清美、松田素二、吉直佳奈子、渡邊日日
研究会
2017年6月10日(土)15:00~18:00(国際医療福祉大学大学院青山キャンパス)
飯田卓(日本学術振興会)「漁業における不確実性(仮)」
全員「不確実性にかんする理論的検討(仮)」
2017年6月11日(日)9:30~16:30(国際医療福祉大学大学院青山キャンパス)
梅田夕奈(精神科医)「精神医療の現場における不確実性(仮)」
牛山美穂(日本学術振興会)「医師が直面する不確実性(仮)」
2017年12月9日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
渡部瑞希(東洋大学)「観光市場の取引における不確実性について」(仮)
小川さやか(立命館大学大学院)「確実な幸運をめぐる論理―香港のタンザニア人交易人の間の「運」の贈与をめぐって」(仮)
2017年12月10日(日)10:00~13:00(国立民族学博物館 第1演習室)
市野澤潤平(宮城学院女子大学)「前日の発表へのコメント」(仮)
近藤英俊(関西外国語大学)「交渉と空気:公共空間における自己と秩序の比較文化論」
2018年2月19日(月)9:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
市野沢潤平(宮城学院女子大学)「不確実性をめぐる理論的検討(仮)」
全員「成果出版に向けての検討(仮)」
研究成果

本年度は、前年度から引き続き、研究会メンバーおよび外部講師による不確実性にかかわる事例発表を行い、その事例を材料として理論的な検討を重ねた。2017年6月10~11日の研究会では漁業と医療、12月9~10日の研究会では観光とアフリカ研究という、多彩な領域における発表があり、不確実性にかかわる議論の拡がりを再確認することとなった。2018年2月29日の研究会では、こうした研究会を開催して議論を続けてきた蓄積を整理して、研究会として不確実異性にかかわるどのような理論的視座をとるのかを検討し、さらに成果を書籍などの形で出版するうえでの内容構成などについても、一定の見通しを着けた。研究会メンバーはそれぞれ多彩な事例研究を続けてきているため、それらの事例報告のエスノグラフィーとしての魅力を減じない形で一定の理論的視座のうちに収めていくのかが、問題として浮上した。2018年度の研究会における課題としたい。

2016年度

平成28年度は、3回の研究会を開催する予定である。そのうち1回は、日本文化人類学会研究大会における「不確実性の人類学」についての分科会企画のための打ち合わせに充てる。 本研究会は、不確実性という間口の広い研究テーマを掲げていることから、本年度も初年度から引き続き、議論の共通基盤を作ることおよび理論的視角を拡充することを重視して、会合を企画・実施する。7月2~3日には、東賢太朗、碇陽子、牛山美穂の三名が、それぞれ異なる角度から、人類学における不確実性とリスクに関わる研究蓄積のレビュー発表を行う。本年度中にさらにもう二度、7月とは切り口を変えた事例報告/レビューを行う研究会を開催する。人類学においては、様々な研究関心/アプローチから不確実性を孕む諸事象への考察がなされてきたが、本年度に実施する研究会を通じて、そうした多面的な研究蓄積を俯瞰する視座を得ることを目指す。

【館内研究員】 飯田卓
【館外研究員】 東賢太朗、阿由葉大生、碇陽子、井口暁、磯野真穂、牛山美穂、近藤英俊、土井清美、松田素二、吉直佳奈子、渡邊日日
研究会
2016年7月2日(土)13:30~18:00(東京大学駒場キャンパス)
牛山美穂(日本学術振興会)「医療人類学における不確実性にかんする研究サーベイ(仮)」
碇陽子(金沢大学)「文化人類学における不確実性にかんする研究サーベイ(仮)」
2016年7月3日(日)9:30~13:30(東京大学駒場キャンパス)
東賢太朗(名古屋大学)「呪術・災因論および周辺領域における不確実性にかんする研究サーベイ(仮)」
全員「研究会の理論的方向性の検討」
2017年1月7日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第3演習室)
磯野真穂(国際医療福祉大学)「心房細動の抗血栓療法における不確実性(仮)」
土井清美(青山学院女子短期大学)「ツーリズム研究における『不確実性』の問題の射程(仮)」
2017年1月8日(日)9:30~13:00(国立民族学博物館 第3演習室)
吉井千周(都城工業高等専門学校)「『負の遺産』の処理と不確実性――廃炉作業人材育成と山地民(仮)」
全員「不確実性概念にかかわる理論的検討」
研究成果

