アンデス高地における環境利用の特質に関する文化人類学的研究――ヒマラヤ・チベットとの比較研究(2001-2004)
目的・内容
アンデスは、ヒマラヤやチベットとともに、標高4000メートル前後の高地でも人間が暮らしている地域であるが、このような高地は気温が低く傾斜地も多いため生産量が低く、きわめて脆弱な環境であることが知られている。にもかかわらず、中央アンデス高地は非常に古くから多数の人間が暮らし、高度な文明を発達させてきた。さて、それでは何がアンデス高地における多数の人間の暮らしを可能にしたのか。さらに、生産力が低く、脆弱なアンデス高地のなかで何が高度な文明の発達を可能にしたのか。また、アンデス高地では、現在山岳地域で見られる環境破壊は生じていないのか。もしそうであれば何が環境保全を可能にしているのか。このような疑問の解明を中心課題として、本研究はアンデス高地における人間社会と環境との相互関係を自然科学的な手法も取り入れながら文化人類学的に明らかにすることを目的とする。最終的にはヒマラヤやチベットにおける環境利用の方法と比較し、山岳地域における環境と人間社会との相互の関係を統一的に理解することも目的とする。
活動内容
2004年度活動報告
(1)山本は、6月から8月にかけてペルー、クスコ県においてアンデスの伝統的な農耕文化の調査を実施した。とくに、マルカパタ村では作物の品種の多様性と土着の宗教との関係について民族植物学的な調査をおこなった。
(2)本江は、ラクダ科家畜の起源を明らかにするために、ペルー、プーノ県において野生ラクダ科動物のビクーニャやグアナコ、さらにラクダ科家畜のアルパカやリャマから血液を採取した。これは、川本の実験研究に供される予定である。
(3)本江は大学院生の藤倉とともに、アンデスの寒冷高地適応型の農耕の特色を明らかにするため、ペルー南部のティティカカ地方においてアカザ科雑穀の栽培および利用に関する調査を実施した。
(4)稲村は、8月にペルー南部アレキパ県においてケチュア族先住民の生活、生業形態、社会組織等の変動について文化人類学的調査をおこなった。また、本年3月には、同地域の高原の牧民社会において、牧畜の形態、家族と居住等についての文化人類学的調査もおこなった。
(5)川本は、稲村と共同で、ペルー南部のアレキパ県およびプーノ県においてラクダ科動物(グアナコ、ビクーニャ、リャマ、アルパカ)50個体から血液試料を採取した。その後、リマの天野博物館において血液タンパク質の電気泳動分析をおこなった。この結果、ビクーニャとアルパカの近縁性、人為攪乱の大きい地域で家畜種の交雑が進んでいることが確認できた。
(6)苅谷は、山本とともに、ペルー、クスコ県のマルカパタ村を中心に、アンデス東面斜面を標高約1000mから5000mにおよぶ高度差に富んだ地域で、地形や土壌調査をおこない、農牧土地利用と主要地形との関係を明らかにしょうと試みた。
(7)大山は、昨年にひきつづき、ペルー南部のアヤクーチョ県の高原地帯でビクーニャの生態および自然環境の特色の調査をおこなった。
(8)本年3月に、メンバー全員が京都に集まり、調査報告会を実施、報告書作成にむけての検討もおこなった。
2003年度活動報告
本年度の主な調査テーマおよび成果は以下のとおりである。
1)アンデス高地における家畜化および牧畜文化に関する調査
ラクダ科家畜の起源を明らかにするため、野生種を含むラクダ科動物から血液を採取し、遺伝子分析を行った。その結果、家畜のリャマは野生ラクダ科動物のグアナコに、アルパカは野生ラクダ科動物のビクーニャに遺伝子構成が類似し、アンデスにおけるラクダ科動物の家畜化は二元的に起きた可能性が高いとの結論が得られた。
2)アンデス高地における環境の自然地理学的調査
ペルー・アンデス南部高地において植生、土壌、気象、地形などの調査を実施した。土壌の分析からは、標高4700mの氷食谷底に分布する泥炭の一部は約1000年前以降に集積を開始したことが判明した。
