アンデス文明における権力生成と社会的記憶の構築(2016-2019)
目的・内容
本研究は、55年以上続く日本のアンデス文明研究の成果を踏襲しながらも、権力という分析視点と分野横断的な手法を考古学調査(南米ペルー共和国北部)に導入し、文明初期における複合社会の成立過程(ミクロ・レベル)を追求するばかりでなく、アンデス文明史の再構築というマクロ・レベルの課題に取り組むことにある。インカ帝国をさかのぼること数千年におよぶアンデス文明のなかでも、祭祀建造物が登場した形成期(前3000年~紀元前後)社会のデータを、社会的記憶の形成と統御という斬新な切り口で分析し、新たな権力論、文明論の構築を図る。
活動内容
2019年度活動報告
ミクロ・レベルの研究として、ラ・カピーヤ遺跡において発掘と出土遺物の分析を行った。同遺跡はパコパンパ遺跡の東300メートル、パコパンパ遺跡の祭祀建造物の中心軸を延長した先に位置することから直接的な関係が以前から示唆されていたが検証できずにいた。結果として、パコパンパ遺跡と同時代に切り石による基壇が築かれたことが確認でき、一体化した祭祀活動が展開されていたと考えられる。さらに、パコパンパ遺跡本体では十分に検証できなかった神殿放棄後の活動の証拠が得られ、アンデス文明最後を飾るインカ帝国並行期の活動も確認された。
土器分析については、カピーヤ遺跡出土資料を分析し、編年の構築に役立てたばかりでなく、パコパンパ遺跡の半地下式パティオにおける複数回の饗宴における時間的変化を考察する論文を発表した。権力者の追悼的性格が強い饗宴儀礼の時間的変化を把握するという大きな収穫が得られた。また動物飼育については、ストロンチウム同位体マップを作成するために一昨年採集した現生植物サンプルを解析し、パコパンパ遺跡周辺におけるラクダ科動物飼育の可能性が補強され、さらに遺跡外で飼育された可能性があるサンプルについては飼育地域についての推定も行い、宗教的影響圏の課題に迫ることができた。
人骨分析については、2015年に発見した貴人墓の被葬者2体に関する詳細な報告をAnthropological Science誌で発表した。これまで特殊な墓に報告事例が多い頭蓋変形を改めて確認できた点に意義があり、形成期後期にあたる前700年以降に社会的差異が顕著化する点も再確認できた。
マクロ・レベルの研究として日本、ペルー、ハンガリーにおいてシンポジウムを組織し、各国の研究者と討議した。とくにペルーでは合計で3回の大規模な国際シンポジウムを組織し、本研究課題の総括を実施した点は、現地でも高く評価され、新聞等でも報道された。
2018年度活動報告
ミクロ・レベルの研究として、ペルー北高地に位置するパコパンパ遺跡において発掘および、出土遺物の分析を行った。発掘については、最上段基壇の北部区域に位置する方形半地下式パティオを選んだ。以前よりこの区域に3つのパティオが築かれ、そのうちの1つで饗宴が行われたことが確認されている。本年度は、他のパティオにおいても同様の饗宴が行われたかを確認することが目的であった。結果として、饗宴の痕跡は見当たらず、代わりに中央部で地下式水路と、石彫の基部を発見することとなった。これにより同じ構造を持つ空間でも利用方法に差異があることが明らかになった。 遺物分析については、権力者の存在が顕在化する形成期後期で、逆に建築への投資が縮減するとした昨年度の土器分析結果をペルー考古学者会議で発表するとともに、墓に大型壷片を副葬するパターンの存在を新たにつきとめた。動物骨については、炭素、窒素、ストロンチウムの同位体分析に基づき、ラクダ科動物の飼育と消費が形成期後期にさかのぼるという昨年度の成果をEnvironmental Archaeology誌で発表した。本年度は、遺跡周辺のストロンチウム同位体マップを作成するために現生植物の採集を行い、現在解析中である。 さらに人骨分析については、儀礼的な斬首が形成期にさかのぼる点をつきとめ、米国の電子ジャーナルPlos Oneで発表した。アンデス文明史上、最古かつ確実な事例として注目された。とくに分析した頭骨が、形成期以降にあたるカハマルカ期の祭祀で利用された点は、先史時代においても社会的記憶を戦略的に利用していたことを示している。 マクロ・レベルの研究として日本やスペイン(国際アメリカニスト会議)においてシンポジウムを組織し、また米国ダンバートン・オークス国際会議に参加し、各国の研究者と討議した。社会的記憶に関するテーマの斬新さは高く評価された。