2016年度は、2回の研究会を開催した。本年度の研究会は、「不確実性」という研究視角の拡がりを押さえることを主眼とし、人類学における複数の研究領野において不確実性がいかにして議論されてきたのかをサーベイした(牛山美穂、碇陽子、東賢太朗、土井清美)。加えて、まさに現在、社会の着目を集める現象を二つ取り上げて、「不確実性の現在」にかかわる事例報告を行った(磯野真穂、吉井千周)。広範囲な理論的サーベイ/検討と、事例を深く掘り下げての分析を平行して実施していくことにより、不確実性への新たなアプローチへの示唆が数多く得られている。不確実性研究の新たな可能性への期待がふくらむが、その一方で、あまりに多岐にわたる関心を含むテーマであるために、議論を厳密にするための領域確定が、容易ではない。本研究会としては、新たな論点を見いだすことを最重視して、なるべく限定をかけずに視野を広げ、そこから重要なポイントを絞り込んでいく作業を、2017年度以降も継続する。

2015年度

本研究には、医療人類学、呪術論、観光人類学、コミュニケーション論、偶然と必然の哲学など専門とする人類学者、および、ルーマンを中心とするリスク論についての研究蓄積を持つ社会学者など、多様な関心を持つ研究者が領域横断的に集う。そのため、以下の年次計画に基づき、各人の異なる立場から問題意識を出し合い、新たな論点の創発を促すことを目指す。
初年度は、2回の研究会を開催する。第1回目は、個々の研究者の関心領域を共有し、議論の共通基盤を作ることに費やす。具体的には、申請代表者市野澤潤平による趣旨説明、碇陽子による「リスクと不確実性の人類学」についての研究レビュー発表、および一人15分程度の個人発表などを行うことを予定している。これらを通じて個々の研究テーマの関連性を確認し、議論の共通基盤を作る。初年度第2回目は、人類学だけでなく他分野(統計学や社会学、哲学)における、不確実性についての最新の議論を理解するために、それらの分野の基本的文献の講読と先行研究の整理を行う。この作業は、第3回目以降も継続する。また第2回目においては、社会学者井口氏に、社会学における不確実性とリスク関連理論の議論について発表してもらい、人類学と社会学における議論との違いや類似点、議論が足りない領域などを検討する。

【館内研究員】 飯田卓
【館外研究員】 東賢太朗、阿由葉大生、碇陽子、井口暁、磯野真穂、牛山美穂、近藤英俊、土井清美、松田素二、吉直佳奈子、渡邊日日
研究会
2015年11月14日(土)13:30~18:00(国立民族学博物館 第2演習室)
市野澤潤平(宮城学院女子大学)「研究会の趣旨説明」
碇陽子(金沢大学)「人類学におけるリスクと不確実性にかんする理論的サーベイ(仮)」
土井清美(青山学院女子短期大学)、吉直佳奈子(東京大学)「書評および理論的検討『リスクの人類学:不確実な世界を生きる』世界思想社、2014年」
2015年11月15日(日)9:30~13:00(国立民族学博物館 第2演習室)
全員「各自の研究紹介及び研究会の理論的方向性の検討」
2016年2月6日(土)13:30~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
近藤英俊(関西外国語大学)「偶然と必然のあいだを生きる:苦境に関する一考察(仮)」
市野澤潤平(宮城学院女子大学)「ワイルドライフ・ツーリズムの賭博性(仮)」
2016年2月7日(日)9:30~13:30(国立民族学博物館 第1演習室)
井口暁(京都大学大学院博士課程)「社会学におけるリスクと不確実性にかんする理論的サーベイ(仮)」
全員「各自の研究紹介及び研究会の理論的方向性の検討」
研究成果

2015年度は、2回の研究会を開催した。第1回目は、個々の研究者の関心領域を共有し、議論の共通基盤を作ることに費やした。具体的には、一人15分程度の個人発表と、申請代表者市野澤潤平と碇陽子による「リスクと不確実性の人類学」についての研究レビュー発表を行った。また、本研究会が過去の民博共同研究「リスクと不確実性、および未来についての人類学的研究」(代表:東賢太朗)の土台のもとに企画されていることから、同共同研究の成果出版である『リスクの人類学:不確実な世界を生きる』(2014年、世界思想社)の批判的レビューを行い(土井清美および吉直佳奈子)、新たな課題と今後の見通しを整理した。
第2回目は、不確実性に向けた視野を出来るだけ拡大し、論点を模索するという意図のもと、異なる角度から「偶然」を論じる二つの事例発表を行った(市野澤潤平および近藤英俊)。同時に、社会学者の井口暁が、社会学における不確実性とリスク関連理論の議論を整理し、人類学と社会学における議論との違いや類似点、議論が足りない領域などを検討した。