3)アンデス高地原産のアカザ科雑穀であるキヌアおよびカニワに関する農学的、文化人類学的調査
ティティカカ湖畔を中心とする中央アンデス南部高地でキヌアおよびカニワの栽培特性や利用方法の集中的な調査を行った。この結果、キヌアもカニワも低温および乾燥に対してきわめて強く、アンデス高地における農耕文化に大きな貢献は果たしていることが明らかになった。
4)中央アンデス高地とパタゴニア・アンデスの環境比較
中央アンデスにおける森林限界が標高3000mあまりであるのに対して、パタゴニア・アンデスの森林限界は標高数百mであり、中央アンデス高地とパタゴニアの低地は環境的にきわめて類似していることが判明した。
2002年度活動報告
今年度は以下の2回の調査をアンデスで実施した(平成15年2月末現在)。
1)ペルー・アンデスにおける牧畜文化の文化人類学的研究
2)アンデス高地原産のアカザ科雑穀のキヌアに関する農学的、文化人類学的調査
1)の調査では、野生のラクダ科動物であるビクーニャの捕獲、利用に関する貴重な資料を得た。さらに、多数の野生のラクダ科動物(ビクーニャおよびグァナコ)および家畜化されたリャマやアルパカの唾液を採取して遺伝学的な分析も行い、アンデスにおける家畜化の起源に関する新たな知見も得た。
2)の調査はペルーのプーノ大学と共同で進めているものであり、年度を越えて5月末まで継続する予定である。この調査によって、キヌアの作物学的特性はもちろんのこと、その利用に関する人類学的知見も得られるとの見直しを得ている。
なお、今年度末に予定し、未実施の調査計画もある。これは、人類学者と自然地理学者が共同して行うものであり、対象地域はペルー南部高地である。自然地理学的な調査は昨年もペルー北部高地で実施したので、今回の調査と合わせてペルー・アンデスにおける自然環境の正確な把握が可能になる。さらに、年度末から来年度の4月末までにわたる調査計画もある。この調査では、本計画で初めて中米のメキシコおよびグアテマラに1名の人類学者を派遣し、中央アンデスとの比較資料を得て、この結果を来年度以降の計画に反映させる予定である。
2001年度活動報告
本年度は4年計画の初年度であり、次年度以降の調査地探しも兼ねてネパール東部での予備調査のほかに広域調査を行った。広域調査は3回にわけて、エクアドル高地、ペルー北部高地、ペルー南部高地およびボリビア北部高地の3地域で実施した。実際の調査に際しては、本研究の最大の特徴である自然科学と人文科学との横断的な研究を目指すため、文化人類学者と自然科学(自然地理学、植物学、畜産学、霊長類学)者が一緒に行動し、研究者同士が問題を共有し、相互理解をはかった。これらの調査で得られた新たな知見の主なものは以下のとおりである。(1)エクアドル・アンデスとペルー・アンデスでの農耕限界を比較すると後者の方が1000メートル以上も高く、これに家畜飼育も含めると後者は高度域で約2000メートルも生活領域が広い。(2)その要因としては、両地域における栽培植物や家畜の種類の違い、農耕方法の違いなどが考えられるが、これらの点を明らかにするために今後のインテンシブな調査が待たれる。(3)エクアドル高地における農耕や牧畜などの環境利用の方法には同地域における火山活動も大きな影響を与えている可能性が大であり、この点に関しては埋没土壌の調査を行う予定である。(4)ペルー南部からボリビア北部にかけてのティティカカ湖畔に分布が限定されると考えられていた特異な農耕法のレイズドフィールド(盛り土農法)はエクアドル高地にも分布していた可能性が大であり、これはアンデス高地の環境利用の方法を考える上で大きな示唆を与える。(5)アンデス高地に特異的なラクダ科家畜のリャマとアルパカは予想以上に交雑が進んでおり、この点についてはDNAレベルで分析を進めつつある。(6)絶滅が危惧されていた野生のラクダ科動物のビクーニャは国家的な保護のもとで増加し、その利用方法の調査はアンデス高地におけるラクダ科動物のドメスティケーションのプロセスを明らかにする上で大きな示唆を与えるものとなる。