国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

ヒマーラヤ地域における仏教タントリズムの基層に関する研究(2002-2005)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|基盤研究(B) 代表者 立川武蔵

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究はヒマーラヤ地域における仏教タントリズムに含まれる「基層」の動態(ダイナミクス)の解明である。タントリズムとは紀元5、6世紀頃から急速に台頭した、ヒンドゥー教・仏教等を含めた汎インド的運動である。
本研究は、仏教タントリズムの「基層」がどのように機能しているかを、1)血、骨、皮の儀礼の受容と変容、2)仏教観想法とシャーマニズムの身体技法との関連、3)各地域における人生儀礼と仏教タントリズム、4)ホーマおよびプージャー(供養)儀礼のヒマーラヤ的変容の観点から明らかにしたい。
本研究の特質は、仏教タントリズムはアーリア的基層と非アーリア的基層を含んでおり、その基層を内化あるいは純化することによって時代の状況に対応することができたことを、実態・文献調査の両面から総合的に解明することにある。

活動内容

◆ 2004年4月より愛知学院大学へ転出

2003年度活動報告

昨年度はヒマーラヤ地域の仏教タントリズムと祖霊崇拝との関係に焦点をあてたが、今年度はヒマーラヤの仏教タントリズムとシャマニズムとの関係をとりあげた。特に仏教タントリズムの主要な実践法の一つとして知られる観想法(成就法)とシャマニズムにおける憑依の身体技法との関係について考察した。
インド仏教タントリズムにおいて観想法が行法の一つとして登場するのは七世紀以降と思われるが、九世紀頃にはこのタントリズムの行法はシャマニズム的な憑依の技法を取り入れたのではないかという仮説を立てた。『大日経』までの中期仏教タントリズム経典に説かれる瞑想法と『勝楽』『呼金剛』といった後期仏教タントリズム経典に述べられるそれとの間には大きな違いがあり、さらに後期経典に述べられる「行者の体験」はシャーマンが憑依になる際の体験と酷似しているのである。これはおそらく仏教タントリズムの方がシャマニズムの身体技法を取り入れたためと考えられるのである。
カトマンドゥ盆地を中心として、ネワール仏教タントリズム、チベット仏教タントリズム、さらにはネパール・ヒンドゥ・タントリズムにおける観想法の実態を観察すると、シャーマンの憑依とほとんど同じ現象であると考えられる。したがって、後世は仏教タントリズムがシャマニズムの技法を取り入れたのであろうという仮説が立つのである。
もっとも仏教僧たちとシャーマンたちとの間には激しい抗争が今日も続いているのであり、観想法と憑依とは厳密に区別されるべきものであることは一般的理解ではある。しかしそれでもなお、仏教タントリズムの基層にはシャマニズムの要素が流れ込んだと考えられる。それがどのような歴史的経過をたどったのかは今後の課題であろう。
バリ島にも仏教タントリズムが伝播し、今日でもわずかに残っていることを確かめた。バリの仏教タントリズムの観想法がどのようなものであるか、ヒマーラヤの仏教タントリズムとどのような共通点を持つかは今後の研究に待ちたい。
ただ、バリ・ヒンドゥイズムにおいても「タクス」と呼ばれる憑依現象が起きた際の神と人との媒介者がいることをつきとめた。このタクスはシャマニズム的な要素を有している。

2002年度活動報告

今年度の研究は、ヒマーラヤ地域の仏教タントリズムが全アジア的領域から見てどのような宗教形態としてあるのかを、とくに祖霊崇拝の観点から考察することに努めた。
仏教は元来、インド亜大陸の北端に誕生しており、その地域では釈迦の遺骨崇拝にも見られるように、骨の儀礼の伝統を有していた。しかし、釈迦の遺骨崇拝はそのまま祖先崇拝と結びつくことはなかった。チベット自治区、チベット仏教徒の居住する北インドおよびネパール山岳地帯、ネワール大乗仏教徒の住むカトマンドゥ盆地、およびモンゴルにおいて今日、仏教タントリズムの形態が見られるのであるが、これらの地域において骨の儀礼はさかんではあっても、それらの地域では家の観念を中心とした祖先崇拝とほとんど結びついていない。
バリ島にはおそらく7、8世紀には仏教タントリズムが伝わり、今日でもその伝統はわずかではあるが残っている。バリでは遺骨崇拝あるいは骨の儀礼はほとんど見られないが、家あるいは族の観念を中心とした祖先崇拝は今日でも強く残っている。カンボジア、タイにもかつては仏教タントリズムが流布していたが、今日残っている作品や遺跡から見るかぎり、バリ島と同じような形態であったと推察できる。
中国、朝鮮、日本においては祖先崇拝と仏教タントリズムは密接に結びついてきた。
ヒマーラヤ地域における仏教タントリズムの基層研究のためには、祖先崇拝と結びつかない骨の儀礼の層を設定する必要のあることが明らかとなった。