国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

無形文化遺産の継承・変容と自然災害による影響の動態的把握:バヌアツ北部事例研究(2018-2020)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|基盤研究(C) 代表者 野嶋洋子

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究では、自然災害により無形文化遺産がどのような影響を受け、変容してきたかについて、災害頻発国であるバヌアツ北部のバンクス諸島ガウア島を主要調査対象地域として、災害と無形文化遺産のバイオグラフィーを作成することを目指す。
無形文化遺産が常に変化するものであることを前提に、自然災害と同時にキリスト教化・植民地化等の近代化プロセスも踏まえ、①地域住民の生活・社会基盤やアイデンティティの表象となるような無形文化遺産が、歴史的に繰り返す災害を経て如何に変化してきたか、②地域住民のもつ災害対応の在来知(無形文化遺産)が、近代化・グローバル化のプロセスのなかで如何に変化してきたかという2つの視点から、情報収集と分析を行う。また無形文化遺産を守る対象としてのみ捉えるのではなく、災害対応の在来知についても注目し、持続的かつ自発的な防災戦略・復興をも可能とする無形文化遺産の今日的意義について再考する。

活動内容

◆ 2019年4月より転入

2020年度実施計画

事業最終年度となることから、これまでに情報収集を行ったガウア島災害事例、アンバエ島災害事例を中心に、分析作業を進める。それを踏まえ、補足的な情報収集を兼ね、調査地域における将来的な無形文化遺産保護の促進に繋がる方策についてワークショップを実施し、事業の総括としたい。
ただし、最終の現地調査に関しては、現在、コロナウィルス感染のリスクにより入国が制限されており、実施の見通しがつかず困難な状況が生じている。11月以降の実施を視野に、現地との調整を進めるが、今後の情勢を考慮した上で判断したい。

2019年度活動報告

2019年度は、2017-8年の火山噴火により全島民が他島に避難したアンバエ島住民を対象とし、被災と避難、そして帰島または移住というプロセスにおける文化的実践の変化について、現地での聞き取り調査を実施した。
2017-8年のアンバエ島火山噴火の際、バヌアツ政府は約11,000人の全島民に対して近隣の島々への避難を命じ、約6割がサント島の都市ルガンヴィル近郊、約4割がアンバエ島の東にあるマエウォ島へと避難した。2019年に噴火活動が沈静化すると島民の多くは帰島したが、移住先に留まり「第二の我が家」を築く住民もいた。調査では、アンバエ島西部からサントに移住したコミュニティ、帰島したコミュニティ(東部および北東部)、マエウォ島に新たな集落を開く選択をしたコミュニティの3者について情報収集を行った。
アンバエ島民の主要な避難先となったルガンヴィルとマエウォ島では、状況が大きく異なる。前者はバヌアツ第二の都市であるのに対して、マエウォ島では共通性のある文化と既存の交流がありながらも、より伝統的な実践が継承されている。アンバエ島民の様々な無形文化の実践状況については、災害による環境へのダメージ、移住により必要な資源が入手困難となる(例えば編みゴザ作りのための特別なパンダナス)といった状況がある一方で、以前からの生活スタイルの変化により衰退傾向にあった。マエウォ島民の集落で避難生活を送ったアンバエ島民は、アンバエにおいては衰退した実践が生きている状況を目の当たりにし改めて関心を抱く、また日常とは異なる避難状況の時間を伝統的技術の習得に充てる、といった活動も見られた。これはアンバエ無形文化遺産の継承という視点からは、避難がポジティブに作用した事例と言える。また無形文化遺産の継承に大きく影響する要因としては、災害事象そのものよりも、災害により生じた集団間の接触・交流があると考えられる。

 
2018年度活動実績
2019年1月に、バヌアツ北部バンクス諸島のガウア島西部で1週間の現地調査を実施した。
ガウア島西部では、2009年から2010年の火山噴火により地域住民が島内の北部地域に約半年にわたって避難した経験があることから、当時の状況およびその後の生活再建について具体的な聞き取りを行った。また住民が過去に経験した他の災害(サイクロンや異常気象等)についてもリストアップし、災害経験を経た様々な伝統的知識や技術、実践(無形文化遺産)の変化に焦点をあて、情報収集を行った。
人々により実践、継承される無形文化遺産は、災害によって中断されることはあっても、その災害が直接的な原因となって失われることはない。しかし、災害により生じる様々な状況変化が、その後の無形文化遺産の継承に影響していることが、今回の調査を通じて具体的に明らかになった。例えば、タロイモはガウア島の結婚式や葬儀に伴う祭宴に不可欠な作物だが、2009年の噴火により、それまで西部地域で多く栽培されていたタロイモの品種の殆どが失われ、それ以前より減少傾向にあったタロ栽培の衰退を加速する一因となっている。また北部集落の人々と長期の避難生活を通じて交わることにより、人々(特に若者)の価値観にも変化を及ぼし、日常的にカヴァを飲用するカヴァ・バーなど新たな習慣が西部へと持ち込まれ、現金収入が得られるカヴァの栽培がその後増加していく契機ともなった。
災害時に有効な非常食の知識については、比較的食物資源の豊かなガウア島では殆ど実践されていないが、2009年噴火による避難生活後の生活再建の際には、極めて限定的ではあるが活用した事例があることが確認できた。耐風性能の高い伝統家屋形態も、西部集落の調理小屋では継承されており、ある程度のレジリエンスを保っている現状が窺えた