2017年度活動報告
ペルー北高地に位置するパコパンパ遺跡において発掘および、出土遺物の分析を行った。発掘については住居遺構の検出をめざした。神殿活動を支えた集団の特定が目的である。具体的には、パコパンパ遺跡の東部に位置し、表面観察からは遺構が目視できない平坦部を選んだ。その結果、住居址というよりも、広場のような開放空間として利用されたことが判明した。当初の推測とは異なる結果ではあったが、逆に、祭祀活動が空間的に連続していることが明らかになった点は大きな収穫といえる。
また遺物分析については、遺跡周辺部の土器分析を行い、その結果、社会的なリーダーが出現した点が検証されている形成期後期(前800年~前500年)に祭祀活動の範囲が縮減していることを突き止めた。権力の生成が祭祀空間の拡大とは比例していないことになる。
出土動物骨については、炭素、窒素、ストロンチウムの同位体分析により、形成期後期に遺跡周辺でラクダ科動物を飼育し、饗宴において消費された点が明らかになった。さらに人骨資料については、儀礼的な暴力行為のパターンがある点をつきとめた。この成果は米国の電子ジャーナルに掲載され、アンデス文明史上、もっとも古くまた確実な事例として国内外の学界で注目された。社会的記憶が生成される機会として注目してきた儀礼という反復的行為の中に、暴力が組み込まれていた点が明らかになった点は重要である。なお人骨のDNA分析については、DNAの残存状態を図る予備的な分析を行い、良好な保存状態にあることがわかった。
これらの成果は、日本をはじめ米国、セルビア、ペルー、アルゼンチンにおける国際学会や集会において発表するとともに、内外の研究誌に投稿し、受理されている。
2016年度活動報告
ペルー北高地に位置するパコパンパ遺跡において発掘および、出土遺物の分析を行った。これまで着手してこなかった南側の基壇を発掘し、形成期中期後葉(前1000年~前800年)の遺構を検出した。また続く形成期後期前葉(前800年~前500年)でも建築の配置は踏襲されていたところから、儀礼空間における社会的記憶の生成方法の継承が指摘できた。
遺物分析については、2015年の調査で発見された貴人墓(通称ヘビ・ジャガー神官の墓)の被葬者について、自然人類学的分析などを実施した。その結果、被葬者のうち1体で、足の骨の遊離が認められ、切断痕は同定できなかったものの、もう1体の被葬者を守る目的を持つ犠牲者であった可能性が指摘され、墓の特殊性がうかがわれた。
さらに貴人墓に隣接した方形パティオにおいて発見された饗宴の痕についても、土器や骨器、獣骨、人骨などの分析が行われた。そこでは同じような儀礼が反復的に3回行われたことは判明していたが、共伴する土器が時間とともに変化することがわかり、しかも共食以外の儀礼的要素も析出された。層位的には饗宴は、貴人墓と関係していることが以前から指摘されており、その意味で、貴人墓の被葬者の追悼的性格が予想されたのだが、儀礼自体が微妙に変化していった点が明らかにされたことになる。これは反復性に基づく社会的記憶自体にも動的考察が必要であることを示すものである。
このように権力と社会的記憶の関係性を示す数多くのデータが得られ、研究の成果は、日本はもとより、米国やペルーにおける国際研究集会の場で発表されたばかりでなく、研究代表者が編者となり、研究分担者や研究協力者が数多く参加した『古代アンデス 神殿から読み取る権力の世界』(臨川書店)の出版に結実した。